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地方選挙・地方政治
1733
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/07/23(月) 15:15:21
多選批判の波大きく
2007年07月23日 朝日群馬
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000000707230002
落選し、険しい表情をする小寺弘之氏
多くの支持者がつめかけた前橋市の事務所に午後10時半ごろ、小寺氏が姿をみせた。くちびるをかみしめ、深々とお辞儀をした。
「最大限の努力をして県民に訴えてきたが、よい結果を出すことができなかった。私の力が及ばず、皆さんに大変ご迷惑をかけました。これからも政治に深い関心を持って、群馬県が少しでもよくなるよう努力していきたい」と語った。
お辞儀をして5分足らずで事務所の奥に姿を消した。
過去4回の選挙では、自民党県議団などが実動部隊となっていた。だが今回は、そうした主力部隊が抜け、推薦団体が集まる混成部隊になった。
小寺陣営は政党や政治色を薄めてきた。一方で市町村長らが支持表明をしたり、企業・団体の推薦状を集めたりするなどし、内部からは「素人集団」「公家集団」などと自嘲(じ・ちょう)気味な言葉が出るほど、空洞化が目立ったことも確かだ。
「一党一派に偏らない」は、小寺氏が4期目に強調してきた言葉。終わってみれば、県政の停滞感に対する批判の波にかき消されていった。
小寺氏は39年前に旧自治省から出向して以来、総務部長などを歴任し、副知事3期、知事4期と、常に県庁の枢要に君臨した。
知事時代はバブル崩壊と再興の時期にほぼ重なり、自治体が発行する住民参加型ミニ市場公募債「愛県債」を全国でいち早く手掛け、高崎競馬の廃止にも踏み切るなど財政健全化に力を注いだ。目立った失政はないとされるが、96年には巨額のカラ出張問題が発覚、処分を渋り「役所の理論」を通したこともあった。
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