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【徹底】絶歌出版の動機は!!?【検証】

1くそ餓鬼:2015/07/04(土) 16:27:50
-経緯-
2007年事件から10年以降、毎年命日に欠かさず手紙を送る。
 ↓
山下さん「年に1回では重みも伝わらず、その時々感じたことをメモ書きでいいから送付してほしい」
「もっと具体的な生活の状況を知らせてほしい」
 ↓
10年間無視。でも、手紙は書き続け、遺族も読み続けていた。
 ↓
2014年12月。見城徹氏に「本を書きたい」熱烈ラブレターを書き、「破滅を覚悟で人生最大のロシアンルーレットに挑むことにしました」
 ↓
ノンフィクションで超えねばならぬハードルを越えられず、そんな中、1月に
新潮に、手記が出るらしいことがスッパ抜かれ
 ↓
土師さん「たとえ小説でも出してほしくない」「この報道が嘘であってほしい」(シンの善人性を信じたい)
 ↓
たずっち怒りの電話「どういうことになるかわかっているの?すべて台無しになるわよ!!」
 ↓
たずっちだけは裏切れない!と出版は白紙にした。
 ↓
3月、5月遺族に手紙。「これまでで最も事件に迫っていた」
山下さん「例年以上に涙が止まらなかった」
土師さん「これ以上はもういいのではないかと思った」
 ↓
やはりあきらめきれず、見城氏紹介でその場で大田出版に引渡し。
 ↓
6月10日絶歌 発売
 ↓
土師さん「もし、少しでも悪いことをしたという気持ちがあるのなら、今すぐに、回収してほしい」
 ↓
無視して、5万部増刷
 ↓
山下さん「傷つき、憤りましたが、元少年や出版社と同じ土俵に立ちたくない」
土師さん「事件当時の心境に戻った。淳は二度殺された」

2くそ餓鬼:2015/07/04(土) 16:29:31
こうして書いてみると、、もう言葉がないな・・・

キチガイ軍曹、、どうしたら奴を擁護できんの!??

こいつ、ちょっとでもいたぶられてんのか!??日本社会や遺族が一方的にやられてるだけじゃないのか!???

3くそ餓鬼:2015/07/04(土) 16:35:19
これも貼っとくか
http://www.bengo4.com/other/1146/1307/n_3240/

神戸連続殺傷事件「元少年A」はなぜ手記を出したのか? 太田出版・編集担当者に聞く

1997年に起きた「神戸連続児童殺傷事件」の犯人男性(32)が6月10日、事件を起こした経緯やその後の人生をつづった手記を出版したことが、大きな波紋を広げている。


事前に出版を知らされていなかったという事件の遺族が、あいついでマスコミにコメントを発表。殺害された土師淳くん(当時11歳)の父親守さん(59)は「少しでも遺族に対して悪いことをしたという気持ちがあるのなら、今すぐに、出版を中止し、本を回収してほしい」。山下彩花ちゃん(当時10歳)の母親、京子さん(59)は「何のために手記を出版したのかという彼の本当の動機が知りたいです」と問いかけた。


Amazonのカスタマーレビューには「評価に値しない」とか「世に出してはならない本」といった酷評が並んでいる。また、遺族に無断で本を発行したことなどについて、版元の太田出版(東京)には抗議の電話が殺到しているという。男性は今年3月、仲介者を通じて原稿を同社に持ち込んだというが、いったいどのような意図で出版に至ったのか。編集を担当した太田出版取締役の落合美砂さんに話を聞いた。(取材・渡邉一樹)


●遺族の批判を覚悟したうえで「出版」した理由とは?

男性が「元少年A」という名義で出版した手記は、ハードカバー294ページ。「絶歌」というタイトルが付けられている。


手記は2部構成で、第1部は当時14歳だった筆者が逮捕され「少年Aになった日」のエピソードから始まる。中心となっているのは事件を起こした1997年当時のことだが、殺人そのものについての描写は簡潔で、むしろそこに至ってしまった彼自身の心境が、松任谷由実さんの歌詞や、ドストエフスキー『罪と罰』などの引用も交えながら、独特の文体で語られている。

たとえば「ちぎれた錨(いかり)」という章では、「僕の人生が少しずつ脇道へと逸れていくことになった最初のきっかけは、最愛の祖母の死だった」と明かされる。

そして続く「原罪」という章で、男性は次のように告白している。

4くそ餓鬼:2015/07/04(土) 16:35:54
「僕は祖母の位牌の前で、祖母の遺影に見つめられながら、祖母の愛用していた遺品で、祖母のことを想いながら、精通を経験した」。「僕の中で"性"と"死"が"罪悪感"という接着剤でがっちりと結合した瞬間だった」。


一方、第2部では、21歳だった2004年、医療少年院を出て、再び社会に復帰してから、現在に至るまでの出来事が語られる。保護観察、更生保護施設、里親になってくれた家族とのエピソード、自立しネットカフェやカプセルホテルを泊まり歩く生活に、事件が色濃く影を落としている様子が語られる。被害者遺族への贖罪の気持ちや、家族への感謝の気持ちもふまえて、今回の手記を書いた経緯がつづられている。


そして、本の末尾には「被害者のご家族の皆様へ」「皆様に無断でこのような本を出版することになったことを、深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ありません。どのようなご批判も、甘んじて受ける覚悟です」とする謝罪文が添えられている。


このように批判を覚悟していたということだが、遺族らの感情を逆なでしてまで「手記」を出そうとしたのは、なぜなのか。原稿の提案を受けた太田出版が、出版に踏み切ったのは、どうしてなのか。


●「赤を入れて直したところはない」

——太田出版には、抗議の電話が殺到しているということですが・・・


「特にワイドショーで取り上げられた後は、すごいですね。『こんな本をなんで出すんだ?』という論調で取り上げられ、それと同じ趣旨の抗議電話が数多くありました。


ただ当初の抗議は、本を読んでいない、見てもいないという人たちばかりでした。6月12日になると、実際に書店で買って読んだという方から、『感動した』『参考になった』といった声も数は少ないですがありました」


——全294ページ。事件の経緯や、事件を起こした際の心の動き、反省の言葉などが、かなり独特な表現で書かれています。この本はいったいどこまで本人が書いたものなのですか。


「編集者として、ここは説明不足なので加筆してほしいとか、ここは削除してほしい、ここは言い換えてほしいみたいなことは言いました。しかし、基本的には、私が手を入れることはありませんでした。ちょっと手は入れられない原稿というか・・・。


独自の文体をもっていらっしゃったので、加筆するにしても、こういった趣旨のことを加筆してほしいと伝えて、全部、彼にやってもらいました。指示は出しましたが、具体的に私が赤を入れて、直したところはないですね」


——原稿を受け取った立場として、どういう意図で出版に応じたのでしょうか。


「彼のような少年が起こした事件について、少年審判が始まってから後のことは、審判の過程も含めてあまり公表されていません。また、社会復帰をしたあと、どうなっているかということも、ほとんど語られていません。


少年事件の当事者が、きちんと自分の言葉で、そうしたことを語ったというのは、初めてだと思います。その手記はやはり貴重なのではないかと思いました。


手記を読んだとき、個人的にすごいなと感じたのは、彼が少年院を仮退院した後、保護司さんや里親、更生保護施設などから、ものすごいフォローを受けていたことです。罪を犯した少年が更生するために、これだけ様々な人が力を貸しているんだということを、ある種の驚きを持って読みました。


ここは、全然知られていないところです。少年を更生するために、いろいろな方々がほとんどボランティアみたいな形で力を尽くしている。もちろん、制度について大まかな話を聞いたことはありましたが、ここまで細やかなフォローをしながら、社会に慣れさせて、段階を踏んで更生する形になっているとは・・・。今回、手記を読んで、初めて知りました」

5くそ餓鬼:2015/07/04(土) 16:36:33
——いろいろな意味で影響が大きい本だと思いますが、本を出すことに躊躇はなかったのですか。特に、神戸連続少年殺傷事件については、影響を受けたという少年少女が出てきていましたが・・・。


「本というのは、良きにつけ悪しきにつけ、多かれ少なかれ、他人に影響を与えるものだと思います。


彼は、この事件についてテレビで企画された討論会で、ある男の子が発した『なぜ人を殺してはいけないのか?』という質問に、大人たちが答えられなかったというエピソードを紹介したうえで、彼の体験を通じた、彼なりの答えを用意しています。そこを読んでもらえればと思います」


手記の中で、元少年Aは、今ならこの問いに次のように回答すると記している。


《「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」


哲学的な捻りも何もない、こんな平易な言葉で、その少年を納得させられるとは到底思えない。でも、これが少年院を出て以来十一年間、重い十字架を引き摺りながらのたうち回って生き、やっと見付けた唯一の、僕の「答え」だった。》


●「異常な記憶力と感じた」

——ところで、手記のエピソードは、どこまで本当なのでしょうか。彼がどこまで真実を語っているのかについては、どう感じられましたか。記憶が間違っているとか、あえて都合の良いように書いているということはないでしょうか。


「記憶が間違っていることはおそらくないと思います。なぜなら、あそこまで細かく描写できるのは、場面が脳にシーンとして刻まれているからだと思います。手記は、記憶の再現だと思います。本当に記憶力が良く、特に視覚における記憶力が並外れていますね。


たとえば、先ほど私が『削ってもらった』と言った場面の一つが、最初の取り調べのシーンで、最初の原稿ではとにかく人物がめちゃくちゃ克明に描かれていました。これは本人が特定できるなというぐらいの描写なんですよ。部屋の様子なども含めて、鮮明に覚えているのだと思います。そこで交わされた会話も含めて、異常な記憶力だと感じました」


——第1部は文学的な表現も多く、創作的なところもあるのではないかと思いましたが・・・


「たとえば、(凶器を捨てた)池についての描写とかは、文学的な表現を使っていますけれども、私には、たぶん彼の目にはそういう風に見えていたんだろう、という感じがしました」


——あえてあのような表現を用いることで、当時の感覚を再現しようとしたということですか?


「そうだと思います。だから少年時代の第1部と、第2部では文体が大きく違っていて、第1部は『あの当時』のことを鮮明に思い出して、当時自分が考えたこととかそういったことを懸命に思い出して、それを書いている。だから、第1部は14歳の少年っぽい心理描写にもなっています」


——確かに、第1部を読んでいるときは、この人は14歳のまま止まっているのではないかと思いました。


「それに対して第2部は更生施設を出てきた後の、『その時の自分』として書いていると思います」


——ほとんど手を入れていないということでしたが、ひとりの素人が、ここまで本を作りこんでくることは、よくあるのですか。


「全くの素人でも、細かく作ってくる人はいますが、ここまで完成度の高いものは初めてで、経験がないですね。タイトルも見出しも、全部自分で付けて、口絵の写真も入れたいという形で、持ち込みのときには、構成も全部このまんまでした。


大きな直しは個人が特定できる部分を削ったりとかぐらいで、あとは、ここは分かりづらいので言葉を変えてくれとか、それぐらいですね」

6くそ餓鬼:2015/07/04(土) 16:37:26
——ドストエフスキーなどの引用が、数多くなされていますが、それもそのままですか。


「引用も全部入ってました。そのまま。しかも、引用が一字一句間違っていなかった。突き合わせをしたときにおどろきました」


——「絶歌」というタイトルは、どういう意味なのですか。


「それは、本人が『どうしても』と、決めていらしてですね、本文にも説明がないので、造語だと思うんですけど、正直言ってどういう意味かというのはですね、聞いても説明がなかったですね。最初から『このタイトルで行きたい』ということだったので、『じゃあ』という感じで・・・」


——本を出版したことに対する反応、批判は、本人にも伝わっているのでしょうか?


「本が出て以降、出版社側からは、事務的な連絡以外はしていません。あんまりいろいろ連絡をしたりすると、それによって彼の居場所が分かったりするのはよくないので、基本的に刊行後はできるだけ接触は避けています」


——いま、こういう状態になっていることは、本人もおわかりにはなっているのでしょうか。


「それは、テレビやメディアは見ているでしょうから、分かっていると思います」


——コメントを出す予定は?


「それはないですね。取材を受ける予定は一切ありません。この本そのものが、彼自身の考えなので。これ以上コメントを出すということはないと思います」


——遺族には、すでに本を送られたのでしょうか。


「本人は、出版について事前には連絡しないと決めたときに、事後報告になってしまったことと、本をどうしても出さなくちゃいけなかったというお詫びの手紙を付けて献本すると言っていました。


ただ、彼自身にも遺族の方々の連絡先は分からず、仲介の方を通じてということだったので、実際に届いたかどうかの確認はできていないと思います」


——初版10万部ということですが、著者が受け取ることになる「印税」について、彼は何か遺族のために使う予定はあるのでしょうか。


「著者本人は、被害者への賠償金の支払いにも充てると話しています。これまで著者自身としては微々たる額しか、支払えていなかったということですので」


●「どうしても書かずにはいられなかった」

——彩花ちゃんのお母さんは「何のために手記を出版したのか本当の動機が知りたいです」とコメントを発表されました。彼は本当は、どういう気持ちで本を書いたのでしょうか。そして、それを発表しなければならなかった理由は、どこにあるのでしょうか?


