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赤い夕陽の掲示板
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あれから27年
管理人さん、皆さんこんにちわ
あの日から27年もたったのですね、成人の日が日曜日たったので振替休日だった月曜日に高知を出発し、大阪の南港に荷物を運ぶ仕事でして本当なら、神戸の阪神高速を地震発生時間に通行していたはず、ところが四国から一緒に走行して来た無線仲間が三田市に到着して、無線仲間から(お~いクマさん、俺は今からビールで一杯やって寝るよ)と言って来たから、私が(もう寝た子をお越しやがて)と言って、阪神高速の尼崎ICで降りてビールを調達しました。それが今みたいにコンビニでビールを売っている時代じゃなくて、夜11時で酒類の販売停止していましたが、なかには自販機の一ヵ所だけビールを販売している酒店が在って、そこでビールとつまみを買って、南港大橋の近くの目的地に到着してビールを飲んで、朝までの2~3時間仮眠していたところ、5時45分頃に地震が発生し、その時点では震源地が神戸淡路と思わず、高知沖の海底が震源地と思い、高知の家族を心配しましたけど、今のように携帯電話も無い時代でして家と連絡が取れたのも大分たった事を思い出しました。娘と母親の安否が解った時は安心した事を思い出しましたね。それから高知に帰る手段がなく、その間に、高知行きフェリーの順番が回ってくる間に、倉庫の片付けで運搬の仕事をしてちょっとだけ復興の手伝いをしましたよ、約1週間後にフェリーに乗れて、やっと高知に我が家に帰る事が出来ました、娘は私が無事に帰って来た事に飛びついて泣いてくれました事を思い出しますけど、今では怒らせると怖い存在になっています。あの日から早いものでもう27年たったのですね。でも神戸の復興するのは早かったですね、横倒しになった阪神高速神戸線の復旧もあっと言う間でしたね、地方と大都市の差でしょうか?東北地方の復興に時間が掛かりすぎだと思いますけど、津波と災害地の拡さ
の違いでしょうかね、その時のNHK歌謡コンサートで4週間に掛けて、小林旭物語の特集番組を放送していましたよ、地震発生日が、小林旭物語の第2回の放送だったので、地震関連の特別番組を各放送局が放送していて、NHKも通常の放送はすべて中止変更されて、小林旭物語の放送も変更しましたけど大分たってから放送しましたね。この第1回の小林旭物語でゲストで宍戸錠さんで、進行役が愛川欽也さんでしたよ、もう二人共他界しましたね。月日は過ぎていますね平成時代は神戸淡路地震と東日本地震と大きな地震発生の時代でしたね、その事を忘れないように、昨日の津波警報、津波注意報と東日本地震の津波災害を思い出せましたね、皆さんも無事な事を願っています。
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