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千冊読書日記

248ぺろぺろくん:2017/04/25(火) 21:37:15
◇富岡多恵子 『厭芸術浮世草紙』

>ナグサミものとしての芸術を拒み、現実そのものに迫ろうとする真にラディカルな
>異色のエッセイ集

と、タイトルと帯タタキが勇ましいわりには内容は一般的というか、若い。
それもそのはずで、著者、28歳頃の作品だ。
このころの富岡多恵子なら、全然恐くない。

>ニホン語は愛をかなでるのにむいているようにはおもえない。

というか、「おまえが欲しい」とか言うと、GS野郎だと思われてしまうところに日本
語の悲しさがある。
というものの、それはGSが悲しいのか、日本語が悲しいのか?よくわからない。

249ぺろぺろくん:2017/04/27(木) 19:51:06
◇森 達也 『東京番外地』

この人の本は内容が追っついていかないことは承知の上で、ついつい手に
取ってしまう。編集部のタイトルの妙とういうのもあるが、なんといって
も最高だったのは『職業はエスパー』。

東京ディズニーランドの建設地として舞浜のほかに候補に挙がったのは、
清水、御殿場、川崎、横浜
それに加えて「リンちゃん事件」の死体遺棄現場となった我孫子市も含ま
れていたという。
谷津遊園のあとにディズニーランドができるという夢物語は、小学生のころ
から聞かされていた話なので、てっきり既定路線だと思い込んでいたがそん
な紆余曲折があったとは。
でも、我孫子だったらおもしろかっただろうな。
松戸競輪と取手競輪のあいだにディズニーランドとは素敵じゃないか。

250ぺろぺろくん:2017/04/27(木) 21:11:45
◇嵐山光三郎 『桃仙人』

師弟の関係というのはつくづくいいものだと思い返したところで、師弟ものが読み
たくなって、嵐山と深沢七郎の師弟。

>オヤカタ(深沢七郎)が素晴らしいとほめるシャツやズボンや靴は、どこがいい
>のか、ぼくにはさっぱりわからないのだ。
>オヤカタはダンディな服は大嫌いだった。ヨーロッパ調のブランド品が嫌いなのは
>わかるとしても、ロカビリー調やヤンキーの派手な服を嫌う。赤シャツは好きなの
>にアメリカ調を好まない。ならば和風の渋い地味めの文人流が好きかというと見向
>きもしない。
>一緒に町を歩いていて、オヤカタが、
>「あの服いいじゃねえ」
>というものはすぐに買ってしまった。それは、泥くさい茶色の格子縞柄で、どこが
>いいのかわからず、買って着てみるとひなたくさい痒さがあった。その痒いぬるみ
>のなかにオヤカタの好みの正体が眠っているようだった。

自分も野蛮児だったころに、人の着ているオーバーを燃やしてしまったことがあった。
えんじ色だったり、白とグリーンの織り込みだったり、アメコミの表紙みたいなもの
だったり、燃やされてしかるべきものだった。
もしかしたら、オヤカタからしたら
>「あの服いいじゃねえ」
というものだったかも。

251ぺろぺろくん:2017/04/28(金) 20:43:11
◇カトリーヌ・アルレー 『21のアルレー』

悪女もので知られたフランスの女流推理作家。
言わずと知れた『わらの女』以来、30年ぶりぐらいじゃないかな、この著者のもの
を読んだのは。
意外や、軽い話にいいものがあって、「雌鳥と死」
第二次大戦下のフランス、8歳の少年は祖父母の元で暮らしていた。
ある日祖父が雌鳥を携えて帰ってくる。
いざ、そいつをしめてボイルドにしてやろうとすると、猛然と逃げまわりココッココッ
と大声で鳴いた。そこで少年が訊ねた。
「この鳥、なんて名前にするの?」
それからこの雌鳥は11年生きることになり、祖父が亡くなったあとも、雌鳥はココッ
ココッと、祖母に話しかけ、それはいつまでも続いた。
>10年も一緒にいてまだ喋ることがあったなんて、おれは今でもそれが不思議だ。

さすがに短篇でも悪女ものは冴えていて、恋人の不貞を電話料金の明細の中に見つけた女
は、局にかけると担当職員が出て、語数に間違いはないでしょ、と電文を読み上げる。
局員にとっては語数がすべて、電文の意味はどうでもよかった。
>愛の言葉は、自分に向けられていない時にはまるで硫酸と同じ。肉を焼き骨をくさらせ、
>脊髄までむしばんで生命のもとを犯してしまう。

まあ次の30年後はないだろうから、アルレーを読むことはないのだろうが、なかなかよかった。

252ぺろぺろくん:2017/04/29(土) 21:37:29
◇佐藤雅彦 『毎月新聞』

これ文庫新刊で買ったのだが、やはり読了はその8年後となってしまう。
途中80ページほどで投げだしたあとがあった。
それも納得なのは、冒頭第一話の「じゃないですか禁止令」の出来が出色すぎるのだ。
98年当時、私って〜な人じゃないですか、私たち〜て、〜じゃないですか、といった
類の一般論に仮託した主体回避の言説が蔓延したことがあった。
自分はそれに抗すべく、正露丸の口調を真似て

>一般論に悶絶してください

と、切り返すことにしたんだ。
まあ、おかげでずいぶん作らなくてもいい敵が増えたとは思うが。

253ぺろぺろくん:2017/04/30(日) 18:35:23
◇パーシヴァル・ワイルド 『検死審問』

チャンドラーが賞賛した数少ないミステリー小説のうちの一つ。
プリーストリーの『夜の来訪者』などと同様、再読、三読のたびにその魅力を増す
ものだが、どうにもそうするだけの余裕がない。
あんまりガツガツしないで絞って読んだほうがいいのだが、その選択眼に自信がな
いものだから、結局手当たり次第ということになってしまう。

254ぺろぺろくん:2017/04/30(日) 18:43:03
◇内田 樹 『街場の大学論』

ブログからの寄せ集めなだけに、これはあまり内容がない。
卓見だったのは、

>今日、社会的上位者には教養がない。かわりに「シンプルでクリアカットな言葉遣いで、
>きっぱりものを言い切る」ことと「自分の過ちを決して認めない」という作法が「勝ち組」
<の人々のほぼ全員に共有されている。別にこの能力によって彼らは社会の階層を這い上が
>ったわけではない。たまたまある種の競走力を伸ばしているうちに「副作用」として、こう
>いう作法が身についてしまっただけである。

自分らの世代でいえば、「ガッツ君とガメツイさん」なわけだが、一般的な言い方をすれば、
ただの「駄々っ子」だろう。
卑近な例を挙げれば、今村雅弘だろう。

255ぺろぺろくん:2017/05/02(火) 19:59:17
◇パトリック・マグラア 『血のささやき、水のつぶやき』

89年の翻訳出版。この年はグロの当たり年でメアリー・ゲイツキルの『悪いこと』
の衝撃があまりにも強烈だったため、しばらく失念していたのを春日武彦氏の賞賛で
再注視、入手したもの。
アマゾンの商品説明によると、「米英でベストセラー」ということだが、目を疑うこ
とになるだろう。
しかし魅力的なストーリーであることは確か。たとえば、「失われた探検隊」は

>雨の多かった十二歳の秋、ロンドンの自宅の庭でイブリンは行方不明の探検隊を見つけた。

で始まり

>イブリンが十四歳半になる頃――ちょうど彼女が医者になる決心をしたとき、イブリンの
>人生から探検隊は完全に姿を消した。

で終わる物語。やはり、その中身が気になるでしょう。

256ぺろぺろくん:2017/05/02(火) 20:11:39
◇内田樹・高橋源一郎選 『嘘みたいな本当の話 みどり』

収録作の採択の規準は高橋の「あとがき」が適確に表している。

ある大学の主催で「エッセイ大賞」の公募が行われた。
大賞に選ばれたのは、父を亡くし刻苦勤勉に粉骨砕身する女子高生のエッセイだった。
しかしその授賞式は、混乱のるつぼに陥った。
受賞者の女子高生がひとりの男性を伴って会場に現れると、こう言った。
「父です!」

受賞は取り消され、この「エッセイ大賞」自体が一回こっきりで消滅してしまったという。
エッセイにウソがあってはならないというのではなくて、「貧乏」と「人の死」というも
のに対して星菫派であるという、貧しい感性を露呈してしまう。
日本の社会的上位者は無教養であると内田氏は断じていたが、そればかりではなく最悪の
センスの持ち主でもある。
まさに日本版ナショナル・ストーリー・プロジェクトというべき逸話であった。

257ぺろぺろくん:2017/05/03(水) 20:44:06
◇嵐山光三郎 『昭和出版残侠伝』

この人がテレビの「笑っていいとも 増刊号」のレギュラーだったなんて知らなかった。
なんで平凡社の編集者がこんなに知名度があるのか、一般人侮るべからずと思っていたの
だがこんな秘密が隠されていたのか、というか自分があまりにも世間を知らないだけか。

唐十郎の語る、寺山修司の追悼がかっこよすぎる。
>好きだったんだなあ寺山さんが。寺山さんは、ひとり荒野に立っていた。俺がデビュー
>するときも寺山さんに観てもらった。

最初に好きになる文学者が寺山修司だと、孤絶を余儀なくされるというのはある。

258ぺろぺろくん:2017/05/06(土) 21:31:26
◇滝井孝作 『無限抱擁』

関内に出たついでに、ブックオフに足をのばしてみたところが、愕然。
10年ほど前は、これがブックオフかと目を見張るばかりの品揃えだったものが、
これぞまさしくブックオフの荒廃ぶり。
まあ教養の衰微を映す鏡であるかもしれないが。

約100年前の重たい恋愛小説。
まったく話の本筋とは関係のないところで感心してしまった。
長い刑期を終えた囚人が、監獄の近くの旅館を訪ねて言う。
「物干しへはいつも赤い衣赤いゆもじを干すことをお忘れにならぬよう。
それを仰ぎ見る自分らの瞳がどれほど焼きつけられたことか……」
師弟関係シリーズの一環で、著者は河東碧梧桐の弟子なのだが、たしかに俳人の
色彩感覚だ。

259ぺろぺろくん:2017/05/08(月) 21:28:11
◇井家上隆幸 『ここから始まる量書狂読』

一年に600冊読むという著者の1983〜88年の書評エッセイ。
本来ならいちばん多く本を読んでいるはずのこの時期が、自分はいちばん読まない
時期だった。
量書狂読家の著者にあやかって、読書欠乏時代を振り返ってみたところ、これを読み
損なって10年損したなんていう本はもちろんないが、10冊ほどはアマゾンでポチ
ってしまった。

260ぺろぺろくん:2017/05/08(月) 21:38:10
◇パーシヴァル・ワイルド 『検死審問ふたたび』

半世紀以上も絶版だった幻のミステリ。
長く生きてると、こういうおこぼれに預かれる。

261ぺろぺろくん:2017/05/09(火) 20:08:31
◇岩佐東一郎 『書痴半代記』

昭和31年〜35年の間に、古書愛好家向けの雑誌に掲載された書物エッセイ。
おもしろい直訳の話を見つけた。

>ジョン・ドス・パソス『U・S・A』の新訳本の中で、「犬と狼の間」と訳し
た部分があった

たそがれ、夕暮れの意味で、犬か狼かよく見分けがつかない時間帯のことを言う
らしい。個人的には、赤江瀑にならって「雀色時」だが、これもなかなかいい。

>犬と狼の間、竹早町の駄菓子屋の前で待つ
とか、言ってみたいね

262ぺろぺろくん:2017/05/09(火) 21:32:00
◇瀧井孝作 『俳人仲間』

本が本を呼ぶということがあって、河東碧梧桐に傾倒すると瀧井孝作がその
弟子であることを知り、近所の古本屋の均一棚に「師碧梧桐」の回想を綴った
書物に出会うことになる。
相当に出回ったものらしくアマゾンにもずいぶん最低価格で出ているが、誰も
買う人はいないだろう。
そこに宿命を見ないと決して手に取ることのない本で、大概は期待はずれに終わ
るのだが、宿命を積み重ねることで磨かれるものもあるんじゃないかと。

263ぺろぺろくん:2017/05/10(水) 21:02:45
◇朱川湊人 『わくらば日記』

この著者の単行本が5冊ほどあって場所ふさぎなので、文庫に買い換えるか
処分するか、まあもう一度読んでみることにした。
『都市伝説セピア』の冒頭の一作「アイスマン」にやられて、見かけるたび
に手に取ってきたが、それ以上の作品には巡り会えない。
本筋からは脱線するけれども、伝言がいかに素晴らしいシステムだったかを
あらためて思い知らされました。

>人と人との出会いは、あの流星のまたたきに似ています。光ったと思った
>時にはすでに消え去り、何の痕跡も残しません。
>けれど、そのはかなさを嘆くことだけは、しますまい。
>この世の誰もが、同じさだめを背負った、一つの流星なのですから。

消えちゃうっていうのがよかったんだよね。

264ぺろぺろくん:2017/05/10(水) 21:15:05
◇朱川湊人 『かたみ歌』

「ひかり猫」の取捨で、ちょっと迷った。
昭和45年の冬。
その町に越してきてはじめてできた友だちは、白トラの若猫だった。
窓外の鳴き声が気になってのぞいてみると、いきなり茶色いかたまりが部屋に飛び
込んできて、庭では薄汚れた白いデブネコが8の字に歩いていた。
咄嗟に、手近にあった紙を丸めて白猫にむかって投げつけていた。
ある夜更け、部屋にピンポン球大の青白い光が現れるようになる。
じっと観察していると、チャタローと名づけた白トラの動きにそっくりだった。
ところが、チャタローは申し訳なさそうに窓の下に現れた。
意を決して、青白い光のあとを追ってみると、寺の墓所へ入って行き、そこには白猫
の亡骸があった。
>この猫はきっと寂しかったのでしょう。誰かに甘えてみたかったのでしょう。
>だから魂だけの姿になって町をさ迷い、私の部屋にたどり着いたに違いありません。
>あの時チャタローと同じように、自分も部屋に入れてほしかったのでしょうか。
>(世の中には――寂しい思いをしているものが、たくさんいる)
>その猫の死骸を見ていると、なぜだか、そんな思いが胸に押し寄せてきました。

その甘えは、もしかしたら生まれてはじめて見せる甘えなのかもしれない、と捉えた
方がいい、この歳になると。
まあ、自分の正義のためなら他人の正義は踏みにじってもかまわないというのが大流行
だが、(世の中には――寂しい思いをしているものが、たくさんいる)というのは、胸
に刻み込んでおきたいね。

265ぺろぺろくん:2017/05/13(土) 19:37:53
◇朱川湊人 『花まんま』

直木賞受賞作の昭和ノスタルジーものの短篇集。
昭和ノスタルジーとはなにか?と考えてみると、生活のかたまりとそこから一歩
はみだしてしまう人間ということじゃないかな。
どぶ川に石を投げていると、どこからともなくもうひとつのあぶくを生じさせる
投石手が現れるという形の連帯のあった時代。
「凍蝶」では、友だちのいない少年が暇に飽かしてちょっと遠出を試みると、霊園
の無縁仏の前に立つことになる。すると、
「それは無縁仏って言って、死んでも、どこの誰かわからない人たちのお墓なんよ」
と、ちょっと年上の少女から声をかけられる。
ひとり荒野に立っていると、何かが起こると信じられたが何も起こらなかった時代。
著者のラストのメッセージは、荒野にひとり取り残された者たちへの鎮魂とも思える。

>人の目の届かぬ世間の片隅――たとえば鉄橋の裏側などに潜んでいるのは、きっと
>孤独で哀れな妖怪ではない。
>きっとそこには何百何千何万の蝶たちが、そっと眠っているはずだ。輝きに満ちた、
>新しい季節を待つために

266ぺろぺろくん:2017/05/13(土) 20:31:57
◇朱川湊人 『赤々煉恋』

一転、こちらはグロテスク・ホラー。
アブノーマルではない人が、勉強して書いているのが痛い。
小市民的な悪徳への猫なで声と、悪徳の栄はまったくの別物である。

267ぺろぺろくん:2017/05/13(土) 20:42:01
◇朱川湊人 『水銀虫』

この人の作品では、荒野にひとり少年が立っていると、誰かが声をかけてくるという導入
のものが圧倒的に良い。
ここでも唯一の秀作の兄妹相姦もの「しぐれの日」では
雨やどりをしている少年に、
「お兄ちゃん、雨やどり?」
と、聞き覚えのない若い女が声をかけてくる。
かぐや姫の「妹よ」だったか、あんな歌が大ヒットするぐらいだから、兄妹夫婦というのは
別段驚きを持ったものではなかった。
さすがに驚いたのは、子供が独立すると妹夫婦の元に入りびたりになって帰ってこなくなる
夫というのがいるということ。
もっと驚いたのが、タクシーの運転手から、こう言われた。
>もともといっしょだったのが、好きでいっしょになっちまいましてね
どうも兄妹相姦と間違えられたらしい、しかも姉弟と思われた。

268ぺろぺろくん:2017/05/16(火) 11:49:40
◇L.A.モース 『オールド・ディック』

ハード・ボイルド史上最高齢の探偵として知られる作品だが、83年の翻訳。
高齢化社会はまだ先のことで、メンバーが全員70を越えてもローリング・ストーンズは
新譜を出し続け、高齢ドライバーが殺人マシーンと化すとは夢にも思っていなかった時代
だけに、かなり牧歌的。
うちの近くの競輪場も、競馬場も日中の入場者は平均年齢が60代を突破していると思わ
れるだけに、もはやオールド・ディックは絵空事ではない。

269ぺろぺろくん:2017/05/16(火) 15:27:09
◇ジェラルディン・ブルックス 『古書の来歴 (上巻)』

>私はひとりで仕事をするのが好きだ。
で始まり、研究室を舞台にした静謐な物語かと思いきや、やけに騒々しい。
それもそのはず、ユダヤ教の式次第を扱った書物の来歴をめぐる物語だった。
自分はキリスト教はもちろん、その従兄弟みたいなイスラム教、ユダヤ教も含めて
強いアレルギーがある。
それはなぜかというと、自分が現実の人間が嫌いだということで、それ以上は説明
がつかない。
中途でいったん投げだした本だが、ラブロマンスのうっとうしいところを読み飛ばす
とけっこうおもしろいじゃないか、後半にも期待。

270ぺろぺろくん:2017/05/16(火) 20:08:48
◇高橋和巳 『孤立無援の思想』

高校のころに古本屋で買った本で、初版が昭和41年で、56年のこの本が36版だから
べらぼうに売れた本だ。
40ページほど進んだところの「北一輝論」で挫折した形跡があった。
一週間ほどかけてポツリポツリと読み進めたのだが、いやはや疲れた。
その硬直した野暮ったい文体というより、奥方の高橋たか子の指摘する「女の微温的肉体
そのものの拡がり」をバリケードにしたインテリ性というやつ。それは自分にも大いに当て
はまるものだけに、頭が痛かった。
高橋和巳の小説は『邪宗門』以外の作品はほとんど読むに耐えなかった覚えがあるが、今回
読み返してみて新たな発見だったのが、保坂和志と同様の示唆を示している所があって、保坂
の師でもある田中小実昌の「ポロポロ」と、高橋のインテリ性の下部を燻している天理教やら
の土俗宗教のぼそぼそ漏らす嘆きは同種のものではないかと。
読むのがどんどん遅くなってきているのに、読むものが増えて困っちゃうな。

271ぺろぺろくん:2017/05/17(水) 20:58:38
◇ジェラルディン・ブルックス 『古書の来歴 (下巻)』

小説の技法としてはやけに稚拙なのが気になっていたのだが、ノンフィクションの
世界で高名な人だということで納得。
戦前の有名な話で、どこぞの大学教授は洋書店で3冊だけ入荷された洋書を買い占め、
そのうち一冊は講義用に、一冊は自宅書斎に、そしてもう一冊は焼き捨ててしまった
という。
実に哀しい話で、書物が人を隔てるものとして存在する時には哀しいのであって、人
をつなげるものとして存在する時にのみ有意である、とそれだけを言っている。

272ぺろぺろくん:2017/05/19(金) 21:16:09
◇リチャード・ヒューズ 『ジャマイカの烈風』

『バトルロワイヤル』とか『蠅の王』とか、子供の残虐性が俎上に載せられると、いわゆる
「通」の人が振りかざしてくる、いやったらしいヤツか、という読まず嫌いだったのだが、
丸谷氏が手放しに絶賛していたのをみて、ついに読んだ。
いやったらしい人というのは、自信の幼年期を振り返ったときに、暴力性のかけらすら見つけ
られずに、生きる希望を見失った人たちであろう。
カエルに爆竹を突っこんだり、神社の社務所に向けてロケット花火を打ち込んだり、電車に
10円玉を踏ませてみたり、女教師に向かってトルコ嬢と言ってみたり、幼少期の残虐性は
宝の山だ。
アナーキーな暴力衝動の奥底にこそ、真があると思うのだが。

273ぺろぺろくん:2017/05/20(土) 21:26:02
◇リング・ラードナー 『ラードナー傑作短篇集』 (福武文庫)

ヴァージニア・ウルフがラードナーを評価していたというのには、正直おどろいた。
英文学にコンプレックスを抱かないアメリカ作家であること。
雑多な人種を結びつける野球という社交場を描くことによって、アメリカ的なものを文学化
したということ、を評価してのものだった。
それだけにいま読むとちょっとつらいものがある。
江川や落合のいたころにはあれだけ魅力的だったラードナーが、どうしようもなく古めかしく
思えてしまう。

