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赤い夕陽の掲示板

4623土佐のマイトガイ:2021/07/18(日) 13:48:23
昭和50年代は、良い時代
  管理人さん、皆さんこんにちは
昭和50年代は、歌謡曲も映画も活気に溢れた、いい時代でしたね。
私は20代で、イケイケで、酒に仕事に明け暮れていた頃でしたけど、本音は、仕事より遊びに明け暮れていました。その頃は第一次カラオケブームで、カラオケ器具は8トラテープが支流で、その当時に流行している歌を誰よりも先に覚えてスナックで歌うと、その場の人気者になりました。
私も一早く、カラオケブームに乗る為に、8トラ器具を家のステレオに設置しました、8トラテープを大量に購入して、仕事を終えて帰宅すると、家でカラオケ大会の始まります。私の姉弟はもちろん、週末は母の弟達も、カラオケと母の手料理がお目当てで、週末は集まっていました。あの頃の母は喜んで料理を弟達に食べさせていました。一通り食事が、終わるとカラオケが始まると、私は音響担当させられます。
決まって、母の弟で一番歌のうまいおじさんの、北島三郎の♪ギター仁義で始まりました。だから北島三郎特集や美空ひばり特集の番組では、耳馴染みの歌ばかりで、我が家の楽しい思い出がよみがえって来ました。
昭和50年代は、小林旭さんは、40代で、歌に映画に大活躍していた頃ですね歌では♪(昔の名前で出ています)が大ヒットで、映画は[仁義なき戦い]などで、忙しく活躍していましたね。
あの頃はテレビは、時代劇や歌番組も多数あって歌手達や俳優さんも忙しいかったね。
私はあの頃は、仕事に遊びに忙しいかったので(主に遊びで)、テレビを見ていなかったし、その当時は高額だったVTR録画器具は買えなかったので、小林旭の初の時代劇テレビドラマ[旅がらす事件帖]は、録画していなかったので、見逃すともう見れないと諦めていましたが、月日の流れで高額だった録画器具も簡単に手に入り、テレビもBSでその頃見れなかった時代劇や歌番組が放送されて、私もDVD化を熱望していた[旅がらす事件帖]が放送されて、私は全27話を録画して見て楽しんでいます。私のお気に入りは最終回の[直次郎暁に旅立つ]が好きな回で、小林旭の二役で、直次郎とニセ直次郎のやり取りのセリフを今も私は覚えていて、直次郎(ホタル二十日にセミ三日だ、多少でも命を大事にするもんだ、そんなに死に急ぐ事はなかろうぜ) ニセ直次郎(季節外れのセミてのはよ、うるせえんだよな) と言って切りかかる、シーンを40年前の放送でも、覚えていましたよ、いかに印象の強かったドラマだったんですね、主役で正義の味方の役が多かった、小林旭さんの悪役も、それはそれでまたいいですね。
時代も、昭和から平成へ、平成から令和になり、ますます昭和が遠くなりましたね。
昭和の楽しかった事を思い出すことは、私も年老いた証拠ですね。




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