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赤い夕陽の掲示板
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初DVD届きました
渡 三郎(管理人)さん、皆さん こんにちは。
<ダイスの眼さん>
お祖父様が沖縄戦で亡くなっているのですね。
ダイスの眼さんは、ずっとお若いのですね。
私の父(T14生まれ)は19歳で召集され、千葉県の銚子辺りでウロウロしている時に
敗戦を迎えたようです。
母が言うには、家に戻って来た時の父の眼差し(瞳)は恐ろしい程澄み切っていた
そうです。どれ程か、緊張した生活を強いられていたのでしょう。
生前父は「今でも行けと(戦争に)言われれば行くよ」と死ぬまで言っていましたが、
この言葉には、私たち兄姉は呆れました・・・・・
戦前の教育は何と恐ろしいものか・・・・・
子供心に、殺し合いをしないで良かった、と思いつつ、19歳で召集された時の、母の
もの哀しさはどうだったのか・・・・・
「やくざの詩」水町医院 後が分かったのですか!驚き!
写真の4枚目、4、5歳でしょうか。可愛い女の子が旭さんをガン見してますね。
どんな心持ちだったのでしょう。お目にかかって伺いたいものです。
5、6枚目のお人は、きっとダイスの眼さんですよね? 夢追い讃岐人さん?
<渡 三郎(管理人)さん>
「もずが枯木で」は、反戦歌と認識しております。
静かな旋律の内に、言いようのないもの哀しさが漂っていますね。
アマゾンから届きました。
「あらくれ」1969.6.14 旭さん30歳。
旭さんのコメントから
★これは模索のなかの偶然の産物ではなく、やっぱり長谷部の気持ちだろうね。長谷部
みたいにオレに対してフレンドリーな感覚を持っていたヤツは、やっぱり燃えたんじ
ゃないか。最後の葉山良二の殴り込みだけど、オレはダイナマイトをぼんぼん放り投
げてね。拳銃でドスが吹き飛ばされたら、相手の腿にささった葉山のドスを抜いて
ね。とにかく長谷部の映画への思いに、オレも応えてやろうと思っていたからね。
「広域暴力 流血の縄張」1969.7.26 旭さん30歳。
★タイトルバックの新宿の雑踏はみんな隠し撮り。親父の花会博打の資金を作るために
中丸忠雄と車を飛ばして、上田吉二郎さんの金貸しに、借金しにいく。そうゆうこと
をやっても、やっても無駄になる。時代もあるんだろうけど、映画そのものが行き着
くところまで行っていた。だからこそ長谷部の才覚が冴えたんじゃないかな。ラスト
の隠し撮りも小林旭って気がつかないんだよ。
「ネオン警察 ジャックの刺青」1970.10.14 旭さん31歳。
★オレの映画の助監督だった武田一成の監督作だね。これは「女の警察」より、もう少
しアクション度が高かったね。郷との「風邪ひくな」「腹こわすな」って合い言葉の
やつだね。あれも皆で相談したんだと思うよ。
これから、何度も観ると愉しみもふえるでしょう。
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