274ぺろぺろくん:2017/05/21(日) 20:28:25
◇源氏鶏太 『青空娘』

古本屋にいると店の人間と間違えられることがよくあるのだが、一度だけ「源氏鶏太
ってありますか?」と訊かれたことがあった。
代表的な昭和の流行作家だ。自分は中学のころにいわゆるサラリーマンものを数冊読んだ
だけで見切ったのだが、つい最近「たばこ娘」を知って見直したところ。
現代文学に馴れちゃっていると、どこの街に行っても因縁のある人物が声を掛けてくる
ご都合主義には辟易させられるかもしれないが、都市の胎動期は確かにそうだったらしい。
ドストエフスキーの小説には「突然」が600回出てくるらしいが、若い都市には、上り
坂と下り坂とまさかがある。
もし、それがないとしたらその都市が老成したということで、若い感性はそんなところか
らは出て行った方がいい。

275ぺろぺろくん:2017/05/22(月) 21:25:28
◇西村寿行 『鷲の巣』

昨日から高橋たか子の未読の小説を読んでいるのだが、高橋たか子を読んでいると
骨休めに西村寿行を読みたくなる。
両者対極的な存在のはずだが、いつもそうなってしまう。
文学少女とつきあいながら、AV女優をつまみ食いするようなものか。
この両者、敢えて共通項というと、「滅び」を内包しているということか。

276ぺろぺろくん:2017/05/23(火) 19:28:23
◇高橋たか子 『装いせよ、わが魂よ』

高校のころに高橋たか子の読者である女の子を二人、友人にもてたことは奇跡的だった。
その後、インターネットの時代になるまで高橋たか子が話題に上がる経験はなかったから。
気になって、高橋たか子のbotがありはしないかとツイッターを検索したけどさすがに、
それは無かった。その代わりに「森万紀子」のbotを見つけてびっくり。
カトリックの人になる直前の作品だけに、やはりそっちに行くかと、残念な面もあるが

>なぜ望まない?
>それがどこにも導かないことを知っているから。そのことを知りすぎているから。
>どこにも導かないどころではない。よろこびに導く。
>よろこび自体が、荒地に出てしまう、と言っているんです。
>そんなことはない、ぼくが相手なら。
>まかせておけば、よろこびそのものになる。女ってみんなそうだ。
>いいえ、その先のことを言っているんです。自分が大火事になるんです。
>それはいいことだ。あとでぐっすり眠れる。
>ほんとにレアリストですね。
>自分もたのしい、女もたのしい。二人がたのしむ。
>むなしい。

こんな楽しいやりとりがあったりもする。

277ぺろぺろくん:2017/05/23(火) 21:27:44
◇西村寿行 『母なる鷲』

今日もまた、毒消しに「寿行」?
毒をもって毒を制すというか、そもそもどっちが毒だ。
血縁、虚飾、野心とかいった夾雑物を一切取り除いたとあとに残るものは何か?
それが寿行の場合には死闘で、高橋の場合は信仰というだけの違いで、意外とこの
二人は近い。

278ぺろぺろくん:2017/05/24(水) 20:13:22
◇ヘンリー・ミラー全集〈第11〉『わが読書』

寺山修司と青野聰を介して、二十歳のころにヘンリー・ミラーの『北回帰線』と出会わな
ければ、えらくフヌケなことになっていたはずだ。
あまりの衝撃に、それ以来読み返してはいないのだが封印を解くことにした。
まったく別のルートから辿り着いたフランスのジャン・ジオノにミラーが心酔してるのは
意外だった。
死期の近づいた父親がその子に言う
>わしが誤りを冒したのは、わしが親切な、人のためになる人間になりたいと思うたとき
>であった。お前も、わしのように誤りを冒すじゃろう
ジオノのこの記述を目にしたときに、ミラーは泣いたという。

279ぺろぺろくん:2017/05/24(水) 21:25:22
◇向井 敏 『書斎の旅人』

この人の書評集は、見つけ次第すべて買っていた時期があって、まだ二冊残ってた。
昭和50年代の書評集で、『篠沢スランス文学講義』はいつか読みたいと思いながら
30年も経つのかと……。
山崎正和なんてのも、読んでない。
この時期は、女流の幻想小説作家の豊作の時期だったとも思うのだが、わずかに倉橋
由美子の名前を見るだけにとどまっている。
高橋たか子、皆川博子、三枝和子、山尾悠子、河野多惠子、津島祐子、森万紀子、
と、この辺がメジャーどこで
殿谷みな子、なんて数少ない母校の先輩もいたりしたのだが、氏の趣味ではないようだ

280ぺろぺろくん:2017/05/26(金) 21:25:23
◇中原昌也 『ニートピア2010』

デジキョセさんが、好きだったのか、よく連呼してた「暴力温泉芸者」の人。
ゴミとしか言いようのないストーリーに念仏。
それのどこがいいのかわからないだろうが、それがいい。
念仏というのは、こういうやつ。

>一般教養レベルだとかいうのは根底からまったく彼の眼中にはない。古典文学などの
>書籍を間違っても手にしたとしても、そこに描かれた観念とか社会的背景だとかいう
>ものを考える術もないのだから呆れる。急に殴る手を休めて「現代社会で働く多くの
>人が感じるもの、見るもの、味わうものなどが盛り込まれていなければ表現として何
>の意味もない」などと誇らしげに語ろうとでもいうのか。

>そこは電気も通信回線も一切通らぬ、人里離れた大自然の中の丸太小屋。のべつまく
>なし雄叫びを上げるしか能のない野蛮な動物ばかりが辺りを支配し、およそ人間らしい
>道理など間違ってもまかり通るという希望を一パーセントでさえも持つことができない
>世界であり、そのような調子であるから、当然のように交通が至って不便で或ることは
>いうまでもない。

281ぺろぺろくん:2017/05/26(金) 21:34:29
◇向井 敏 『晴ときどき嵐』

中原昌也に言わせると、
>いまの文学自体が、どれも深夜の墓場の幽霊の戯れ言みたいなものなんだろうけど……
>ついでに言えば世に出て、本屋さんなどで売られている小説なんて、どれも何かの間違い
>で写っちゃった心霊写真みたいなものだよね。あんな迷惑なもの、まだありがたがる奴が
>いるのは驚きだよ。
それは昔でも変わらないらしく、
丸谷才一:昭和初期の文学は、ひとことで言えば幼稚だったんですね。要するに大学を出ても
相変わらず下宿にいる貧書生の文学だったわけでしょう。
開高健:下宿のおばはんのつまらない娘に手をつけて、青森辺りへ駆け落ちするしかないか、
子供ができるかできないかと言って大騒ぎになっちゃった
丸谷:それが人生の深淵だと思い込んでいる。そういう人たちの書いたものだったんですよ。

人生の深淵を覗くのだったら、誰かさんの着ているオーバーに火をつけた方が早いわな。

282ぺろぺろくん:2017/05/27(土) 20:48:34
◇佐藤 健 『ゆかいなゆかいな英雄たち』

>>259 で、見かけてアマゾンでポチッたやつ。
いわゆる時の奇人傳だが、そのときは86年。
「サンデー毎日」の連載だったため、市井の人ではなく著名人がほとんどで、親近感
のわく登場人物は少ない。
伊奈かっぺいや金ピカ先生といった、どこ行った感の強い人から稲川淳二、アラーキー、
景山民夫などのメジャーな人といった面々も登場する。
「吉川 良」なんていたなあ、これがいちばんの収穫かな。
本書でいう奇人の定義は適確だ。

①常識とは異なる奇異な行動をする人
②金に頓着しない人
③あふれるようなサービス精神のある人
④ユーモアがある人
⑤世間の常識とは異なる論理をもちながらその論理を立派に通用させている人
⑥多少迷惑がられているが嫌われてはいない人
⑦そして何より本人は決して奇人変人だと思っていない人。

283ぺろぺろくん:2017/05/28(日) 21:02:54
◇ロルフ・ヴィルヘルム・ブレードニヒ 『悪魔のほくろ―ヨーロッパの現代伝説』

ヨーロッパの都市伝説を集めた本。92年。
口承文芸には国境はなく、国内でも馴染みの話ばかり。
例えば、
ベビーシッターに若い夫婦を雇ったところが、どうも挙動に納得がいかなかった。
念のために出先から電話をかけてみると、
「焼き肉の用意ができたので、オーブンに入れるところです」
あわてて駆けつけると、赤ん坊にケチャップをふりかけ、オーブンに入れる直前だった。
そのカップルは完全にLSDにやられていた。
1988にドイツで流行った都市伝説らしいが、日本でも数年前に殺人ベビー・シッター
が騒動を起こしたが、焼き肉にはしなかっただろう。
やはり、この時代だといちばんリアリティーがあるのは「駒込病院ネタ」。
エイズ・クラブへようこそ!

284ぺろぺろくん:2017/05/29(月) 20:47:03
◇横尾忠則 『捨てるvs拾う―私の肯定的条件と否定的条件』

明智小五郎vs刑事コロンボ、尻取りvs関取、鬼瓦vs金のしゃちほこ、などと二項対立
を列挙していくとそのまま言葉のコンセプチュアルアート化していくという、思いつ
きをそのまま書籍化したものだが、これが意外とつまらない。
03年の出版時には立ち読みだけで、均一棚からのサルベージなのだが、アフォリズム
集としてけっこう楽しめる。

☆昔神隠し、今行方不明。超自然現象がなくなったわけではあるまい。いまだって
神隠しに遭った人間がいるんだから、信じない心が神隠しを追放したにすぎない。

☆犯人のモンタージュ写真の凄みは、芸術表現がなされていない強みだ。

☆21世紀の芸術はエンターテイメント化するだろう。ただし哲学を持ったエンターテ
イメントでなければならない。そこが21世紀の経済主流のエンターテイメントとの違
いである。

285ぺろぺろくん:2017/05/30(火) 21:05:21
◇内田 樹 『街場のメディア論』

往復で二時間ほどのバスの乗車時間にちょうどいいかと、出がけに手に取ったのだが、
大当たりだった。
その人物に自分がどれほどの信頼を寄せているか?確認するのにいい自答法がある。
そいつといっしょに革命をやろうと思うかどうか、だ。
それは高橋和巳の『邪宗門』から教わったことだが、実際に桑原武夫氏が当時売り出し
中だった学者の評価を訊かれてこう言ったのだという。

>頭のいい男やね。でも、ぼく、あの男といっしょに革命やろうとは思わん

まさか残りの人生の中で革命に参加することはあり得ないが、いっしょに革命をやりた
いかどうかで、判断を誤ることはない。

286ぺろぺろくん:2017/06/01(木) 19:43:29
◇デヴィッド・W. モラー 『詐欺師入門』

100年前の、アメリカで行われていた大がかりな詐欺の研究書で、学術書に近い
要素もある。
詐欺師とカモの間には、金銭の授受が行われたあとには「また今度」はない。
結婚詐欺師とカモの再会には、警察官のおみやげつきだ。
ゆえに一流の詐欺師は跡形もなく消え去るのだが、超一流の詐欺師となるとこれ
がまた違う。カモが死に物狂いで詐欺師を見つけだし、

>あれから必死に働いてこれだけのゼニをつくったから、今度こそがっぽり儲け
>ましょう、とネギしょってやってくる

いっしょに革命をやりたくなる、器量の持ち主なんでしょう。
パチプロ時代に義理のある人から頼まれて、サギ師の面倒を頼まれたことがあった
けど、「そんなちっとも儲かんないことやっててもしょうがないだろう、あんた
そういう器じゃないから、おとなしくパチンコやってな」というのばかりだった。
人種的にはパチプロと近くて、人のためになるのがとことん嫌いな人たちで、うわー
やめてくれっていう人はいなかった。

287ぺろぺろくん:2017/06/01(木) 19:50:05
◇『長谷川龍生詩集』 (思潮社現代詩文庫)

寝起きのポイントサイト周りをやめたので、その一時間を現代詩を読むのに当てようと
思っていてやっとそれが実現した。
怪談の語り手としても有名らしく
長谷川龍生の怪談
https://www.youtube.com/watch?v=tNr8CzoKV-w
ご本人の風貌が一番恐かったりするのだが、生い立ち自体が輪を掛けて怪談。
一族郎党ことごとく浮浪者の群で、八十二歳の父親の行き倒れを知るや快哉を叫んだ。
>やったぞ!やったぞ!大きなゴキブリが倒れた!
母親は昭和11年のものの豊かな時代に栄養失調死したという。

>きみも、他人も、恐山!

一読するや鷲掴みにされる詩句だ。
これは紛れもない本物だが、このシリーズの続編しか入手しやすいものがないのは残念。

288ぺろぺろくん:2017/06/03(土) 20:43:09
◇『鮎川信夫詩集』 思潮社現代詩文庫

寺山修司を手引きに、現代詩に手を伸ばしたとっつきの詩人が鮎川信夫だった。

>六月は水色の瞳
>七月は空を泳ぎまわる魚
>八月は海辺にのこる白い墓
>この明るい窓枠のなかから
>彼は永遠の沖へ去っていった
>忘れがたい夏を連れて!

こんな感じで、なんともかっこよかった。また、エッセーが良くて

>友人と二人でS駅前の広場をとおると、「諸君はソ連を選ぶか、日本を選ぶか」という
>怪しげなスローガンの白旗をなびかせて、まぎれもない壮士が三,四十人の聴衆を相手
>に、愚劣な愛国運動的反共演説をやっていた。「よくも厭な国を二つ選んでならべたも
>んだな」と口の悪い友人が言った。
>人情派、正義派、始末のわるい善人の多い我が国では、愛国心は至るところに姿を現す。
>高級にも利用されるが、低級に作用した時に、それは猛威を発揮する。

祖国を語るにはまだ早すぎる人ほど、愛国心を口にしたがるのは今も変わらない。

289ぺろぺろくん:2017/06/03(土) 21:32:07
◇『続・鮎川信夫詩集』 思潮社現代詩文庫

鮎川の人柄は「荒地の恋」のワンシーンに凝縮されている。
同業者同士の三角関係の仲裁を頼まれ、報告の電話をかける。

>「どんな話しをしたんだね」
>「いろいろさ。何しろ玉川高島屋の開店から閉店までいたんだからな。ウェイトレス
>の顔が見ものだった」

思い当たるところのない人にとっては、なんだそりゃ!だろうが、自分はけっこう身に
つまされるものがあって、デニーズ8時間とかね……。
吉本隆明にとっては、鮎川の詩は創作意欲を掻き立てられる作品群だったそうだ。
それがドのような旅立ちを促すのかというと、

>どこまでも 迷って迷って
>家のない場所へ行ってみたい

>どこへも帰りたくない
>憧れにも恐怖にも 母にも恋人にも

>暮れのこる灰色の道が
>夕焼け空にふと途切れている

自分はまったくの偶然の導きで、高校時代に赤江瀑を知ったときにすんなり引き込まれたのも、
両者に通底するものがあったというか、赤江瀑が鮎川の強烈な影響下にあったということなの
だろうが、当時は気がつかなかった。

290ぺろぺろくん:2017/06/05(月) 21:03:18
◇藤本 泉 『東京ゲリラ戦線』

あさま山荘、東アジア反日武装戦線以前に書かれた先見性以上に、時代のレジスタンス・
プレッシャーを精確に描いていることに感心した。
学生運動なんかに参加したら負けだろう、暗いだろう、女にモテないだろうが、プログレ
聴いてる以上に悲惨が常識の空気だったが、この頃はちがった。
その反動から、後の世代は政治参加を忌避して消費・プレッシャーというのかファッショナ
ブル・プレッシャーという地獄巡りを課せられることになる。
ユーミンとか甘糟りり子とかのあれだ。
今では、ムッシュ・ニコルやメンズ・ビギって、架空請求に振り込むのと変わらないだろう
と思われるかもしれないが、嬉々として丸井の赤いカードに振り込んでいた。
そして今、若者の〜離れと揶揄される、カネ使ったら負けだろう!の○無主義というのか、
ネオ・ガンジー主義というのか。
文庫解説が半村良で、「体験する本」だと語っているが、まさにその通り。
いま藤本泉を読む人はまずいないだろうが、昭和文学の貴重な存在だ。

291ぺろぺろくん:2017/06/05(月) 21:32:55
◇『寺山修司ワンダーランド』 沖積舎

唐十郎の『佐川君からの手紙』の映画脚本を寺山が引き受けた当時、唐に言われたという。
>寺山さん、僕は、いろいろと突っかかったりしたけど、本当は、ずーっと、寺山さんの
>ことを慕っていたんですよ

お互い四十過ぎてたんじゃないかな?
でも、これこそが寺山の青春性というやつだ。
一度くらいこういうことを言ってみたかったな。

菱川善夫という歌人・評論家の詩歌に対する造詣の深さには驚愕させられる。
コンピューターのない時代に、同人誌に一度だけ載った無名の作者の句まで、すらすら引用
してみせるのだが、まさしく教養人。

292ぺろぺろくん:2017/06/06(火) 21:29:20
◇高田 保 『ぶらりひょうたん〈上〉』

コラムの教科書として知られる著作だが、意外と読まれていないのではないか。
自分自身、聞き及んで以来三十年目の初読だし、その内容に踏み込んだ話を直接に
は聞いたことがない。

>大たはけこれが雨具かヤイ女

古川柳だそうだ。
今でもこういう大臣がずいぶんいる。
教養と学習は別物だということか。
道灌の「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」という歌を踏まえ
てのものだが、今でこそ爆笑ものだが、三十年前だとわからなかっただろう。
和物の教養が身に染み込むのには、それだけ時間がかかるようになってしまったのだろう。

293ぺろぺろくん:2017/06/07(水) 21:25:13
◇殿谷みな子 『求婚者の夜』

文庫解説が林富士馬と三枝和子と、なんとも豪華。
ある図書館では、2年2か月の間に利用された図書の分析が公開されていて、
「一冊も読まれなかった分類」というのが興味深い。
小説では「貸出回数0の図書の著者名一覧」のなかに、意外なビッグネームも
含まれていて、
石上玄一郎、夫馬基彦、東峰夫、長谷川修、結城信一
加えて、殿谷みな子の名前もあった。
再評価の見込みは少ないのだろうが、カフカ的不条理で片づけるにはもったいな
いものがある。
育ちが良すぎたせいか、文体がないのが残念。

294ぺろぺろくん:2017/06/07(水) 21:36:34
◇『寺山修司―はじめての読者のために』 (KAWADE夢ムック)

萩原朔美の、寺山の「のぞき」癖への言及が興味深かった。
萩原は、事が表沙汰になる以前に何度も寺山のガラ受けに行っていて、
>あれだけのぞきという行為を繰り返す人はなんだったのかな?
と、懐旧する。
京浜工業地帯で幼少期を過ごした自分には、のぞきは「子どものおもちゃ」だった。
おもちゃにして遊ぶものなんて買い与えられないから、大人の生活がおもちゃだった。
かっぱらい、公衆電話の横からガチャ切り、民家へのロケット花火攻撃、犬小屋破壊
民家の窓をそーっと開けてプライバシーの鑑賞会なんて、かわいいものだった。
小池さんがラーメン食ってるところを見たぐらいの罪の意識しかなかった。
ところが激怒するおばさんにぶち当たったときに、何かのタガが外れた。
もちろん反省するのではなくて、逆襲として野良猫を窓からぶち込んだ。
そのとき恐らく気がついたんだな、見ることは暴力なんだって。
そこで編み出された画期的なヴァイオレンスが、アパートの共同便所へのねずみ花火投下
遊びだった。
それは幼稚園の年長から小学校入学のあたりまでの話で、黄金時代はあまり続くものではない。
ボイスでもやったネタだが、他人のセクッスにシャイニング・ウィザードをってやつで、あり
がたく拝ませていただくというより、暴力衝動を誘発させられる。
見ちゃったら手が出るだろう!
それじゃあ、犬や猫と同じじゃないの!とも言われるが、やはり手が出るの人情というものだ。
寺山は、その個的な暴力衝動を対社会への創作意欲へと昇華していたのかもしれない。

295ぺろぺろくん:2017/06/08(木) 21:39:14
◇ロルフ・ヴィルヘルム・ブレードニヒ 『ジャンボジェットのネズミ』

>>283 の、ヨーロッパ都市伝説の第2弾。
日本でもよく知られた、電話の復讐。
ヤリチンくんが女に復讐されて、長期の留守中に長距離電話をつなぎっぱなしに
されて、とんでもない料金請求がくるというやつ。
これはドイツにも広く流布しているらしい。
しかも笑えるのが、その接続先が日本の天気予報だということ。

296ぺろぺろくん:2017/06/09(金) 19:49:26
◇『三好豊一郎詩集』 思潮社現代詩文庫

今週は、これに掛かりっきりになってしまった。
鮎川信夫繋がりで気軽に手に取ったのが運の尽き。
そうだった、この戦後現代詩のはじまりと言われる「囚人」という詩。これの良さ
がさっぱりわからない。毎日数回ずつくり返し読んだがダメだった。
若い頃にはピンとこなかったものでも、最近は扉が開くことも多くなってきたのだが、
これは歯が立たなかった。今回も軽く門前払いを食ってしまった。
と、いっても難解な詩ではなくて

>恐怖と悲惨の王国
>催淫剤を与え 春画春本のたぐいをあたえ 女の腰の豊
> 満軟熟せる水蜜桃の香ばしい両半球が なだらかな脂
> 肪質の双曲線を描いて相接する淫靡な襞に 微妙な持
> 続的挑発的発情の舌をもって接吻させ そのとき興奮
> 勃起する陰茎に 飢えた犬をけしかけ噛みつかせる
>卑猥と接吻の王国…
>だがおれらは叫ばずにはいられない

