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地方選挙・地方政治
2393
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2009/03/02(月) 08:13:57
’09名古屋市長選:28年ぶりの激突/上 民主・河村氏 「勝てる候補」前途多難
◇小沢裁定、揺れる地元
緊張した面々が居並ぶ。23日、東京・永田町の民主党本部。同党の名古屋市議団幹部を前に、小沢一郎代表が口を開いた。
「一致結束してやらないと(市長選は)厳しいぞ」。分裂してどうする、勝てる候補に一本化しろ、勝てるのは誰か。事実上の小沢裁定だった。
愛知県連が推薦を決めた元愛知県弁護士会副会長の伊藤〓彦氏(55)と、同党の河村たかし衆院議員(60)=愛知1区=の一本化問題。翌24日、伊藤氏は出馬断念を表明した。
□
「去年総選挙があったら、今はなかったよ」。河村氏は26日、毎日新聞の取材にそう語った。元々、市長への意欲を持っていた同氏が出馬を意識し始めたのは昨年9月の党代表選後。「総理を狙う男」をうたい文句に、議員特権返上などを訴えてきたが、立候補に必要な20人の推薦人が集められず、「政策は名古屋で実現しよう」に傾いていった。
そのころ政界は、福田康夫首相(当時)の辞任を受け、衆院解散・総選挙へと走り出す。「10月解散だったら、衆院選候補として出ていた。そしたら市長選には出られませんわな」と河村氏。結局、解散はなかった。
だが、この段階で動けたわけではない。10月23日の松原武久市長の4選不出馬表明を合図に、市議団が名古屋市教委幹部の擁立に乗り出したからだ。
チャンスが巡ってきたのは幹部が固辞した年明け。「時の流れ(が自分に来た)。あれで腹を決めた」という河村氏が最初に出馬を口にしたのは1月14日、国会内で開かれた県選出国会議員団会議だった。市議団もこの日、一気に伊藤氏擁立を決めたが、既に後に引く選択肢はなかった。
□
「2人を降ろし、第3の候補を立ててはどうでしょうか」。県選出の国会議員が先々週、小沢氏の元を訪れ、別の地元衆院議員の名前を出して進言すると、小沢氏はこう答えた。
「それでも河村は出てくる。同じことだ」
党本部の選考基準は「勝てる候補」(鳩山由紀夫幹事長)。イコール河村氏だが、本部主導で進めれば、総選挙を前に県連の分裂を誘いかねない。推薦決定の先送りを続けることで、伊藤氏に本部の意思を伝え、自発的な辞退へと導いていった。
□
しかし−−。25日、最大の支持団体・連合愛知が加盟労組の代表を集めて対応を協議した席で、河村氏を積極的に支持する意見はなかったという。「いったん市長になれば歯止めが利かなくなるような人は困る。そういう思いが組合員にはある」と連合幹部は話す。
市議団内には離党をにおわせ、周囲に説得されて思いとどまった議員もいる。「河村さんは本当に勝てる候補なのか」。奥村文洋選対本部長の懸念は、多くの民主市議に共有されたままだ。【影山哲也、丸山進】
毎日新聞 2009年2月27日 中部朝刊
http://mainichi.jp/chubu/news/20090227ddq041010019000c.html
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