したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

地方選挙・地方政治

1798片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/09/04(火) 09:17:41
【焦点】保守分裂 清水氏に「風」
5新人乱立激戦の立川市長選 讀賣東京多摩

支持者らを前に感謝と決意の言葉を述べる清水氏

 過去最多の5人による新人同士の激戦となった立川市長選は、前回も立候補した元市収入役の清水庄平氏(62)が雪辱を果たした。5期20年にわたった青木久市長(82)に代わる新リーダー誕生の舞台裏に迫った。

(山岸肇)

 「人生のすべてをかける。何としても勝たせて下さい」――。8月19日、同市曙町で行われた事務所開きで、清水氏は300人近くもの支持者を前に土下座で訴えた。ある支持者は「今回にかける思いは相当なものだった」と振り返る。

 選挙戦の序章は、4年前と同様、自民の分裂。同市選出の宮崎章都議らが推す清水氏に対し、市議を辞して立候補した若松貞康氏。この対立に、かつて“宮崎派”と“若松派”が争った「砂川戦争」を重ね合わせた関係者は多い。しかし、当時を知る清水陣営の一人は「分かりやすい対立構図を描こうとした若松陣営の戦略。当時の恨みなど残っていないし、若い人は『戦争』を知らない」と話す。

 砂川戦争――。青木市長や有力市議を多く輩出してきた旧砂川町(1963年に立川市と合併)の政争のことだ。50年代、農地解放を求める小作農と地主が争い、町を二分する激しい選挙戦が続いた。それぞれの中心となったのが、宮崎都議の父伝左衛門氏と、若松氏の祖父貞次郎氏だった。

 砂川地区では若松家は一種の“ブランド”。今回、自民党の現職市議が清水氏を支援する一方、都議会議長も務めた若松氏の父貞一氏を知る多くの元市議が若松氏支援に回った。

 貞一氏が後援会長を務める青木市長に清水氏が挑んだ前回。今回も両派が激突する構図は同じに見える。しかし前回と異なるのは弁護士村田光男氏の存在だ。参戦は遅れたが、無所属市議を中心とした“勝手連”や地元選出の長島昭久衆院議員ら民主党国会議員、旧砂川町とは無縁の市民らを中心に支援を広げた。

 若松氏と保守票を分け合うだけでは勝てないとにらんだ清水陣営は「生活重視」を強調し、幅広く無党派層にも支持を広げる戦略を展開。1日に20〜30か所も市内を回り、地道に政策を訴えた。一方の若松陣営幹部は「青木市政の継承を前面に押し出した訴えが、市民には、新鮮には映らなかった」と敗因を分析する。

 また清水陣営は、小差で敗れた前回の結果を左右したとされる「公明票」にも心を配り、自主投票の公明市議に次々と接触。街頭演説では自民市議7人と民主市議1人が並び、「並びたくても並べない市議もいる」と公明市議らの支援もにおわせ、党派を超えた支持の広がりを強調した。

 村田氏を一つの脅威と受け止めたことが、清水陣営の勝因だったと言える。

    ◇

 また、今回の選挙の大きな特徴は“短期決戦型”だったことだ。

 青木市長が進退を明かさないままずるずると時間が経過。最終的に5人が立候補したものの、正式な出馬表明はいずれも8月に入ってからだった。

 わずか1か月に凝縮された選挙。ある業界団体幹部は「準備期間が短くて機関決定できなかった」と語る。各支援組織をまとめきれず、票が分散したと見る向きもある。各陣営からの応援要請で身動きが取れない市議らからは「1日も早く選挙が終わってほしい」との悲鳴も聞かれた。

 しかし、熱を帯びた関係者とは異なり、42%台の投票率は市民の関心の低さを表している。

 ◆職員労組と協議「初仕事」に意欲◆

 立川市長選で初当選した清水氏は3日、立川市曙町の事務所前で当選報告会を開いた。

 清水氏はこの日午前10時半ごろ、市役所で当選証書を受け取り、その後、市幹部らと今後の日程調整を行った。

 報告会では、初登庁の10日に、労働組合との対話の場を設定したことを明らかにし、「初仕事が労働組合との話し合い。皆さんとの一番の約束(職員数削減)が果たせることになりそうです」とあいさつ。そして「全身全霊を込めて立川の街づくりを進めていく」と決意を語った。

(2007年9月4日 読売新聞)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板