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地方選挙・地方政治
1013
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/12/01(金) 22:39:06
【始動 知事選 07年選択の年を前に】
(下)「公募外」働く打算
2006年12月01日 朝日北海道
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000440612010001
11月11日、土曜日の夜。連合北海道会長の渡部俊弘は、札幌市内のホテルで酒を酌み交わしていた。
相手は東京から戻っていた民主党衆院議員の荒井聰(60)。頃合いをみて、こう水を向けた。
「知事選を、どう戦っていくのか」
民主党と連合の候補者擁立は行き詰まっている。自分への立候補要請と感じた荒井は、「私じゃ、だめでしょう」と軽くかわした。
荒井の受け止めは正しかった。渡部たちはこの頃から、「荒井擁立」の動きを加速していく。
□ □
「最善最強の候補者を擁立する」。同党北海道代表で衆院議員の鉢呂吉雄が、そう力を込めたのは4月初めのことだ。
連合北海道、北海道農民政治力会議との3者でつくる「北海道政権戦略会議」が、候補者公募を打ち出した。
同党が知事選で候補者を公募するのは全国初。広く人材を募れるだけでなく、何よりも話題性がある。
7月末に締め切られ、官僚や大学教授ら党外4人に、同党衆院議員の逢坂誠二、鉢呂を加えた計6人の名が挙がった。
だが、いずれも他薦。全員が次の選考に進むことを拒んだ。8月末、公募の旗はあっけなく降ろされた。
前回の悪夢がよぎる。民主・連合の候補者選びは迷走した。
当時、後志支庁ニセコ町長だった逢坂らに断られ、鉢呂の立候補が決まったのは、告示まで1カ月を切った3月上旬。選挙は現知事・高橋はるみに約6万票差で競り負けた。
同じ失敗は繰り返せない。「年内擁立」は至上命題だ。11月に入り、動きが急になったのにはそんな事情がある。
□ □
政権戦略会議は11月28日、荒井に東京で12月1日に立候補を正式要請すると発表した。
同党北海道幹事長の沖田龍児は言う。「いろんな状況の中で荒井さんに決めました」
いろんな状況──。
公募で名前の挙がった鉢呂は党本部の選対委員長に就任、逢坂には前回のわだかまりが残る。
一方、荒井は「公募外」だが、石狩支庁当別町の出身。農水官僚時代、道に2度出向し、横路道政で知事室長まで務めた。北海道の1次産業にも明るい。
別の計算も働く。短期決戦ならば知名度のある国会議員、それも大票田の札幌選出が良い。荒井は比例の復活当選。議員を辞めても名簿順位の次点が繰り上がり、補欠選挙の心配もない。
□ □
渦中の荒井は「(政権戦略会議が)どういう説得をしてくるかだよ」と、胸中を明かさない。
タイムリミットまで、ちょうど1カ月。道政奪還を目指す民主・連合の擁立作業が、正念場を迎える。
(このシリーズは報道部・若松聡、山田理恵、古城博隆が担当しました。本文は敬称略)
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