こんな感じの辛辣なユーモアを含んだ詩だ。

297ぺろぺろくん:2017/06/10(土) 20:54:12
◇埴谷雄高&北 杜夫 『さびしい文学者の時代―「妄想病」対「躁鬱病」対談』

タイトルどおりの妄想狂と鬱の対談。
埴谷雄高の暴走が凄まじい。

>埴谷:ぼく流にいえば、妄想している。アンドロメダ星雲の「思索的双生児」のぼく、
>   みたいにね。
>北 :いやあ、あのね、ぼくは埴谷さんを知っているし、その文学のある部分を知って
    いますけれど、全然埴谷さんを知らない精神科医が診察したら、ひょっとしたら
    病院に入れられるかもしれませんね。

このとき埴谷、73歳ぐらいかな。
そろそろ自分も、狂う準備をはじめるかな。

298ぺろぺろくん:2017/06/10(土) 21:06:51
◇坪内祐三編 『明治文学遊学案内』

高田保経由で幸田露伴の『雪紛々』という小説を知り、こいつを読む前にちょっと寄り道。
明治文学は、大メジャーなところのほかでは広津柳浪が大当たりで、饗庭篁村がかなりい
けるらしい、といった辺りの知識で、ここ20年来停滞している。
冒頭の嵐山光三郎の明治文学概観の手際の良さにただただ感嘆。
こんなに素晴らしい書き手だったのか。

299ぺろぺろくん:2017/06/11(日) 21:27:25
◇エンツェンスベルガー 『政治と犯罪』

これももちろん寺山経由です。
エンツェンスベルガー、エーリッヒ・フロム、オスワルト・シュペングラー
こういった名前を嬉々として引用していた。
エンツェンスベルガーて、なんとも名前がカッコいい。
>犯罪者は国家の競争相手であり、国家の暴力独占権をおびやかす存在である
この、寺山が特引用していた部分しか知らなかった。
刮目すべきはやはり、「無邪気な脱走兵」
>第二次世界大戦中、アメリカ軍では程度の差こそあれ脱走や逃亡を行った兵士
>が2万1千人を超えた。そのうち49人が銃殺刑の判決を受けていたが、実際に執
>行されたのは、スロヴィクの銃殺刑のみであった。
この空前の貧乏クジを引き当ててしまったのは、
>戦争についてかれは無知だったが、それは彼が平和に無知だったからだ。敵に
>ついて無知だったのは、かれが友に無縁だったからだ。
という、ある種のアメリカの典型的な若者だった。

300ぺろぺろくん:2017/06/11(日) 21:33:42
◇エンツェンスベルガー 『意識産業』

>意識産業は、現存する支配体制をセメントでぬりかためようとする

というのがたまたま目について、買って置いたのだが……。
どこぞの御用新聞にかこつけてというのではなくて、20年ぐらい前に。
70年初版で79年九刷、というのが信じられない。
自分と同様に、やはり冒頭のこの一行に騙されちゃう人がこんなにいたのか?
なわきゃないだろうが、やはり原著は50年以上前になるので、ネタが古すぎ
て読んでいられないが、この一行で十分だろう。

301ぺろぺろくん:2017/06/13(火) 19:32:57
埴谷雄高が七十を過ぎてから白内障が進んで、小説が読めなくなっしまったというのを
眼にして、自分もあと20年ばかかと……。
極力仕事量を減らして、ネット乞食をやって、文学と格闘してやろう。

◇スコット・イーリィ 『スターライト』

ベトナム戦争物に『キャッチ22』以外の傑作なし、とずいぶん長いこと言われていた。
細部の描写を積み上げていくドキュメンタリーの方法ではとらえられないということで、
マン毛を百万本書きこめばリアルなオマンコになるかと思ったら、ポコチンになってし
まったという作品ばかりだったということだ。
ラテンアメリカ文学を読み慣れていないと、ちょっと辛いものがあるだろうが傑作。
そのうち『カツィアトを追跡して』にも、手を伸ばしてみるか。

302ぺろぺろくん:2017/06/13(火) 19:54:11
◇寺山修司 『戦後詩』

自分が詩を書いていたのは十代の後半の時期で、失われた大爆笑を取り戻すためだった。
中学に入学したばかりの頃、友人がガクランの下をエロ本で膨らませて部屋に上がろう
としたところを、ちんけなオカンと国立大学教育学部のお姉にとっつかまった。
>なに持って帰って来てんの!おまえは!!
床に散らばったのは、学校教育をせせら笑っているような
「愛欲」、「少女の悶え」、「More Buttter」、「堕天使地獄」、「濡れ濡れ」の文字群。
不埒な文字群を拾い集めようとしゃがんだ友人と、呆然と立ちつくす女性陣を目の前に、
必死で笑いをこらえていた。
なぜ笑いをこらえなければならないのか!大爆笑するべきだったのに!!
そんな悔恨を詩にしていたので、「日活ロマンポルノ」や「傷だらけの天使」のタイトル
にあるような構文を援用していた。
残してあったら、ぜひ見てみたい。
寺山修司の戦後詩の評価基準は、「話しかける詩」、「考えさせる詩」であった。
ここの詩人の人物評が適確で、これしかない寸評に感服する。
西東三鬼……しょんぼりしていた目を思い出す。金を借りることの上手な男だったそうだ。
長谷川龍生……彼はときどき、気がふれるらしい。

303ぺろぺろくん:2017/06/13(火) 20:06:07
◇『黒田喜夫詩集』 思潮社現代詩文庫

寺山修司選の戦後詩人ベストテンにも入っている。
なんの予備知識もなく、この人の詩を眼にしたら、唖然とするだろう。

>夕暮れをかすめる市街電車の跛行と
>家への反抗をくちずさんだインテリ女への失愛をこえて
>石油コンビナートの奥に隠された廃家の村に到るというのは幻だが

なんのことだか、さっぱりわからない。
たちどころにその意味を理解できたという人が居たとしたら、その人は気がふれている
のではないか?
舞台はは昭和三十年代の川崎だが、もうどこにも存在しない「石油コンビナートの奥に
隠された廃家の村」に拉致されたような気分になる。

>日本の一番底辺の抑圧された層の無意識を夢を手がかりにして、オブジェの世界とし
>て提出したかった。

たしかに普遍性のある世界である。

304ぺろぺろくん:2017/06/14(水) 21:16:19
◇大川渉・平岡海人・宮前栄 『下町酒場巡礼』

元版は98年なので、今となってはその半数以上は幻の酒場となってしまった。
昔は良かったというのは、2000年あたりまではまだまともだったという
ことだろうが、98年、たしかにまともだった。
どういうのをまともなのかというと、

>飲みはじめれば、原子の混沌か、それとも、未来の大破局のなかへ踏み込んで、
>記憶も消え入りそうな暗黒の奈落の底で、自分が自分でなくなった確認をいち
>どしてみなければ気が済まないのである。

こういう埴谷雄高さんのような方がいた時代をいう。
97年になくなったのか……。

305ぺろぺろくん:2017/06/16(金) 21:30:40
◇『中桐雅夫詩集』 思潮社現代詩文庫

若い時分に何度も読み返してきた詩人ばかりだし、100ページちょっとのものだから
朝の2時間ばかりで読了できるだろうと思ったら、大間違いで8時間ぐらいかかるな。
『荒地』派のなかではいちばん垢抜けてて、普遍性があるのはこの人じゃないかな。

>利根川と真鶴の間の海の
>あのすばらしい色を見ると、いつも僕は
>生きていたのを嬉しいと思う、

>人はなぜ人を悲しますものになるのか。
>ぼくは、庭のクローカスが、けさ
>始めて花をつけたことを考えようとした。

>牛乳の瓶が冷たく光っている
>夏の朝には耳掻き一杯の自由がある。

人前で朗々と読み上げる言葉ではなくて、ひとりに返ったときに響いてくる言葉だ。

306ぺろぺろくん:2017/06/18(日) 21:18:48
◇ル・クレジオ 『調書』

66年の初版で、79年で15刷。
その数年後に古本屋で五〇〇円で入手したものだが、この時代あたりまでは
みんなずいぶん無理して読書していたもんだというのがわかる。
高校の頃はあまりにもつまらなくて40ページ辺りで投げ捨てて、著者と同
い年の23の時にもう一度挑戦してみたが、歯が立たなかった。
さすがにこの歳になると、読める。

>電話をおもちゃにしはじめたら、断じて躊躇してはならない。数秒間とい
えども、流れを止めて反省してはならない。

>兄弟たちよ、私はテレビであり、あなたはテレビであり、そのテレビはわれ
われの中にあるのだ!

とか、自分が言っていてもおかしくなかったようなことが書いてあった。
自分の言葉ではなく、メディアで流通している肥溜めのような言葉に自分を溶
かし込んでしまうことは危険なことだ。

307ぺろぺろくん:2017/06/18(日) 21:35:23
◇ル・クレジオ 『悪魔祓い』

幼児的な言葉づかいで、快刀乱麻を断つがご如くのもの言いで撫で斬りにする一方、自
分の誤りは絶対認めない人間を、世界が欲したことはない。
そんな産業廃棄物のような人間も最初からそういう人間だったのではなく、資本主義経
済のウィーナーとして選ばれた段階から、そのような人間性を付与された。
そういった図式が続く限り、未開部落への憧憬は棄てられない。
横尾忠則も言っているように、未開部落の哲学エンターテイメントが待たれているので
はないか?と、模索しているところ。

>歌うとは、音楽を奏することではない。それは理解不能なある言葉の助けを借りて、
>目に見えない世界と連絡することである。

ル・クレジオは30年以上もインディオの研究に没頭した後、インディオの生活とは
一体化できないことを表明していた。

308ぺろぺろくん:2017/06/21(水) 08:02:36
◇風間賢二 『ダンスする文学―いま読める小説ガイドの最先端』

「小説ガイドの最先端」といっても、25年前の最前線なのはいつものこと。
20年前にザッと目を通したときには、電話帳のごとき人名の羅列にしか見えなった
ものが、色と形を持って模様を描いて見えるのは年の功か。
それにしても、あれだ、ポール・ボウルズやリョサ、コルタサルといった読むべきも
のほど、後回しにしたままだ。

309ぺろぺろくん:2017/06/21(水) 08:08:26
◇高田 保 『ブラリひょうたん(中)』

>いかがわしい読物ばかりのせている雑誌から「近頃の美談はないか」というハガキ問合せ
>が来た。「あなたの雑誌が廃刊したら美談になる」と返事をした
もちろん、掲載されなかったそうだ。

このなかでで印象的だったのは、小泉八雲のこんな逸話。
結婚後まもないころ、八雲がある所へ旅行した。夫人がその旅行先へ訪ねてきて、旅宿の階段
の途中で夫人が八雲に、「アナタ」と呼びかけた。八雲にとっては全く思いがけないことなので、
この「アナタ」という日本語が天外の言葉のように聞こえたそうである。
後日八雲は、この時の「アナタ」という日本語を、強いて夫人に発音させたそうだが、夫人が
苦心して同発音しても、違うといって手を振ったそうである。
これぞ小説的というものだろう。
日常から一触遊離した次元への誘い、天外の言葉を捏造すること。

310ぺろぺろくん:2017/06/24(土) 18:29:45
◇小谷野 敦 『恋愛の昭和史』

土屋昌巳と一風堂の「すみれ September Love」に出てくる♪恋に人生かけてみようか♪
を口ずさんで、鶴見辰吾と伊藤麻衣子の『高校聖夫婦』になってしまうというのが、自分
の世代の不幸の見取り図だった。
それから彼らがどんな不幸のどん底に突き落とされたか!については、多くは知らない。
まあ、何のことはない、北村透谷の恋愛至上主義、『青い山脈』あたりから一般化して、
ろくなことはなかった、醜男あがりのインテリが成り上がると、ろくな恋愛をしないという話。
終章の谷沢永一の嘆息が印象的。
だれが見てもお似合いの異性がそこにいるのに、恋愛感情が盛り上がらないからといって、
みすみす良縁を逃していく例がいかに多いことかと……。
良縁への慈しみか、恋愛の悶絶か、なかなか重要なことをいっているような気がする。

ここでは俎上に上がらなかったが、恋愛空間とはいっても、自己の拡張と弁証法的な個の対立
とでは、まったくの別物だ。
無条件に賞めそやしてくれる微温的な同質空間と、どこまでも個人であり続けようとする
個の鎮座する空間では、消費エネルギーが違う。

311ぺろぺろくん:2017/06/25(日) 20:52:14
◇高田 保 『ブラリひょうたん(下)』

最終回が、昭和二十六年の三月という毎日新聞の名物コラム。
アンドレ・ジイドの名は当時全国津々浦々に響きわたっていたようで、瀬戸内の小島で
開かれた座談会に招かれたときのこと、

>先生は、アンドレ・ジイドとキャソリシズムについて、どうお考えですか?
>伺いますが、ジイドはこの島の出身なのでしょうか?
>もしも都会地だったらどっと無遠慮な笑い声も起こったに違いない。それが島の青年
>たちだから、ただ黙って私の顔を見ていたきりだった。

それから約70年、みんな足並みそろえてバカになったというわけだ。
高田保は、上巻ではソフォクレスのこんな文句も引用してたっけ

>一生を馬鹿で過ごせたらこんな幸福はない

312ぺろぺろくん:2017/06/26(月) 21:27:11
◇ル・クレジオ 『歌の祭り』

アメリカ先住民の民族誌だが、小説家というよりも詩人的資質のかった著者だけに、
ときおり電波が入って判読不明なところがある。
詩人とは、世界への希望を見出すことを宿命とする人間だからである。

>世界をおびやかす大洪水に抗して、ひとりの作家に何ができるだろう。
>ただ踊り、音楽を奏でること。すると他の者たちが彼の音楽、声、祈りを聞き、彼と
>力を合わせてくれるかもしれない。
>書こう、踊ろう、新たな大洪水に抗して

全く接点の見当たらない赤江瀑もほとんど同じことを『元清五衰』という短篇で書いていた。

>あの人は、いつか言いました。「人間、みんな、誰だって、一人一人その人なりの砧を一つ、
>手にしてるんだ。いろんな砧を」と。あなたも打つ。あの人も、打ったんだ。その音が、誰
>かの耳に届くかもしれない。誰かが、聴いてくれるかもしれない。聴いてくれなくても、打
>つ。届かなくても、打つ。人間、そういう生きものなんだ。

313ぺろぺろくん:2017/06/29(木) 21:17:37
◇内田 樹 『「おじさん」的思考』

なぜ、この人の文章が好きなのかよくわかった。
いわゆる「姉ちゃん屋」というのがある。
スナックやらキャバクラと呼ばれるあれだ。
それもずいぶんとあるから、それなりに男性諸氏のお眼鏡にかなっているのだろう。
「あんなに楽しいところにどうしていかないの?」
と、言われたとしたら「一般論に悶絶してください」としか言いようがない。
内田氏も「姉ちゃん屋」が大嫌いで、つきあいでその手の店に拉致されると

>じっと下を見て苦痛に耐えている。酒席がしらじらと邪悪になる。

対立のない生温かい空間が、苦行になるというのは少数派なんだろうな。
その昔、「つみきみほ」に似たホモを騙して「姉ちゃん屋」に連れ込んだら、救急車
ものになっちゃったときはびっくりしたな。

314ぺろぺろくん:2017/06/29(木) 21:41:02
◇タマ・ジャノウィッツ 『ニューヨークの奴隷たち』

30年前のニューヨークの最前線は、そのまま1メートル50センチの積ん読の最下段を
担いつづけてきた。
50ページほど読んだところで、投げ出してあったのだ。
もうちょっと我慢して「症例フレッド」まで読んでいたら、通読していたかもしれない。
翻訳の出た88年頃、大流行した

>「本当にニューヨークにはいい男はいないの?」
>「女ならいるわ。女なら山ほどいる。男はみんなゲイ。さもなきゃ奴隷階級の男ばっかり」

いやというほど、したり顔で引用されていた。
でも、それだけなんだなあ。

315ぺろぺろくん:2017/07/03(月) 18:17:25
◇開高 健 『白昼の白想―・エッセイ 1967-78』

日野啓三までは振り返っても、開髙までは目が届かないことが多かった。
やはり、いい作家だ。

開髙は伊藤整から奇妙なエピソードを聞かされた。
作品のなかで伊藤は性描写を試み、男が指を使ったということを書いた。
すると、伊藤と同年輩の高名な批評家(明治後年生まれ)から電話がかかってきて、
「あれはなんのことだね?」と聞かれたということだった。

つと、考え込んでしまった。
その批評家は、指を使わないでどうしていたのだろう……。
ぺろぺろくんオンリーだったのだろか……。
もしや、生涯……。

316ぺろぺろくん:2017/07/04(火) 20:12:06
◇『清岡卓行詩集』  (思潮社現代詩文庫)

著者に関しては勝手な思い込みで、大岡信と並ぶ口語現代詩のお手本的なイメージが
あって、敬して遠ざけてきた。
ところがじっくり読み直してみると、とんでもないものがあった。

>「電話だけの恋人」

>あっ 混線ですね
>このまま 切らないでください

なんと、混線電話を舞台にした詩ではないか

>あなたとはじめて話した真夏の夜明けを
>その空に浮かんでいた電話のダイヤルを
>そのときも 夢からの出口で
>ぼくは煙草に火をつけ
>退屈さに いらいらし
>数字の奇蹟に 賭けたのです
>629ー2111

昭和30年代の後半だと思われるが、そんな時代から混線があったとは……。
この番号にかけて、実践してみた人もずいぶんいたことだろう。
この詩集を買ったのは、92年だったから、ぎりぎりで間に合ったのかも?

317ぺろぺろくん:2017/07/04(火) 21:32:51
◇『藤井貞和詩集』 (思潮社現代詩文庫)

一読するなり、暴力の放棄を余儀なくさせられる詩文というのがある。

>さようなら男よ つちぐもが血路を去ってゆき
>まりもを投げないで
>もっとやさしくなって

それでも男は、まりもを投げるのだ。

>その男は、この世の水槽から
>(私は見た。)
>まりもを投げたのだ
>俗に言う、心ないいたずらである

この詩のタイトルは、『日本の大火からしりぞくまりもちゃん』。
豊田真由子様は心して読むべきだろう。

318ぺろぺろくん:2017/07/08(土) 18:38:08
◇『岸上大作歌集』 (現代歌人文庫)

現代詩歌の棚の整理をしてて、実はこれ、四読目だ。
1回目は中学の時で、寺山修司がいじめているのを見たとき。
2回目は天安門事件のときで、道浦母都子でも福島泰樹でも岡井隆でもなく、岸上。
3回目は10年近く前か、ケロログで、7時間も遺書を書いてからブロバリンを150錠飲んで
自殺したやつがいたという話を録音したとき。
生前を知る人の話では、
>「負けくじを引きつづける……」という生の必然性
という。
>貧しい町の暗い裏通りを首うなだれて歩く。詩人とはぼくにはそんなものに思える。そして、
>自分がそんな詩人でありたいと思う。人生の裏通りを歩いてきた者のみが詠い得る詩を詠う人
啄木風な生活叙情歌人の資質だろうが、その「生活」にバカの猛威が降りかかる直前でもあった。
>ダンスもし 麻雀将棋囲碁するに やはりわれには 短歌が似合う
バカ歌の代表とされるものだが、こういう時代に歌を紡ぎ出すことは無理だっただろう。
いま、代表作を一首あげるとすれば、これ。

>ポストの赤奪いて風は吹きゆけり愛書きて何失いしわれ

319ぺろぺろくん:2017/07/08(土) 19:21:10
◇リチャード・マティスン 『13のショック』

50年前に「恐い話」として書かれたものが、「三文実話」になってしまうというのが
いちばんのショックだろう。
たとえばアメリカ名物の銃乱射。
デパートのネクタイ売り場に勤める風采の上がらない中年男は、毎日同じバスに乗り
合わせている、鼻をクンクンいわせている男の所作に苛立つ。その鼻をクンクンさせ
る動作をカウントしてみると、実に23回。むかつきだしたら隣近所の住人から、店の客、
窓外の車、犬の吠え声、コオロギが脚をこすりあわせる音、おれを破滅させようとして
いるとしか思えない。
>みんな寄ってたかって、おれをやっつけようとしているのだ
自衛のため、肉切りナイフを呑んで、バスに乗り込む……。
そのあとに続く惨劇はお馴染みのもの。

冷泉彰彦氏のメルマガを読んでいたら、アメリカでは「オピオイド」なる強力な鎮痛剤
の中毒で、年間5万人以上が亡くなっているという。ついには、
>米国では「薬物の過剰摂取」というのが50歳未満の死亡原因の1位になっています。
究極のファスト医療だ。

320ぺろぺろくん:2017/07/09(日) 21:32:27
◇莫言 『酒国』

翻訳刊行当時にはずいぶん話題になっていて、新刊で買っていたのだが読んだのは、やはり
その20年後という、ここではよくあるパターン。
その間にノーベル賞作家になっしまったではないか。
大雑把に言えば、アンチ・ハードボイルドなのだが、そもそも民主主義国家でなければミス
テリー小説は存在し得ないし、国家そのものが巨大な犯罪組織として機能しているのならば、
フェアプレーの精神は愚の骨頂でしかない。
訳者の解説で引用されていた、中国の亡命作家のこの発言が本作の骨子を言い表している。

>不条理撃は本来形而上学的な世界なのですが、中国では現実そのものなのです

女と酒の失敗には饒舌だが、貧乏には寡黙である。

321ぺろぺろくん:2017/07/11(火) 21:16:24
◇廣末 保 『辺界の悪所』

>都市の片隅に追いやられた悪所 ―― 廓や芝居小屋は近世庶民の美意識が形成
>した広場であった。賎視された役者や遊女たちが、そこに白昼公然と展開した
>死・怨霊・美の世界を復原し、その意味を明かす。

という内容で、なにかと命がけの江戸中期の文化爛熟の時代の考察書。
通信メディアの発達とともに、なんともくだらない薄っぺらな人が大量発生しちゃっ
て、ついには
>「レコードを選ぶ写真を撮って買わずに出る女子」が物議ww 「買った客は1人も
>いない・・」
ぺらいのが悪いとは思わないが、相手にはしたくない。
>驚くべき若死にと、投げ込み寺への埋葬。死と無媒介にむきあっている遊女
入れあげるとしたら、こっちだろう。

322ぺろぺろくん:2017/07/13(木) 21:34:09
◇森内俊雄 『微笑の町』

ハート・ウォーミングなタイトルとは似ても似つかない、人が死んでたり、化けて出たり、
呪いをかけてこれから死ぬところだったり、という話ばかり。
なかでも不気味なのは、友人宅を訪れた際
>「帰る前に、おれの家の庭を見て行ってくれよ」
と言われ、何度か訪れたことがあったにもかかわらず、その家に庭があるとは思っていな
かっただけに怪訝に思った。
>家の裏手にまわると二十坪ばかりの庭があった。そこには何も植わっていない。空き地が
>ブロック塀に囲まれ、闇をたたえて拡がっているだけである。蛇口のない折れ曲がった水
>道管が、片隅に突っ立っている。
そして、こう言った。
>「なにも生やさないというのは、むつかしいことだな」

この友人は、精神科の勤務医で
>おれは自分が気違いになるのが怖ろしかったから、病気に先手を打ってやったんだ

323ぺろぺろくん:2017/07/14(金) 21:30:19
◇中村雄二郎 『読書のドラマトゥルギー』

著者の主著である『共通感覚論』は、もう二十年来中座したままなのだが、均一で
拾ってきたものはすらすら読めたりする。
氏の著作はどれを読んでも、個人の意識を覚醒させるものがある。
〈考える私〉は存在を疑いえない確実性に導いたが、〈語る私〉は、自ずと断片化
され、分散され、ばらばらになってしまう。
松居なんとかやら泰葉がそのいい例だが、かといって紋切り型の表現に自己を嵌め
こむことは、緩やかな自殺に他ならないことを、ミンコフスキーは指摘する。
>わわわれが生きた人格でありうるのは、何かを表現するためにそこにいるかぎり
>であり、また同時にこの表現能力がわれわれの個人的な生を至るところではみ出し、
>個人的生を生命と世界に統合するかぎりである。

324ぺろぺろくん:2017/07/16(日) 20:02:15
◇諏訪春雄 『心中―その詩と真実』

近松もの、それも特に『天の網島』の解説書。
近松については、必要がある度に読み返す程度の怠惰な読者だが、これだけ懇切丁寧
に指南いただけると発見するものも多い。

>世話浄瑠璃の基本テーマは、家を維持しようとする立場と、多くは愛情に目覚めるこ
>とによってその家の拘束から逃れようとする個人の立場との対立、葛藤にある。
>一方に由緒ある老舗の紙屋の家を守ろうとする側があり、治兵衛は小春との愛を育てる
>ことによって、その家を破壊しようとしている。

これなんだな!
愛を育てることによって家を破壊する、愛のアナーキズム!!