「私はこの手記全体が、遺族の方々、いろいろな彼を支えてきた人、あるいは自分の家族への長い手紙というか、支えてくれた人にはお礼の手紙であり、遺族の方々にはお詫びの手紙として書かれたものだなという気がしました。


彼は2004年を最後に自分自身の家族にも会っていません。彼が出てきてから、いろいろな方に世話になった。手記の最後には、ご遺族への謝罪文も付けられています。


手記では、いま自分自身がどうしているのか、自分がいる場所を確かめたいということも書いています。手記を書いたのは、そういった気持ちに加えて、自分がここまで来られた感謝とお詫びの気持ちがあるという風に、私は読みました。


2年以上かけて、自分の過去と向き合って書いていったので、一つは表現欲もあったと思うんですけれど、本の形にして残したいという思いがあったのでしょう。二度と会えない人たちに届ける意味もあると思います」

7くそ餓鬼:2015/07/04(土) 16:38:29
——ご遺族に事前に説明がなかったのは、なぜですか?


「彼としては、許可を求めても、却下されるだろうということもあったのだと思います。土師さんの気持ちを裏切ることになるというのが分かっていても、出したかったということだと思うんですよ。


本を出すことによって、自分の家族も、遺族の方々も、彼自身も、再び注目を浴びます。それこそ彼自身にとっても、今どこにいるかを探されたりとか、いろんな危険性もあるし、人を傷つけるということも可能性としてはあるという話をしたのですが、やはり『どうしても出したい』ということで、こういう形になりました」


——最後に謝罪文がありますが、それを入れようということになった経緯はどういったものですか?


「最後に謝罪文を付けるという構成も、彼が書いてきたそのままです。私が(原稿を)読んときには、もうあの形で入っていました。こちらで『書いてください』とか、そういった要望は一切出していません」


この「謝罪文」は次のような言葉で結ばれている。


《本を書けば、皆様をさらに傷つけ苦しめることになってしまう。それをわかっていながら、どうしても、どうしても書かずにはいられませんでした。あまりにも身勝手すぎると思います。本当に申し訳ありません。

せめて、この本の中に、皆様の「なぜ」にお答えできている部分が、たとえほんの一行でもあってくれればと願ってやみません。

土師淳君、山下彩花さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

本当に申し訳ありませんでした。》

8くそ餓鬼:2015/07/04(土) 16:52:39
「僕がどうしてもこの本を書かざるを得なくなった理由について、正直にお話させていただきたく思います。
 二〇〇四年三月十日。少年院を仮退院してからこれまでの十一年間、僕は、必死になって、地べたを這いずり、のたうちまわりながら、自らが犯した罪を背負って生きられる自分の居場所を、探し求め続けてきました。人並みに社会の矛盾にもぶつかり、理不尽な目にも遭い、悔しい思いもし、そのたびに打ちひしがれ、落ち込み、何もかもが嫌になってしまったこともありました。ぎりぎりのところで、いつも周囲の人に助けられながら、やっとの思いで、曲がりなりにもなんとか社会生活を送り続けることができました。しかし、申し訳ありません。僕には、罪を背負いながら、毎日人と顔を合わせ、関わりを持ち、それでもちゃんと自分を見失うことがなく、心のバランスを保ち、社会の中で人並みに生活していくことができませんでした。周りの人たちと同じようにやっていく力が、僕にはありませんでした。「力がありませんでした」で済まされる問題でないことは、重々承知しております。それでも、もうこの本を書く以外に、この社会の中で、罪を背負って生きられる居場所を、僕はとうとう見つけることができませんでした。」

9くそ餓鬼:2015/07/04(土) 16:55:35
「 この十一年間、沈黙が僕の言葉であり、虚像が僕の実体でした。僕はひたすら声を押しころし生きてきました。それはすべてが自業自得であり、それに対して「辛い」、「苦しい」と口にすることは、僕には許されないと思います。でもぼくはそれに耐えられなくなってしまいました。自分の言葉で、自分の想いを語りたい。自分の生の軌跡を形にして遺したい。朝から晩まで、何をしている時でも、もうそれしか考えられなくなりました。そうしないことには、精神が崩壊しそうでした。自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした。僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした。」

『絶歌』―あとがきより―

10くそ餓鬼:2015/07/04(土) 17:02:42
多分、理由はいくつかあるんだろう。

・どこへ行っても酒鬼薔薇とバレ、一箇所で働けず、単純、日雇い労働の限界を感じた。
・発達障害があり、コミュニケーション能力がない中で、社会で普通の人と同じようにやっていくのは不可能だった。
 かと行って、親元にも帰れない(あんな親だから)
・抜け殻の人生を、「装飾して」あるものかのように見せかけて、蘇らせる以外、生きている実感が持てなかった。
・だから、日記では駄目で、日本社会に見てもらう必要があった。
・生活や賠償のために、金銭も必要なので、ブログでは駄目だった。(そんな余裕があるくらいなら書かない)
・もう二度と会えない人たちに、お礼を言いたかった。


やっぱり、存在承認欲求、、事件当時の犯行動機「自分がそこにいるという実感が欲しかった」
と同じだな・・・この根本が解決しない限り、また18年後に爆発するんじゃないか・・・?

11くそ餓鬼:2015/07/04(土) 17:07:26
なんでそこまで「生きたい!」と思えるようになったのかが、見えてこないな・・

自殺するエネルギーがないのはわかるんだが・・

これ、深刻な愛着障害だな・・親にしか解決できないと思うんだが、こいつら
二人で会話できないんだろう・・だから日本社会巻き込むんだろう・・・

12名無しさん:2015/07/05(日) 10:11:20
「どこへ行っても酒鬼薔薇とバレ、一箇所で働けず、単純、日雇い労働の限界を感じた」

此処がハッキリしてなくて、本を読んだ限りでは仮退院後のエピソードが一つあるだけの様な?
あと「生きたい」と言うよりは「やっぱ死にたくない!」と受け取ってしまうのは逆読みし過ぎなのかな〜?

13名無しさん:2015/07/05(日) 22:46:05
>>1
見城社長に手紙を送ったのは2012年末だったと思う。

僕は脱原発デモとかにも行く社会派なんだが、
2012年末は民主党から自民党に政権交代した時期で、精神的にまいっていた。
ただそれがAの執筆にどういう影響を与えたのかは分からない。

2012年末から今までの執筆期間の生活費として見城社長から400万借りたというから、
返せって言われたら遺族を無視してでも出版せざるを得ないと思う。

ただ、出版社が悪いとは思わない。

封書の差出人名が「酒鬼薔薇聖斗」だったこととかも含めて、
失礼を承知で言うと頭が悪い。はっきり言ってバカ。
バカがやり手の編集者にいいようにされたってストーリーしか浮かばない。
擁護のしようがない

14名無しさん:2015/07/05(日) 23:16:50
バカがやり手の編集者にいいようにされたってストーリー本当ですか?
差出人名が酒鬼薔薇聖斗だってって本当ですか?

15名無しさん:2015/07/06(月) 01:29:21
>>14
「酒鬼薔薇聖斗」の名で封書が届いたというのは
週刊文春の見城社長インタビューがソース。

16名無しさん:2015/07/06(月) 01:50:59
たずっちさんも「出版社の罠にはまった大バカ野郎だ」と言っていたらしいので、
たぶんバカがやり手の編集者にいいようにされたって認識で間違いないと思う。

違うというのならば本人が記者会見で(ry

17名無しさん:2015/07/06(月) 02:02:40
でもそんなバカでキンタマ小さくて
そのくせ自己顕示欲だけはある、
どうしようもないAも好き。
神じゃなくて、等身大の人間として好き。

真面目に働くもよし、
仏門に入るもよし。

でも、小説家としてのデビューだけはありえない。

18くそ餓鬼:2015/07/06(月) 16:38:52
>>12
第二部はだいぶ誤魔化し、、ってか、完全な嘘ではないんだろうが、
カッコ悪いとことか書いてない感じだな・・ネットの噂とか総合すると、
どこに言ってもバレ、ってのが自然だな・!!!

19:2015/07/06(月) 17:09:30
そんなに顔が変わってないのか。

20名無しさん:2015/07/06(月) 18:29:00
東北少年院で見たやつが2chにいたけどその時点で写真のまんまって言ってたからその後も変わりないんじゃないかな
ヒゲ生やしたりしたら分からんかもだけど普通の社会人だったら無理だし

21くそ餓鬼:2015/07/08(水) 12:00:13
>>10付け足し
井垣「自らの悪行を隠さずに告白し、“それでもこの世界はぼくを受け入れてくれるだろうか”という、祈りのような気持ちが込められている気がします」

これはある程度合ってるんだろう。。

声明文を思い出す。。外国へ逃げず、わざわざ手記出して再び注目を集めたのは、
シンにとって、ある種、日本が母体なんだろう。賭けてるんだと思う。
これしか生きる道がなかったんだと思う。愛なくして生きれる人間なんていいないんだから。

ようやくわかったよ、俺。
たずっちがなんで「性格異常だから治らない」と断言したのか知らんが、
母体であるべきたずっちがなんでそんなこと言っちゃったのか。
治るか治らないか、俺にも分からないが、治す方法はなんとなく分かるような気がするよ。
とにかく、、親に会ってみたい――――

22くそ餓鬼:2015/07/08(水) 12:55:14
声明文風に、シンの気持ちを代弁してみる!!!
--------

「もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ手記出版などして消えかかった火に自ら火をつけるなどという行動はとらないであろう。
やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと反省しているフリをしながら、暮らすこともできたのである。

ボクがわざわざ世間の注目を再び集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。
(↑これは死刑になると思ってたからこその発言で、今はやはりなんとか日本社会とつながろうとしてるんだろう。・)
それと同時に、これから友人や、恋人を作ることも忘れてはいない。


この手記を見ておおよそ理解して頂けたとは思うが、僕はいまいち反省できていないのである。
しかも、自分自身の存在に対して、今でもしつっこく人並み以上の執着心を持っている。
よって自分の存在が忘れ去られる事には我慢ならないのである。

今現在の世間の動きをうかがうと、どう見ても忘れ去っているようにしか思えないのである。
ボクの存在をもみ消そうとしているのではないのかね ボクはこの出版に命をかけている。

捕まればおそらくフルボッコであろう。

だからマスコミも命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。
------------


と、いうことで、マスコミは追跡していい!!!w

23くそ餓鬼:2015/07/08(水) 14:38:10
>>13
そうか、2012年末だったな!書き直そう!!!

