したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

地方選挙・地方政治

2307片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/05/31(土) 16:48:35
政治家・伊藤の検証:’08知事選を前に/2 出水 /鹿児島
 ◇歴史が支える強固な地盤
 大河ドラマ「篤姫」のロケをきっかけに活気づく出水麓(ふもと)武家屋敷群。地元ボランティアらは、地図を片手に観光客の案内に忙しい。「ここがロケ地の宮路邸。こっちは、知事さんの実家です」

 「伊藤家屋敷」(非公開)は、柱に西南戦争時の刀傷が残るとされる。宝暦11(1761)年、建てられたという門には、向かって右に父祐輔、左に祐一郎の表札がある。

 伊藤家は戦国時代の名君、島津忠良(日新公)に仕え、諸国を旅した山伏、伊尻宗憲(神力坊)が始祖とされ、加世田がルーツだ。「関ヶ原」後、国境の守りを固めるため、子孫が出水麓に集められた。歴代、外城(とじょう)の行政で最高職だった〓(あつかい)役などを務めた上級郷士。幕末の祐徳は戊辰戦争で活躍した。

 鹿児島市の県歴史資料センター「黎明館」。伊藤家の古文書など約640点が寄託され、屋敷の復元模型は常設展示されている。03年3月の企画展「伊藤家資料の世界」。出馬表明の約1年前、総務省自治大学校長だった伊藤も訪れ、興味深そうに見学した、という。

   ◇   ◇

 出水は、元知事、金丸三郎、元北海道・沖縄開発庁長官、井上吉夫の両参院議員(いずれも故人)らを輩出した地だ。そんな保守政界を支えた一人が、「地元」の弁護士、和田久。伊藤の「生みの親」とも評される。

 伊藤は「三代続けての付き合い」という。特に関係が深かったのは、知事の祖父信夫(故人)。古武道「日置(へき)流腰矢」の伝承者で、柔道、剣道など合わせると「十数段」とも。武道界では「雲の上の存在」で、高校校長、県議などを歴任した出水市の名誉市民だ。

 信夫の教え子だった和田。03年末、前知事、須賀龍郎が勇退を表明すると、関係者を介して祐一郎に知事選出馬を促したという。米盛学・県医師連盟会長に後援会長就任要請も。物心両面で支える動きに、陣営でも「今度は、意気込みが違うぞ」とささやかれたという。

 「伊藤家との関係のためか。自分が育てた出水の後輩との思いが強かったのか。あんなに意気込む姿は見たことがなかった」

 和田をよく知る関係者は振り返る。

   ◇   ◇

 12日、同市文化会館であった県民との対話集会「知事と語ろ会」。県内を一巡した締めくくりとして郷土入りし、「私のふるさと出水」と持ち上げた。

 実は出水暮らしは幼少期だけという。銀行員だった父の転勤で、小学校は、鹿児島、阿久根市で過ごした。

 明治以降も、伊藤家は出水の行政、政治の中心にいた。祐徳は出水郡長(当時)。その後、次男祐祥が県議や、出水町長(同)、信夫が県議−−と。

 保守分裂の激戦だった04年、旧出水市では、82%もの得票を誇った。伊藤家の歴史が支える強固な地盤は、初当選の原動力だった。(敬称略)

毎日新聞 2008年5月31日 地方版
http://mainichi.jp/area/kagoshima/archive/news/2008/05/31/20080531ddlk46010507000c.html


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板