325ぺろぺろくん:2017/07/16(日) 21:12:32
◇内田 樹 『街場のアメリカ論』

オタクの人たちが集まるパーティー・ラインに入っていって、
>きみたちはどうしてそんなにルックルのレベルが低いのか?
と訊いてまわったことがあったが、質問には答えてもらえなかった。
そのうち、岡田としおとかいうオタクの代弁者のような人が出てきて、
「オタクはオタクに忙しくて、精神的な行動半径も狭く、ピザ食って太ることで
マニア度を表明しているんだ」の、ようなことを言っていて納得したことがあった。
>だったら、オタクなんかやめなさい!
と、身も蓋もないことを正面切ってデカイ声でがなり立てるというエンターテイ
メントをやってもよかったのだが、電話じゃないのでめんどくさいからやめた。
これと同じことがアメリカの非常識なデブにも言えるらしい。
貧困層がコーラ飲んでイモ食ってテレビの前でブタになることで、抑圧をアピール
しているのだと。
ここまでくると、あまりの身も蓋もなさに言葉が出ないわ。

326ぺろぺろくん:2017/07/17(月) 21:05:52
◇米原万里 『打ちのめされるようなすごい本』

新聞と週刊誌の連載をまとめたものなので、石もずいぶん混じっている。
露文の目利きとしてはたしかなだけに、偏愛書のエッセイを読みたかったな。
それでもまあ、20冊以上にチェックを入れてしまった。
それにしても露文は高いよ。
沼野夫妻に浦雅春さんといったあたりが健在なのが救いか。

327ぺろぺろくん:2017/07/17(月) 21:24:25
◇ジェームス・ボールドウイン 『出会いの前夜』

PCでラジオを聞くようになったら、中二病になってしまった。
というのも当時の洋楽番組の看板DJが、未だに帯番組をやっているのだ。
先日も渋谷陽一の番組を聴いていたら、ベンジャミン・ブッカーという米国
の若いシンガーが、J・ボールドウィンに触発されて音楽をやっているとい
うのを聞いて、無性に読み返したくなった。
やはりなんといっても、表題作の「出会いの前夜」。
10代でに絶対読むべき10冊には是非エントリーしたい。
自身のアナーキーな欲望と対面することは絶対に必要なこと。
歳をくって理屈で理解するようになってからでは遅い。
フロイトより先に読まないとダメ。
著名な「サニーのブルース」は、ちょっとできすぎ。
「荒野より遁れて」も、ある種の人には身につまされるはず。

328ぺろぺろくん:2017/07/19(水) 20:54:28
◇デイヴィッド・ロッジ 『考える…』

考えてしまった。
すらすらと読めてしまって、上下段組400ページをほぼ一日で読みきってしまい、
まんまと嵌められてしまったのではないかと。

>ストリップショーはある種の順序が守られなければならない……その順序がいささ
>かでも狂うと、ストリップの枠組みが壊れ、ストリップはなんでもない当たり前の
>ことに見えてしまう

当たり前のこととして看過してしまったところに、とてつもない深淵が顔を覗かせて
いたのかもしれないと。

329ぺろぺろくん:2017/07/24(月) 20:48:10
◇内田 樹 『私の身体は頭がいい』

昼寝の友と思ったところが大間違いで、武道の伝書からの引用盛りだくさんで、
途中からは正座して読んだ。
パチプロが大方のギャンブル小説を読みつくしてしまうと、確率論や哲学や武術
の伝書を読むようになる。
田山さんも早い時間のお帰りを喰らうと、『論語』を読んでいたと思う。
不ヅキを正当化する論理を求めてそうなるのだが、やはり初心者が伝書の類いに
手を伸ばすのは「かぶれる」という理由で良くないことだそうだ。
大義をもって、目前の事実から目を逸らすのは百害あるのみ。
八百長が行われている可能性が大きいからだ。
そういう意味でのみ、現実は正解なのだ。
「標準化=訓育化された」ではなく、「全身がアナーキーかつ群雄割拠的に自律する」
身体論ではなく、賭博論としても正当だ。

330ぺろぺろくん:2017/07/24(月) 21:05:16
◇黒井千次 『群棲』

84年に上梓された連作短篇集。
20世紀後半の小説から、伝言的・パーティー的ベスト10を選出してみようと
昔から考えてはいるのだが、なかなか進まない。
これは、もちろん伝言的な代表作品。
家というものが暴力装置としても、制度としても機能しなくなり、寄生の対象と
してしか存在意義をもちえなくなった時代の象徴的作品。
もっともその十年以上前から、
 ♪パパママ共産党 お前の兄ちゃん中核派
とか、リアルタイムに近くは「狂った果実」の替え歌で
 ♪サイドボードにめりこむ パパの7番アイアン
なんてのが日常だったから、家は形骸化していた。
結婚は家と家のものだから、という敗北主義の御託宣でしかなかった。
戦後の「ホーム」は、家電メーカのばらまいたデタラメなイメージでしかなかった
のか?
追々明らかになってくるであろう。

331ぺろぺろくん:2017/07/25(火) 21:12:13
◇横尾忠則 『見えるものと観えないもの―横尾忠則対話録』

横尾忠則は自分の母親と同じくらいの歳だが、同じ本棚で育っているのに驚いた。
要するに南洋一郎と江戸川乱歩から、生涯抜け出せなかったそうだ。
自宅は理工学書と週刊誌しかない家だったので、近所の図書館の棚なのだが、ずい
ぶんいろんな児童図書があったはずなのだが、この両者と友人の家にある『トイレッ
ト博士』だけで満ち足りた世界だった。
つまり、「偽善とか正義」といったものを叩き壊してやるには、それだけで十分なのだ。
そんなもんに目くじら立てるなんて、中二病か……とか、こういうスカした態度がいち
ばんの病気じゃなかろうかと思う。
普通そういうことをしていると、幽霊を見たりUFOを目撃するようになるのが正常な
生理反応だろう。
電話のころは、便利なキャッチコピーがあったね。
>いい人ジャンプスーツ
ていうやつ。
いい人ジャンプスーツに火をつけろ!て、そういう方向だけは変わらないだろうな。

332ぺろぺろくん:2017/07/26(水) 23:31:22
◇富岡多恵子 『青春絶望音頭』

刊行は50年近く前のものなので、自虐エンターテイメント作品ではない。
氏の作品では「遠い空」という、主人公は性欲という短篇があって、これを読ん
でいる「パラサイト・イブ」なぞ、おままごとにしか思えなくなる罪人である。
まあそういった後年の作品を知っていると若書きの誹りを免れないが、勘の鋭さ
はやはり天賦のものか。
>かつて公娼制度が存在していたころを知る者は一様に、そこにいた娼婦をなつか
>しがる。それは、娼婦というものがオンナではなかったからではないか。
と指摘し、
>羞恥そのものを金で取引するという共犯関係ゆえに、オンナよりも近しく感じて
>いたのではあるまいか
これは自分がよくネタにする、中島みゆきの「悪女」の替え歌で
♪させ子の部屋へ 電話をかけて
に続く、ムフフ笑いと同質のものではないかと。

333ぺろぺろくん:2017/07/30(日) 17:20:06
◇池澤夏樹 (編) 『本は、これから』

電子書籍の普及による従来の紙の出版物の衰退を憂慮する意見が目立つが、ポピュラー
音楽が直面したMP3ショック同様、本を嫌いな人が電子書籍をコレクションするよう
になるだけのことではないかと思う。
スティーヴン・ウィットの『誰が音楽をタダにした?』に、大嫌いなABBAや、聴いた
こともないZZトップまで、アルバムを一万五千枚もダウンロードしてしまった話が書か
れてあって大笑いしてしまったが、多かれ少なかれ似たような経験があるでしょう。
菊地成孔氏の意見にはまったく同感で、同年代はやはりこう思うかと。
>二〇世紀は戦争と資本主義の時代ですから「アーカイブ」というものを前にして矢鱈と
>征服欲が生じる。「何を読み、聴き、喰い、経験したか」という加算的/攻撃的プロフィ
>ールの時代は終わり、「何を読んでなく、聴いてなく、喰ってなく、経験していないか?」
>という減産的プロフィールの時代だ。
ドラゴンボールを読んだことがなくて、ドラゴンクエストをやったことがなくて、ドラゴンズ
ファンである、と言うと私という人間もちょっとはご理解いただけるのではないかと。

334ぺろぺろくん:2017/07/30(日) 18:06:03
◇黒井千次 『時間』

大好きな作家のはずなのに、なぜか迂回してしまうということがある。
いつ読んでもいいに決まってるから、いま読むこともないだろうということだが、時間は無限な
わけではないから、ある程度は厳選していこう。
私は大人になってまでも、人の着ているオーバーを燃やしてしまう癖があって、やはり少年期に
その頻度はいちばん高かった。
小六のあるとき、デカイ姉さんが訪ねてきて
>あんた、ほんとにうちの弟のオーバー燃しちゃったの?
弟といっても二学年上のデクノボーのさらに姉さんだから、高校生ぐらいだったのか、オーバー
は燃えて灰になってしまっている事実は認識しているらしい。
>どうしてうちの弟のオーバー燃しちゃうの、あやまりなさい
弟にあやまるんだか、弟のオーバーにあやまるんだか、よくわからなかったのであやまらなかった。
その出来事の意味はやはりよくわからなかったが、どっかのエッセーで黒井氏がチェーホフの引用で

>四十五歳の女と関係して、やがて怪談を書きだした。

ああ、そういうことだったのかと納得したことがあった。
それで納得できる人は多くはないだろうが、私にとって納得するとはそういうことだ。
初期の黒井作品にも、「古びたレインコート」、「赤いオーバー」が重要なアイテムとして登場する。

>最後の夕日を受けた燃えるような赤いオーバーは、何かの建設予定地でもあるらしい広大な空き地
>のゆるいスロープを登りつめ、俺の視界から切り離されるように消えていた。

高度経済成長の頂の向こうに何が見えるのか、あまり期待は大きくなかった。

335ぺろぺろくん:2017/08/01(火) 20:22:24
◇黒井千次 『走る家』 集英社文庫

初期の黒井千次作品は、都市生活における「時間」と「空間」をテーマとしていて、
大変興味深いが読みづらさも一入。
>電車の中などでふと「どこにもいない俺がほしい」と痛切に感じることがあった。
言い換えれば、アリバイを持たない他者への希求とも言える。
パチンコ屋や競輪場、電話遊びがそうだろう。
そのような場ながく居ると、忘れ物をしてきたような強迫観念に駆られることがあり、
一万円札の両替機に千円札を忘れてきたのでは?、とドキッとすることが日に何度も
あったりする。
>家を建てるとは、柱や畳で押し入れを持つ家屋を作るということではなく、本来は、
>その下にひっそり囲われた暗い奇妙な空間を生み出す営みなのではなかろうか。
それゆえ、すべての家は幽霊屋敷であることを免れない。
現代都市生活では、
>帰宅する技術というものがあるのではなかろうか

336ぺろぺろくん:2017/08/04(金) 21:15:01
◇デイヴィッド・マレル 『廃墟ホテル』

ハリウッド映画のノベライズものを読まされたような感じ。
実際には映画にはなっていないようだが。
なんでこんなものを買ってしまったかというと、アズベリーパークを舞台にして
いるからで、いわずと知れたスプリングスティーンのメジャーデビュー作だ。

337ぺろぺろくん:2017/08/04(金) 21:37:49
◇原 真 『巨大メディアの逆説―娯楽も報道もつまらなくなっている理由』

ふと、なんでハリウッド映画はあんなにもつまらないのか?というのが気になって
引っぱりだしてきたのだが、さすがに賞味期限切れだった。
ハリウッド映画がつまらないのは、あんたが左翼だからだろう!
と言われそうだが、たしかにハリウッド大好き左翼というのはちょっと想像できない。
ギャグとか存在の耐えられない論理矛盾としては楽しいが、ちょっといないだろう。
要するに、キャストの新鮮味でストーリーのマンネリにフタをするだけのことだ。
実際、ブロードウェイの高額チケットを入手するのは、8割以上が40代以上の白人
だというのだから、革新派はからしたら目も当てられないだろう。
近年で、斬新なストーリーってなにがあっただろう?まあ、変なもんばっかり読んで
るから、ぱっと思いつかないが、それにしても黒井千次が気になってしょうがない。
自分自身は左翼だという自覚はまったくないが、ひょっとしたら左翼なのか?
なんちゃって左翼はずいぶん威勢がいいが、これからは「ひょっとして左翼」が台頭
したらいいのに。

338ぺろぺろくん:2017/08/07(月) 20:26:06
◇黒井千次 『家兎』

人それぞれ自分だけの秘密の番号をもっていて、日々そこにかけているとしたら
なんとも魅力的なシチュエーションではないか。
かつては自分たちもそんな幸せな時代に居合わせたことがあった。
黒井千次の短篇作品には、そんな時間が未分化なまま放り出されてある。
「石の叫び」という作品では、地下広場の公衆電話が多数並べられた一隅で、何
度も電話をかけ直す男が気にかかった。
ひょんなところで再会したその男に、そのことを尋ねてみると、地方の観光協会の
寓意的な昔話を聞かせるテレフォン・サービスにかけているのだと言う。
そこにはめったにつながることはなく、もちろん番号は教えられないとも。
その秘密の番号は、村上春樹の『羊をめぐる冒険』の、ハイヤーの運転手のかけて
いる神様の電話につながっているようにも思える。

339ぺろぺろくん:2017/08/08(火) 21:37:24
◇佐藤清彦 『奇談追跡―幕末・明治の破天荒な犯罪者達』

同著者の『にっぽん心中考』が面白かったのだが、こちらはまあなんとも
読み辛いこと読み辛いこと。
まあ、そういう時代なんだろう。
現代の読書界の獲得した数少ない利点のひとつが、リーダビリティ・読み
やすさということだろうが、ないがしろにできない要素だということを再
認識。

340ぺろぺろくんん:2017/08/09(水) 21:14:55
◇早川敦子 『世界文学を継ぐ者たち』

学術論文調の読みづらい文章で、ホロコーストとポスト・コロニアルに特化した
セレクションなので、全世界的ではない。
しかし、このエピソードに出会うだけでも十分に元は取れる。
ナチスドイツのユダヤ人収容所で死んでいった「エルズニア」という9歳の少女が、
靴の中に詩の一片を残して逝ったという。

>むかしむかしのことでした。
>名前は小さなエルズーニャ
>ひとりぼっちで死にました。
>マイダネタは父さんの
>アウシュビッツは母さんの
>命が消えた場所でした。
>ひとりぼっちのエルズーニャ
>その子も死んでゆきました

341ぺろぺろくんん:2017/08/11(金) 21:25:46
◇佐江衆一 『太陽よ、怒りを照らせ』

このひとの『花下遊楽』を読んだとき、これはとんでもない作家を読み逃して
いたのでは、と思ったのだが若いころの社会派作品はムダに熱い。

342ぺろぺろくんん:2017/08/12(土) 20:49:40
◇佐江衆一 『鼠どもへの訴状』

こっちは面白かった、元ネタがいいというのもある。
元ネタは、秋吉 茂 『美女とネズミと神々の島』。
迷信深い年寄りと拝金主義の若者、六〇年に一度海を渡って鼠の大群に襲われる島、
憑きもの筋の家、絶壁から身投げする若い男女、これだけの道具立てが揃っていて
ホラーにならない、ホラーにしない社会派の矜持すら感じる。しかし、ホラーにし
ていたら、モダンホラーの大家になっていたであろう。
生まれ故郷で自身を持て余した若者が都会に出て行く、そのひとりひとりが故郷の
霊を携えて、と思うとロマンチックではあるが、テレビがそれを撲滅した。
都会の生活苦と疎外感から霊魂が離脱してしまうことはよくあった。
新聞青年が6秒十円のパーティーラインで70万円使って、専売所を追い出された。
その三年後くらいに再会したときに、なぜそんなバカなことをしたのか聞いてみた
>だって、さびしかったんだよ
それは全く合理性を欠いており、人間的というよりも、霊的なさびしさであろう。
都市で支配的な観念は経済的上昇と上位の人間関係であって、霊的存在は無視される。
霊的言語空間の復権によって、浮遊する霊のテロを目論む者は少なくないはずだ。

343ぺろぺろくんん:2017/08/13(日) 20:31:16
◇岡本太郎 『今日の芸術』

今日とはいっても、1954年の今日でありながら、紛れもない今日である。
それだけ低俗と一般論は手強く、弱きをくじいて強きをヨイショする人情は、
揺るぎないということである。
たとえば、コギャルの肖像画ばかりを描いている売れない若い画家がいると、
必ずこういうことを言うやつがいる。
>そんなくだらんものばかり描いていないで、富士山を描け!
一言でいえば、強い者と勝っている方が好きな無垢な大衆に向けて、「おれは
弱いぜ」といって見せるのが芸術である。
よく創作論で見かける比喩で、自身の作品をカッパに見せるとか、自己の内面
的他者であるうなぎくんに語りかけるというのがある。
これはインターネット以前のものであろう。
今はもっと、カッパもうなぎくんも身近なところにある。
生活圏内の誰にもとけこめず、ネット空間はハッタリ野郎ばかり、上京してみ
れば受け売りとコネが信条のタヌキの都。
そして、宿主を失ったカッパとうなぎくんだけが残される。

344ぺろぺろくんん:2017/08/13(日) 20:43:58
◇佐江衆一 『裸の騎士と眠り姫』

連合赤軍事件の2年後あたりの作品で、闘うべき相手を見失ってしまうと、山に
こもって権力側に情報が漏れるのではないかという強迫観念に駆られることになる、
ということを正確に見抜いていた。
当時はまだ小学校低学年だったので自覚はなかったが、情報化社会というものの
萌芽がこの頃に始まっていたのだろう。
また、共同性の中で理解されないことを認識すると籠城戦を始めるという、何十万
ともいわれる引きこもりの戦法も、この頃に確立されたのだろう。
加藤清孝のたったひとりのバリケードも、この前の年だったか。
「眠り姫」の方は、ブデりすぎて部屋から出られなくなる、アンチテーゼとしての
デブを見世物するという資本の普遍性を描いていて、なかなか鋭い。
ただ、読んでて気持ち悪くなる。