-経緯-
① 2005年 「狭い籠の中で一生を終えるより、籠から飛び出して野垂れ死んだほうがずっとマシだ」
  と、サポートチームを飛び出す。「今度こそゼロから自分の居場所を創り上げたい」
  ↓
②2007年事件から10年以降、毎年命日に欠かさず手紙を送る。
  ↓
山下さん「必死に生きる姿見えてこない」「年に1回では重みも伝わらず、その時々感じたことをメモ書きでいいから送付してほしい」
「もっと具体的な生活の状況を知らせてほしい」
 ↓
10年間無視。でも、手紙は書き続け、遺族も読み続けていた。
 ↓
③2008年3月山下さん「悩み、壁にぶつかっている内容があった」
 ↓
④山下さん「自分の奪ったものの大きさにようやく気付いてきたようだ。今までは無機質な言葉が並んでいたが、初めて、生身の人間が書いたと思えた」
 土師さん「かなりの変化が見られる。今後も彼からの手紙を辛抱強く待ちたい」
 シン「2009年頃から、こちらの気持ちを汲み取ったコメントをいただけるようになった」
 ↓
⑤溶接工として3年間同じところで働いてたが、そこで
「人の役に立つ、信頼される、必要とされる。それが素直に嬉しかったし、自分もひとりの人間として社会に受け入れられたのだと、自信にもなった。」
としていることから、おおむね順調だったのだろう。だが、
「でもそんな前向きな気持ちは、粉々に打ち砕かれることになった。」
と。職場の人の家に招かれたときにそこの娘さんと被害者を重ねてみてしまったと。
そこで辛く苦しい気持ちになった。だって。
「自分の過去を隠したまま「別な人間」として周りの人たちに近づきすぎると、本当の自分をつい忘れてしまうことがある。
でもこうやってふとした拍子に、自分は何者で、何をしてきた人間なのかを思い出すと、いきなり崖から突き落とされたような気持ちになる。
一度一線を越えてしまった者は、もう決して、二度と、絶対に、他の人たちと同じ地平に立つことはできないのだと思い知る。」
そこから職場の人ともギクシャクし始めて、「このままここにいては壊れる」と直感し、2012年冬、辞表を出す。
 ↓
⑥2012年冬。見城徹氏に封書が届く。差出人は「酒鬼薔薇聖斗」
「本を書きたい」熱烈ラブレターを書き、「破滅を覚悟で人生最大のロシアンルーレットに挑むことにしました」
 ↓
⑦見城「原稿のひな型が完成したのは、最初の手紙が届いてから約四カ月後のことだった。既に単行本一冊として刊行することが可能な分量があった。だが、Aが書き上げてきた原稿は贖罪意識の乏しいものだったという。
「過剰な自己陶酔と思える記述が多かった。彼は『いつも自分が犯してしまった罪と罰にのた打ち回っています。そういう毎日でした。だけど十四歳であのような行為が出来た自分に対して、いまの自分が激しく劣等感を抱いていることは確かです』と言っていた。
もがき苦しんでいたんでしょう。彼はそれでも生きたいと思った。だから、彼には『君が今生きたいと思っているのと同じように、被害者の方々も思っていたはずだ。君は、生きようとする二つの命を奪ったことを深く反省しなくちゃダメだ』と何度も何度も言った。
彼はメールで、『それがまだ伝わっていないのは申し訳ない』と言っていたね。
 彼が持ってきた原稿をボツにして、一度ゼロから書き直させた。それから少年時代と現在を交互に並べていく構成にしたこともあった」

24くそ餓鬼:2015/07/08(水) 14:38:42
 ↓
⑧「書くことに専念したい。必ず返すからお金を貸してほしい」と言い、計400万ほどを借りながら執筆。
 ↓
⑨2014年 ノンフィクションで超えねばならぬハードルを越えられず、原稿の修正を重ねるA。
 見城「出す予定が無いまま編集をやっていくのが段々と心苦しくなってきたんだ。しかも『出さなければ彼は自殺してしまうかもしれない』という恐れもあった。それほど鬼気迫る何かが彼にはあったんだよ。」
 なので、見城「『他の出版社なら出すかもしれないぞ』と伝えてきた。実際に太田出版を含めた三社を彼に提案したけど、その時は『どうしても見城さんとやりたい』と断固拒否だったね」
⑩2015年1月 新潮に、手記が出るらしいことがスッパ抜かれ
 土師さん「たとえ小説でも出してほしくない」「この報道が嘘であってほしい」(シンの善人性を信じたい) 

 記事が出て、ひどく動揺。

 たずっち怒りの電話「どういうことになるかわかっているの?すべて台無しになるわよ!!」
 たずっちだけは裏切れない!と出版は白紙にした。
 ↓
⑪三月初旬、見城氏と面会し、挨拶もそこそこに、『太田出版で出させてください』と言う。
 その場で、太田出版の社長に引き合わせてもらい、以後、落合美砂取締役を担当として編集作業に取り掛かる。
 ↓
⑫3月、5月遺族に手紙。「これまでで最も事件に迫っていた」
 山下さん「例年以上に涙が止まらなかった」
 土師さん「これ以上はもういいのではないかと思った」
 ↓
⑬落合「彼は精力的に本作りに向かっていました。もう二年以上も書いていましたから。直しの打ち合わせをしたら翌日にはすぐに直したものが届きました。朝五時にメールが来ることもありましたね」
 ↓
⑭6月10日絶歌 発売
 ↓
土師さん「もし、少しでも悪いことをしたという気持ちがあるのなら、今すぐに、回収してほしい」
 ↓
無視して、5万部増刷
 ↓
山下さん「傷つき、憤りましたが、元少年や出版社と同じ土俵に立ちたくない」
土師さん「事件当時の心境に戻った。淳は二度殺された」
 ↓
両親。あまりのショックにひどく取り乱しており、「まだ本の内容も確認できていない。『ご遺族に対して、説明が付かない、どうすればいいのでしょうか』と周囲に相談」

25くそ餓鬼:2015/07/08(水) 14:45:08
>>13
執筆に影響を与えたのは、3年間勤めた溶接工をやめた、⑤の、私生活の方だろう。
「こうして俺は追い詰められていく・・自分の中に・・」
と言ってた、事件当時と同じ状況になったんだろうが、どうもこれが分かりにくい!!!

気持ちを吐き出すように、自分の生の軌跡を残すように、文章を書き始め、
そういう気持ちを見城氏がうまくまとめてくれてたんだろうが、実際、手記を書ける段階ではなかったんだろう。
気持ちが不安定すぎて・・。が、結局、出版社に借金をしてしまったことが仇となり、どんな形でも
出版をせざるをえなくなる。

当初の贖罪の気持ちが乏しい原稿とやらも読みたいし、削られた部分や、復活した部分ももっと詳しく知りたいな!!
見城氏にメールしたら教えてくれんだろうか!???

26名無しさん:2015/07/08(水) 17:24:38
「バイト先で酒鬼薔薇である事を隠していても何時の間にかバレてしまって転々としていた」のはどね時期なんでしょうか?

27くそ餓鬼:2015/07/11(土) 18:59:12
>>26
全部の時期じゃねえかな??あれの通りだと思う方が考え辛い・・
なんで書かなかったのかは分からないが・・・

まあ、絶歌の第二段が企画されてるらしいので、それを待つか・・・

見城さんはもうこの件から手ぇ引くのかな?
なんか、この人は、あまりノンフィクション向いてないんじゃないか・・・?
シンが「この人しかいない!」と思ったのは分かるけど、だいぶフィールドの違う人だよな・・

28ぼぶち:2015/07/30(木) 20:24:36
え!?絶歌第二弾あんの!!!??マジか初耳!
土師の抗議とはなんだったのか…

29くそ餓鬼:2015/08/03(月) 12:16:56
土師さんは土師さんで、法整備を早く進めた方がいいとも思うけど・・・・

う〜〜〜ん・・・でもどうかなぁ・・

第二弾はあまり淳君とは関係なくなるんじゃないか?

逆にさー、もし第一弾がノンフィクションでありながら、淳君に一切触れてなかったら、
その方が土師さん的には絶望だろ??
心臓がえぐられる思いをさせてしまったのは、本当に酷いし、もっとやり方あったろ、とは思うが、

元々少年犯罪者の更生なんて、その少年を取り巻く環境が変わらないことには有り得ないんだ。

だから、更生はしてなかった。

でも、国は「真の更生」うんぬんより、大人の現状システムを変えず、その中で
なんとか円満に、、遺族とも、シン側も円満に、静かにさせようとした。
(本質的な解決でなくても目をつぶり、もみ消そうとした)


しかし、シン側は「謝罪とは何か?」を、むしろ矯正側の大人たちより、もっと真剣に考えていた。
(そういう自分に正直なところ、うやむやにしないところは一番シンにおいて信頼できるところだ)


だからそういう意味では出版は良かったし、第二弾することになっても、
シンの本質に迫ることになるんだろうから、事件の原因究明という意味では、
土師さんは黙ってた方が、むしろいい方向に転ぶんじゃないかな??

30名無しさん:2015/08/03(月) 22:56:46
第二弾はことさんの話になるわな

31くそ餓鬼:2015/08/10(月) 12:13:30
>>4-7
太田出版は、ほんっとーーーーーうに卑怯だな!!受け答えも一つ一つがほんっとうに卑怯だ!!!!!

『卑怯、鬼畜』というイメージがついたところで、一向に困らないのが出版社というものだから、
PDFばら撒いて、買わない、という選択肢しかできないが・・。

この落合だとか、出版社とかは、間接的には何人も人殺ししてるだろ。。

そういう意味では、
シンが、「僕はなぜ病気になっていないのだろう?自分でも分からない」とか自問自答してたが、
平然とできて当然だと思う。落合の方が、殺した数では上。しかも良心の呵責も感じてないし、
ヒトラーとかスターリンとかさぁ・・・、シンも両親も、おかしいんだって!そもそも、人として大事な
心が決定的に足りない!!

・・・・・言っても変わらんよ・・・・・
常に虐げられるのは、善人なんだよな・・・18年経ってこれだからな・・・
こいつらに正常な人間の気持ちの10万分の1でも分かんのか!!???


はあ・・・・・・・・・

32くそ餓鬼:2015/08/10(月) 12:17:02
もう逃げない。とか言ってまだ逃げてんだろが!!シンよお!!!!!!

お前が向かうべきは、世間じゃなくて、両親だろが!!!!!!!!!!!!!

いい加減にしろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

33くそ餓鬼:2015/08/10(月) 12:33:27
でも変わらんよな・・この両親・・・・
シンの人格を見る限り、何一つ正しいことをしてこなかったように見えるが・・・
祖母がなぁ・・・

祖母って母の姉の家庭の子育ては一切手助けしてないのか?姉の家庭の子たちはまともに
育ってんのか?シンの縁者の人、見てたら書いてくれると嬉しいが・・・。
問題を解決する気があるなら、書いてくれ!!!!

祖母の旦那はなんで亡くなったんだ?シン母が何歳の時に亡くなった?

シン父の祖父もなんで亡くなったんだ?シン父が何歳の時に亡くなった?

34くそ餓鬼:2015/08/10(月) 12:50:02
父「ダメになりそうやったら、いつでも帰ってきてくれな。最後は家族しか味方になる人はおらへんからな」

また、サラッとシンを洗脳したな、父。

一応言っとくと、これも違う。

関東医療で、「お前はなんて事をしてしまったんだ!!」と涙ながらに言った教官。
彼の方がずっと、シンの父親らしい。

他人の子も自分の子も、同じように愛せなきゃダメだ・・・究極的には。

35名無しさん:2015/08/10(月) 13:15:41
お前はなんて事をしてしまったんだ を踏まえた上でのその言葉だったのでは?

36くそ餓鬼:2015/08/10(月) 14:44:17
>>35
いや、その台詞と涙は、リアルシン父が言うべきだ。

37くそ餓鬼:2015/08/10(月) 15:02:18
本退院時の父親の手記より
「『事件前、僕はごく普通の生活をしていた。なのに、なぜ、あんなことをしてしまったんやろう。
  こんなことになってしまったんやろ』 男性はそうつぶやき、父親に尋ねた。
 『お父さん、幸せやと思ったことあるか?』
 「母さんと結婚して長男のお前が生まれた時や」。父親がこう言うと、男性は黙っていた。」


黙ってたのか、得体の知れない奴だな、、とその時思ったものだが、実際、シンによると、
シンが謝ったそうじゃないか「僕さえおらんかったらよかったのに。ほんまにごめん。僕が父さんの息子で」
それで、父が叱られた子供のように泣いただと!!?しかも初めて見せた涙だと!!????


嘘つきは嫌いなんじゃなかったのか、父。
人に罪をなすりつけるのはやめろ!自分のしたことの責任は自分で取れ!
とシンを教育してきたんじゃなかったのか、父。

今度のことは誰の責任なんです?
嘘ついてんのは誰??人に罪をなすりつけ続けてきたのは誰?自分のしたことの責任を取れないのは誰なんです?

あなたのこと、直接には知りませんけど、「尊敬したことは一度もなかった」そうですよ。

「僕さえおらんかったらよかったのに。ほんまにごめん。僕が父さんの息子で」

こんなことを子供に言わせてしまって、子供に悪いという思いは微塵も沸いてこなかったんですか?
今からでもいい、シンに謝ってください!「不甲斐ない父で申し訳なかった。これから変わりたい(それかお前だけでも変わってくれ、とか)」と。
そうすれば、シンは前を向けます。何が正しいことなのか、分かり始めます。

子供は親を『神』だと思ってます。神が間違えるはずなんてない、と思ってます。
でも人は間違えるからこそ、やっちまった瞬間に、謝ればいいんです!そうすれば大事には至りません。


それから、どの子も等しく、親に愛されたい、と思ってます。愛なくして生きてける人はいません。
こういう身内だけ大事にする前提がなければ、シンは愛してもらえなかった訳です。こういう愛しか知らない訳です。

だけど、考えてください。あなたの親族だけが大事なんですか?
最後には身内しか味方になるものはおらず、周りはいつでも敵になる存在なんでしょうか?

