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地方選挙・地方政治
446
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/03/14(火) 14:32:51
衆院の選挙制度の影響が大きい。中選挙区に戻したらまた復活すると思う。
自民群馬県議団…福田・中曽根系、30年ぶり派閥解消
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060313-00000216-yom-pol
「自民党王国」と言われる群馬県で、各種選挙の候補者擁立などで争いを続けてきた福田赳夫・元首相系と中曽根康弘・元首相系の2派閥が13日に解散し、30年ぶりに県議会自民党が一本化された。
来年の参院選から群馬選挙区の改選数が2から1に減る見通しになったことが、“和解”のきっかけだ。背景には、衆院小選挙区制導入などで、両派が選挙で激しく争うことが少なくなったという事情もある。
13日夕、同県渋川市の伊香保温泉で開かれた県選出国会議員・県議合同会議には、福田元首相の長男、福田康夫・元官房長官や中曽根元首相の長男、中曽根弘文・元文相も顔を見せ、歴史的な瞬間を見守った。
「会派を発展的に解消し、党の一本化を図る」
大沢正明・県連幹事長が、福田系の「政策同志会」と中曽根系の「県政塾」を解消する決議を読み上げると、居並んだ両派の県議42人全員を含む出席者が拍手で採択した。
福田康夫氏は会議後、記者団に「自民党が圧倒的に強い群馬県政界の基を作った。(両派の)競争が強くした」と感慨深げに語った。中曽根弘文氏も「(派閥解消は)より大きな力を発揮するには大変いいことだ」としながらも、「二つの会派、世間で思われているように、単に選挙だ何だで戦っているだけじゃない。今までの活動も意義があったと考える」と強調した。
◆動員競争◆
福田、中曽根の両元首相は1952年の衆院選以来、中選挙区の旧群馬3区でトップ争いを演じた。両派は、参院選群馬選挙区でそれぞれ候補者を立てたり、群馬県知事選の候補者選びで対立したり、つばぜり合いを繰り広げた。
衆院選旧群馬3区の選挙では、系列県議らが手足となり、政策より運動量の差で票を奪い合った。大型バスを使った動員数を競い、選挙事務所は「福田食堂、中曽根レストラン」とも呼ばれた。同区選出だった小渕恵三・元首相が「私はビルの谷間のラーメン屋」とこぼした話は有名だ。元首相後継の小渕優子衆院議員は13日、「群馬県は全国屈指の保守王国。大同団結でますます力は強まる。県民のことを考えた大きな決断だ」と評価した。
◆環境変化◆
94年の衆院小選挙区制導入で「すみ分け」ができると、選挙での直接対決がなくなり、県政界にも意識の変化が生まれていた。“福中戦争”を経験していない若手県議が「不毛な対立は県民に理解されない」と、ベテラン県議を突き上げる動きも出てきた。
参院選では、両派が候補者を擁立するなど対立が残っていた。が、参院選群馬選挙区が改選数2から1となる見通しとなり、和解話が一気に進んだ。
福田系のベテラン県議、松沢睦・自民党群馬県連副会長は「中選挙区時代の自民党は『自分党』で、日本中に『福中』の構図があった。しかし、新しい選挙制度に合わせなければ生き残れず、派閥解消は時代の流れだ」と漏らしている。(政治部 穴井雄治、前橋支局 小川聡)
(読売新聞) - 3月14日2時22分更新
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