345ぺろぺろくんん:2017/08/14(月) 21:25:03
◇岡本太郎 『芸術と青春』

岡本太郎は言う
>私には、生活の信条というものはない。
>芸術の信条があるのみだ。
>芸術に徹することによってのみ、生活を捉えることができる。

それは母、かの子の教えを忠実に守った結果でもあると。
>芸術が至上であり、それに殉ずることこそ生き甲斐で、ほかは
>すべて俗事だと

至言である。
それに勝る生き方といったら、パチンコと酒と女にうつつをぬか
して人生を逃げ切ることしかないだろう。

346ぺろぺろくんん:2017/08/15(火) 20:54:39
◇佐藤清彦 『贋金王』

明治から平成一ケタまでの贋金事件史。
先入観かもしれないが、やはり心中がらみの事件になると筆が冴える。
昭和12年、偽造通貨行使の容疑で拘留された男が拘置所で青酸カリ自殺した。
男には前科があったために、指紋から住所が判明した。
しかしそこには、若い女の死体と「法華経」の経本一冊と、父親あてのペン書き
の遺書が一通あった。
>読売新聞は、「口もとには冷ややかな笑みさえ洩らして、悪と知りつつも、ただ
>愛ゆえに生きて、かつ今死を求めた光なき満足があった」と、やや詠嘆調に書いた。
個々の人間が、今とは違ってかわいそうな時代だった。
>ふたりとも体が弱く、とにかく贋金つくりによって、生きられるだけでふたりの人生
>を生きよう。失敗したら、そこでふたりの人生に終止符を打とうと決めたものらしい。

347ぺろぺろくんん:2017/08/15(火) 21:23:27
◇佐江衆一 『消えた子供』

85年に小学五年生で、団地の高層階から飛び降り自殺をした杉本治くんのモデル小説。
>「感受性が強く、協調性に欠け、社会性がない」
2ちゃんねるの煽りではなく、本文中からの引用である。
自分もその典型ではあるが、その先駆的な人物がふたりいた。
ともに62年生まれで、「(世田谷)祖母殺し高校生自殺事件」の朝倉泉、75年に小6
で近所の団地から飛び降り自殺した岡真史。
この3人の存在によって、この手のタイプの人間には自殺は禁じ手となった。
この3人に親近感を持つものは、ひとつの使命を帯びているからである。
>きみの時間をプレゼントすることさ
>相手のことを考えるのが時間のプレゼントさ
と、いうことを佐江氏は代弁している。

348ぺろぺろくんん:2017/08/16(水) 21:03:18
◇岡本太郎 『美の呪力』

大阪万博直前から一年の雑誌掲載をまとめたものだが、まったく古びていない。
>夕暮れの哲学を誰も言わない。だがそれがこのわらべ歌に凝集されているようだ
と、「通りゃんせ」の歌を引く
>それまで別れて遊んでいた男の子と女の子が、一日の終わりに、薄暮のなかで合
>体する。
>幼い魂は夜の迷路を予感している。
わらべ歌の伝承者は、転校生だったとも言われる。
自分の時代には、わらべ歌はどこに行っても同じものが歌われ、期待されたのは替
え歌のヴァリエーションだった。
いまでは薄暮の空き地からわらべ歌が聞こえてくることもなくなったが、夕暮れの
哲学を歌うこんな人もいる。
https://www.youtube.com/watch?v=PvbA523ao_Q
サビの「夕日赤く染め」が「夕日隠そうね」と聞こえるのは自分だけではないだろう。

349ぺろぺろくんん:2017/08/16(水) 21:26:47
◇黒井千次 『夜のぬいぐるみ』

ショートショート集の『星からの1通話』があまりの名著なため、掌篇小説集も
すべてアマゾンで注文した。
黒井氏がみかけたぬいぐるみ作家の言葉だそうだ。

>ぬいぐるみの本質は触感なのだと告げたあと、自分はただ可愛いものを作りたいの
>ではなく、恨みやつらみを縫いくるめよるような気味の悪いものを作りたいのだ

これを読むと、なんだか怪しく光ってこないか

    〈どれでも 七六〇円〉

350ぺろぺろくんん:2017/08/17(木) 20:15:09
◇三浦雅士 『夢の明るい鏡―三浦雅士編集後記集』

七〇年代から八〇年代初頭までの『ユリイカ』『現代思想』の編集後記を列挙した
だけのものだが、なかなかの拾いものだった。
三浦は、「愛とはフォームの問題なのではないか」と考える。
そこで思い浮かべたのは、「オナニーの相互鑑賞プレイ」。
ネット時代になって変な情報が山ほど入ってくるようになってからの収穫のひとつだ。
恋愛とは、つまるところオナニーの相互鑑賞プレイともいえる。
谷沢永一だったか、どこからどう見ても良縁の若い男女が居合わせながら、気持ちが
盛り上がらないからと言って、その良縁を育もうとしないで可惜、良縁を見逃してい
くと嘆息していた。
オナニー気分が盛り上がらないから家庭の構築を放棄するというと、アヴァンギャルド
な匂いがするが、「ときめかないから」というと一般的だろう。
ヘテロセクシャル・ドリーミングはフォームが命。

351ぺろぺろくんん:2017/08/18(金) 20:43:00
◇W.P. キンセラ 『野球引込線』

ドナルド・トランプは貧乏白人の負の側面をデフォルメしているが、キンセラは
貧乏白人の希望を歌い上げた。
野球が現実よりも、ほんの少しだけ大きかった時代の最後の証人だ。
キンセラはいう

>私はリアリストだ。神は存在しない。魔術も存在しない。ただ私は魔法使いか
>もしれない。魔術が存在しないことは魔法使いにしかわからないからだ。

魔女裁判を見るまでもなく、魔法使いでないことを証明するには、魔法使いをもっ
てするしかないのだ。

午後六時を過ぎたら、こういう娯楽小説を読むのが健康的なのだが、だいたい週2
冊ペースだから、精神衛生上よくないんじゃないかと思う。
まあ日に、文学・一般書籍各1冊ずつ、娯楽もの1冊読めれば最高なのだが。

352ぺろぺろくんん:2017/08/19(土) 20:37:17
◇黒井千次 『銀座物語』

この人はほんとに面白い、銀座という上品なイメージの街を舞台にしながら、
傷つきさまよい歩く霊気を漂わせる人物が登場するものが多い。
>「銀座通りに明かりのつくところを、ぼくは初めて見たんです。」
>「私も。」
>「それをいっしょに話せる人がいて、幸せだったな。」
>「私も。」
いたって普通の会話だが、たったの二行ででこうなってしまう。
>ちょうど銀座の街灯がついた時、いい方にお目にかかったのでもう戻らない
>かもしれない、と言いました。」
遊び人のような暮らし方をしていると年に数度こういうことがあるが、カタギ
の人に言わせると生涯に二度あるかどうかだという、それだけ霊気を漂わせて
もいたのだろう。

353ぺろぺろくんん:2017/08/20(日) 21:40:38
◇黒井千次 『時の鎖』

本を買ってきて積んでおけば、読むべきときがくれば本がの方が呼んでくる。
それが電子書籍となるとちょっと事情が違ってきて、人に訊かれれば提供する
だけで、こちらは書棚でしかない。
それがものの持つ呪力なのかもしれない。
いまこうして文筆業再開にあたって、どうしても黒井千次だけは読んでから取
り組みたいと思ったのも、本に呼ばれたようだ。
初期の作品集だけに特に見るべきものはないが、なぜこの稚拙な筆力をして
『花を我等に』のような傑作が書き得たのか?
やはり書かされたとしか言いようがない。

354ぺろぺろくんん:2017/08/21(月) 21:16:14
◇キンセラ 『アイオワ野球連盟』

短篇の「野球引込線」をそのまま長篇に仕立てたものなので、導入は紛れもない
傑作だが、野球ファンタジーの盛りにはさすがについていけなかった。
なんといっても魅力的なのは、歩き巫女的な際限なく家出を繰り返す恋人のサニー
と姉のエノラ・ゲイだ。

>「父は死んだよ。シカゴに住む母と、ビルを破壊する姉がいる」
>「ありふれた一家のようね」と、サニーがいった。
>「人間だれでもアウトローの姉を一人持つべきだよ」と、ぼくはいった。

ビルを破壊する姉は欲しいな。

355ぺろぺろくんん:2017/08/22(火) 17:22:39
◇黒井千次 『見知らぬ家路』

どうしようもなく好きな作品でありながら、その良さをなんとも説明のしようの
ない傑作というのがある。
この「赤い樹木」という作品もそのひとつ。
新入社員の木立K子は、入社したその日に赤いオーバーを着て現れ、そのまま
暖房の効いたオフィスでも頑としてオーバーを脱ごうとしない。
「それを脱がなければ、もう来なくていい」
と、彼女はオーバーを脱がされると猛烈な悪寒に震えはじめる。
自宅に送り届けようと、タクシーに同乗すると平和島あたりの赤土の造成地で、
ここで引き返してくれと言う。
彼女は鉄条網を跨ぎ越すと、空き地のゆるいスロープを登りつめ、視界から消え
ていった。
>彼女が来ることを拒んだあの赤土の広大な傾斜の果てにあったのは、家庭など
>というものではなく、ぽつんと立っている一本の赤い木だったのではなかろうか。
いったいどこに感動すればいいのか、わからないと思う。
1970年の作品で、その赤土の造成地は私の遊び場だった。
その日初めてそこで顔を合わせて、夕暮れとともに「また明日な」と手をふって
丘の向こうへ帰っていったまま、二度と顔を合わさなかった子供たちのなんと多か
ったことか。

356ぺろぺろくんん:2017/08/22(火) 18:16:25
◇黒井千次 『指・涙・音』

>――冷蔵庫のコンセントを抜かぬこと。
>氷が溶けて水が流れ出すだけではない。電気を断たれた冷蔵庫は無用に重い白い函
>へと転落し、家の中にある根拠を失う。
家の中に居場所をなくした冷蔵庫や、家出した冷蔵庫は存在の根拠を失うともいえる。
自分が子供のころに、野っ原に捨ててあった冷蔵庫に入って遊んでいた子供が、出ら
れなくなって死亡したという事故があって以来、捨ててあるある冷蔵庫を見つけると、
必ず怖々と開けてみる。
もちろんそれで何かが出て来たことはない。
川にものを投げ込む遊び流行っていたときに、こいつを投げ込んでやろうとしてお巡
りに見つかって、こっぴどく叱られたことならあった。
電話遊びの時代に、家出人は毛嫌いされる傾向が強く、自分ももちろん家出人おちょ
くり派だったが、それは「傷つきさまよい歩く霊気を漂わせた動物」というよりも、
「ご家庭内でご不要になりました」感を漂わせている者が多かったからだろう。
たしかに、そこにある根拠を失ってしまったものは、暴力を誘発させるものがある。

357ぺろぺろくんん:2017/08/23(水) 21:02:48
◇松山 巌 『百年の棲家』

幕末から現在にいたるまでの、都市論・住宅論。
>記憶できない、のっぺらぼうな町が生まれつつある。
85年当時の著者の雑感だが、大衆的選択として町に顔があることを拒んだ
ということでもある。
一度見たら忘れることのできない街並みに、仏壇屋と仏壇屋の間にソープが
蟄居している町がある。
いや逆に、ソープが両脇に鶴と亀の如く仏壇屋を従えているのかもしれないが。
近所付き合いとかはどうするんだ!とか、疑問は山のように湧いてくる。
パチンコの換金所が小鳥屋さんとか、なにを考えていたんだ!
また、著者が10億円のマンション、41億円の別荘を視察に行くと、そこに
あったのは2LDKや3LDKの拡大版に過ぎない住宅であった。
すべての住居は仮住まいに過ぎない現況を認識することになる。
そこに住んで、暮らすという概念を喪失してしまったことを確認することになる。

358ぺろぺろくんん:2017/08/24(木) 21:34:56
◇別役 実 『都市の鑑賞法』

自分などが最後の世代になるのだろうか?
家と町が渾然一体となっていて、部屋には何ひとつ置かずに、書斎と応接間になる
喫茶店をまずキープして、タンス代わりのクリーニング屋をみつけて、おまわりと
茶飲み友だちになって一丁上がり。
それに食堂とバーになる女がいれば、おまえもやくざもんだぞ!と、言われた。
消防車が走っていれば後を追っかけ、床屋のねじり棒を見れば弓矢で撃ち抜くこと
を夢想する。
昔はそれが当たり前だったが、忘れてしまったこと、忘却のワンダーランドを見る
ようだった。
「自動販売機」の項を見ているときに思ったのだが、群棲している自動販売機の前に
座り込んでいれば、それはただのヤンキー化シンナー中毒にしか見えないが、一台だ
けポツンと置かれた自販機の前にしゃがみ込んでいると、亡霊か自殺志願者に見える。

359ぺろぺろくんん:2017/08/25(金) 21:22:13
◇リック・リオーダン 『ビッグ・レッド・テキーラ』

03年の刊行当時、誰だったかの好意的な書評が気になって、ワゴンで見つけてキープ
しておいたのだが、いったいなにを期待していたのかすら思い出せない。
帯タタキにある通りの「モダン・ウェスタン・ハードボイルド」。
12年ぶりに元恋人の頼みで、帰郷すると手配しておいた部屋にはデブが居座っていて、
まずはこいつをブチのめす。次から次にブチのめす。暗黒街の顔役ともなぜタメめ口を
きいても許される。出てくる女はいい女ばかり。
困ってしまうではないか。
心の病を患っているAV女優が、言っていたのを思い出す。
>下心が見え見えだからいいの
メンヘルのAV女優になるしかないではないか!

360ぺろぺろくんん:2017/08/26(土) 19:44:07
◇西村寿行 『無頼船ブーメランの日』

クソ暑くて夜中の三時に眼が覚めてしまったので、寿行の山に手を伸ばした。
まだ20冊以上あるのだが、なかなか手が伸びなくなってきている。
こういうきっかけでもないと読む気になれない。
いつものレギュラーメンバーの登場は控えめで、歴史ロマン色が強い。

361ぺろぺろくんん:2017/08/26(土) 19:44:51
◇西村寿行 『無頼船 緑地獄からのSOS』

このシリーズは6冊しかないにもかかわらず、シリーズ読破に30年近くかかった
のではないか。
オールスターメンバーの登場で、意外にも過去のエピソードが記憶に残っていたの
に、我ながら驚いた。
このシリーズの魅力はやはり、これに尽きる。

>「新しい生きかた?」
>「あるわけがあるまい。そんなものがあったらはなから無頼船などに乗り組んで
>はいねえ。孤北丸は沈んだ。陸に上がったわしらも手際よく沈没した」

362ぺろぺろくんん:2017/08/26(土) 21:45:37
◇小山内美江子 (編)  『日本の名随筆 (別巻65) 家出』

このシリーズも結構好きでワゴンで見かけると、ついつい買ってしまう。
当たり外れも大きいのだが、残念ながら後者のほうだった。
小山内さんという方、金八先生とかの著名の脚本家らしいが、ウィキで確認した
ところ「キー・ハンター」の外は、おもしろいと思った作品がない。
ちょっと毛色の変わった家出で、「お茶の間民族大移動」という一家総出でパチ
ンコにやってくる不思議家族があった。
下は曾孫と思われる4,5歳から、上は中学校の近くで「ハレルヤ商店」という
雑貨屋をやっていた牧師崩れのような80ぐらいのジイさんの、総勢10名ほど。
そのうち、玉を弾くのはひとりだけ。
残りの9人は王様のプレイをただ見守っているだけ。
やかましいわ、場所ふさぎだわで、ろくなもんじゃ無い。
常連客にはもちろんだが、店屋にもずいぶん嫌われていた。
テリトリーを移ると、そんな一家の存在はあっという間に忘れ去ってしまうのだが、
>お前がバカにしてた「お茶の間一家」あるじゃん、あれ一家心中したんだってな!
戸籍名も知っているので検索すれば、事の真偽は簡単に確かめられるのだが、調べ
ようとは思わない。

363ぺろぺろくんん:2017/08/28(月) 10:42:11
◇西村寿行 『蒼茫の大地、滅ぶ (上) 』

東北六県が、総重量2億トンにも及ぶバッタの軍団の襲来を受けるという、
壮大なスケールの動物・パニック小説。
リアルタイムでも中一だったから、読めないことはなかった。
実際、「八甲田山」は読んでいたのに、こっちは読まなかったというのは
単に、長いということだったのだろう。
これを中一で読んでいたら、人生変わったかもしれない。

364ぺろぺろくんん:2017/08/28(月) 20:04:49
◇黒井千次 『K氏の秘密』

アマゾンで価格の安いものを片っぱしから注文したうちの一冊だが、実物を手
にしていたとしたら買わなかっただろう。
身辺雑記的な連作掌篇集。
ただそれなりに拾いものもあって、氏の短篇にたびたび登場する「どこからと
もなくふらっと現れ、流れ星のほうきのような印象を残して去ってゆく」謎の
新入女子社員が、ここにもいた。
会社での時間にせよ、家庭での時間にせよ、予定調和の濃い世界である。
そこに風に吹かれたような人物が混入してくると、
はたして人は意味のために存在するのか?という根源的な疑問が込みあげてくる。
それがいいんだな。

365ぺろぺろくんん:2017/08/28(月) 20:49:02
◇西村寿行 『蒼茫の大地、滅ぶ (下) 』

動物パニック小説だったものが、下巻の中盤からは完全に「鷲」のシリーズに
なってしまう。

「風鈴騒音おばさん」殺人未遂事件というのか、サバのみそ煮をぶっかけたり
もしていたらしい、内田裕也の妹といっても通用しそうな白髪のおばんさん。
なんか、自分とは話が合いそうな気がするんだな。
あの狂信的な近隣住民とは仲良くできそうにはないが。
あそこはなんか変な信仰主教の聖地なのか?
その娘が My Little Lover の Hello Aegin を毎日大音量で流していたという
のには笑ってしまったな。
自分もそうだけど、思わずyoutubeで聞いてしまった。

366ぺろぺろくんん:2017/08/29(火) 21:27:50
◇高井 信 『ショートショートの世界』

ショートショートといったら、星新一でしょう、というのが大方の意見だろう。
人によって、プラス「筒井康隆」であったり「都筑道夫」であったり「阿刀田高」
であったりするだけでするだけで、あくまで個々の作家が代表するものであって、
ジャンルとして考察はまったくなかったようだ。
この日記でも取り上げた黒井千次の『星からの1通話』から、ショートショートに
可能性を感じて読んでみたのだが、文献小史としては非常によくできてい眉村卓
なんて人も読んでみたくなってきたから、良質な入門書だろう。
この分量だったら許される気持ちの悪さというのもあって、「夕焼けソープ団地」
とか「米子のレズビアン焼きそば」も、書けそうな気がするんだ。

367ぺろぺろくんん:2017/08/30(水) 21:06:18
◇松山 巌&川村 湊 『ミステリー・ランドの人々』

江戸川乱歩にはじまり、島田荘司いたる推理小説があぶり出す昭和史。
五十名にのぼる昭和の推理作家が描き出すパッチワークをあらためて
俯瞰すると、いい時代に居合わせたと思う。
全く読んだことのないのは、嵯峨島 昭(宇能鴻一郎の別名)、麗 羅。

368ぺろぺろくんん:2017/08/30(水) 21:26:56
◇黒井千次 『彼と僕と非現実』

73年の評論集。
>人間とは自分自身と対話するという独特の能力を賦与された生物である。
ドイツの作家ノサックからの引用だが、情報端末の発達とともに、放棄され
た能力でもある。
紋切り型と予定調和の浸食に無自覚になった結果、大量発生したのが、おうむ
返しとうなずきくん。
そこであらためて問うことになる、
>「自分自身との対話」を行うことのできる場所はいったいどこなのか?
そんなしゃれた場所などあるはずがない。
まず語り出すこと。
といったあたりは、普遍的なものがあるだろう。

369ぺろぺろくんん:2017/08/31(木) 23:24:21
◇西村寿行 『鬼の跫』

妻の不貞の現場に乗り込んだ鬼が、妻を射殺し不倫相手の膝頭を撃ち抜く
冒頭からして凄まじいが、ただひたすら逃げまくるしか能の無いインテリと、
どこまでも追いかけてくる鬼の執念だけで物語を牽引してゆく力業に脱帽。
筒井康隆の短篇「取的」に同趣向の不条理性があって悶絶した覚えがある
が、こちらは文庫400ページ近くの長篇だ。
追う者と追われる者がいつしか似通ってしまうのは、行動は言葉よりも能弁
ということだ。
しかし、芸を盗む、行いから何かを学びとることは学ぶ側の技倆が問われる
ことでもある。
ガタガタ文句を垂れてるだけの者には、学び得ぬものである。

370ぺろぺろくんん:2017/09/02(土) 16:52:31
◇黒井千次 『仮構と日常』

71年刊行の初エッセイ集。
「労働者」が〈苦しみ〉や〈団結〉の象徴の色合いが濃く、よくストライキで電車が
止まっていた時代で、振り返ればやはり遠くへきたものだと思う。
著者はその時代から、さらに50年近く前のプロレタリア文学の黒島傳治作品を回顧
し、経済の貧困ゆえの〈盗み〉と、その頃に現れた主婦のゲーム感覚の〈盗み〉を対
比すると、精神の貧困化、因果関係のあいまいさ、といったことが浮かびあがってくる。
黒島作品に代表されるような個々の人間がかわいそうだった時代からの断絶と継続を
考え直さなければいけないと認識する。
今から50年後、やはりあの時代はかわいそうな人が多かったと思われるのだろうか?
それから、統計的に見ると自分がいかに運に恵まれているかがよくわかる。
>「血のメーデー事件」の被告261人のうち、その18年後16人が死亡していて、
>癌の死亡者が4人いた。
癌の死亡者のうち3人は37歳以下だったというから、若者の癌はけっこう多いんだ。