なら何故、日本は国家の威信をかけて、更生させてくれたんでしょう?
サポートチームは迎え入れてくれたんでしょう?
日本社会は、遺族は、更生したかの情報も十分得られないまま、社会復帰を認めてくれたんでしょう?
嘘つきの、信じられもしない相手を、どれだけ社会が、遺族すらもが、信じてきたか、分かりますか?
なのに、最初から信じてなかったのはあなただし、シンにもそう吹き込んだ。しかもサポートチーム(最後には敵になるはずの他人)が用意してくれた山奥のコテージで。サポートチームを利用したことになりますね。
信じてないのはどっちでしょう?裏切ってるのはどっちでしょう?
最初から、敵なんていないのに・・・。敵を作り出してるのは、あなた自身・・・。しかも自分の中の敵と戦わず、人とだけ戦っている・・・。
信頼なくてして、社会は成り立ちませんよ。。沖永良部島が狭いから、そうなっちゃうのかもしれませんが、、、

それにしたって、ひとたび親になれば、親というのは、何が正しいことなのか、分かるもんだと信じてます・・・。

38名無しさん:2015/08/10(月) 15:52:20
くそ餓鬼さんの気持ち伝わるといいな

39名無しさん:2015/08/10(月) 23:54:08
シンの両親はお前の両親ではない

40名無しさん:2015/08/12(水) 06:48:16
くそ餓鬼!あなたは一体誰なんだ!?どうして苦しむほどシンを想うんだ!
本当にシンとは面識がないのか!?

41名無しさん:2015/08/12(水) 10:54:50
くそ餓鬼さん本当は面識あったりして

42名無しさん:2015/08/12(水) 13:51:27
ないよ
他人の親子の人格否定に必死だな

43くそ餓鬼:2015/08/13(木) 01:31:16
面識ねーよ…泣
苦しむほどにシンを思う、というよりは、もうここまで来ると、土師さんや、山下さんが
あまりに可哀相だから・・・。それにシンの人生も・・・

じゃあ、なんで俺はここまで他人に心を尽くすのか?身内に冷たく、他人に尽くして
他人から愛をもらおうとするのか?

考えてみたんだが、他人に育てられたからじゃねえかな・・・
親は今も自由奔放に生きてて、親に尽くしたって返ってこない。他人の方がよっぽど返してくれるし、俺を育ててくれるから。
ここにいる、他の連中もそうなのかなぁ?ひょっとして・・。お前らみんな名無しだけど、なんでここにいるんだ?


・・・だけど、シンのことを見ていて思うけど、他人に尽くせるこのパワーの源自体は、
俺は親からちゃんともらってるんだなぁ、、と思う。。

と、なると、親にもちゃんと親孝行をしないといけないな・・・w

と、こんな風に、シンのことを考えると、俺の利益にも繋がるんだよな・・・w

44くそ餓鬼:2015/08/13(木) 02:09:31
シンへ

お前は確かに『歩くドリル』だが、こんな風に、適度な距離を保ちつつ、
ちゃっかりプラスのエネルギーをお前からもらって生きてる奴もいるw

それに、生まれたときはみんなドリルだよ。無感情だよ。気にしなくていい。
逆になんで立って歩いてんのか不思議だ、、。知能の発達があるのも不思議。。

生まれつきの精神奇形児なんていない。こんな台詞を言わせてしまったら、
自分が悪くなくたって、謝らなくちゃダメだ。親なら!!


シンとシン親の間の問題は、普遍的な親子の問題。
シン父に対して厳しいことを言ってるようだけど、それができたらすごいことだから!!
ファンだからこそ、達成してほしくて言うんだから!それに、シンの荷物をちょっとでも
持ってあげることにもなるし、そのシンの贖罪行動が変われば、遺族も楽になる。

悪循環の原因を追究してったら、そこ(親)に行き着いただけだ・・・。

45くそ餓鬼:2015/08/13(木) 02:34:56
まあでもさ、前も言ったけど、お前が酒鬼薔薇でなければ、それに越したことはなかったさ・・・
こんな寝不足になるほどに(w)苦しく考えずに済んだし、自分の生活削って悩むこともないし・・・
それは正直な話、な。

でもそうなもん、しょうがない・・もうなんとか、いい方向に好転させるしかない・・・

知ってしまったから、しょうがない。

46:2015/08/13(木) 08:14:48
真面目に話したいから黙ってろっていうからおとなしく聞いていたら
なんですかこれは。。。

>生まれつきの精神奇形児なんていない。こんな台詞を言わせてしまったら、
>自分が悪くなくたって、謝らなくちゃダメだ。親なら!!

全国の生まれつきの発達障害児を持つ親を敵に回しましたね。
(Aの障害が発達障害なのか愛着障害なのかは小学生のときと事件後の鑑定で判断が分かれているはず
鑑定書が絶対ではないですよ。)

それはともかく、障害者団体から抗議がくるレベルの暴言なので、くそ餓鬼さんは首洗って待ってなさい。

47くそ餓鬼:2015/08/13(木) 10:42:02
>>46
いやぁ、、別にこねえと思うけど・・・俺に発言にそんなに威力があるのか・・・?
別に来てもいいけど・・。

生まれつきの発達障害なんてない!と思っといた方が、親にとっても、本人にとっても、
犠牲者にとっても、希望的なんじゃねえの?俺は確信してるけどな。

48名無しさん:2015/08/13(木) 10:58:15
クソ餓鬼は責める事でしか親に甘えられんのだよ

49名無しさん:2015/08/13(木) 11:23:20
くそ餓鬼さんは彼に会えたらどうしたいんですか?

50くそ餓鬼:2015/08/13(木) 11:33:43
俺が思うに、シンは融通が利かなすぎるんだと思う。そのあまりの頑固さが俺に、「未来人」と感じさせる所以なんだと思う。
それ自体は性格だし、ぜんっぜん異常だとは思わない!!

もうちょっと後の時代に生まれてたら、倫理観や道徳がもうちょっと進んだ子育てをする時代に
生まれてたら、みんなと同じように普通に生きてけただろうし、特に目立った奴でもなかったと思う。

ほんっとにイチローと似てる・・カレーったらカレー!!野球ったら野球!!w

育て間違えれば、酒鬼薔薇に。
善く育てれば、イチローに。

このタイプは究極育て辛いと思うw 親や環境の写し鏡のような・・・
いや、それを120%増幅させるような・・・

だから矯正させるのが難しいんだって!イチローの父のようになれるか!?w
俺には無理だなw

51:2015/08/13(木) 12:48:31
>>47
逆だと思います。

過去、自閉症の原因が親子関係にあるとされた時代がありましたが、
そのことでどれだけの親が自分を責め苦しんだだろうと思います。

Aの障害については、Aも親も、何も悪くない。
そう思ったほうが幸せじゃないですか。

悪いのは、人を殺したことです。

Aの親やばあさまについて思うのは、
あなたたちの言葉が、純粋なAの心にどう届いたのだろうかということです。

沖縄戦の記憶生々しいばあさまは、Aに人の命の儚さを語ったかも知れない(妄想です)
沖縄から神戸の新興住宅街に移り住んだ父親は、信頼できるのは身内だけ、回りは敵と言ったかも知れない

それ自体は普通の沖縄県人と思います。
しかし、その言葉が、純粋なAの心に、どう響いたのか。
それを考えて欲しい。

Aにもそれを考えて欲しい。
自分は親の言葉を、純粋に、額面通りに受け取っていなかったか?

52:2015/08/14(金) 17:16:25
なんで「夜のハイテンションで口が滑った。須磨ん。」くらい言えないかなあ。。。
「生まれつきの精神奇形児なんていない。」「謝らなくちゃダメだ。親なら!!」
とか、失言にもほどがあるでしょ。

この掲示板のURLをほうぼうに送りつけて大炎上させたい気持ちがムラムラとわいてくるんだけれど、
Aの御前なのでやめておきます。
(まあ、すでにAは俺がウザすぎて見なくなっているかも知れないけれどねw)

絶歌の出版にはいろいろ問題はあるけれど、それ自体は法にたがうことではないし、再犯とか矯正なんて仰々しい言葉を使うものでもないと思う。

くそ餓鬼さんがなんでAに会いたいのかも分からない。

Aには生まれつきの発達障害があるという前提のもと、
また、僕に近い性格だという理解のもと、
あまり会いたい会いたいと言ったら精神的に負担になると思っている。
バカ話ならともかく、あまり知らん人にあれこれ聞かれるの嫌でしょ。

僕はAが嫌だと思う気持ちなど百も承知のうえで、出版した責任の取り方としてジャーナリストの取材を受けろと言ったが、
くそ餓鬼さんの「矯正させて会いたい」というのはよく分からん。
それ最初から無理でしょ。

53くそ餓鬼:2015/08/14(金) 18:09:31
>>51-52
はあ・・・疲れる・・・お前を育ててる暇はないんだけど・・・?レス欲しいか?

54くそ餓鬼:2015/08/14(金) 18:14:14
>>49
会ってくれないと思うけどw シンは家族批判されるのは何より嫌いだろw

でも、もし遠目に見ることがあったら、歩き方を見てみたいなぁ。全体の印象と。

55名無しさん:2015/08/14(金) 18:59:03
柊さん黙ってて下さいよ

56くそ餓鬼:2015/08/14(金) 19:23:55
>>51-52
『毒親』という言葉を知らんのか、お前は?
シンも親も悪くないと言うなら、その上、そのまた上・・必ずどっかに原因がある。
徐々に溜まってった間違った伝承がある。
別に悪気があってやった訳じゃないのも100も承知。

でももう、その上が死んじまったもん、シンの親が悪くなくても謝るしかないんじゃないか?
つーか悪くないことねえよ、ここまで異常事態が起きてるんだから。
シンの方がずっと親より反省してるし、大人だし・・ここまでシンが頑張ってんだから、同じ人間ができて、シン親だけできないってことはないだろ!!

普通の沖縄人は、サスケの餌を横取りするノラ猫を威嚇するためにエアーガン買ってくんのか?

詳しい人が見たって、詳しくもない世間が見たって、親については庇いすぎてて不自然なほどなんだよ!!!!

つーか、ホントに黙っててくれ!!
話の腰折られて俺が何言いたかったのかも忘れたし!!!!

57くそ餓鬼:2015/08/14(金) 19:40:54
シン父はともかく、母は・・・

他者に対する共感能力というのがないよな・・・人として、母として、一番大事なそれがない・・。
息子が見てきた景色を一度でも、想像したことがあったんだろうか・・・

『絶歌』をよーーーく読んで、で、できれば、俺も話したい。
絶対責めたりしないから、メールくれると嬉しいです。

58くそ餓鬼:2015/08/14(金) 21:22:47
「火垂るの墓」やってるな・・今見てる・・
神戸だし、14歳だし・・

>>51
いや、親が自分を責め苦しんだってしょうがない。
親自身もどこか育て損なわれてしまってるんだから。

だからさ、してもらったことしか出来ないんだと思う。

59:2015/08/14(金) 22:15:13
発達障害には遺伝的な要因があるのですね。

母親に共感能力がないなら、
そのせいで育て方が悪くなったという説よりも、
共感能力がない母親の遺伝子を子が受け継いだという風に解釈するのが自然です。

くそ餓鬼さんはA(の家族)のことを詳しく知っているかも知れないが、
それを評価する精神医学の知識はゼロですよ。
いや、本当に。

60名無しさん:2015/08/14(金) 22:25:28
自分の子が障害児だった場合、同じ発言をするのかな

>シンは家族批判されるのは何より嫌いだろ

わかってて他人の文句ばかり言って、語尾にはw
小馬鹿にするくそ餓鬼

何様だよ

61名無しさん:2015/08/14(金) 22:33:51
>>59
お前本当に黙れよ

62くそ餓鬼:2015/08/14(金) 22:34:53
>>59
評価してるつもりない・・精神医学や他の犯罪に興味もねえし。

まあ、でも、解決できない気はしてる・・
母親と話してみたところで。

俺だって愛着障害なのにさ。人のこと気にしてる余裕なんてねーし。

しばらく俺書き込みやめるわ。俺の問題に集中する。

63名無しさん:2015/08/14(金) 22:37:07
柊は自演するやつだから60も柊にみえる
ただただうっとうしいの分からんかなー

64:2015/08/14(金) 22:44:32
発達障害について勉強していると

子供がアスペルガー症候群で、
話を聞いてみたら母親もアスペルガー症候群だった。
子と親がともにアスペルガー症候群で、家庭内ではいざこざが絶えなかった。
ご家族で発達障害に取り組んでください。
という事例はあるんですね。

家族で取り組む問題ではあっても、遺伝的なものなので誰かが謝るような問題ではないこともあるんです。

65名無しさん:2015/08/14(金) 23:23:24
柊さんはメガネ系ファンスレにこもっててほしい…

66名無しさん:2015/08/14(金) 23:24:24
遺伝と環境の相互作用だ。どちらか一方ってことはない。
仮にシンが生後間もなく里子に出され、違う人間・違う環境で育てられてたとしたら
健全かどうかは置いといて、また違った人格になってた。

67名無しさん:2015/08/15(土) 00:20:10
くそ餓鬼が謝らせたいのはシン親ではなく、くそ餓鬼自身の親だ。
それが叶わないからシンに自分を投影してシン親に代理で謝罪させようとしてる。

実際のシンはそこまでを自分の親に求めていないように思う。
「母親は悪気があって僕をこういう風に生んだんじゃない」とどこかで諦め終止符を打った。
異常な躾についても同様、「僕を嫌いなわけじゃない」と言い聞かせ、もしかしたら許容してる。
少年時代のシンの言葉を借りればまさに”マザコン”。母親に対する一種異様な愛着がそうさせた。
少なくとも自分はそう読み取った。

68名無しさん:2015/08/15(土) 00:26:11
くそ餓鬼さんの帰りを待つ

69:2015/08/15(土) 08:00:46
Aくんは絶歌発売後、何か気晴らしをしているのかな?

