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日本の自由主義の系譜
1
:
雨天決行
:2004/06/15(火) 22:21
記念スレ立て。
2
:
名無しさん
:2004/06/15(火) 22:26
面白そうだ。
趣旨説明よろ。
3
:
雨天決行
:2004/06/15(火) 22:38
福沢諭吉あたりから、どーぞ。自
由主義は本来個人の自由を至上のものとするもので、国家権力に対しても懐疑的
なものであった。これは、まあ、本来は急進的なものだったといっていい。しかし、
その後、自由放任的な自由主義は時代遅れと考えられるようになる。
第二次大戦後は反共思想の一つとしてもちあげられるようになる。
まあ、そういう流れの中で、日本にいかに「輸入」されてきたかを、議論して
ちょうだいというわけ。
4
:
雨天決行
:2004/06/15(火) 22:58
自由主義の歴史について教科書的に概観すると、本来は国家より個人の自由を
保障するという観点に主眼があった。これは、個人の自由が国家より前にある、
という考えで、それを国家による侵害から守る、ということを求めた。その後、
自由主義は、個人の自由より、個人の「経済活動の自由」を擁護するものへと変容
するのだけど...
こういった流れを頭に置いておいて、明治維新以後、まずは、日本の洋学者が
どんな風に「自由主義」を紹介してきたか、終戦後、どんな風に自由は語られてきた
か・・・カキコしてちょうだい、というわけなんだけど、大風呂敷広げすぎかな?
5
:
名無しさん
:2004/06/16(水) 16:30
つまり「(個人の)自由主義」ね。
6
:
名無しさん
:2004/06/16(水) 20:58
「(個人の)自由主義」ってわざわざ括弧つける必要はどこにあるのだろ。
7
:
名無しさん
:2004/06/16(水) 23:19
自由というのは最低限の生活の保証がされて
はじめて意味をなす。
フリーターでも30なると不安にあるなら
それは自由でもなんでもない。
自由とは金銭的自由が最低限必要な要素だ。
まともに飯もくえずないなら、そこに自由はない。
8
:
名無しさん
:2004/06/16(水) 23:26
>>7
今の文脈と当時とはちがうが、そういうことなんだよな。
「自由」をいくら保障したところで、社会基盤がなければ、経済基盤
ななければどうしようもないじゃないか、結局、自由自由といっても、
富裕層だけの自由ではないか、というところが、本来の社会主義の
出発点。
ただ、社会主義路線も、ボルシェビキのような過激路線と、フェビアン
主義のような穏健路線の二つに分かれていく。
9
:
名無しさん
:2004/06/16(水) 23:29
日本では、自由民権運動時代に、欧米の自由主義が各種紹介されたけれども、
加藤弘之とかあのあたりは、プロイセン流の考え方に流れていき、欧米流の
自由主義とはちがう、プロイセンの外見的立憲主義に感情移入していく。
もともと、プロイセンのそれは、反欧米自由主義的な体制だ。
10
:
名無しさん
:2004/06/17(木) 01:08
初期の素朴な自由ってのは、
白人・成年・男子・家長・有資産
くらいの条件をみたした人間のもんだろ。
11
:
名無しさん
:2004/06/17(木) 01:13
雨天決行さんもこちらに来てたんですね。
12
:
名無しさん
:2004/06/17(木) 20:22
>>8
>結局、自由自由といっても、富裕層だけの自由ではないか、
>というところが、本来の社会主義の出発点
是非社会主義スレで議論したいので降臨お願いします。
13
:
名無しさん
:2004/06/17(木) 22:31
自由主義の系譜とはいうが、なかなか難しいのでは。
床屋談義ならいくらだってできるだろけど、真面目に追求していったら、どれくらいかかることやら…
と、ネガティブなこといってもしょうがないか。面白い話題だね。
明治の啓蒙思想家およびその思想自体はよく研究されてるけど、それが具体的には
欧米のだれからどういう影響を受けていたかは、あまり知らないな。そういうの研究してる学者はいるのかな?
とりあえず福沢や中江、加藤とかへのRousseauやLockeやMillの影響といったメジャーどころから。
14
:
名無しさん
:2004/06/17(木) 23:23
>床屋談義ならいくらだってできるだろけど
ここは雑談用BBSということだし、床屋談義でもいいのでは?
15
:
名無しさん
:2004/06/26(土) 14:11
自由とはなんぞやという観点がいまは一番大事かも。
もともと自由なる概念の発端が
産業資本家が、貴族封建制からの圧迫を排除し
利益になる環境を作ろうとしたことが発端だった。これが近世の始まりだ。
現代においては、このながれにおいていくばくかの生活基盤を確立した市民なる
階層が自分の利益拡大の為に普通選挙を要求した。
これが政治的自由だ。
思うに市民というものの力は米国においてはレーガン以降、日本においては
小泉以降、急速に力を失いつつある。
いまの状況は、上層階層の自由拡大過程というべきものだ。
一般市民は現実には力を失った。
米国においてはクリントンのかってない長期繁栄においてさえ
かっての平均収入未満となった。米国における平均市民層の年収は日本より
はるかに少ない。しかし上層の資産は驚くべき者でかっての貴族をはるかに
超えているといえる。
自由とはなにか?
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