371ぺろぺろくんん:2017/09/02(土) 17:14:24
◇黒井千次 『失うべき日』

↑と同時期に書かれた、こちらは短篇集。
>理由とか、目的とか、資格とか、原因とか、そういう湿っぽい前後の関係から一切
>きり離された、ただ闇雲に探すという物理的な行為への衝動とでも呼べるものが生
>まれていた
伝言のトリプル探しからしてそうだろうし、一般的にはボケモンがそうだろうし、刑
事物のドラマがその典型だろうが、本来希望に満ち溢れてしかるべき恋人探しにすら、
どこかしら湿っぽさがある。
探すとは、ないことを確かめ続ける行為である。
ある興信所で、毎年1000万円かけて家出人を探していた客があった。
12年後に新宿の簡易宿泊所で発見されたそうだが、その家出人はその後どうなった
のか?その一家にしかわからないことだが、自分の不在による探偵業界への経済効果
が一千万とは奇妙なものだろう。
同じテーマの安部公房の『燃えつきた地図』も読み返さないと。

372ぺろぺろくんん:2017/09/02(土) 18:28:25
◇吉行淳之介 『麻雀好日』

これも単行本初版は、昭和51年か……。
毎日新聞の連載だったらしいが、もちろんリアルタイムでは見ていない。
中3あたりだったか、ふと立ち読みしてみたところ、今でいうマージャン・
ブログといった印象で、一向に面白くなかった。
それは今回初めて通読しても、その印象は変わらなかった。
麻雀ものがこれだけつまらないということは、本職の小説は面白いはずだ!
という直感で、その後吉行作品に耽溺することになる。
解説で、阿佐田哲也がその発言を文末に引用している。
>俺は誰かが見てると吸いこまれるようにボーンヘッドをする。そのくせ我な
>がらほれぼれするような巧い手を打ったときには、誰も見ちゃいねえんだから
こういう人じゃないと小説を書いてもしょうがない。

373ぺろぺろくんん:2017/09/03(日) 21:37:35
◇黒井千次 『昼の目と夜の耳』

74年のエッセイ集は3冊目ということもあって、格段に文章がこなれてきている。
この年に勤めを辞めて専業作家となったことが大きかったのだろう。

歩行者天国に出現した「なにやら祭り」に著者は決定的な違和感を覚える。
>子供の頃の祭りは楽しくはあっても、どこかに必ず恐ろしさがつきまとっていた。
>昔の祭りはもっと暗いエネルギーに満たされていた。
昭和40年代にはすでに「祭りのもつ暗いエネルギー」は幻影の彼方に消えつつあって、
江戸川乱歩や横溝正史の諸作品にその影を追っていただけのかもしれない。
といってもそれは、トゥーリアの祭りが体現した暗いエネルギーではない。

374ぺろぺろくんん:2017/09/05(火) 20:15:51
◇黒井千次 『歩行する手』

75年のエッセイ集。「刑事コロンボ」を観た感想がよかったりする。
犯行を認めた男を車に乗せ、警察に向かう途中で男は独言をはじめる。
>「このほうが私にはよかったのかもしれない。じつは犯行を知った秘書の女から、
>それをタネに結婚してくれるようにと私は威されていたのだ。」
>と男はもう一つの自白をつけ加える。そしてつぶやくのだ。
>「男にとっては、結婚よりも刑務所のほうがまだましだろう……。」
そこまでひどい結婚をした人のことは知らないが、まあそういうこともあるだろう。

当時はまだコンピューターが未成熟で、単純なミスが多かった。
>コンピューターを信用はしてませんよ。毎日コンピューターと喧嘩しているみたい
>なものですよ。
製鉄所の作業員が語っている。
自動販売機で糸釣りをやったり、パチンコ台の攻略をやっていると蛇蝎の如く嫌われた
のは、人がコンピューターを育てていた時代だったからだ。
コンピューターを攻略することが、賞賛に変わったのは21に世紀に入ってからだろう。

375ぺろぺろくんん:2017/09/05(火) 20:43:47
◇安部公房 『燃えつきた地図』

小説を読んで素直に感動してしまったら、小説を書く必要はない。
ときにはこちらの牙を抜かれてしまう小説というのもあって、ミラン・クンデラのいく
つかの作品とヘンリー・ミラーの『北回帰線』とこれだ。
30年ほど前、小説の可能性とその破壊力にぶちのめされてしまったものにリベンジ。
相変わらずラスト20ページの気圧の高さに、窒息しそうだった。
一例を挙げると、
電話を終えると思わずボックスの中でしゃがみ込んでしまう。隅に丸められた新聞紙が
あり、下から乾いた大便の端がのぞいている。その含有物から人糞であること類推し、
>都会という無限の迷路の中で、数えきれないほど存在しているはずの便器の中の、わ
>ずか一つの利用さえも許されなかった、孤独な男……その男が、公衆電話のボックス
>の中に、かがみ込んでいる姿勢を想像すると、ぼくは恐ろしくなってしまうのだ。
電話ボックスのウンコひとつから、世界一孤独な男をあぶり出す論理性と観察力と描写力
と想像力に感嘆しないわけにはいかない。

376ぺろぺろくんん:2017/09/07(木) 20:02:14
◇星 新一 『おみそれ社会』

最相葉月の『星新一 一〇〇一話をつくった人』 を読んだときに、彼の作品を失念
してしまっているのは不幸なことかもしれないと思い、手元のものからぼちぼち再読
しているが、下記のベスト50でもタイトルと内容が一致しているのは3分の1程度だ。

※星新一作品ベスト50を決めよう
https://matome.naver.jp/odai/2131531298702383801

ここでのベストは『キューピッド』。
留守番なり、債権の取り立てで上がりこんだ家に、次から次へと来客があるというシチュ
エーションの作品があるが、これは自分が電話遊びの中でよくやった
>今晩おまえ、眠れないよ!
>テレカジどものノックの雨が降りそそぐことになるからよ。
というのは、彼の影響ではないと思う。
人がいっぱいやって来るというシチュエーションが好きなだけだったと思う。

377ぺろぺろくんん:2017/09/09(土) 20:27:31
◇黒井千次 『眼の中の町』

>本当の名前は人がつけるものではなくてもともとある筈なのだ

ニュータウンやら〜ヶ丘ではなく、文字を追う行為の中に街の復権を目指した大傑作
になるはずだったのが、それは10年後の『群棲』を待たねばならなかった。
安部公房の呪縛から解放されたのと、街というレベルでは輪郭がはっきりしなかった
ものが、隣接する4軒という舞台をもってくっきりと像を結んだ。
でも、これはこれでけっこういいと思う。
最終章の駅の伝言板は、これからも何度も思い浮かべることになりそう。

378ぺろぺろくんん:2017/09/11(月) 21:19:24
◇西村寿行 『修羅の峠』

寿行先品ベストテンに入る名作。
木曽経文村の垰の守り神はちょっと変わっている。
十王像に取り囲まれるように、現代人がそこに混じっている。
その地蔵菩薩が盗まれ、その追跡を任された初老の村人が殺される。
というなんとも、魅力的な導入。
忘れかけていたことだが、かつて村には人の面倒をよくみて、世話をやくたちの男がいて、
要するに村から出ていった者を探し出して連れ戻すのだった。
出ていった者を説得して連れもどすのは正義であった。
千石イエスやオウム事件の初期あたりまで、連れ戻すのは大衆的正義だった。
しかし、そこは帰るところではなく年に一度墓参に訪ねる場所でしかないことを、79年の
時点で示唆していた。

379ぺろぺろくん:2017/09/13(水) 21:27:06
◇西村寿行 『妖魔』

不倫弁明記者会見の花盛りだが、どうやら下半身の言葉の翻訳能力は小学校4年生
レベルだと思われる。
普通の大人は下半身にものをいわせない。
というのは、恋愛は絶対的に先着順で、恋愛の自由よりも恋愛の断念の方が利便性
が大きいから、下半身にチャックをする。
だから下半身をブイブイいわせている人の言動には興味があるのだが、頭が悪いだ
けなんじゃないのか?
西村寿行の動物ものがいいのは、やはり動物はしゃべらないからだろう。
唯一、鴉の敵討ちのクロちゃんは口をきくが、言葉は10個しか知らないし、しか
もそのうちのひとつは
>コロスゾ、コロスゾ
だ。

380ぺろぺろくん:2017/09/14(木) 19:45:41
◇福永 信 『コップとコッペパンとペン』

昭和の時代に圧倒的に支持された西村寿行、女性週刊誌、東京スポーツに共通するのは
体液のメディアであったということだ。
血と汗と涙と精液でつづられたストーリーであったということだ。
それとは真逆の現代・非人情派ともいえるのがこの福永信。
>いい湯だが電線は窓の外に延び、別の家に入り込み、そこにもまた、紙とペンとコップ
>がある。この際どこも同じと言いたい
人情の入りこむ余地がどこにもない。
>ただ当たり前に使用されているのを見るだけで、もはや、もっとも目立つことになって
>しまったこの場所――公衆電話――は、
手に汗握る死闘が繰りひろげられるわけもなく、山尾さんや今井さんやベッキーが悶絶す
るようなシーンはもちろん皆無。
だから現代アートに近いのだろう、体液が溢れかえる現代アートというのはあるのだろうか?

381ぺろぺろくん:2017/09/14(木) 21:20:58
◇長嶋 有 『猛スピードで母は』

電車の中で隣のOL風の3人組が、You You 言ってるからてっきり♪誘惑の摩天楼
かと思いきや、長嶋有だったのでブックオフで仕込んでおいた。
それからもうずいぶんたったが、先日ラジオで著者が自作を語っているのを聞いて、
そのあまりの屈託のなさに、これでどんな小説を書くのだろう?と疑問に思ったとこ
ろで、著作が転がり出てきた。
自分は根っからのギャンブラー気質で、気を強く持たないとやっていけない。
博奕の勝ち負けなんてのはトータルすれば五分五分で、気合いで相手をすくませた分
でしか貯金は作れないという習性がある。
気が弱くては、損なことしかない世界に20年もいた弊害ではある。
気を強く張っていては読み取ることのできない微弱な電波というものもある、という
ことを教えられはする。
かといって、これが自分にとって必要な文学かというと、いらない。白石一文がある。
Youの本はもう一冊あるのだが、気が進まないなあ。

382ぺろぺろくん:2017/09/15(金) 21:41:18
◇長嶋 有 『泣かない女はいない』

かなり読者を選ぶ人だね、あいにく自分は選ばれていない。
表題作はタイトルからして、もう読む気なくす人続出だろうと思うのだが……。
カラオケでボブ・マーリーを歌うって……。
併録の「センスなし」を最初に読むのが正解だろう。
聖飢魔Ⅱの熱狂的ファンだという友人のお話。

>使い道がないのに消えない記憶や知識は、使えるときに使った方がいいんだ

まあ、ここみたいなもんだ。

383ぺろぺろくん:2017/09/16(土) 18:46:35
◇柴崎友香 『きょうのできごと』

夜に冷え込んだためか、悪い夢を見て夜中の3時に眼が覚めた。
ヤクザの事務所に7,8人で盗みに入って切り殺される夢で、自分の前にいる奴に
刀が振り上げられたところで眼が覚めるやつ。
3,4年に一度ぐらい見るやつだが、もうけものだと思って何か読もう!と思って
手に取ったのがこれ。
自分はまぎれもなく保坂チルドレンだが、氏の熱心な柴崎絶賛には理解に苦しむも
のがあった。
松浦寿輝にも共通することだが、評価の高さに面白さがついていけない典型じゃないか。
保坂の初期作品に見られるような魅力的な人物造形もなく、オーバーラップさせる
青春像がないと退屈することになる。

384ぺろぺろくん:2017/09/16(土) 19:11:43
◇柴崎友香 『青春感傷ツアー』

美人でスタイルがよくて投げやりでヴァイオレンスというと、さも魅力的に思えるが、
それが男で顔が悪いとパーゴリと呼ばれるだけだ。
そういうタイプは結構いて、ヘルスで働いているとシックスナインのときに客にやた
らとヘソを舐められるのだという。
その理不尽さがエキセントリックな性格に加担するところもあろうが、そういう話を
聞かされるとというヘソ舐めて〜不条理な欲求に襲われるが、腹を割った同士の信頼
関係からそれはできないけど、ヘソ舐めて〜というのが青春感傷ツアーだ。
パンツは被りたくないけど、ヘソ舐めて〜。
今度はこれは、解説が長嶋有だった。
テポドンよりもスズメバチのほうが恐い、というのが正しい文学者の姿勢だと思う。
深刻ぶってる文学者なんて、女性週刊誌の不倫ネタでしこってる主婦と変わらない。

385ぺろぺろくん:2017/09/17(日) 21:30:40
◇宮原昭夫 『あなたの町』

面倒見のいい人だったらしく、偏屈な女流作家の相談相手としてちょくちょく名前
の出てくる人。
つい最近も村田沙耶香の師匠として久々にその名を目にしたが、じつは作品を読む
のはお初。
昭和47年の本で、書店スリップもささったままで、こちらの方もお初のようだ。
やはりこの時代安部公房の影響力は強力だったらしく、表題作は『砂の女』風。
先に『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでいると、このラス
トにはズッコケルことになるだろうが、良い作品。
「風化した十字架」も傑作。
鴻上尚史の「トランス」の高度経済成長期版ともいえるかな。

386ぺろぺろくん:2017/09/17(日) 23:21:17
◇グレイス・ペイリー 『人生のちょっとした煩い』

痴情のもつれとか、可愛さあまってとかいった一般論は嘘だと思っている。
つい最近も少年が交際相手を刺し殺すなんていう事件が起こったが、ただの下等動物
か、野蛮人かのどちらかだろう、人間扱いするのは危険なことこの上ない。
いいかげん野蛮に対するロマンティシズムからは卒業するべき。

>彼女は未来に対して、常に心優しい言葉を持っている。六年か七年かのうちに、彼女
>は素晴らしい女性に成長するだろう。私は彼女の幸福を祈っている。それまでに私た
>ちは他人になっているだろうから。

これこそが人情というものだろう。
他人になるという希望をなしにして、誰かを愛することなんてできるか。

387ぺろぺろくん:2017/09/19(火) 21:01:05
◇小池真理子 『墓地を見おろす家』

国産モダン・ホラーの嚆矢として名高い作品だと思ったが、30年も経って
しまうとさすがに古い。
というか30年前でも十分に古かったと思う。
たとえば、
>「夏目漱石の小説に出てくる女みたいだ」
当時は自分も23だからだ断言できるが、こんなことを言う20代後半はあ
り得ない。
せいぜいあって藤谷美和子だろう。
細部は雑だが、ラストも拍子抜け、力業には感心するが、読者もずいぶんぬ
るかったというのを再認識。

388ぺろぺろくん:2017/09/20(水) 21:23:50
◇倉阪鬼一郎 『文字禍の館』

著者の『活字狂想曲』は大傑作で、以来著作を見かけるたびに積ん読してきた。
しかし、この漢字ホラーは激しく読み手を選ぶこと。
それだったらそのまま、白川静の『字統』をパラパラやった方がましなような。

389ぺろぺろくん:2017/09/22(金) 21:07:41
◇倉阪鬼一郎 『不可解な事件』

一般大衆に溶けこめない、非一般的作家が一般性の獲得を目指して見事なまでにこ
けたという、不可解さのみじんもない短篇集。
脳から出される指令には、不随意筋を動かしてしまう命令を含んでいるため、動き
がぎこちなくなる。
暴力になれていない人が殴ろうとすると、ぷるぷる震えてしまうあれだ。
渡世のベテランともなると、多かれ少なかれ無意識過剰なものである。
ここでは人生のアマチュアが、自意識に浸食されて瓦解してしまうパターンの作品
ばかりが描かれている。
それがエンターテイメントとして成立しているかといえば……。

390ぺろぺろくん:2017/09/24(日) 16:07:58
◇西村寿行 『咆哮は消えた』

昭和50年ごろに発表された、動物ものの秀作揃いの短篇集。

>狼は東に面した岩棚にいた。顎を前肢に乗せるようにして、蹲っていた。左脇腹に
>匕首が深々と喰い込んでいる。呼吸は絶えていた。茶褐色に灰の混じった体毛が風
>にそよいでいた。狼は山脈を見つめていた。ついにどこにも同族のいなかった不毛
>の生涯が山脈をみつめる眸にわびしさをあらわしているようにみえた。

表題作のなんとも痛ましいラストだが、ここの何を読み取るかは人それぞれだろう。
フーコーの『言葉と物』の翻訳が出たのもこの頃だった。
概略でしか読んでいないが、知的マーケットにおいては自立した思考というのはあり
得ず、その時代・共同体のショーケースの中からのチョイスにすぎないことを指摘した。
既成の観念に馴染めない咆哮を封じ込めようという動きか起こったのも、この頃からで
はないかと直感している。
顎を前肢に乗せるようにして、蹲っている精神を起こしてまわってやろうかと思う。

391ぺろぺろくん:2017/09/24(日) 19:52:19
◇倉阪鬼一郎 『田舎の事件』

著者の文章にはもう20年近く接しているのにもかかわらず、本書の中盤あたりまで
てっきり東京の人だとばかり思っていた。
田舎とか地方が板についていないというか、田舎に対して屈託がなさすぎるのだ。
田舎が地につかないというか、一般論としての田舎でしかなくて、それだけ活字の世
界だけに暮らしてきた人なんだろう。
その一方、東京に挫折して地方に中途半端な東京を持ち込む者に対してはやけに手厳
しく、お得意の自虐ギャグが冴えるのもその手の作品。
もう前世紀になるのか、「東京勝ち組日記」なるものがあって、自分は脳内翻訳して
ホラーとして読んでいたのだが、あの人たちはたしかに恐い。存在自体がホラー。友達
がまたみんな「東京勝ち組」で死霊の盆踊りだったりするの。
愛すべき東京人はというと、プログレのミュージシャンを目指してパチンコ屋でバイト
をしていたら、カウンターの女の子とデキ婚。嫁さんの影響で創価学会の熱心な活動家
になってしまうというような、東京の田舎だったりする。

392ぺろぺろくん:2017/09/24(日) 21:23:31
◇後藤明生 『笑い地獄』

ケロログのとき、「笑いにうるさい女」がいて、ひとつも笑えないどころか病気が心配
になってくる女がいた。
そもそもが笑いに貪欲な女とかオタクの女は、存在論的誤謬ではないのか。
エンジェルでやってた頃は、ハッカーさんから「ひきつった笑い」と、よく言われたが
それは後藤の読者だったからではなくて、破滅的な暴力性のゆえだったと思われる。
屋台にチャリンコで突っこんでいって、破壊された世界で店主と向き合い、「いやあ、
ブレーキが切れちゃって」とか、おサムイ言いわけをしながら熱気に囲まれる状況を夢
想していたからだ。
ここで描かれる笑いはよくわからない人が多いだろう。
「人間の病気」では、精神に支障をきたした友人を三人で病院に連れていくと、案の定、
分裂病であった。連れの一人は黒っぽいビニール袋をぶら下げていて、その中味は水泳
パンツだった。
>今日はひとつ、久しぶりに五百メートル泳いでやろう
どっちが病気なのかわからないが、さっきまで野球のユニフォームや、ゴルフウェアを
着ていた人が、突然、「さあ、もうお遊びはお終いだ!そろそろもう一丁やるか!!」
と言って、レジャーウェアをかなぐり捨てる軍服が出てきて、小銃や銃剣を手にしてい
る光景を思い浮かべて、大笑いしてしまうことがある。
それは笑いごとなのか?
自分はそれが笑いごとにしかならない、笑い殺される境遇に育ったと思う。

393ぺろぺろくん:2017/09/25(月) 22:46:13
◇工藤美代子 『日々是怪談』

同年代の中にも親の介護で、日々が怪談という者がちらほら現れてきた。
頻繁に電話がかかってくることから始まって、物がなくなる、会話の中に15年
ぐらい前に亡くなっている親族・知人の名前が飛び交う。
先日も、知人の母親が自宅に帰れなくなって電話をよこしてきていて、
>そこに何があるの?
>1と2がある
要領を得ない知人に代わって、私が電話に出たたところ、駅のホームらしい喧騒が
聞こえてきたので、「とにかくそこにいて」と伝えて迎えに行ったところ、案の定、
東海道線のホームにいた。
「1と2がある」はいいや、たしかにそこには「1と2」があったよ。
著者は著名なジャーナリストらしいが、怪異体験もなかなかなもの。
夫からは、こう言われる。
>あんたよく変なものを家に連れてくるから、頼むよ、気をつけて買い物しておくれよ
返す刀で、京都の骨董屋で見初めた人形を買って家に帰ると、なぜか顔が老婆のものに
成り変わっている。
続いて家族のものに重病人が相次いだのは言うまでもない。

394ぺろぺろくん:2017/09/26(火) 21:24:44
◇西村寿行 『頻闇にいのち惑ひぬ』

歳を感じるのは一時間でできることの可能性が小さくなっていくこと。
とくに朝早く眼が覚めたときなどは、今日はこれだけ読めるぞ!とテーブルの
上に六冊ほど並べたりするのだが、結果はショボいものだったりする。
今日も4時に目が覚めたのだが、読了したのはこれだけ。
駄作なのはわかっていても読んでしまうのは、解説の井家上隆幸氏も言っている
通り、魔力に感染してしまっているからだろう。
まあ今日一日をを象徴するような、ラストに近づくにつれショボくなる。

395ぺろぺろくん:2017/09/27(水) 17:38:32
◇西村寿行 『学歴のない犬〈上〉』

寿行の積読もやっとこ一ケタ台に突入。
まあ、斜め読みでポイしたのもずいぶんあったのだが。
これは「動物もの」かと思いきや、いつまでたっても犬が出てこない。
ここいらで思い切ってポイするかと思ったところで、「学歴のない犬」の
来歴が明かされ読み通せそう。