絶歌にこめた思いはよくわからなくなってきたが、ネットをみてると自分の意図したような感想ばかりでなくてイライラするよね。
くそ餓鬼さんが書き込まない宣言をしたことだし、しばらく絶歌から離れてどこかで遊びまくったらいい。

70くそ餓鬼:2015/08/15(土) 11:53:01
>>69
お前はアク禁しとく。もうあらゆる意味で面倒くさい。時間もないし、俺がいない間荒されても国民たちに悪いし。
ここはお前のオナニー場じゃない!!

71くそ餓鬼:2015/08/15(土) 12:11:57
巻き添え規制の奴いたら、すまん!!
全体的に規制をちょっと厳しくしといた。

>>60
IP見たからお前が誰か分かったが・・・何やってんだ??どうしたんだ??
俺がファンなの知ってるだろ!!子供が障害児だった!??

生まれつきの肉体的な障害児はいるが(アスペとかもそう。脳障害)、精神奇形児はいない。
つまり、生まれつきで、どう育てたとしても、殺人犯になるしかないような精神は有り得ない!
そう育てられてしまっている!!それが俺の結論で、東のことに興味がないなら、黙ってろよ!!!
今俺は、自分のことと、東のことでいっぱいいっぱいだ!!!

72くそ餓鬼:2015/08/15(土) 12:18:22
いやあ、、アスペは自閉症の一種だから脳障害とは限らないかな・・・?精神もあるかな?
まあ、いいや。興味ねええ・・!!とにかく!!シンが「生まれつき」の精神奇形児なんてことはない!!!
究極育てにくい奴だとは思うが、だから親に同情もするが、原因は親と環境だと思う。今もなお!!

73くそ餓鬼:2015/08/15(土) 12:31:14
同時に解決しようかと思ったけど、無理。ジャマが入りすぎて無理。
それに今のままじゃ解決できないから、もし、俺の問題が解決できたら、
東の方も何かちょっとでも変わるかも・・・分からんけど・・・

>>67
今俺の親に向かい合って、やってみてるところだよ・・まだ諦めてはいない!!
シンは親に何も期待してないよな。。親だって悪気はないし、あったとしても、誰でもあるようなほんの些細な自己中のレベル。
けど、これは俺のあてずっぽうなので実際はわからん・・親が正直になってくれないと・・・!

74ぽえーん:2015/08/15(土) 12:55:58
東が見てるかも知れないと聞いて貼りたくてたまらんのできたw

             _,,..r'''""~~`''ー-.、
            ,,.r,:-‐'''"""~~`ヽ、:;:;:\
           r"r          ゝ、:;:ヽ
   r‐-、   ,...,, |;;;;|       ,,.-‐-:、 ヾ;:;ゝ
   :i!  i!  |: : i! ヾ| r'"~~` :;: ::;",,-‐‐-  `r'^!  東真一郎見てる〜?
    !  i!.  |  ;| l|  ''"~~   、      i' |     イェ〜イ
     i! ヽ |  | |    ,.:'"   、ヽ、   !,ノ
    ゝ  `-!  :| i!  .:;: '~~ー~~'" ゙ヾ : : ::|
   r'"~`ヾ、   i! i!   ,,-ェェI二エフフ : : :::ノ~|`T
  ,.ゝ、  r'""`ヽ、i! `:、   ー - '" :: : :/ ,/
  !、  `ヽ、ー、   ヽ‐''"`ヾ、.....,,,,_,,,,.-‐'",..-'"
   | \ i:" )     |   ~`'''ー---―''"~
   ヽ `'"     ノ

75ぽえーん:2015/08/15(土) 13:09:57

        ∬ ∬    ∬ ∬    ∬ ∬  +
   +     人      人      人     +
         (__)    (__)    (__)
  +    (__)   (__)   (__)     +
.   +   ( __ )  ( __ )  ( __ )  +
      ( ´∀`∩ (´∀`∩) ( ´∀`)
 +  (( (つ   ノ (つ  丿 (つ  つ ))  +
       ヽ  ( ノ  ( ヽノ   ) ) )
       (_)し'  し(_)  (_)_)

76ぽえーん:2015/08/15(土) 13:13:50
        。oO             (  )
   (´-ω-`) スピー           ノ( * )ヽ
   (∩  ∩)               ノωヽ

                        (  )
  Σ(´・ω-`) ハッ!!       ブリブリ ノ( * )ヽ
   (∩  ∩)            ●彡ノωヽ

                 ┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨
          ヘ(`・ω・)ノ
        ≡ ( ┐ノ
       :。;  /          ●

                          ムシャムシャ
                    (`・ω・´)
                   (ノ●\)

77くそ餓鬼:2015/08/15(土) 13:33:37
まあいいや・・・ホントに落ちる。しばらく俺の問題に集中する。
>>74-76
荒すな!!!そこ!!!!!

78ぽえーん:2015/08/15(土) 16:27:41
嫌(´・ω・`)ス

79ぽえーん:2015/08/16(日) 18:13:20
まぁあたしゃ元々、柊や名無しと同じ意見なのは周知の事実だけど
くそ餓鬼に一般常識を説いても無駄なのも知ってるから
これからも生暖かく生存確認しにくるぜΨ(`∀´)Ψ

80くそ餓鬼:2015/08/16(日) 18:24:03
一般常識なんて、俺にとっては糞食らえだ!!!

81名無しさん:2015/08/19(水) 16:13:01
ほほう。

82名無しさん:2015/08/20(木) 01:47:40
くそ餓鬼さん

83くそ餓鬼:2015/08/22(土) 01:06:11
>>82
おう。俺を気にせず、お前らどんどん書けよ!!話すこといっぱいあるだろ!
シンがこんだけ全力投球したんだから。

84名無しさん:2015/08/23(日) 22:19:09
和解出来るといいが。
仮にうまくいかなくてもようやく親離れに一歩近付けるか。
くれぐれも妙な気を起こしませんように。

86くそ餓鬼:2015/09/19(土) 21:50:06
今年6月に手記『絶歌』(太田出版)を出版したこの元少年Aが、
女性セブン編集部に手紙を送ってきた。そこでは自らの公式HPを開設したことが明らかにされるとともに、当初手記を出版
する予定だった幻冬舎の見城徹社長とのやりとりが書かれていた。あるテレビ番組で見城氏を知ったAは、彼に心酔。
見城氏に手紙を送り、自らを売り込んだのだ。

 女性セブン編集部に届いた手紙には、Aの売り込みに対して見城氏が書いたとされる返信も続けて載せられていた。

《私は元少年A[酒鬼薔薇聖斗]という著者名で本を出す気持ちはありません。喩え、最初は商業的に失敗してもあなたの
作品は本名は無理でしょうからペンネームで出されるべきだと考えます。

 すなわち、フィクションまたは、実録暴露物ではないノンフィクション作品を書くべきだと思います。かつての匿名の犯罪者の
名前を冠して何かを書くというのは、私は賛成しかねます。もしそれでよろしければ、もちろん私も関わりますが、うちの担当
編集者チームによって出版を目指すということにやぶさかではありません。(中略)それはあなたにとって地味な作業になる
だろうと予測されますが、表現の真っ当な道だと思うのです。湧き上がる衝動を実際に現実化させない為に想像力としての
「犯罪」である表現はあるはずです。

(中略)あなたの望んでいることの中に、センセーショナルな商業的な成功が含まれているとするならば、私と私の会社は
不適任かもしれません。

 弱気な言葉のように聞こえるかも知れませんが、私は懸命に昼の世界に生きるそれぞれの溜息と人の良さを受け止めて
生きてきたつもりです。社員を含めて守るべき人達もいます。あなたと少しでも関わる以上、今、述べてきたことは譲れない
一線だと考えています》

 手紙ではその後、Aと見城氏との7通の私信のやりとりの公開が続く。

2013年初頭、Aは見城氏と編集者3名からなるプロジェクトチームと顔を合わせ、本格的に『絶歌』の執筆作業を始めた。
原稿が形となったのは2013年末。以後、打ち合わせを重ね、修正を繰り返していた。

 しかし今年1月、Aにとって転機となる出来事が起きる。『週刊新潮』で手記の出版計画が報じられたのだ。同記事には出版
に強く反対する遺族の肉声が掲載された。これがきっかけで出版社内でも慎重論が盛り返し、Aの心は揺れ動く。Aはこう記した。

《本当にこの本を出すべきだろうか?と自問自答するようになりました。(中略)手記の出版をきっぱり諦めようと思い、
編集チームにその旨をメールで伝えました》(以下《》内はAの手紙から)

 結果、Aの手記は太田出版から出されることになった。しかし、ここから手紙のトーンは大きく変わる。出版に前後して見城氏や
編集チームの対応に強い不満を抱くようになったことが明かされ、以降、内容の真偽は不明だが、見城氏に対するAの常軌を
逸した憎悪がひたすら綴られていく。

87くそ餓鬼:2015/09/19(土) 21:53:33
 引き金は、見城氏が『週刊文春』のインタビューで答えた文言だった。出版されたAの手記について見城氏は「僕は読んでい
ないんだけど」と語っている。しかしAは見本本とお礼の手紙を送り、感想を受け取ったのだと主張した。

《出版後、世間からの批難が殺到すると、見城氏は態度を豹変させ、靴に付いた泥を拭うように、僕との接点を“汚点”と見做して否定しました》

《彼(見城氏)にとって“少年A”は「自分に箔を付けるための物珍しい奇怪なアクセサリー」だったのでしょう。(中略)見城さん、
この僕の悔しさ、惨めさがあなたにわかりますか?》

 最後に見城氏に会った日については、こうも綴っている。

《光景を思い出すたび、身体の奥底から悲しみと怒りと悔しさのトルネードが巻き起こり、内臓を捩じ切られるような思いです》

 些細な齟齬があったのかもしれないが、足かけ2年にわたりかかわりを持ち、かつては心酔してきた人間を、なぜ手のひらを返した
ようにこれほど攻撃できるのか。手記出版の舞台裏を知るある人物にこの手紙を見せたところ、絶対匿名を条件にこう語った。

「手紙を見る限り、記されているAと見城氏のやりとりは本物です。Aしか知り得ない事実も綴られていることから、A本人が書いた可能性
が極めて高い。ただ、なぜあれほど崇拝していた見城氏にこれほどの罵詈雑言を浴びせるのか。そこが不可解です」

 前述の返信にも見られるが、見城氏は当初から一貫して手記を出版することはできないという立場をとっていた。

「ただしいくつかのハードルをクリアすればあるいは出版する可能性は0ではないと考えていたようだ。それは匿名ではなく本名で書くこと、
遺族に説明し理解を得ること、なにより贖罪の気持ちを強く持つことの3つ。編集チームとしても、もしそのハードルがクリアされ、
世に出すべきタイミングが来たら…という気持ちも当然あったと思います。

 しかしそれは、あくまで手記ではなく、Aの書く小説やエッセイや別のなにかという形を考えていた。Aにもその点は何度も伝えていたはずです」(前出・事情を知る人物)

 そして編集チームはAの執筆活動に関わっていく。Aは見城氏から金銭的な援助も受けていた。Aがある程度の形となった原稿を編集
チームに見せたのはいまから1年9か月前のことだった。

「Aと編集チームの意見がすれ違うようになったそうです。Aはあくまであの事件の手記という形や描写にこだわりをみせていた。
その頃『週刊新潮』で手記の出版計画が報じられました。何度かAとの話し合いは続いたようですが、最終的に幻冬舎は出版を断念し、
Aの意向もあって太田出版から出すことを決めた。ですから、Aが何の点で見城氏に裏切られたのかわからない。見城氏が“まだ読んで
いない”とインタビューで答えたのも“完成本は読んでいない”ということでしょうし、手記を否定したわけでもAを拒絶したわけでもない
ですからね」(前出・事情を知る人物)

 Aは出版直前からこんなことを口にするようになっていたという。

「この手記は100万部は売れるはずだと豪語していたそうです。絶対的な自信があったんでしょう。プロモーションのためにホームペー
ジを立ち上げたいということもこの頃から考えていたようで、出版サイドからたしなめられたこともあったそうです。今の25万部への不満
がこのような形に出たのかもしれない」(前出・事情を知る人物)

