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地方選挙・地方政治
1787
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/08/28(火) 07:41:24
「上田らしさ」に腐心 圧勝 知事選
公約、手順踏み込まず 讀賣埼玉
再選から一夜明け、記者会見する上田知事
知事選から一夜明けた27日、上田知事は支援を受けた各党を回るなど、次の4年に向けて動き出した。今回、上田は何を訴えようとしたのか。知事選の舞台裏に迫った。
27日午前11時45分、再選を決めたばかりの上田知事は県庁近くの自民党県連で開かれた臨時役員会に姿を見せた。「弁当はないけど、最前列へ来なさいよ、仲間なんだから」と深井明幹事長が親しそうに声をかけた。上田は党県連幹部10人を前に「私もこれまで以上に熱心に取り組む。時には厳しいご支援をお願いしたい」と丁寧にお礼を述べた。
これに先立ち、県庁内の県議会棟自民党控室を訪れた時、県議団幹部12人が拍手で迎えた。上田は「感慨深いね」と漏らした。
自民党内には「事実上の(主要政党)相乗り(選挙)で知事は自分の政策で突っ走るだろう。ボール球には、『ボールだ』と言えるよう、慎重審査の姿勢でいく」(奥ノ木信夫県議)と厳しい声もある。しかし、総じて2003年に敵対した時に浴びた“冷たい視線”は消えた。
◎
上田の再選には自民、民主、公明3党をはじめ、業界団体がこぞって支援を表明。野党の国会議員から、県に乗り込んできた4年前とは環境が様変わりするなか、上田は一貫して「上田らしさ」を保つことを意識し続けた。
連日気温35度を超える猛暑となった選挙戦。東松山市文化センターで17日、上田は1000人近い聴衆を前に「4年前は議会が気にいらないと出来ない政策まで掲げた。結果的にうまくいったのはまぐれに近い」と苦笑した。続けて、国会議員時代や最初の選挙で定番となったグラフなどを描いた7枚のボードを次々と示しながら実績や新たな政策を丁寧に説明した。
初当選後、公約の一つだった知事退職手当削減条例が議会の反対にあい、成立まで足踏み。その反省を踏まえ、今回のマニフェストには「実現できるものを並べた」と上田自身が語っている。現職として先鋭的な発言を封じられながらも、県債残高の維持・減少や県職員削減など県幹部が「実現のハードルが高い」と受けとめる野心的な政策を打ち出した。
それでも足かせは残った。8月上旬、1期目に続いて上田の選挙指南役を務めた選挙プランナーの三浦博史は上田にクギを刺した。
「マニフェストを発表する1分前まではいくらでも迷って下さい。ただし、一度発表したら、絶対に言う内容は変えないで下さい」
知事側近は「安倍内閣じゃないが、トップがぶれてはいけない。『自身の実績・政策に迷いのない知事像』こそが“上田らしさ”だ」と三浦の言葉の意味を解説した。この言葉を守り、上田はマニフェストに記された内容から外れる発言を慎む。そのため、100回を超える街頭演説をこなしながら、看板政策とした県内に清流を取り戻す「みどりと川の再生」などで、「何を」「どうやって」といった具体的道筋は示されなかった。
◎
今回の選挙戦で上田は地盤の朝霞市に事務所を構え、気心の知れた富岡勝則・朝霞市長を選対本部長に据えて戦う構想を練っていた。これに自民党の佐久間実県議はストップをかけた。「前回と違って、いろいろな人や政党があなたを担ぐのだから、担ぎやすくしなければ」。上田へ直接電話で申し入れ、選対本部長を県市長会長の斎藤博・所沢市長に差し替えた。選挙スタッフの一人は、「党や県議に配慮した結果、古くからの支持者に『変わってしまった』と言われないか心配だった」と明かす。
上田は27日の記者会見で「さしたるトラブルもなく、上田流の選挙を貫けたと思っている」と総括している。しかし、今後の上田県政について、自民党のベテラン県議はこう指摘する。「マニフェストは、知事らしい内容。ただ今後、各論が見えてきた時にどうなるかだ」(敬称略)
(2007年8月28日 読売新聞)
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