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赤い夕陽の掲示板

4366みすずあめ:2021/03/15(月) 10:32:43
有卦と、無褂と、納音。無下?12年しゅうきなんだってさ、いまどこ?
有卦7年むけ五年。納音は、なっちん。オレンジジュースのなっちゃんではないそうで、古来から、八卦と、12褂の、自然に関わる周期のことだそうな。おいらは、せけんさまから、インチキ学者とか、尊称、いや、損傷甚だしい人生だったので、ある意味運命ロン者です。尊敬するのは、孟子。孔子は、ちょっと、敷居が高い。孟子の良いところは、性善説を唱えたところ。更に、マザコン礼賛。孟母三遷など、子供は、環境で変わるので、良い環境安全な環境を用意するのが、親のつとめ。そういう考え方は、大好き。こばやしアキラと、お母さんの、モノクロ写真の載った、ソノシート。コロンビアレコードの、馬淵玄三さんとも、録音現場での写真もありました。おいらは、通販で買った。新聞配りして稼いだお金です。タクトのポータブルステレオ電蓄。そう、電蓄で、モノラルの、アキラ兄ィのソノシート集、コロンビアが三つ。クラウンが2つ。それこそ、擦り切れるほど、聴かせていただきますた。英会話のこれは、レコードと、クラシックのベートーベンは、敷居が高くて、ほとんどお蔵入り。耳が合わない、きっと、そこですね。でも、シューベルトの未完成。びばるでーの、四季は、子守唄がわりに、すきでした。あとは、モルダウくらい?あ、田園は、ちと、我慢できた。でも、どれも、眠くなっちまって、最後まで聴くわけニャアいきませんでした。そのころ漢字と、お友達になりたくて、当時の当用漢字、今だと、常用漢字を毎日、毎日40字50回都合2000字を毎日、ノートに書いていますたら。なんでも、がっこのせんせーによると、定期テストで、おいらの字が、達筆すぎて読めない。とかで、れいによって、お母様は、うちのこは、なだたる、書家のまごなんざんすから、字が読めないとは、そちら様の勉強不足ぢゃごさいませんこと。なんて、権力にはむかうもんだから、しわ寄せは、おいらにしっかりかかってきますたら。まず、答案用紙の、マス目沿いに、ミミズのような字を読まされて、担任は、まるとかばつ、つけてきますた。全部終わって、梅干しー、とか言って、コメカミにグリグリどりるして、今夜から、他の人が読める字を書けるように1日2000字、ノートに書いて毎日提出。てな、過酷過大な宿題をめいじられました。まあ、自分も、このまま、じぶんに、読めても、ひとが読めないようでは、日本ではさ生活が大変だろうと、りかいしてましたので、根が素直だから、それから、一年半、つまり500にち、全部で、100万字楷書で、書き続けますた。おかげで、高校、大学、だあがくいんまで、漢字や、漢文には、こまることはありませんでした。漢書も、素読みできて、古代中国の、日本江戸時代の、漢学者の人たちの感性も、理解できますだ。けどね、あまり、この人たちに共鳴できない。何か、不自然なものを感じるし、江戸時代を、維持存続できなかったからかなあ?かんこくなんぞは、漢字を追放。中国も、毛沢東やら、が、焚書坑儒で、ウイグルさえも、抹殺しようとしているし、漢字が略されすぎて、意味不明の記号化。日本の当用漢字くらいが、ちょうど良いのにざんねん。日本人ては、おいらも含めて、ずるがしこいから、かたかなひらがな、英語まで、国産化に、換骨奪胎。素晴らしい、適応力だとおもいます。いずれ、自動車は、すべて、バッテリーカーになるのでしょう。ただ、発電に、ガソリンや、太陽熱、石炭、灯油、水素なんかつかいまわすのかもしれないけどね。しばらくは、ハイブリッド、つまり二足のわらじで、馬鹿高いクルマをおしつけられても、時代の最先端の、プライドからか、500万もする、カラーら車格クラスのプリウスで、高速道路の追越車線をエコ運転している、最先端ぢぢいが、ふえているのは、4000ccで、新幹線並みのスピードを安全にクルーズさせてる、まともなクルマ乗りからは怖くてたまらないそんざいなのですけどー。もうあの頃のように、片道200キロを50分で深夜帯に、通行する必要も無くなった今では、とーでもよいけど、約38万キロで、エンジンが、パーツごと、寿命のきた、先代の、愛車は、記録簿を見る限り、覆面パトカーさえ追いつけなかった名車ではありました。260キロって、あの、ジャンボジェット機の離陸スピードなんだってね。怖い怖い。タイヤは、ブリジストンのレグノに、窒素充填。アメリカでも、フリーウェィで、ポンテアック、ボンネビレ4600ccや、タウンカーで、緑の表紙のパスポートもって、105や110ぶっ飛んでたけど、路面が洗濯板みたいで、タイヤの皮のハゲた奴が転がっていて、こわかったでしたっけさ。まあ、よく、生き延びてきますたと、自分の運に感謝しております。アキラあにいもクルマ好き。このひとも、かなり、無茶な運転をしてたそうですが、きっとおいら同様、きっちり、整備したやつを乗ってらしたので、いきのびることができたんだとおもいます。はなしは、戻りますが、例の、有卦とむけのはなし。アキラ兄ィのウケは、1956年から7年,1963年まで。つまり、ひんばりとケッコンまで。映画なら、波濤を越える渡り鳥。まで。後の五年はなんか、もう、命懸けで、ハラハラ。でも、よくいきのびましたね。そう、歌に、救われたってやつ。歌手小林旭の、本格化が、いつだったのかかんがえると、その苦労の五年も、かれにとっては、なんてことない五年だったんでしょうね。青山京子さんとの結婚。真実一路ちゃんの誕生。どんな、逆境にも、ケラケラ、乗り越えていけた、バイタリティ。それは、かれの、天佑の明るさと、おばかさん加減が、常識な天井をぶち抜ける、エネルギーをお持ちだったからとおもます。そういう、芯の強いとこ。見習いたいのが、小林旭ファンの共通のおもいではないか?運命の過酷さにも、わらって、耐えられる我慢強さを、今、日本国中が、ためされているのでしょう。たかか、ころな、されどコロナ。お互い、ご自愛あるのみでは、ごさいますね。管理人さん、別荘を作っていただいて、ありがとうございます。ホント、おいらって、幸せ者ダァ。感謝。感謝。




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