88くそ餓鬼:2015/09/19(土) 22:11:43
■出版をあきらめようとした少年Aに見城氏が出版をけしかけていた

〈この本(『絶歌』)の出版に至る経緯を巡り、6月25日発売(編集部注・実際は6月18日発売)の『週刊文春』に“少年A「手記」出版 禁断の全真相”と題された、
幻冬舎社長・見城徹氏の独占インタヴューが掲載されました。しかしこの記事の内容は残念ながら事実とは異なっていました。
僕は当事者としてありのままの真実を包み隠さずきちんと伝える義務を感じ、今回独断で筆を執らせていただきました〉(「週刊新潮」、以下「新潮」より)

 本サイトでもいち早く報じたとおり、そもそも『絶歌』は元少年Aが幻冬舎の見城氏に直々に出版をもちかけ、幻冬舎でも編集チームを組んで出版計画を進めていた。
しかし、出版を途中で見城氏が断念し、知り合いだった太田出版の岡聡社長に投げた──という経緯がある。
6月の「週刊文春」(以下「文春」)のインタビューでは、見城氏はそうした疑惑に答えていたが、今回、Aはそのインタビューを「事実とは異なっている」と告発しているのだ。

では、Aは何に怒っているのだろうか。

 Aの手紙によると、彼は「異端者」を自ら名乗る見城氏の“生き方”に共感を寄せていた。そして、見城氏に手紙を書いた。
その文面が「新潮」では明かされているが、それは“熱烈なラブレター”としか表現できないものだ。ラブレターの最後、Aはこう綴った。

〈「もし死ぬまでに自分の本を出したいと思うことがあったら、頼めるのはこの人以外にあり得ない」そう直感しました〉

 見城氏はこの手紙に、〈心のこもった自筆のお手紙をありがとうございました〉と、指定された場所へ2013年1月17日にメッセージを出している。
このとき見城氏は、“フィクションか実話暴露物ではないノンフィクションならば出版するのはやぶさかではない”と打診。
Aは対面を希望し、幻冬舎内に極秘プロジェクトチームが結成される。

 だが、2014年の秋、最終修正を終えた原稿データを送っても、幻冬舎側から出版の目処について連絡がこないことから、Aは編集チームのひとりと面会。
その席で、〈市橋達也の手記出版後、幻冬舎に抗議が殺到したこと、また、やしきたかじんの闘病を描いた『殉愛』が遺族からの猛抗議を受け、さすがの見城社長も世間からの批判にナイーブになっている〉(「新潮」より)と説明を受ける。
そして、今度は「新潮」がAの手記出版の噂を嗅ぎつけ記事にしたのだが、その際、見城氏が「大体、手記を出したところで、売れないって」と否定したことから、
Aは〈「本当にこの本を出すべきだろうか?」と自問自答するように〉なったという。

 そして、見城氏に“関係者を悲しませたくない。出版を諦めます”という内容のメールを送っている。

 ところが、編集チームのメンバーからこう説得されたのだとAは手紙で明かす。以下、引用する。

〈2015年1月26日の昼過ぎ、外出中に編集チームのメンバーから電話があり、以下の話をお聞きしました。
「見城は、うちから出すのはもう難しいけど、でもやっぱりこの本は世に問うべきだと思う、『このまま出版を断念すれば活字文化の衰退になる』、とまで言っています。
(略)見城は太田出版の岡(聡)社長と親交があり、Aさんさえ良ければ、太田出版からこの本を出してもらえるよう、岡社長に話すつもりのようです。
岡社長に原稿を見せていいかどうかAさんに確認してくれと言われました。いかがですか?」〉

 ようするに、見城氏は困った少年Aを助けようとして出版社を探したのでなく、出版を断念しようとしていた少年Aをけしかけていたのだ。自社では出すつもりがないにもかかわらず――。

89くそ餓鬼:2015/09/19(土) 22:12:45
■ノリノリだった見城社長、Aの撮った事件現場の写真も掲載しようと…

 見城氏は「文春」のインタビューで、自社からの出版を断念後、「太田出版を含めた三社を彼に提案した」と語っていた。しかし、Aは〈これは虚偽です〉というのだ。

〈おそらく見城氏は、出版のために彼自らが積極的に動いた事実を隠すために、『三社を提案してAに任意で選ばせた』というイメージを世間に植え付けたかったのでしょうが、
そんなみみっちい嘘をついてまで自分だけ無傷で逃げおおせたかったのかと呆れ返ったものです〉(同前)

 しかもこのあとの2015年春、編集チームのメンバーと打ち合わせを行ったときのことも、見城氏は嘘をついているとAは怒りを隠さない。

〈文春の記事によれば、見城氏はこの最後の打ち合わせで「手記を出せないことを通告するつもりだった」と話していますが、これも虚偽です。
1月26日に編集チームのメンバーからもらった電話とメールで既に幻冬舎から出せないことは知っていましたし、何より僕自身、「手記の出版を諦める」という意向を伝えたまま、
再び出版を決意したことを見城氏にもチームの誰にも話していませんでしたので、わざわざここで改めて僕に「手記を出せないことを通告する」必要がどこにあるでしょうか。
実際は、「太田出版から手記を出すように何とかAを説得するため」に設けられた打ち合わせだったのです。
事実、見城氏はこのときすでに太田出版の岡社長に『絶歌』の企画を話しており、この日僕と会うことも事前に岡社長に伝えていました〉(同前)

 さらに、今回、「新潮」と同様にAの手紙を公開している「文春」の記事によれば、この打ち合わせで“里帰りした際に撮った友が丘(事件現場)の写真をカラーで載せたい”と話したというが、
6月のインタビューで見城氏は「『これはやめたほうがいいな』という写真だったから、案の定、『絶歌』でも載せていないね」と語っている。しかし、これも嘘だとAはいう。

〈実際は彼は文章と同時進行で写真を挿入するという案に僕以上に乗り気で、僕の左隣に座っていた編集チームメンバーに、
「おい、メモだ、メモを取れ」
と指示し、僕はそのメンバーに挿入する写真の点数と、どの章にどのようなレイアウトで挿入するつもりかを伝えました。〉(「文春」より)

つまり、遺族の感情を考慮すれば絶対にあり得ない事件現場の写真掲載を、見城氏本人はノリノリで指示していた、ということになる。
ちなみに、Aの手紙によれば、〈「これ(写真掲載)はやめたほうがいいな」と僕にアドバイスしてくださったのは、本当は太田出版の岡社長です〉という。

 その上、Aが太田出版からの手記発売を決め、原稿データなどを見城氏に託すと、〈満足気な笑みを浮かべ〉ながら、「君に言うつもりだったことがあるんだけど」と言ったという。

「週刊新潮の記事が出たあと、君から“関係者を悲しませたくない。出版を諦めます”ってメールがきたじゃない? 俺あのとき正直、心底ガッカリしたんだよ。
 なんだよ? そんなもんなの? ここまで身を削るようにして書いておきながら、“その程度のこと”で諦めちゃうの? 君の想いなんてそんなもんだったの? って。
 まぁでも君がそう言うなら仕方ないから、太田出版から出すのも無理なら、例えばフィクションものでも書いて、1000部とか2000部とか出して、それを繋ぎにしてさ、もうちょっと時間が経ってから君がまた“出したい”って言うのを待とうかな、っていうことも考えたんだよ。
 でも、良かったよ。君が出すと言ってくれて。(後略)」(「文春」より)

90くそ餓鬼:2015/09/19(土) 22:14:25
■「口だけの“ファッション異端者”」Aの見事な見城徹評

 Aからの“熱烈なラブレター”にすっかり気をよくして原稿を完成までもっていっておきながら、批判に晒される覚悟もなく、結局は太田出版に丸投げしておいて「“その程度のこと”で諦めちゃうの?」
「君の想いなんてそんなもんだったの?」と説教をたれる。……挙げ句、別れ際には「頑張れよっ!」と言って見城氏はAの肩を叩いたという。

 また、見城氏は「それ(打ち合わせ)以降、Aとは連絡を取っていない」と語っていたが、Aによると〈(『絶歌』の)出版の直前まで見城氏とメールのやり取り〉をしていたといい、
〈見城氏は文春の記者には『僕は読んでいないんだけど』などと話していますが、彼は確かに本を受け取り、「装丁も本文の構成も申し分ない。完璧だ」というメッセージもいただいています〉(前出「新潮」)と綴っている。

 見城氏の見事なまでの裏切り──。Aは手紙でその怒りを露わにする。

〈本が出るまではあれほど熱心に出版を勧め、いろいろと取り計らい、「“その程度のこと”で諦めちゃうの?」と、僕を煽るようなことまで言っておきながら、
今はもうこの本と関わったことさえ忘れたいというのでしょうか。自分だけ正義漢ぶって、よくここまで掌を返せるものです〉

〈見城氏はいろいろな場所でG(義理)N(人情)O(恩返し)こそが自分の信念であるとのたまっていますが、彼が“GNO”を貫くのはどうやら政治家、企業家、芸能人限定のようです。
相手が物を言えない元犯罪者であれば、尻を拭って便所に流してしまえば一件落着というわけです〉
〈かつては『心の父』と慕い、尊敬していた人物のみっともない醜態を見せつけられることほど辛いものはありません。
“共同体からすべり落ちた者の切なさと恍惚にいつも身を寄せていたい”?
 共同体からすべり落ちた者を誰よりも差別し、搾取し、踏みにじって食い物にしているのは彼自身です。僕が彼への手紙に書いた、『ずっと自分を蔑み、嘲り、排除しつづけた世界』の象徴が、他でもない彼だったのです。僕はとんだピエロでした。
 クラスのイケてる連中と必死につるむことで自分もイケてると勘違いする輩がいますが、彼も必死に有名人とつながることでしか、
容姿の醜さからくる劣等感や40年前に自分可愛さのあまり学生運動をリタイアした引け目を紛らわせなかったのだなと、少し哀れにも感じます。
 そんな彼にとって“少年A”は「自分に箔を付けるための物珍しい奇怪なアクセサリー」だったのでしょう。
 今頃は少年Aはあーだったこーだったと酒の肴にでもされているのかと思うと怒りの余り気絶しそうです。
 自分の人を見る眼のなさに絶望します。一時でも彼を信じた自分を呪います。
 見城さん、この僕の悔しさ、惨めさがあなたにわかりますか?〉

 Aは、見城氏のことを〈口だけの“ファッション異端者”〉(前出「文春」)ともいっているが、なかなか見事な見城評というしかない。
では、見城氏はこのAの反論にどう答えるのか。「新潮」の直撃に見城氏は「警察呼ぶよ。いまから警察呼ぶから」と拒否しているが、トークアプリ755ではこんな文章を投稿している。

〈今日は凹んでいます。国語力は人間力だと思ってますが、僕の言葉が不完全だったせいか、手痛い裏切りに遭いました。
全ては身から出た錆、不徳の致すところです〉
〈人を怒るのは己の未熟。人を恨むのも己の未熟。全ては天が見ている〉

91くそ餓鬼:2015/09/24(木) 02:52:25
週刊文春デジタル
《一挙掲載》少年Aから本誌への手紙 ついに酒鬼薔薇聖斗の正体を見た!