396ぺろぺろくん:2017/09/28(木) 20:13:57
◇西村寿行 『学歴のない犬〈下〉』

やめちまおうかと思ったら、そこでやめたほうがいいというのは何度経験しても
身に沁みないもんだ。
89年の作品だけに、もう時代的なリアリティから見放されている。時系列もシ
リーズもバラバラに乱読してるだけなのだが、神通力が通用していたのは80年
代前半までだったのかな。
しかしこれは、96年の文庫で12版と意外に売れていたのに驚き。
気になって、若い人がこれを読んだらどう感じるだろう?と検索してみたら笑った。

>西村さん、初読み。驚くぐらいつまらなかった。

今どきのサービス精神のゆきとどいたエンタメ作品に馴れているとそうだろう。

397ぺろぺろくん:2017/09/28(木) 21:04:37
◇青木正美 『古本屋群雄伝』

パチンコの開店まわりをやっていた30年前には、著者の店には毎月のように
足を延ばしていたが、最近はもう10年に一回程度になってしまった。
その度に変わらぬ佇まいに胸が熱くなるのだが、10冊以上の掘り出し物が見
つかってしまうのだから、仕入れの労には頭が下がる。
文庫500ページにも迫る大著で、付箋を30枚近く貼ってしまった。
ここに行ってみたかったなあと思う店は、自分が生まれる前になくなってしまっ
てた店だったりする。

398ぺろぺろくん:2017/09/30(土) 19:42:01
◇野村敏雄 『賭博放浪記』

モテモテのギャンブラーが、麻雀、トランプ、ルーレット、花札、競馬、果ては
選挙賭博にまで手を出して勝ちまくるという、たわいもないギャンブル小説。
1984年の本、いまでいえばライトノベルみたいなもんか。
当然パチンコも登場してくるのだが、手打ちの時代の話だろうが「パチン師」
なる呼称は耳にしたことがない。
84年には一年366日パチンコを打っていて、劇画マンガなどに封建的徒弟
制時代のようなパチプロが描かれていたが、その作者は気でもふれているので
はないかと思ったものだ。
まあ、でも10年違うと別世界だ。
モテモテの凄腕ギャンブラーというのも知らないわけではないが、それは手配
博奕の人たちで組の関係者ばかりだった。

399ぺろぺろくん:2017/09/30(土) 19:54:14
◇須永朝彦 『日本幻想文学全景』

ある程度は知っているジャンルだし、軽いおさらいのつもりで読み流すつもり
だったのだが、とんでもなかった。通読に一週間もかかってしまった。
「幻想文学」という呼び名は最近のものらしく、対立概念は「自然主義」とい
うことになるだろう。
想像力をもってして現実の超克を目指すという勇ましさより、その人の話を聞い
ていると現実がくだらなく思えてくるという毒を持った文学のこと。

400ぺろぺろくん:2017/10/01(日) 19:48:13
◇小林泰三 『玩具修理者』

表題作はずいぶん前に読んでいたのだが、併録の中編「酔歩する男」が未読だった。
というか、文章が熟れていないというか、あまりの稚拙さに投げてしまったのだ。
どちらかというとそっちの方が目当てだったのだが、98年あたりの本だが、その
ちょっと前に「桜庭章司のロボトミー殺人事件」刑が確定したこともあって、これ
ロボトミーものでは?と思ったもののただの出来の悪いタイムトラベラーだった。

こっちの方がずっと恐い。
「ロボトミー殺人事件」
http://www.maroon.dti.ne.jp/knight999/lobotomy.htm

401ぺろぺろくん:2017/10/02(月) 18:57:16
◇斎藤慎爾(編)『俳句殺人事件』

俳句をテーマにしたミステリーのアンソロジー。
蔵書の整理をしていたら、こんなの読んだっけ?と再読してみたところ、納得。
記憶が欠落していたのは、ホームランがないからだ。
このジャンルはこれといった決定打に欠けている。
印象深かったのも、実在の句にショート・ストーリーを付した企画物で、これは
作者が塚本邦雄と中井英夫だからまた別物。

>はんこ屋という秋風に近きもの【永末恵子 】

池上の駅前通りに、中州のように建っていたはんこ屋を思い出す。

402ぺろぺろくん:2017/10/02(月) 20:01:06
◇小林泰三 『肉食屋敷』

ちょっとひどいな。
ここまでひどいのは樋口毅弘ていうやつ以来だ。
デビュー作からしてトホホだったが、輪をかけてひどくなっている。

403ぺろぺろくん:2017/10/03(火) 20:47:14
ラスベガスの銃乱射事件の報道をみて、西村寿行の短篇「狂った夏」を
思い起こした人もいるのではないか?
山村の音楽フェスに詰めかけるヒッピーどもを呪った男が、猛毒を持った
毒蛾を飼育して、ライブ会場に向けて放つ話だ。

◇中島らも 『さかだち日記』

「酒断ち日記」で、日々の備忘録以上の内容ではない。
巻頭の野坂昭如とのアル中対談のみが読みどころ。
ビール・ワンケースなり日本酒一升程度の連日飲酒を約10年続けた時期が
あったが、結局25年前と今の体重は変わらない。
だから、ぶっ殺されない限り意外と長生きしちゃうんじゃないかと思う。

404ぺろぺろくん:2017/10/03(火) 21:20:46
◇木村 毅 『大衆文学十六講』

松本清張が『小説研究』のほうを絶賛していたのだが、そちらは高い本でしかお
目にかかったことがなく、こちらが目についたので入手しておいた。
大衆文学とは言っても、たいはんは岩波文庫にも入っているような海外の古典小説。
昭和8年に書かれたものだが、「探偵小説の展望」の章など現代のミステリーガイ
ドと比してもまったく違和感がない。
この読みやすさ、耐久性にすぐれた文章はお手本にしたくなる。

405ぺろぺろくん:2017/10/04(水) 20:50:09
◇中島らも 『中島らものたまらん人々』

さがしてた「らも」の山にようやくぶつかって、気がついたら自分も「らも」の死んだ
歳になっていたんだなあ。
これはずいぶん若い頃の作で著者のアル中時代だけあって、ギャグを利かせようと知る
ところは今となってはお寒いもので、冷めているところは今でいう宮沢章夫風で面白い。
一例を挙げると、

>タバコを値切っている人というのを俺はみたことがある。

>何か面白いビデオ持ってたら貸してよ、とたのんでみたところ、洋画のビデオだった
>らたくさんあるという。
>そんなんやなくて、ポルノかなんかないの?
>と、僕が言うと、彼女はキッとなって僕をにらみ
>「そんなもんかけたらビデオがイタむ」と、お答えになった。

406ぺろぺろくん:2017/10/06(金) 21:25:26
◇後藤明生 『笑坂』

いわゆる上級者向け作家というか、現代文学に特化した古本屋が店に置きたがる作家。
若いころに無理にして読んでる人もずいぶんいたが、そういうおいしくないことをす
る人は、やはりおいしくないツラをしていた。

>何故この3DKの中の生活が、このテレビの一時間よりも面白くないのだろう?
>しかし、そう思ったからといって、わたしはこの3DKの中の自分を生活を、面白
>おかしく変えたいとは、思わなかった。

いわゆる〈自同律の愉快〉、自分が自分であることが愉快で仕方がないという感覚を
会得してからでないとこの面白さは味わえない。
オウム真理教事件の関係者に後藤の読者が一人でもいたか?いなかっただろう。

407ぺろぺろくん:2017/10/07(土) 09:13:00
◇丸谷才一 『笹まくら』

一度読んでいるはずなのに、徴兵から逃げまわっている人の話程度の印象しか残っていな
くて、野坂昭如や米原万里が「完璧な小説」と絶賛しているのが気になっての再読。
果たして「完璧な小説」であった、……いまさらながら。
初読当時は自分はパチプロで「群衆の人」であった。
いまは群衆からも隔絶して、群衆との共通言語すら放棄した、百鬼夜行の世界に迷い込んだ
一つ目小僧ともいえる。
群衆の孤独はスローガンを生み出すが、自分と亡霊以外のなにも存在しない世界は対他的な
利用価値はゼロに等しく、これが小説的というものだろう。
「啓蒙的、正論的、メディア的」リア充という、ジョン・A・B・C・スミスさながらの亡骸が
フェイスブックやらインスタグラムには跋扈しているらしいが、ヒバゴンにしか見えない。
人間は放っておくと、啓蒙的で正論的で戦闘的という三悪に染まることになる。
だからこそ、小説という無用の産物が存在し続けるということでもある。

408ぺろぺろくん:2017/10/07(土) 09:52:09
◇中島らも 『変』

調子のいい時期だったようだ。
>「私って変なんですう」
>というような女の子を見ると、僕はそのまま段ボールにいれて国もとへ送り返し、
>「農家の嫁」にしてやりたくなる。

80年代だあ。歌舞伎町にも「明るい農村」という居酒屋があったな。

>「しかしねえ、せんずりもあんまりマニアックになってくると弊害がでてきますよ」
>「はあ、どういう」
>「自分の手を見ると興奮するようになってくる」
>「それはあるでしょうねえ。ビニールを見ると興奮する奴だっていますものねえ」

『チャート式 数IIB』をビニールにいれて、卑猥がってるやつがいたな。

409ぺろぺろくん:2017/10/08(日) 21:41:52
◇半村 良 『ぐい呑み―自選短篇集』

好みの作家の中に奇妙な共通項があって、家出女好きというのもそのひとつ。
ちょっと前に読んだキンセラの作品の中にも家出常習女が出てきて

>サニーはじっと一か所にとどまらないタイプの女なのだ。彼女がどんなデー
>モンと戦っているにせよ、それは一生の大半あちこち動き続けることを彼女
>に要求する。

>「わたしは猫より多くの命を持っているのよ」彼女はぼくの問いかけるよう
>な表情に答えていった。「たった今そのひとつを使いきったところなの。過
>去のことはもういいでしょう」

>彼女は家出してまた戻ってくる。そのたびにもう一度遠いところから送られ
>てきた家具のように微妙に変わってしまうんだ。

自分が家出をする側なので家出女のことはよくわからないが、数年空けて帰る
と同じような感覚になる。
一度遠いところから送られてきた家具とは、言い得て妙だ。

410ぺろぺろくん:2017/10/09(月) 19:27:44
◇岡 茂雄 『本屋風情』

いつもの古本屋本ではなくて、大正から昭和にかけて学術出版を手がけていた
社主の回想録。
どこまで学問をきわめたところで、性格の悪さはや女癖は治らないし、耄碌も
する。人品骨柄に接することなく、学術だけを享受できるのは幸せなことだ。
新村出氏のようなすぐれた人柄には、こうして書物で接することができる。
ソシュールの『一般言語学講義』が昭和3年に出ていたことには驚いた。
チョンコロやちゃんちゃん坊やをやっつけるだけが脳じゃなかったんだ!

411ぺろぺろくん:2017/10/09(月) 20:31:43
◇遠藤周作 (編)『現代ホラー傑作選1 それぞれの夜』

現代ホラーとはいっても、昭和文学の行儀の良い作品ばかり。
ホラーとは別の意味で恐かったのが三浦哲郎の「楕円形の故郷」。
金子光晴の「恋人よ。/たうとう僕は/あなたのうんこになりました。」
ではないが、あまりも何かを愛しすぎると人間とは違うものになってし
まう。

412ぺろぺろくん:2017/10/11(水) 09:52:19
◇佐藤 優 『功利主義者の読書術』

鈴木宗男事件に連座して長期拘留されたことで有名だが、結構な売れっ子になって
いるようだ。
「なにかのためにする読書は三文安い」と思っている自分とは真逆の人の読書談も
いいものかと読んでみたが、なんだか同じようなものを読んでいる。
宇野弘蔵の重要性を教えられたのが収穫かな。
5年違うとかなり違うもので、子供のころに工事で土砂山ができるとその山頂をめ
ぐって、なんだかごっこが始まるのは常のことだ。
それは著者の世代だと、「全学連VS機動隊ごっこ」だったという。
物騒でいいではないか。
自分らの世代だと、せいぜい仮面ライダーごっこだったり、怪獣ごっこのシチュエー
ションでしかなかったが、「全学連VS機動隊」は聞いたことすらなかった。

413ぺろぺろくん:2017/10/12(木) 19:54:02
◇山下 清 『日本ぶらりぶらり』

「裸の大将」の放浪記。
徳川無声らにそそのかされて、浅草のストリップに連れこまれたところが面白い。

>ぼくはこんな大人のストリップよりの小学生ぐらいの女の子のストリップが見たい。
>小学生のストリップは珍しいし、おもしろいだろうがなぜやらないのだろう。法律
>でいけないことになっているのかな。ぼくはまだおちちの大きくならない子どもの
>ストリップがあったら、毎日みにゆきたい。小学生のはだかのおどりをなんとかし
>てみたいものだ。そのほうが商ばいのストリップよりも、きっとおもしろいにちが
>いないと思います。

性欲が欠落しているため、ロリコンというのではない。
おとなの女の裸は目の当たりにすると、バツが悪い。
それが一方的な欲情となるのは、食いこんでいるとか、透けているとか日常性の侵食
であったり、元有名アイドルが、現役スッチーがといった降臨であったり、裸を衣裳
として記号化しているプロのストリッパーであるかだろう。
ここでいう「子どものストリップ」というのは、物語性を必要としない、欲情の対象
以前の、内在的な質感としての「裸体」をいうのだろうが、陵辱のストーリーとは別
種のエデンの園的な「裸体」感というのもあるだろう。

414ぺろぺろくん:2017/10/12(木) 20:36:35
◇荒俣 宏 『本朝幻想文学縁起』

新・騒音おばさん「小松徳子」の続報はなく、フェードアウトしてしまったようだが、
「マイラバ」をたれ流し、サバの味噌煮をぶちまけるという暴挙を仄聞して、

>宇宙全体の常態はごく一部のアブノーマルによって支えられている

と、思った人は、まあいないだろう。
しかし、鴎外の「雁」を連想した人は少なからずいたはずだ。
下宿の夕飯が「サバの味噌煮」だったために、図らずも友人の恋路を邪魔することに
なってしまった、というような話だったと思う。
トランプという人にもうちょっと洒落っ気があったら、平壌は「サバの味噌煮」で埋め
つくされて、イスラム国には「豚足」の雨が降ったと思う。
安部さんとかいう人がのさばるようになってから、それ以前からそうなんだろうけど、
現実の稚拙さが露呈されてきた。
そこで、こうやって幻想文学のおさらいをしているわけだ。

415ぺろぺろくん:2017/10/13(金) 19:36:02
◇村上春樹 『職業としての小説家』

自伝的エッセーだけに、使い回しのネタがあまりにも多い。
『E・T』という映画は上映館には20回ぐらい入っているのだが、まったく
観たことがない。
というのは、映画館が寝泊まりの場であったからだ。
だから、こんな有益なシーンがあったことも見逃していた。
E・Tが物置から雨傘とか電気スタンドだとか食器だとかレコード・プレーヤー
だとかのがらくたをひっかき集めてきて即席でありながら本格的な通信機器を作
り上げてしまう。
小説を書くというのはそういうことではないかと、村上は指摘している。
たしかにその通りで、やたらと難しい漢字や古語や観念を操作するのは、暴走族や
変態さんのセンスに通じるものだろう。

416ぺろぺろくん:2017/10/13(金) 20:44:20
◇高橋克彦 『眠らない少女 高橋克彦自薦短編集』

著者には致命的な甘さがあって、そこで好悪の分かれるところだろうが、なんかの
選評で石川淳の語っていた「未完成の部分がある」、そこを敢えて埋め合わせよう
とはしない意地とみる。
ナイーブの敵と目されることも多い自分だが、意外と甘かったりもする。

本格貧乏の消失は、昭和50年代前半かと思う。
本書の中にも、刈り入れの終わった田んぼに藁でこしらえたインディアンのテント
のような小屋を見つける。中に踏みこんでみると、真ん中に炉が切ってあって鍋が
グツグツと煮えていて、奥の方には赤いランドセルが置かれていた。
限界貧乏にはある種の運命があって、裕福に耐えられない貧乏には犯罪性がある。

417ぺろぺろくん:2017/10/14(土) 21:31:05
◇都筑道夫 『きまぐれ砂絵―なめくじ長屋捕物さわぎ』

今年の初めあたりに、カバンに放り込んであったものを読了。
このシリーズ10冊ちょっとあるけど、ちょうど半分くらい読んだか。
月に数回程度使うカバンに放り込んでおくのにちょうどいい。
一気読みよりも、細く長く付き合いたいシリーズ。

418ぺろぺろくん:2017/10/15(日) 20:09:35
未読のホラー的要素の強い本をひとかたまりにまとめてみたら、300冊近く
あるじゃないか……どうすんだ?

◇小林恭二 『したたるものにつけられて―自選恐怖小説集』

基本的に純文学の人だから、ホラーといっても不条理小説になってしまう。
そしてまたそれが、抜群に面白い。

419ぺろぺろくん:2017/10/15(日) 20:45:57
◇吉田健一 『怪奇な話』

霊感が強かったり、霊を見る人たちは可愛い子が多い。
当然のことだ。ひとりでいることに耐え難く、目に見えるものに全幅の信頼を置い
ていて、頭の回転の速い子たちだからだ。
一方、自分自身の中に霊をかこっている人たちは、何年も人と口をきかなくても、
ひとりの部屋で自分以外の声が聞こえても、それが人為的なものでなければ何とも
思わない。
社交外生命体とでもいうのか、こういう心性の持ち主は
>生活そんなものは召使いにまかせておけ!
というリラダンの台詞に、早い時期に感化された人が多いようだ。
ドストエフスキーとか、リラダンなんていうのは分別がつく前に読まないと意味が
ないんじゃないかとも思う。

420ぺろぺろくん:2017/10/16(月) 20:57:24
◇森 雅裕 『あした、カルメン通りで』

85年の乱歩賞で東野圭吾との同時受賞によって明暗を分かつことになったが、
受賞当時の評価は森さんのほうが圧倒的に上だった。
解説の松村栄子さんも語っているが、当時は日本全体が芸術の空気に憧れていたと
いうこともあって森さんへの期待は大きかった。
その後も『さよならは2Bの鉛筆』あたりまでは読んでいたが、その後は例によっ
ての積ん読。この際だから、どの辺からつまらなくなったのかを見極めてみようかと。
デビュー当初から版元との折り合いが悪くて、常にもめていたようだ。
森さんもしんどかったろうし、講談社もよく我慢して6冊も出してたし、読んでる
ほうも辛かったな。
殺人事件が起きるわけでもないのにハードボイルド風のスケッチ頻出して、戸惑う。
それが魅力でもあり、版元との騒動の一因でもある“くそシリアス”という一面が
作品を曇らせている。

421ぺろぺろくん:2017/10/17(火) 15:55:40
◇平井呈一編 『怪奇小説傑作集 1 』 (創元推理文庫)

海外の怪奇小説は意外と読んでいなくて、超有名作揃いなのだろうが、
半分ぐらいは初読だった。
イギリスの御三家は、やはりすごい。
なかでもアーサー・マッケンの「パンの大神」は時と所を変え、今でも
繰り返し変奏され続けている。
近いところでは、宮部みゆきの『火車』がそう。
虐げられて育った女が魔性化して、人を破滅させてまわるお話。

422ぺろぺろくん:2017/10/17(火) 20:34:48
◇森 雅裕 『会津斬鉄風』

幕末を舞台にした連作短編集。
くそシリアスな作風と時代がマッチして快作だが、相変わらずミステリー仕立て
を要求されて苦心しているところもうかがえる。
つくづく乱歩賞で出たのが災いしたようだ。

423ぺろぺろくん:2017/10/17(火) 21:34:42
◇富岡多恵子 『当世凡人伝』

かなり定評のある短篇集で、一度読んでいるのだが未読のままの文庫本が出て
来たので読み直したところ、やはり名作だった。
「リア充」という言葉の衝撃は何度かここでも書いたことがあるが、「リアルは
不幸であたりまえ」という共通認識がないと共有されない用語だからだ。
不遇を蹴散らすだけの活力さえも無効化させる階層社会が眼前に立ちはだかって
いるのか、ただの欠食児童が口の利き方だけが一人前なのかはわからない。
人間のバランス感覚として当然あるはずなのは、こういうことである。

>人間は幸福になるのが当たり前であって、不幸におぼれ、不幸に陶酔してはな
>らないのだ。

こういった当たり前のことを語れるのが小説かもしれない。

424ぺろぺろくん:2017/10/20(金) 20:01:16
◇吉行淳之介 『原色の街・驟雨』

煽り運転の石橋容疑者はじめ、世間もようやくパーゴリ狩りの醍醐味に目覚めたようだ。
パーゴリを怒らせて、できることならオレをぶちのめしてやりたいとか思ってるだろう。
でもな、オレに手を上げるとただじゃすまないぜ!オレのバックには水野がついてっか
らよお!!、とかやるのが大好きだ。
吉行さんもパーゴリが大好きで、内田裕也をとっつかまえて
>きみ、歌うまいんだってねえ、あれやってよ、ナタリ〜ってやつ。
>アレー、きみ怒ったの、でもねきみ、きみがオレを殴るとオレ死んじゃうよ……。
>オレ病人だから。
いい大人のやることじゃないが、大人になったからといって、稚拙プレーから解放される
わけじゃなくて、意志でやらないか、やるかの違いだけなのだ。
これが純文学なんだと意識して読んだのは、吉行作品が初めてだったと思う。
ドストエフスキー、ヘミングウェイ、三島由紀夫も風俗的関心からだった。
しかし30数年ぶりに読み返してみると、巨大な勘違いをしていたことに気がついた。
娼婦と縄のれんをくぐって、コップ酒片手に蟹をほじくるというのをある種の文学的シーン
と認識していたのだが、縄のれんをくぐったのは一人でだった。
ちょっと過去を振り返ると恥ずかしいことが山のように出てくるが、この小っ恥ずかしさこ
そが自分だろう。

