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タクトの世界

1787タクト:2019/09/03(火) 23:04:00
エリシュカさん、ありがとう。
巨匠エリシュカ氏が亡くなられました。ぼく、2009年2月8日にBBS「タクトの世界」でエリシュカ氏のことを書いていました。追悼としてそのまま再現させていただきます。
エリシュカの「わが祖国」

「悪いオーケストラはない。あるのは悪い指揮者だけだ」
ほんとうに怖い言葉。
この言葉を好んで話すのは、ラドミル・エリシュカ氏。1931年4月6日、チェコ北東部のズデーテン地方で生まれた。今年78歳になるエリシュカ氏は、つい最近までまったくの無名だった。まさに「遅れてきた巨匠」。
ぼくは指揮者の物真似を本芸としてやっている。しかし、ほんとうはこの芸の本質は「似てる、似てない」にはない。あるのは、いかに迫力を見ているお客さんに感じてもらい、心を動かせるかどうか。
だって見ているお客さんのほとんどは、実際のモデルになっている指揮者を知らないし、関心もない。逆にそれぞれの指揮者を敬愛し惚れている人は、ぼくの芸は「おふざけ」に見えて不快すら感じるだろう。
「なんかよくわからへんけど、今度、その本物の指揮者、見てみたいな」と思わせられるかどうか、音楽の世界に興味を持たせることができるかどうかに、この芸の妙味がある。
だから一応、それぞれのモデルになっている指揮者名は名乗ってはいるけれど、「カラヤンっていう人は、ナルシストなのね」「チェリビダッケは気難しそう」…。イッセー尾形さんの「都市生活カタログ」のように、人間の本質を描きたい、一人芝居の延長にこの芸はある。
しかしオーケストラを指揮するということは、別のところに本質があり、難しさがある。指揮ぶりがかっこがいいとか悪いとかは二の次で、演奏者から出てくる音楽が素晴らしいかどうかだけ。その音にお客さんが共感を持ってくれるかどうか。
上記のエリシュカ氏の言葉を紹介してくれたのは、札幌交響楽団の事務局をしていらっしゃる宮下さん。先日、ぼくの芸を札幌で見に来ていただいた方。その宮下さんが、2008年6月20日の読売新聞に寄稿されている。この内容がじつに指揮者とオーケストラの本質を突いている。
ご本人に了解をもらっていないけれど、内容の一部を貼り付けさせていただく。
指揮者は、楽器を演奏する楽団員たちに演奏中ずっと身ぶりだけで指示を下し続ける、冷静に考えてみると不思議な存在である。
 しかし、指揮者はコンサートでただ指揮棒を振り回しているだけではない。練習では自分の考えを楽団員たちに納得させ、うまくいくまで何度も練習させなければならない。精神的にも肉体的にもハードな仕事だ。
 非常に丁寧な言葉遣い、正確な指揮ぶりで、行き届いた研究に基づいた楽曲解釈を披露しても、演奏がうまくいくとは限らない。逆に、乱暴な言葉遣い、不明瞭(めいりょう)な指揮からでも、名演が生まれることもある。
 また、名演を生み出した指揮者の物真似(まね)を正確に再現しても名演が生まれるはずがない。楽団員に愛されている指揮者との演奏でも、聴衆を感動させられないこともある。100人近くの演奏者によるオーケストラが名演を生み出すということは、奇跡的なことだとつくづく感じる。
 オーケストラと指揮者の関係を「馬と騎手のようなもの」と言い、弟子に「走るのは馬だ」と諭した大指揮者カラヤンの言葉や、当団の首席客演指揮者エリシュカの好んで話す「悪いオーケストラはない。あるのは悪い指揮者だけだ」というような言葉もある。
この原稿、素晴らしいでしょう。
ここに出てくるエリシュカ氏。ほんとうにすごい指揮者だ。きのう氏がNHK交響楽団を指揮して、スメタナの「わが祖国」全曲をやった。
その素晴らしい演奏は、会場やFMで聞いた人があちこちの日記やブログで書かれているので、ぼくはもう言葉にする必要がないだろう。
しかし、70歳後半でなんであんな若々しいの?
肩がまわるの? テンポがいいの? すべてを把握しているの?
まさに「職人、マイスター」。
エリシュカ氏の指揮はけっして大向こうを張る派手さはないし、解釈もオーソドックス。どちらかというと地味だけど、音楽はほんとうに胸が踊る。
昨年の都響や大フィル、札響などの演奏はみんな「奇跡の演奏」だと言っていた、もちろんぼくも言ったし書いてきたが、もうエリシュカ氏の導き出す音楽は奇跡でも偶然でもなく「現実」だと「確信」できる。
ぼくは氏を見たさに、広いNHKホールの最前列に座った。音を気にする人は座らない席。でもぼくは近くで見たい。聴きたい。
この日はヴァイオリンの齋藤真知亜さんが出ていたので、途中の休憩でバックステージに真知亜さんを訪ねた。関係者の人が「誰、この人?」って顔をしていたが、真知亜さんが「おおっ!よく来てくれたね!」とすごく親しく話をしてくれたので、ホッとした。
休憩後に、真知亜さんがこっちを見てニコニコしてくれるので、「ああ、ステージ上から出演者に意識してもらえるなんて、けっこううれしいものだ」と思わぬ発見をした。
演奏が終わったあと、他の演奏者はすましてはけているいるのに、真知亜さんは「また、今度ね」なんて話しかけるものだから、思わず収録しているテレビカメラに写っていないか、気にしてしまった。
会場にはエリシュカ氏を熱烈に応援している岩野さんやお知り合いも来て、エリシュカさんの演奏会は、ボッセさんやシュナイトさん、下野さんのときもそうだけど、いつものメンバーの「同窓会」みたいだ、と思ってしまった。
「わが祖国」の第二曲めの「モルダウ」は、超有名曲。NHKの「みんなの歌」でさだまさしの「男は大きな河になれ」やイルカの「いつか見る虹」、岩河三郎や平井多美子の歌詞もなじみが深い。それはもうユーチューブにも動画が多く出ているので、あえてここでは貼り付けません。確かに「高い城」や「モルダウ」は有名だけど、ぼくは後半の3曲が、なぜかぐっと来る。ガリバー旅行記が後半、馬の国とか行って、どんどん自己の内面を問う旅をするかのように、なにか「痛み」を感じてしまう。
最近、久しぶりに読み返す本、漫画「寄席芸人伝」全巻や色川武大のエッセイ、ジョージ秋山の「葉隠」「銭ゲバ」がすごくおもしろく感じる。ぼく自身が「わが祖国」を旅する、心が己を問うことを欲しているんだろうな。

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