〈元少年Aです。〉で始まる2万字に及ぶ手紙。『絶歌』出版の経緯を報じた本誌記事に抗議した上で、〈本を出したことを後悔もしていません。〉と断言。文末には〈重要なお知らせ〉として、大きな活字で「オフィシャルホームページ」開設の告知がある。そこには本人の身長・体重、アドレスとともに全裸でナメクジにまたがる異様な“自撮り写真”が――。

〈元少年Aです。
 ご存知の通り、僕は2015年6月11日、太田出版より手記『絶歌』を上梓しました〉(以下、ゴシックはAの手紙からの引用)

 八月三十一日、本誌編集部に一通の封書が届いた。差出人は〈元少年A〉。中に入っていたのは二つ折りにされたA4用紙二十枚のワープロ打ちの手紙。そして、それと全く同じ内容のワードファイルが保存された一枚のDVD-Rだった。

 言うまでもなく元少年A(33)とは、一九九七年に十一歳の少年と十歳の少女を殺害した神戸連続児童殺傷事件の犯人である。二〇〇四年三月十日に関東医療少年院を仮退院し、社会復帰してから、彼がどこで何をしているのかは、謎に包まれていた。
 事件から十八年を経た今年六月十日、Aは突如甦った。手記『絶歌』が太田出版から発売されたのだ。事件の詳細や社会復帰までの日々を綴った同書は大きな話題となり、現在は二十五万部まで版を重ねている。

〈きちんと伝える義務を感じ〉

 だが、同時に厳しい批判を浴びることにもなった。出版にあたり、Aは被害者遺族に何の連絡もしていなかった。自らは匿名のまま、殺人事件の犯人が手記を刊行し、印税を得ることの是非や残額が一億円を超える賠償金の支払いに印税を充てることを明記していなかった点も、論議を呼んだ。
 だが、Aはそうした渦中にあっても、コメントを出すこともなく、頑なに沈黙を守り続けていた。そのAから、本誌に手紙が届いたのだ。
 本誌は『絶歌』刊行直後の六月二十五日号(六月十八日発売)において、出版の経緯を詳報した。当初、手記執筆をサポートしていた幻冬舎の見城徹社長が取材に応じ、出版を断念した理由や、太田出版の岡聡社長にAを紹介した事情について明かしている。
 この記事がAの琴線に触れたことは間違いない。冒頭で紹介した書き出しに続けて、手紙にはこう記されている。

〈この本の出版に至る経緯を巡り、6月25日発売(編集部注・十八日の誤り、以下同)の『週刊文春』に“少年A「手記」出版 禁断の全真相”と題された、幻冬舎社長・見城徹氏の独占インタヴューが掲載されました。しかしこの記事の内容は残念ながら事実とは異なっていました。僕は当事者としてありのままの真実を包み隠さずきちんと伝える義務を感じ、今回独断で筆を執らせていただきました〉

 だが、そもそも、この手紙は本当にA本人が書いたものなのだろうか。
 取材を進めると、二つの点から、「本物」であることが確認できた。
 第一に、本誌は六月に見城氏に取材をした際、二〇一二年冬にAから届いた手紙の文面を克明に明かされている。記事に掲載したのはその一部であったが、今回Aから届いた手紙には、六月二十五日号の誌面では紹介していない部分も含まれていた。そして、その文言は本誌が把握していたものと完全に一致した。
 第二に、あるルートを通じてA本人が本誌に手紙を送った事実を確認することができた。
 本誌は、二万三千字を超えるAからの手紙のほぼ全文を公開することを決断した。
 日本中を震撼させた殺人事件の当事者が自ら綴った手紙は、その内面に迫る上で第一級の資料である。しかもAによれば、本誌が報じた『絶歌』出版の経緯は事実と異なるというのだ。彼がなぜ手記を書いたのか、改めて検証する必要があるだろう。
『絶歌』出版により、Aの更生や遺族への贖罪意識には大きな疑義が生じている。ならば尚更、「少年Aとは何者なのか」を改めてこの手紙を基に読み解くことには、大きな社会的意義があると本誌は考える。それは現在の少年法の在り方、更生プログラムについての問題提起ともなるはずだ。
 手紙の紹介を続けよう。

〈事の始まりは2012年冬。僕は段ボール2箱分の缶詰を買い込み、カーテンを閉め切った穴蔵のような狭いアパートの一室に籠城し、版木に向かう棟方志巧(注・功)さながら、書き物机に鼻先をこすり付ける勢いで、体重をかけ一文字一文字刻み込むように見城氏への手紙を書いていました。実際に見城氏に送った手紙と一字一句同じ下書きが残っていますので、ここに転載します〉

 前述の通り、『絶歌』が太田出版から刊行される前、Aは幻冬舎で執筆を進めていた。そのきっかけは、Aが、二〇一二年冬に見城氏に出した手紙だった。Aは本誌への手紙で、その全文を再録している。

92くそ餓鬼:2015/09/24(木) 02:55:23
 見城氏の影響を受け、人生プランをこう定めた。

〈私もあなたに倣い、自分の人生を残り10年と決めました。私には、四十歳までに何としてでも実現したい具体的なヴィジョンがあります。そのために、この暑苦しい「普通の羊」の着ぐるみを脱ぎ捨て、9年ものあいだ封じ込めていた“異端の本性”を呼び醒まし、精神をトップギアに入れ、命を加速させ、脇目もふらず死に物狂いで「一番肝心な」三十代を疾走してやろうと決めたのです〉

 そして、最後に見城氏を“挑発”する。

〈闇に葬られた90年代最大の異端児を、日本少年犯罪史上最悪のモンスターを、他ならぬ「見城徹」の手で、歴史の表舞台に引きずり出してみたいとは思いませんか?〉

 年が明けた二〇一三年一月十七日、見城氏から返信が届いた。元少年Aという著者名で本を出す気持ちはないこと、フィクションもしくは実録暴露物ではないノンフィクションでなら出版は可能かもしれないとの趣旨だった。返信を受け、Aはこう返答した。

正体を明かすことへの恐怖

〈もし差し支えなければ、見城さんのご都合の良い日に、一度お会いすることは可能でしょうか?〉

 見城氏は複数の日時を提示し、面談が決まった。この時、Aはこう本音を吐露している。

〈自分から「お会いしたい」と言っておきながら、本音を言えば私のほうも怖くて仕方ありません。顔を見せ、この9年間誰にも暴かれることのなかった正体を明かす。それはひとつ間違えれば取り返しのつかないことになりかねません〉

 世間の目を忍んで息を潜めるように生活してきたAにとって「元少年Aとして」誰かに会うのは恐怖を伴うことであった。しかしAは執筆への熱意を抑えきれず、幻冬舎の会議室で両者が対面したのは二〇一三年初頭のことだった。
 Aが幻冬舎に赴くと、見城氏と編集者三名の「プロジェクトチーム」が待っていた。
 この面談から約一年たった二〇一三年の年末、Aは原稿を完成させた。それからは、細かな修正を繰り返し、見城氏や編集チームとの面談も経て、二〇一四年冬、最終的な修正を終えた原稿のデータをAは幻冬舎に送った。ただ、出版の目途はたたなかった。
 そして今年一月、重大な転機が訪れる。一月二十二日に発売された「週刊新潮」(一月二十九日号)で手記出版計画が報じられたのだ。記事の中では出版を否定する見城氏のコメントも掲載されていた。この事件は、Aの心を大きく揺さぶった。Aは手紙で、この時の心境をこう明かしている。

〈この記事を受け、僕自身、「本当にこの本を出すべきだろうか?」と自問自答するようになりました。いろいろ考えた末、手記の出版をきっぱりと諦めようと思い、編集チームにその旨をメールで伝えました。
 そこから4日後の2015年1月26日の昼過ぎ、外出中に編集チームのメンバーから電話があり、以下の話をお聞きしました。
「見城は、うちから出すのはもう難しいけど、でもやっぱりこの本は世に問うべきだと思う、『このまま出版を断念すれば活字文化の衰退になる』、とまで言っています。最近、毎日のように見城から電話がかかってくるんです。見城は太田出版の岡社長と親交があり、Aさんさえ良ければ、太田出版からこの本を出してもらえるよう、岡社長に話すつもりのようです。岡社長に原稿を見せていいかどうかAさんに確認してくれと言われました。いかがですか?」
 僕が太田出版と岡社長の名前を聞いたのはこのときが初めてです〉

 手紙では、この直後から見城氏への批判が始まる。

〈見城氏は文春の記者のインタヴューに『太田出版を含めた三社を彼に提案した』と答えていますが、これは虚偽です。僕は太田出版以外の出版社の社名を見城氏からも他の編集チームのメンバーからも一度も聞いたことはありませんでした。おそらく見城氏は、出版のために彼自らが積極的に動いた事実を隠すために、『三社を提案してAに任意で選ばせた』というイメージを世間に植え付けたかったのでしょうが、そんなみみっちい嘘をついてまで自分だけ無傷で逃げおおせたかったのかと呆れ返ったものです。
 僕はこのときは、
「済みませんが、即答できません」
 と答えました〉

 Aは迷っていた。

始まった見城氏への憎悪

〈一度は出版を諦めたものの、この日を境に僕は心が揺れ動きました。
 というのも、この頃の僕は見城氏に心酔していたのです。
「百匹の羊の共同体の中で一匹の過剰な、異常な羊、その共同体から滑り落ちるたった一匹の羊の内面を照らし出すのが表現だ。そのために表現はある」
 そう言ってのける彼のことを最高にかっこいいと思っていました。自分のような異端者にとって、彼こそはメシアであり、彼の創った幻冬舎は、呪われた異端者たちにとってのノアの方舟である、と信じて疑いませんでした。
“見城さんがそこまで言うのであれば……”

93くそ餓鬼:2015/09/24(木) 02:56:57
 僕は決心し、それまでに書いた原稿をもう一度最初から読み返して細かな修正を施し、さらに少年院仮退院後、友が丘(注・事件現場)に行った際に撮った街の風景の写真も文中に挿入し、自分にとって完璧な状態に仕上げました。
 こうして最終調整を終えた『絶歌』の原稿を携え、2015年春、都内のホテルでの最後の打ち合わせに赴きました〉

 見城氏との最後の対面となったこの打ち合わせを契機に、Aは見城氏を激しく憎悪するようになった。
 何がAを怒らせたのか。

〈僕は、再び出版を決意したことをまだ見城氏やチームのメンバーには伝えていませんでした。文春の記事によれば、見城氏はこの最後の打ち合わせで「手記を出せないことを通告するつもりだった」と話していますが、これも虚偽です。1月26日に編集チームのメンバーからもらった電話とメールで既に幻冬舎から出せないことは知っていましたし、何より僕自身、「手記の出版を諦める」という意向を伝えたまま、再び出版を決意したことを見城氏にもチームの誰にも話していませんでしたので、わざわざここで改めて僕に「手記を出せないことを通告する」必要がどこにあるでしょうか。実際は、「太田出版から手記を出すように何とかAを説得するため」に設けられた打ち合わせだったのです。事実、見城氏はこのときすでに太田出版の岡社長に『絶歌』の企画を話しており、この日僕と会うことも事前に岡社長に伝えていました〉

 Aは打ち合わせの冒頭で、太田出版から手記を出版する意向を幻冬舎側に伝えた。

〈見城氏が到着して打ち合わせが始まると、僕は開口一番、
「これまで書いたものを最初から読み返し、自分にとって完璧な状態に仕上げました。太田出版から出させてください」
 と言いました。
 見城氏がこのとき“耳を疑った”のは、“太田出版から出版するよう説得する必要がなくなった”からです。
 僕は続けてこう言いました。
「事件後、友が丘に里帰りした際に写真をたくさん撮っていたので、文中に挿入しています。僕としては、少年Aと一緒に友が丘の街を歩くという臨場感を読者に味わってもらうために、この写真はすべてカラーで載せてほしいのです」
 見城氏は、文春の記者にはこのとき僕が見せた友が丘の写真について、
「『これはやめたほうがいいな』という写真だったから、案の定、『絶歌』でも載せていないね」
 と語っていますが、実際は彼は文章と同時進行で写真を挿入するという案に僕以上に乗り気で、僕の左隣に座っていた編集チームメンバーに、
「おい、メモだ、メモを取れ」
 と指示し、僕はそのメンバーに挿入する写真の点数と、どの章にどのようなレイアウトで挿入するつもりかを伝えました。
 別の編集チームのメンバーがこの案に対し、
「カラーで挿入するのは難しい。できるとしても写真だけ独立した形で掲載することになると思うよ」
 と意見を出すと、見城氏はすかさず、
「文章と同時進行で掲載しないと効果が半減するだろう。写真を挿入する章だけ四色刷りにすればいい」
 と言っていました。
「これはやめたほうがいいな」と僕にアドバイスしてくださったのは、本当は太田出版の岡社長です。
 僕はひとまず仕上げた原稿と、テキストデータと挿入写真のデータを収めたディスク、太田出版の岡社長に宛てた手紙を見城氏に託しました。
 見城氏は満足気な笑みを浮かべ、僕にこう言いました。
「いやぁ〜、拍子抜けしたよ。もう君は出すつもりがないと思ってたから。それを想定して、君に言うつもりだったことがあるんだけど、それはもういいか? それとも聞いておくか?」
「聞いておきます」
 僕が答えると、彼はつづけました。
「週刊新潮の記事が出たあと、君から“関係者を悲しませたくない。出版を諦めます”ってメールがきたじゃない? 俺あのとき正直、心底ガッカリしたんだよ。
 なんだよ? そんなもんなの? ここまで身を削るようにして書いておきながら、“その程度のこと”で諦めちゃうの? 君の想いなんてそんなもんだったの? って。

再現映像のような描写力

 まぁでも君がそう言うなら仕方ないから、太田出版から出すのも無理なら、例えばフィクションものでも書いて、1000部とか2000部とか出して、それを繋ぎにしてさ、もうちょっと時間が経ってから君がまた“出したい”って言うのを待とうかな、っていうことも考えたんだよ。
 でも、良かったよ。君が出すと言ってくれて。
 なぁ、みんな一人ひとりどう思ってる?」
 見城氏は、その場にいた編集チームのメンバー全員に意見を仰ぎました。

