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地方選挙・地方政治

1024片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2006/12/02(土) 01:51:49
理想に走りすぎ、埋没した安住

 第3の候補だった安住は、一時は自民・民主の選挙戦に割って入るかと思えるほどの勢いを感じる時期もあった。当初から勝ち目のない“無謀な選挙”という風聞が流れていたが、政党選挙、組織選挙に真っ向から立ち向かった安住の姿に共感を覚える市民も多く、また、真正面から堂々と政策を訴え続ける若者に「安住なら怖いものなしで改革に取り組んでくれるかもしれない」という期待感も生まれた。

 相手陣営にも「ひょっとすると3万くらいいくのではないか」といった警戒感が出始め、保守票の大量の流出に気を遣う陣営内では、引き締めに躍起になった。このことが安住にどういう影響をもたらしたのか確証はつかめないが、安住のお茶懇では参加者が数名、あるいはゼロということも何度かあったようで、妨害工作が行われていた可能性も否定はできない。

 とはいえ、結果的に安住が取った1万7513票は、これが精一杯と言えるものでもある。自民・民主という2大勢力の中に割り込むには知名度が不足していた。2度の市議選では5000人前後に「安住」の名前を書かせているが、40〜50人が出馬する市議選を通じて知名度を上げることは難しい。「安住」の名前を「聞いたこともない」とする選挙民も多かった。

 また、選挙戦自体にも無理があった。市議選で実行していた選挙カーを使わない作戦も、全市的に不特定多数から票を集めなければならない戦いの中では、候補の存在感を示すことさえできなかった。安住には安住なりの理想があったことは理解できるが、3000人の支持を得られれば当選できる市議選とは基本的に戦い方が違う。

 若い安住が、自分の理想を多くの選挙民が受け入れてくれると思っていたとしたら、それは「甘い」という指摘を受けてもやむを得ない。全国区の選挙と違い、地域の選挙とはやはり“命がけ”で戦っている姿を選挙民に見せることが、勝利をつかむための第一歩なのである。勝つためには信念を曲げるくらいの柔軟さも必要なのではないか。

 安住には、しっかりと足場を固めて再挑戦する日が必ず来るはずである。

 
収穫なかった荻生、神崎は一陣の風起こす

 荻生は出遅れもあったが、最後まで支持を増やすことはできなかった。集めた7739票は、本来の共産党支持票を下回るほどのもので、収穫は何一つなかった。市政改革が重要な争点となっていた中で、市役所の職員削減を唱える他候補を尻目に“市政の効率化”だけを訴え、削減についてはむしろ否定的な見解を示していた。

 また、無駄な公共事業を減らして財源を生み出すとした主張はその通りなのだが、多くの市民が待ちわびる鉄道高架事業までを凍結するとした政策は、逆に反感を買ってしまったのではないか。この事業推進において、JRに比べ旭川市の負担が大きすぎるという実態を浮き彫りにした効果はあったが、事業凍結という主張は、共産党支持者にも受け入れがたかったのではないだろうか。

 ただ、共産党系がちらりと描いた西川への相乗りを避け、あくまでも独自候補にこだわったことは、野党にいてこそ存在感を発揮する市議会の共産党にとっては救いでもあった。市政や議会に関心の強い市民にとって、西川与党に埋没する共産党の姿は見たくなかったはずだ。

 勤務する大学から2週間の休暇を取って選挙戦に臨んだ神崎は、朝から晩まで自転車で市内を走り回り、拡声器も使わずナマ声で政策を訴え続けた。神崎が立起したのは、必ずしも当選することがねらいではなく、自分の考え、政策を広く訴えることにあった。

 2度に及ぶ公開討論会では独特の持論を展開、思い切った政策を披露して聴衆をひきつける場面もあった。画廊跡を選挙事務所としたのも神崎らしい発想で、協力者の運動員もほとんどいない状況の中で7515票を集めたのは立派。

 2年前に突然起こした菅原市長の解職請求署名運動以来、神崎には「奇人・変人」といった小泉前総理ばりの印象が市民の間に定着した。思い込んだら誰にも止められない行動力は、新しい風を必要とする旭川市には貴重な存在だ。

 リコール運動のとき、たった一人でも大きな力になることを示してくれた神崎が、今回の選挙でも7515人もの人に「神崎」と書かせた。西川・加藤・安住の当落にどういう影響を及ぼしたのかは計りかねるが、一陣の風を巻き起こしたことは事実のようだ。


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