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地方選挙・地方政治

1067片言丸:2006/12/06(水) 11:35:34
 ◆元県議三羽烏

 ◇支持基盤にこだわらず

 石田は、故江崎真澄衆院議員の秘書を経て83年4月、自民党県議となった。県議時代、石田を含め「三羽烏(がらす)」と呼ばれていたのが、鈴木政二官房副長官(58)=自民=と鈴木克昌衆院議員(63)=民主=だ。3人は当時いずれも自民党に所属し、勉強会を開いたり、野球を楽しんだ。ある県議は「昔からパフォーマンスがうまかった」と石田を語る。

 この後、国会議員、地方首長と道は分かれたが、民主の知事候補選びの過程で、民主・鈴木は、石田を同党の小沢一郎党首に引き合わせたとされる。対立関係になった自民・鈴木は多くを語らない。だが、「本人が選択することなんでね。おれは自民党しか知らないし、他の党から出るなんてことは考えられない」

 自民支持層を基盤に持ちながら、目的実現のため民主との協力も辞さない。そんな姿勢は自民党県議時代にも垣間見える。細川護煕(元首相)が92年に結成し一大ブームを巻き起こした日本新党から衆院選出馬を模索した時期もあったとされる。小沢一郎とも、小沢や羽田孜(同)が自民党を離党して93年に結成した新生党時代に会っている。

 「石田さんは絶えず、取りに行く。黙っていて、動かずして、順番が来るのを待っているタイプではない」。県政関係者は、何事も慎重と評される現職知事、神田真秋(55)との違いを語る。

 ◆あゆちの風

 ◇「脱・神田」掲げ結集

 「私が小泉(純一郎前首相)さんに似ているのは顔だけじゃない。自民党をぶっこわしたい!」。11月26日、名古屋市東区の選挙事務所開きで石田は絶叫した。83年の県議選、95年の犬山市長選、そして来年2月の知事選。石田は最初の選挙で、いずれも現職を相手にする。ある県議は石田を「自分が挑戦することに生きがいを持つ人」と分析する。

 その石田を支える選挙母体「あゆちの風」は民主党県連、連合愛知、各種NPOなどで構成する。多くは、かつて神田県政を支えていた。勝手連組織「あゆちの風ネットワーク」代表は、堀内守・名古屋大名誉教授(74)が務める。県議初当選のころ、堀内が講師役の勉強会に石田が参加してからの付き合いだ。堀内はかつて県の諮問委員を務めるなど、神田県政とも近い関係にあった。だが、今年10月、石田から電話で「応援団長になってほしい」と依頼され、快諾した。堀内は神田への失望を隠さない。「一生懸命改革プランを出しても、実現してこなかった。やる気のない職員を奮い立たせることもできなかった」

 過去の知事選で神田を推した民主と連合愛知も、一転して石田との関係を深めつつある。ただ、その評価は現時点で「軽率なところもあるが、情熱は本物」「(神田と)好対照のキャラクターで、違いを見せられる」など、印象にとどまる部分が見受けられる。(敬称略)=この連載は式守克史、武本光政、浜名晋一が担当しました。

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 ◇石田芳弘氏(愛知県犬山市出身)

1964年 3月 東海高卒業

  69年 3月 同志社大商学部卒業

  69年 4月 酒類販売卸業

  72年 5月 江崎真澄衆院議員秘書

  83年 4月 愛知県議に初当選

  87年 4月  (再選)

  91年 3月  (3選)

  95年 4月 犬山市長に初当選

  99年 4月  (再選)

2003年 4月  (3選)

  06年11月 犬山市長辞職

毎日新聞 2006年12月6日


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