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日本の少年売春2・・江戸の陰間茶屋

8名無しさん:2008/05/30(金) 22:15:38
「わしはお前の草履の紐を解くとき嬉しさに震えた、お前の汗にまみれた肌着をゆすぐ時それを顔に押し当て気の遠くなる思いがした。だが見ろ、
今そのわしが、近衛家の一下僕が、関白家の寵童を、牧野 備後の守の色小姓を、これこのように思う存分汚しているのだ。えい!、思い知ったか、愛しいやつ、にくいやつ。」
残忍な欲情を遂げた重助は夜明けを待たず帰りしたくを整えた。床の上にうなだれてぐったりと座っている弥之介に
水弥、顔を上げるがよい。「またあおう水弥」

重助こと倉橋屋重衛門の再度の招きがあったとき弥之介はその座敷に行くことを拒んだ、さすがにあの屈辱を二度と味わう気はしなかった。
でもそれは許されなかった。「わがままは許さぬ、お前は色子として勤めるしか能の無い身じゃ」と跳躍された。


裾をあわせて抵抗する、元小姓の身。昔の身は露ほど役に立たないといわれて、細腕を掴まれて床のあるほうに連れて行かれて、
これから脱がす褥着に着替えさせられる美童。そしていよいよ帯を解かれるそしていやな男に体中口ずけしてやるといわれる、もちろん一節切もされてしまうのだろう、夜が明けるまでだ。
とてもそんなことたえられないだろう。しかし買われた身、抵抗できない。さらにおなじことをさせてやるという、それは苦痛でしかないだろう。昔の下僕の排泄口をなめさせらる、たぶん
いやがるのを頭を抑えられて押し込まれるのだろう。
その上、下僕にすべてを奪われてしまうのだ。

さらに再度も同じめにあっていく・・。



野成貞が弥之介を探したのは事実である。・・・
他の小姓を抱いて見ても、それに没入できず弥之介を憶い出した。
弥之介の美舌が己の舌に絡みつくときの、えもいえぬ柔らかい感触や、
うつむいて膝を立てる時の微かに恥ずかし気なおののきが、まざまざと憶いおこされた。
(「五代将軍」)

・・うつむいて膝を立てる時の・・契りの体位ーワンワンスタイル

桐の間御番の御小姓の多くが、綱吉の閨房に侍したことは明白である。元禄4年、綱吉は珍妙な計画を立てた。
桐の間御番の美童のうち、衆童の契りを結んだ一括して収容する寄宿舎を作ってこれを一般の目から隔絶しよう
とかんげたのである。
桐御殿ーとその宿舎の名をつけたが、この御殿は、ほかならぬ柳沢吉保の邸内に置かれたのだ。
桐御殿は、その一ツ橋御門内の新邸の中に設けられたのである。
桐御殿に入るのを「御座直し」という。元禄四年から十年にいたる間に、御座直しとなったもの、数十名、その中には、大名の若君、
公卿の子も交わってる。

いつ将軍からお召しがあるかわからぬので、夕方になると美しく化粧して待機している。そのさま、まったく将軍の愛寵を受ける大奥の女と変わらぬじょうたいだった。

(「五代将軍」)










綱吉は、右衛門佐を以前にも増して愛した。と言っても、彼の男色壁がまったく消滅してしまったわけではない。依然として次々に美童をも愛した。小川松栄という男が、美童蒐集係りを命じられ、旗本の子弟の中からしかるべきものを物色した。美貌の少年を見つけると、切の間番として召しだし、綱吉の能楽の対手をさせられる。綱吉の気に入れば、「御座直し」ーと言うことになる。閨房に侍する寵童になるという意味である。数においては、寵愛した女の何倍もの美童を愛したであろう。・・

柳沢主税房安ー後に吉保として知られる少年である。百六十万石の刑部佐衛門安忠の倅だが、端正な美童であった、綱吉より一回り年少である。

初めて、臥床の中で房安の帯を解いた時、[そちも余と同じ戌年だの]と綱吉は嬉しそうに言った。
(南條範夫[元禄絵巻](光文社文庫))


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