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地方選挙・地方政治
75
:
片言丸 </b><font color=#00FFDF>(/3J5SzQQ)</font><b>
:2005/05/11(水) 08:21:34
藤井仙台市長・一問一答 市民生活の向上願う
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050511-00000012-khk-toh
3期12年で勇退する意向を表明した藤井黎仙台市長(74)は10日、河北新報社の単独インタビューに応じ、望ましい次期市長像について「市民の生活を美しく、豊かに向上させてほしい」との考えを示した。インタビューでの一問一答は次の通り。
―最終的に勇退を決断したのはいつか。
「まだまだ時間に余裕があると思っていて、できれば6月定例市議会の冒頭にでも進退を表明する予定だった。が、いたずらに市民を惑わすわけにもいかず、決断時期を早めた」
―心残りはないか。
「引退表明が責任放棄にならないように、継続性の観点から進行中の事業を点検した。地下鉄東西線については着工を見届けるべきだとの声もあるだろう。ガス局民営化は市議会2月定例会で方針を示したので、後は手続きの問題だ」
―あらためて市長就任当時を振り返ると。
「わたしの人生のプログラムには、もともと『市長』はセットされておらず、市長になったこと自体が奇跡的なことだ。政治家になることはまったく念頭になかったので、今も政治家と言われると他人のような気がする」
「市役所職員が長かったが、教育局と企画局しか知らず、財政の素地がないのに引き受けられないと思っていた。就任後、他の都市の住民からゼネコン汚職事件をやゆされる市民が多いのを知り、居ても立ってもいられなかった」
―失墜した仙台市のイメージは回復したか。
「市民と市役所職員の努力で相当回復した。わたしの努力だけではとても回復できなかった。市長就任当時は全国市長会でブーイングを浴びたが、今は住みたい都市の全国ランキングで上位に入るようになった」
―前市長の実績はどう評価しているのか。
「ハコモノ事業が多かっただけに、仏に魂を込めるような仕事が多く残されていて、引き継いだわたしはやりやすかった。国際音楽コンクールやベガルタ仙台の支援も、魂を入れるタイプの仕事の一つだった」
―次期市長には何が求められるか。
「都市づくりの中核に『美』の概念を据え、市民の生活の質をより豊かに向上させてほしい。そういう意味で、ケヤキ並木に遊歩道を整備し、沿道にせんだいメディアテークを建設した定禅寺通は、わたしが考える美的生活のシンボルでもある」
(河北新報) - 5月11日7時4分更新
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