425ぺろぺろくん:2017/10/20(金) 20:59:39
◇安部公房 『カーブの向こう・ユープケッチャ』

小六年の時にS・カルマ氏にまったく相手にされなくて、中二になって読んでみたら
わかった気になるのが中二病である。

>この電話番号が、どこかでぼくの過去につながっていることだけは、たしかなのだ
>から、そこがつきとめられれば、しぜん過去への通路も開けてくるにちがいない。
>逃げ出した記憶がおかした、唯一の失敗だ。どんなものにも、完全などということ
>はありえないのだ……。

どこかの誰かが、こんな電話をかけてくるのかもしれないと思うのも中二病だ。
要するに、世間の人間関係というものが謎としか理解できないのが中二病で、それを
疑似体験させてくれるのが安部文学ともいえる。

426ぺろぺろくん:2017/10/21(土) 21:02:36
◇森 雅裕 『流星刀の女たち』

地口やユーモアに独自性があるわけでもなく、テンポで読ませるタイプの
作家は才能の涸渇が早いのかも知れない。
ちょっと悲惨で読んでいられなかった。
この内容でも出していたのだから、講談社との確執云々以前に純粋に作品
の質の問題だろう。

427ぺろぺろくん:2017/10/22(日) 19:40:39
◇半村 良 『女帖』

半村良の酒場人情ものは、シャランQの読み物版みたいなものだったのだろう。
水商売の男女だから、色恋に大はしゃぎしたりすることはない。
それでも時として、タガが外れてしまうことはあって

>インポだの短小だのとひどい罵りかたをした挙句、
>「シモヤケのほうがまだましよ」

なんでシモヤケかというと、
>「シモヤケを掻くと気持ちいいんだもの」

428ぺろぺろくん:2017/10/22(日) 21:06:02
◇森 敦 『月山・鳥海山』

昭和を代表する小説とか、印象に残る芥川賞作品ということになると必ず
上位にランクインする名作。
また、文学を必要としない者にとっては全くの不要品。
十年に一度は読み直したいものだが、じつは三十年で二度目。
毎年読み返したい。

429ぺろぺろくん:2017/10/24(火) 21:25:29
◇色川武大 『百』

今の若い人で阿佐田哲也ではなく色川武大の読者は存在しているのか?と検索してみた
ところ、伊集院静の『いねむり先生』経由で発生しているのがうれしかった。

なにが少数派かといって、アンチ経済成長派ほど少数派はないだろう。
経済なんてもんはとっとと破綻して、手元に残ったちっとも優れていない大部分の持
ち物に対して

>「どうにも、しょうがないね」
>「しょうがないんだ」

ふっ、と嗤いながら、人間性を回復していくしないだろう。

430ぺろぺろくん:2017/10/25(水) 20:08:13
◇『笙野頼子三冠小説集』

90年代前半に、芥川賞、三島賞、野間文芸新人賞を総ナメにした3作を所収。
リアルタイムで読んで感心したことは覚えてはいても、内容はまったく覚えて
いなかった。
身近な所には笙野頼子の読者を公言する者はいないが、結構読んでいたりする。
人に勧めるものではなくて、自分で辿りつくものなのだろう。
唯一内容を覚えていたのは「タイムズリップ・コンビナート」だが、「男女7
人秋物語」のロケ地にも、ここだとは知らなかった。
ラスト近くのこんな描写が泣かす。

>電車が走り出すと、振り返って大きな表示を見落としていたことに気付いたの
>だった。東芝工場の壁の文字だ。工場と二十一世紀に向かって限りなく前進し
>よう、と書いてあった。

431ぺろぺろくん:2017/10/28(土) 19:02:57
◇吉行淳之介 『悪友のすすめ』

昭和40年代の終わり頃、吉行50歳のときに雑誌連載された交友録。
こんなものを今どき読むのはよっぽどの物好きだが、結構拾いものがあったりする。

>バタフライを着けないと警察の手入れを食うという時代に、
>『全スト!!』
>と大々的に看板を出して、何をやったかといえば、五歳の女の子を素っ裸にして舞台
>に出した。全ストにはちがいないわけだが、客は全然笑わないで、逆に怒ったという。

大人の女の裸に飢えていた時代だったのだ。
>全然笑わないで、逆に怒ったという。
ほどに。まあ、今だったら逆に変態さん大喜びだろうが。
振り返ってみれば、昭和50年代の初めあたりまでは、子供の裸がノーカットで載った本
が大っぴらに一般書店で数百円で売られていた。

432ぺろぺろくん:2017/10/28(土) 19:40:28
◇田中小実昌 『かぶりつき人生』

ストリップ小屋の小間使い、香具師、辻占い師といった遍歴時代を綴った処女作。
またここでも消えてなくなる女の話が目に止まった。

>チュウを飲むと、よく勝ちゃんがはなしてたが、勝ちゃんの前の女房は、とても
>きれいだったが、毎年、夏になると(春さきとはちがう)頭の調子がくるい、フラ
>フラッとどこかにいってしまったらしい。そして、ある夏、いったきり、とうとう
>帰ってこなくなったんだそうだ。

>そのうち、あきみがいなくなった。もともとかげがうすいというより、かげだけあって
>実のほうがないみたいな娘で、空気のなかにとけこんだような、静かな消えかただった。

433ぺろぺろくん:2017/10/31(火) 19:34:53
◇『島田雅彦芥川賞落選作全集 (下)』

島田作品をリアルタイムで読んでいたのは「未確認尾行物体」までで、以後は
「彼岸先生」を読んだきりになっている。
しかし読み返してみると、「ぼくは模像人間」は極め付けの傑作だ。
89年のリアルタイムで読んでいないとインパクトは弱くなるのだが、その真
の衝撃は三年後にやってきたという先見性以上に、
>人生はドラマを破壊するドラマである
ということまで予見していた傑作ある。
ポコチンは人生を破壊する。
そういう事件が実際に起こったのだ。

【浦和・高校教師夫妻による息子刺殺事件】
http://yabusaka.moo.jp/urawamusuko.htm

その息子が「模倣人間」を読んでいたかどうかは知らないが、恐らく読んでいな
かったであろう。
セックスなんかできなくても、ウンコをすればいいと著者は訴えているのだから。
文学の同時代性が確認できた最後のときになるかも知れない。

434ぺろぺろくん:2017/11/02(木) 21:00:15
◇久世光彦 『触れもせで―向田邦子との二十年』

再燃ブームのやむことがない向田作品だが、じつはTVドラマで風吹ジュンの出てた
『阿修羅のごとく』を見ただけで、まとまった文芸作品は読んだことがない。
目利きの山本夏彦が
>突然あらわれて、ほとんど名人である
と評しているのを目にした久世は、
>私はふと向田さんがどこかへ行ってしまいそうな、そんな寂しい予感が少しだけした
ある種の純粋な才能には、突然現れて突然消えてしまう無常を迫ってくるものがあって、
自分も敬して遠ざけてきたところはあったと思う。
向田さんは、死ぬまでソープや遊郭の存在を理解できなかったという。
真の才能には、自身の感受性を傷つけるものが目に入らない才も併せ持つものである。
二十歳を過ぎるまで鶯谷のラブホテルの用途を理解していなくて、深夜の作業を終えた
美術関係者が泊まるところだと思っていた女性を知っているが、やはり世評は高かった。
そのほうが人間は幸福なのだから、当然と言えば当然だ。

435ぺろぺろくん:2017/11/03(金) 21:03:02
◇久世光彦 『マイ・ラスト・ソング―あなたは最後に何を聴きたいか』

久世さんの過剰なセンチメンタリズムが爆発する、音楽エッセイ集。
職業的なライターとしては、炎上商法は別としても、音楽を媒介にして友好を
はかることは難しい。
それは観念的で、露悪的に、排他的になものになりやすいからだ。
自分の祖母は中森明菜のお父さんの肉屋さんの常連で、見たことはなかったか
どういうアイドルかは察しはついていた。向かいの姉さんの学友は浅野温子で、
従兄弟の友達は演歌歌手、同級生の学友は尾崎豊。
>不幸と美しさを見境なく身につけている
そういうタイプばかりがスターになっていった。
それが学年が一つ二つ違うだけで、近所の高校に「おニャン子クラブ」のメンバー
がいるという世代になってしまい、アイドル観がまったく違ってしまう。
一気に読むにはちょっと辛いが、感傷的音楽エッセイの限界点を示した好著。

436ぺろぺろくん:2017/11/05(日) 20:42:05
◇藤森照信, 増田彰久 『建築探偵 東奔西走』

ロフト付き六畳のワンルームに、各部位ごとにクーラーボックスに区分けされた
遺体が九つて、ちょっと想像してみただけでもトラウマになる。
ここで扱われている物件はそれとは真逆の、主に明治の洋館。
豪邸、監獄、教会、大学、銭湯といった名建築。
遺体をバラバラにてクーラーボックスに収納しなくてしなくても、いくらでも置
いておける。
白石の事件は公共放送では、ひとり山岳ベース事件とも和製ジェフリー・ダーマー
とも喧伝されないが、ある程度の年代の人はそう思うだろう。
津久井のひとりで19人殺しもそうだが、やはり数には説得力がある。
そんな庶民レベルの「数の一般概念」を凌駕してしまう建築というものもある。

437うさぎ:2017/11/06(月) 01:09:10
http://ssks.jp/url/?id=1451

438ぺろぺろくん:2017/11/08(水) 21:17:38
◇村田 基 『恐怖の日常』

文庫帯には「新しき時代のための恐怖」とあるが、初出は30年前なの
ですでに古典の佇まいすらかもし出している。
その後のホラーの王道となる作法がふんだんに列挙されていて、当時と
してはかなりレベルの高い短篇集だっただろう。
しかし、ここ二十年ばかりは不遇をかこって、発表の場がないようだ。
いかんせん暗黒面が浅いというのがウィークポイントだったのかも知れない。
作者名で検索すると、魚釣りのプロが出てきてしまうのがチャーミング。
ご本人は時事ネタブログをやっているが、電波系になりきれない、おやじ
の小言ブログと化していて、歳を取るとつまらなくなるものだという宿命
を痛感させられる。

439ぺろぺろくん:2017/11/10(金) 21:05:51
◇車谷長吉 『妖談』

あまり妖しい話はなくて、その大半はヘテロセクシャル・ドリーミングを呪った話。
そんなものを呪うのはそれはそれで妖しいが、そんなものを呪ってどうするんだ?
と思ってしまったとき、もう車谷文学の世界には入れてもらえなくなる。
人間の愚かさというものは、常人の分別をはるかに越えたものであり、「自殺」と
いう究極的に個人的な選択をすら、誰かと共有したがるほどに愚かなのだ。
車谷長吉はいつからつまらなくなったのか?ではなく、どうして自分は必要としなく
なったのか?ということだ。
車谷の最も嫌う自尊心、虚栄心、劣等感の強い高学歴プチブル家庭出身のアホ女と、
自殺常習男とはどこか共通点があるのだ。

440ぺろぺろくん:2017/11/10(金) 21:29:56
◇小山清 『落穂拾い・犬の生活』

太宰治の弟子でも、師の墓の前で自殺をした田中英光とは対照的な弟子。
また車谷以上に悲惨な境遇にもかかわらず、いい人しか出てこない小説を書いた人。
小山の亡くなった1965年は、自分の生まれた年でもあり、大物作家物故の当たり年
で、大坪砂男、高見順、江戸川乱歩、谷崎潤一郎、中勘助、山川方夫とあって、小山の
名は挙がっていない。
決していい人しか出てこないわけではなくて、
>鬼の念仏とか鬼瓦とかいうやつはよく見ると、恐くもなんともないのだ。かれらには
>人間に見かけるような悪相がない。むしろ人間を恐怖するあまりにあんな顔つきになっ
>てしまったのだ。
今生は恐ろしいもので溢れかえっているから、書かないのだ。

441ぺろぺろくん:2017/11/14(火) 21:28:26
◇車谷長吉 『忌中』

2003年のものだが、もうこの時点で車谷は出がらしになっていたのがわかる。
アトラクションという用語が定着したのはいつ頃なのだろうか?車谷は、純文学の
アトラクション化に初めて成功した作家として記されることになるだろう。
九人殺しの白石を見ていると、マネーの時代は終わったのがよくわかる。
金銭目的というのはリップサービスで、「闇の力」に負けましたというのが正しい。
本能的な殺人者にとっては、名大の殺人女子大生にしてもそうだが、もう「闇の力」
に抗えない時代がやってきた。
その「闇の力」というのを対象化したのは、若き日の車谷だった。

>。俊夫叔父がくれたアメリカ合衆国一弗銀貨を手にした時の喜びは、「大きいおば
>あちゃん。」がくれる5円玉の比ではなかった。近所の年上の女の子にそれを見せ
>ると、いきなり、
>「くれ、くれ、くれッ。」
>と叫んで近寄って来、平手打ちを喰わされて取りあげられた。銀貨の美しい輝き、
>それは闇の力だった。私が見せびらかしたのも、女の子が悲鳴を上げたのも、その
>闇の力の輝きがさせたのだ。

経済が殺人者の後押しをする貧しい殺人も、理念に基づいた殺人も結局は同じことにな
るのは、宿命的貧乏も選択的貧乏も変わりがないのと似ている。

442ぺろぺろくん:2017/11/16(木) 21:37:15
◇吉行淳之介 『鬱の一年』

昭和53年の文庫エッセイ集。
>高見順氏の小説の一節に、
>「街角にある赤い電話というのは、ロマンチックでいいものだ」
>という意味のことがあって、同感した。
考えてみると、現役の赤電話の設置場所は思いつかなくなっている。
うちに近くのコンビニ脇に設置されている緑色の裸公衆電話は利用者が限定
されていて、車椅子横付けおやじ、マスクマン、シケモク婆さんといった面々
で、ロマンチックというより、マジカルミステリーツアーの様相だ。
公衆電話の利用者が世相を映すという面もあるだろうが、はたしてそれはどう
いう世相なのだろうか。

443ぺろぺろくん:2017/11/30(木) 20:10:33
すっかり遠のいてしまったが、資料を読むのに忙しくて純粋な読書をしていませんで
した。

◇タッカー・コウ 『刑事くずれ/ヒッピー殺し』

グリニッジ・ヴィレッジ、ヒッピー、新興宗教、ヘロインと、妖しさ満点の道具立て
にも関わらず、淡々と静かにストーリーが進行していく。かえってこの静けさが不気
味なのだが、最後には、グロテスクなロマンチストの像が明かされる。思いつくうち
の最も堕落している行為に対する欲望に掻き立てられる時期、たしかにそういう時期
がある。そういう時期があった。
時代が時代なだけに牧歌的で、大味なところはあるが、今のもうちょっと洗練された
グロテスクなロマンチストを書いてみたくなる。

444ぺろぺろくん:2017/12/11(月) 20:17:40
◇石田 千 『役たたず』

・ひとり暮らしの仮住まいは、気ままとひきかえに聖地をつくる幸福を手放している。
・お金で買えない豊かさには、めんどうな手間がかかる。
・役にたたないと切り捨てる。それは、ほんのいまにだけ有効な手段で、日々の生活や
 人生にはあてはまらない。

と、まっとうな感性の人と過ごす時間はとても有意義だ。
コジキばっかりやってると、品性までコジキになるから、しっかり本も読もう。

445ぺろぺろくん:2017/12/15(金) 21:32:15
◇永田守弘 『官能小説の奥義』

著者は1933年生まれということだから、84歳か。
その名著、『官能小説用語表現辞典』は机の下に常備しているが、まとまった
著作を読むのは初めて。
ひとことで言ってしまえば、「ビニ本の世界」。ビニ本丸出し。
浜崎あゆみ以降の、官能表現は見当たらなかった。
あの舐めたらマズそうなツラを舐めたら……。
本当に不味くてガッカリしたとか、いや、意外なことに、もちろんそういう官能
小説はあるのだろうが、ここでは触れられていない。
個人的には、セックスがいかにも不味なそうの先を描くところに、今日的な官能
小説のリアリティがあることを力説してきたが、取り合ってはもらえなかった。
まあ、セックスに夢をみたいのだろう。
でも現実的には、山尾さんやら、斉藤由貴、今日は藤谷か、それに松居。
ゲロを吐いてしまいそうな人のセックスばかりが注目を集めているではないか。
でもよく考えてみれば、セックス・ディストピア小説は官能小説ではなくて、純
文学なんだな。
いま某所のチャット・ワークで官能小説のプロジェクトを進めているのだが、どう
も波長が合わない。
買い取りを拒否されて一般公開になった際には、ここでも告知いたします。

446ぺろぺろくん:2017/12/31(日) 22:10:40
◇豊崎由美 『ニッポンの書評』

学術的なものではなくて、ネットに溢れる「素人書評」批判。
すごい書評をいくつか読めたのは収穫だが、ゴミ書評めった斬りをやり
たかったようだが、ストップがかかったみたい。
個人的には、書評対象とは全く関係のない話を書いていながら、それが
結果的に書評になってしまっているというのが理想だが、それは名人芸
の域だろう。
これまでに読んだ中での最高の書評は、狩猟、射撃、釣の雑誌『野原と
渓流』というイギリスの雑誌に出たもので、
「かたっぱしから払いのける面倒さえいとわなければ、『チャタレイ夫
人の恋人』は、ミッドランドの森番の仕事を魅力的に描いて見せてくれ
るし、害虫駆除や、キジの育て方のヒントなどを教えてくれる……」
読みたいところだけを、読めばいいんだよね。

447ぺろぺろくん:2018/01/02(火) 17:44:47
◇東海林さだお 『東海林さだおの弁当箱』

文字通り文庫800ページも迫る弁当箱。
結局3年ほど枕元に置いてあったのをようやく読了。

448ぺろぺろくん:2018/01/02(火) 17:45:52
◇山本文緒 『恋愛中毒』

もう20年近くも前になるのか……。
編プロをやっている知人が、この作品を甚く気に入っていた。
その熱気に浮かされるように、買うだけはかったのだが、読み始めるのに
こんなに時間がかかってしまう。
今にして思えば彼がこの小説に入れ揚げていたのはよくわかる。
この作品の中の登場人物が彼に似ているのだ。
まじめな熱意を持った人というは、忘れらないものである。
この人は確かに上手い。
ストーカー女の嫌な話なのだが、途中まで全然気がつかなかった。
ある一線を越えた途端に別人格が顔を現すタイプがあることは知っていた。
それをかろやかにかわすのも甲斐性のうちと思っていたが、全然かわせてい
なかったのを十数年知らないでいたのには驚いた。

449でんでん:2018/01/17(水) 01:38:08
さっき名前入れるの忘れてた。↑はでんでんなのでした。ではでは。

450でんでん:2018/01/17(水) 01:54:42
す・すまん↑誤爆っす。

451ぺろぺろくん:2018/01/28(日) 19:54:35
インターネット缶拾いに忙しくて、読む時間が圧迫されているので、まとめて。

◇絲山秋子 『ばかもの』

豊崎の本で見た書評の、主人公のあまりのダメっぷりに惹かれて読んだのだが、
ダメにはダメな自意識が絡まないと、ただの風俗小説になっちゃうかな。
なぜかというと、ダメな人には限界がある。こういう風な
>ヒデの時間は今日と明日しかない。そして明日はいつもヒデを裏切ってまる
>で今日と同じ日なのだ。ヒデが昨日のことを覚えている必要はない。昨日は
>今現在の、まさにさいげんされているのだから。

452ぺろぺろくん:2018/01/28(日) 20:38:01
◇柳 広司 『ジョーカー・ゲーム』

09年だったのか、ずいぶん話題になってはいたスパイ・ミステリー
だが、ハズレ。
どこをどう評価されたのかは、今となっては謎。

453ぺろぺろくん:2018/01/28(日) 20:47:30
◇松本清張 『三面記事の女』

「密宗律仙教」が入っていたので、買ったのだが、やはりこれだけは
タイトルから逸脱しているようでいて、そうでもないか。
平安末期に誕生し、鎌倉時代に隆盛を迎えたセックス宗教立川流の再
興を計ったような新興宗教団体の話で、ほとんどミステリーになって
いない。
マスメディアの時代では、性は宗教に昇華することでしか共有できな
かったのだろうが、インターネットの時代でなら性を生臭いもののまま
共有することも可能だと思う。
P2Pとかの共有じゃなくて、観念的なものの共有ということでね。

454ぺろぺろくん:2018/01/28(日) 21:00:22
◇辻原 登 『籠の鸚鵡』

これも結構期待していたのだが、こっちは裏切られなかった。
といっても、ぶちのめされてもう書く気力すら湧かなくなるほどの衝撃
ではなかったのが、残念。
時代背景の「山一抗争」の頃は、実話週刊誌の全盛期だっただけに、当
時の空気を吸って生きていた世代には、物足りないだろう。
いわゆる男たちの世界でいわれるイイ女は、ダサい女であることを喝破
しているのは、慧眼であろう。
つきあう男の色に染まって魅せるのが、イイ女だという悪趣味な人たちが
いることは知っていたが、そういう女は早く認知症になる。
どんなイイ女でも、くだらない男とつきあっていたり、そうではなくて
も歳を取ると、多かれ少なかれオウム返しの女になる。
もっと冒険して、セックス・コールタール風呂に浸かっている男たちを、
描きたかったのだろうが、もったいない。
セックス・コールタール風呂は自分も強く薦めているのだが、あまりいい
顔をされないんだな。

455ブラウンさん:2019/07/12(金) 11:23:56
デーモンだ!


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