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地方選挙・地方政治

1223片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2006/12/23(土) 18:09:32
繰り返す構図:’07浜松市長選/上 対立 /静岡
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/shizuoka/news/20061223ddlk22010360000c.html

 政令市として初めてのかじ取り役を決める浜松市長選が来年4月に迫った。3選を目指す現職の北脇保之市長に対し、これを批判する鈴木修スズキ会長らが鈴木康友・前衆院議員を擁立し、構図もほぼ固まった。修会長は99年の選挙で新人だった北脇氏を支援し、6選を目指していた当時の現職、栗原勝氏を引きずりおろした張本人。今回また別の候補擁立に動いた背景に何があるのか。8年前の構図が繰り返されることになった企業城下町に広がる波紋を追う。【望月和美】

 ◇「企業城下町」への反発

 「家賃すら払っていないんですよ」。今年10月29日、浜松市の静岡文化芸術大講堂。市行財政改革推進審議会の最後の公開審議で、日ごろから北脇氏の政治姿勢を批判してきた審議会長の修会長は、市長公舎について強い調子で述べた。

 修会長はその場で、自ら出席を求めた北脇氏に対し「もうこれ以上話さなくていい」と前置きし、行革の持論を約40分間まくしたてた。公舎問題については、修会長自身がかつて所属した北脇氏の後援組織「さつき会」が公舎会議棟で開かれていたことを例に「私的に使っていたことになる」と批判した。

 北脇氏との対立が決定的となったのは、このさつき会が舞台だったと言われる。会は修会長、中山正邦商工会議所会頭をはじめ地元の企業経営者十数人で発足。公舎を会場に2カ月に1回、弁当や酒を交えて「市政について語る」懇談を開くのが主な目的だった。次第に開催は増え、スズキのゲストハウスがある市内のホテルでも開かれるようになった。

 しかし、2期目の当選を決めた直後の03年、会で北脇氏が突然「会は解散し、別の形でつくりたい」と切り出した。「もう支援はいらない」とも取れる発言に、修会長はむっとして即座にこう切り返したという。「それは結構だ。しかし二度とこんな会はできないぞ」

 北脇氏は事の真意を語らないが、ある経済人は「修会長の『市政を語る』強い姿勢への反発が背景にあると思う」と解説する。

 「企業城下町」の中での経済人との決別。そう取れるような北脇氏の言動はその後も続いていく。ヤマハの幹部が市内のピアノ工場を掛川市へ移転すると報告に行った際も、「そうですか」の一言で終わったとされる。別の経済人は「せめて引き留めようというポーズでも見せていれば、こうした(対立候補を立てる)事態は避けられたかもしれない」と話す。

  ◇  ◇  ◇

 「公務員のための合併」「借金をばらまく合併」「ムダを放置する合併」

 04年12月9日、こんな刺激的な見出しの意見広告が地元紙のまるまる1ページを使って出された。修会長が発行責任者だった。翌日に12市町村による合併協定調印式を控えているタイミングだった。

 北脇氏はこうした流れの中であえて修会長を行革審の会長に選んだ。ほかに伊藤修二ヤマハ社長や中山会頭らも委員とした。「市長が和解を模索した」と見る向きもあるが、市幹部はこう振り返る。「外から派手に批判されるより『諮問機関』という公開の場で言われた方が対外的に良いという狙いがあったのだろう」

 冒頭の公開審議。北脇氏は委員から「トップの姿勢は」と何度も迫られたが、「これまで部長たちが説明してきた通りです」との姿勢で押し通し、議論は平行線で終わった。

毎日新聞 2006年12月23日


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