94くそ餓鬼:2015/09/24(木) 03:05:49
 僕の左斜め向かいに座っていたメンバーは、
「この原稿が、今ここに“在る”っていうこと自体が凄いことだと思います。出されるべきです」
 と答えました。
 僕の左隣に座っていたメンバーは、
「これまでメール交換でもお伝えしていましたけど、やっぱりこの本は世に問うべきだと思います」
 と答えました。
 テーブルの右端に座っていたメンバーは、
「これはフィクションとして出しても意味がない」
 と答えました〉

 この直後、太田出版の岡社長とAは出会う。まるで映像を再現するかのような臨場感のある描写で、Aはそのシーンを綴っている。

〈それから話は、太田出版の岡社長のことに及びました。
「実は太田出版の岡には、もうずいぶん前から君のこと話してるんだよ。今日会うことも伝えてある」
「岡さんには僕のことをどこまで話しているのですか?」
「君とコンタクトを取って、本の出版のための編集作業を続けてきたこと。君が事件のあと本当に後悔して、苦しんで苦しんで、毎日胸を掻き毟るようにして必死に生きてきたこと。原稿は文学としても優れていて、これは絶対に世に問うべきだ、もしうちで出せなくなったら、そのときは太田出版から出してもらえないだろうか、っていう話をしている。どうだ? この僕の君への理解は合っているか?」
「はい。よく理解して、伝えてくださっていると思います。それで、岡さんは何と言っているのですか?」
「彼も“是非やりたい”そうだ」
 実際は、太田出版の岡社長は「是非やりたい」などとは言っていません。岡社長は、
「幻冬舎で編集作業を続けてきたのであれば、それは幻冬舎から出されるべきです。それに、少年Aが書いたというだけで出すことはできません。まずは原稿を読んで検討しないと何とも言えません」
 と、飽くまで“編集者”として至極真っ当で、誠実な対応をされていました。
 見城氏は唐突に、
「どうだ? 今日これから岡に会ってみないか?」
 と言い出しました。
 僕は、まさかこの日岡社長にお会いすることになるとは予想しておらず、内心動揺しました。
 まずは見城氏を介して岡社長に原稿と手紙を渡し、その後メール交換等で話が進んでいくのだと何となく考えていたからです。
「岡社長は、呼べばここへ来ていただけるのですか?」
 僕が尋ねると見城氏は携帯電話を取り出しながら、
「来てくれるよ。今電話してみるか?」
 と言いました。
 今思うと失礼極まりない話ではありますが、僕は太田出版から出してもらいたいと決意はしたものの、このときはまだ岡社長の人柄が分からず、直接お会いすることにためらいがありました。
 僕が頷くと、見城氏は岡社長に電話をかけました。
 そして岡社長が電話口に出られた瞬間、僕は見城氏に、
「ちょっと待ってください。とりあえず一回切ってもらえますか?」
 と言いました。

別れの場面でAの怒りは頂点に

 余りに長い年月正体を隠して生きてきたため、僕は未知の他人と“少年A”として会うことに並々ならぬ恐怖心を抱いていたのです。
 見城氏は、既に電話に出られていた岡社長に、
「ちょっとこのまま待っててくれる? 切らないでよ?」
 と伝え、一旦電話を置きました。
 僕は見城氏に聞きました。
「例えばですけど、幻冬舎を介して、岡社長とお会いせずに出版するということもできるのですか?」
 見城氏は答えました。
「別にできるよ。そういうパターンで出版される本もあるからね」
 僕は続けて問いました。
「でも、それだと迷惑になりますよね?」
「迷惑だよ。できなくはないけどね。でもさぁ、本の出版をお願いする会社の社長だよ? 君も会えばわかるけど、絶対信頼できる人だよ。
 みんなはどう思う? 会うべきかどうか。
 もう遠慮しないでいいよ。ここはガチンコで本当のことを言ってよ」
 見城氏に意見を求められた3人のメンバーはそれぞれ、
「会う“べき”だと思います」
「会ったほうがいいと思います」
「会わなきゃ何も始まらないでしょ」
 と答えました。
 僕はここにきて、4人がかりで説得されるような形でようやく岡社長にお会いする決心がつき、
「わかりました。お会いさせてください」
 と見城氏に伝えました。
 文春の記事にあるように『太田出版の社長にどうしても会いたい』と僕のほうから言い出したわけではありません。

95くそ餓鬼:2015/09/24(木) 03:07:54
 見城氏はもう一度チーム一人ひとりに、
「いいか? 本当にいいか? もう後戻りできないぞ?」
 と興奮気味に確認した上で、岡社長に、
「今日入ってる予定を全部キャンセルして、今すぐタクシーに飛び乗って**(ママ)ホテル**(ママ)号室まで来てくれ」
 と伝えました。
 間もなく岡社長がホテルに到着しました。
 これが、僕と岡社長との出会いです。
 岡社長は軍人を思わせる偉丈夫で、強靱な肉体と柔軟な思考力を併せ持ち、“柔らかい鋼鉄”と評したくなるような、未だかつて遭遇したことのないタイプの魅力的な人物でした。何より、僕のような“はぐれ者”に対する愛に満ち溢れていました。もし見城氏よりも先に岡社長の存在を知っていれば、最初から岡社長に出版を希望する手紙を送っていたことは間違いありません。
 僕と岡社長を引き合わせると、見城氏と幻冬舎の編集チームは退室しました〉

 ここに至り、『絶歌』出版は幻冬舎から、太田出版の手に委ねられた。Aからの最初の手紙が見城氏に届いてから二年以上が経過していた。そして、見城氏との別れの場面で、Aの怒りは頂点に達する。

〈帰り際、見城氏は僕のほうへ歩み寄り、
「まぁ、柄じゃないんだけど……」
 と、恥ずかしそうに右手を差し出し、僕に握手を求めてきました。
 手を握りながら彼は僕の肩を気合いを入れるようにポンッと叩き、
「頑張れよっ!」
 と言って出て行きました。
 このときの光景を思い出すたび、身体の奥底から悲しみと怒りと悔しさのトルネードが巻き起こり、内臓を捩じ切られるような思いです。
 人は、これから裏切る相手と、あんなに晴れやかな顔をして握手を交わせるものなのか……
 このときの見城氏ほど醜い顔をした人間を、僕は見たことがありません〉

 Aは、見城氏から「利用され捨てられた」と思い込んでいるようだ。見城氏が取材に応じた本誌記事の発売後、幻冬舎側から、なんの連絡もなかったことにも怒りを露にしている。

〈『それ以降、Aとは連絡を取っていない』(6月25日発売 週刊文春)
 見城氏はここでも醜い嘘を塗り重ねていました。僕はこの日以降、出版の直前まで見城氏とメールのやり取りをし、見本が上がったときには見城氏と編集チームメンバーにお礼の手紙を添えて一冊ずつ渡しました。見城氏は文春の記者には『僕は読んでいないんだけど』などと話していますが、彼は確かに本を受け取り、「装丁も本文の構成も申し分ない。完璧だ」というメッセージもいただいています。しかし出版後、世間からの批難が殺到すると、見城氏は態度を豹変させ、靴に付いた泥を拭うように、僕との接点を“汚点”と見做して否定(注・し)ました。
 本が出るまではあれほど熱心に出版を勧め、いろいろと取り計らい、「“その程度のこと”で諦めちゃうの?」と、僕を煽るようなことまで言っておきながら、今はもうこの本と関わったことさえ忘れたいというのでしょうか。自分だけ正義漢ぶって、よくここまで掌を返せるものです。

他者への執拗なまでの攻撃性

 6月11日に手記が出版され、6月25日(注・十八日)に週刊文春に見城氏の独占インタヴューが掲載されました。
 1月に出た週刊新潮の記事とは違い、それまでメールのやり取りをしていたにも関わらず、見城氏からも編集チームからも僕には何の連絡もありませんでした。それもそのはずです。もうこのときは前回とは違い、初めから確信犯的に僕を裏切るつもりだったのですから。
 記事が出てから現在に至るまで、未だに事後報告さえありません。この2カ月余りというもの、僕は悲嘆に暮れていました。僕を使い捨てのオモチャだとでも思っているのでしょうか。相手はまともに物が言える立場の人間ではない、だから棄てるも傷付けるも自分たちの自由だ、とでも〉

 ここから手紙は最終章を迎える。見城氏の“人格否定”が延々と続くのだ。
『絶歌』でみられた過度な修飾を用いた技巧的な文章は影をひそめ、Aは怒りを剥き出しにしている。
 手紙の中には、見城氏の名誉を著しく毀損する表現も多々あるが、Aの他者への執拗なまでの攻撃性を詳らかにするために、敢えてそのまま掲載する。

〈見城氏はいろいろな場所でG(義理)N(人情)O(恩返し)こそが自分の信念であるとのたまっていますが、彼が“GNO”を貫くのはどうやら政治家、企業家、芸能人限定のようです。相手が物を言えない元犯罪者であれば、尻を拭って便所に流してしまえば一件落着というわけです。

96くそ餓鬼:2015/09/24(木) 03:11:18
 君は現実の踏み絵を踏み抜いた。
 共同体的な善悪の判断は別にして、三島由紀夫も奥平剛士も踏み抜いた。
 僕は踏み抜けなかった。40年前のあの日、あの時、踏み抜くチャンスは幾らでもあったのに、踏み抜けなかった。
 君は踏み抜いた上で生き残った。
 そこには彼我の差があります。
 僕はこの吐き気を催す現実世界と、いとも簡単に表面的なシェイクハンドができたのです。
 つまり、僕はたべて苛酷にならない夢を今日まで生きたのです。

 見城氏はメールで僕にこう書いてきたことがありました。
 こんな蟻がたかりそうな甘ったるくて反吐が出るセンチメンタリズムに溺れながら、「365日外食です」などと自慢げに語り、タレントや政治家と仲良しゴッコに興じ美食に明け暮れていれば忘れられる程度の空虚感しか持ち合わせない者が、『異端者の快楽』などと片腹痛いです。
 僕は愚かにも見城氏の書いた本を大真面目に間(注・真)に受け、彼のアウトローの美学に惹かれ、尊敬していましたが、宮本武蔵が『五輪書』を著すことで自らを高めようと試みたように、彼が本に書いていた大仰なことは、彼が「本当はこうありたい」と願う理想のセルフイメージだったんだなと、今にして思います。
 彼は40年前と同じ、いやそれ以上に不細工なことをしました。“表面的なシェイクハンド”どころではありません。彼は吐き気を催す現実世界の前にいとも簡単に跪き、生まれてこの方この世のどこにも居場所がなく、ずっと異端として生きつづけ、彼の言葉を信じ、彼の著作に救いを見出し、彼に忠誠を誓った僕を生贄に捧げ、“異物排除”を連呼する共同体の靴に接吻するという、切腹ものの生き恥を晒したのです。そうすることで彼は僕だけではなく、彼自身の信念(もしそんなものがあったらの話ですが)をも裏切ったのです。

この悔しさがわかりますか?

 かつては『心の父』と慕い、尊敬していた人物のみっともない醜態を見せつけられることほど辛いものはありません。
“共同体からすべり落ちた者の切なさと恍惚にいつも身を寄せていたい”?
 共同体からすべり落ちた者を誰よりも差別し、搾取し、踏みにじって食い物にしているのは彼自身です。僕が彼への手紙に書いた、『ずっと自分を蔑み、嘲り、排除しつづけた世界』の象徴が、他でもない彼だったのです。僕はとんだピエロでした。
 クラスのイケてる連中と必死につるむことで自分もイケてると勘違いする輩がいますが、彼も必死に有名人とつながることでしか、容姿の醜さからくる劣等感や40年前に自分可愛さのあまり学生運動をリタイアした引け目を紛らわせなかったのだなと、少し哀れにも感じます。
 そんな彼にとって“少年A”は「自分に箔を付けるための物珍しい奇怪なアクセサリー」だったのでしょう。
 今頃は少年Aはあーだったこーだったと酒の肴にでもされているのかと思うと怒りの余り気絶しそうです。
 自分の人を見る眼のなさに絶望します。一時でも彼を信じた自分を呪います。
 見城さん、この僕の悔しさ、惨めさがあなたにわかりますか?
 最後まであなたを信じ、礼を尽くし、感謝の意を述べて立ち去る者の背に唾をひっかけておきながら、『切なさと同時に安堵の気持ちがありました』(6月25日発売 週刊文春)などとよく言えたものです。何を泣ける美談にして一人で勝手に気持ち良くなっちゃってるのですか? 所詮あなたにとって「少年A」はそんな精神的オナニーのズリネタにすぎなかったのでしょうか。
 太田出版の岡社長や落合(注・美砂取締役)氏のように、見城氏は本当の意味で「個」で勝負できないのです。
 岡社長や落合氏は真に気高い出版魂を持った、エディターの鑑のような方々です。世間からの大バッシングのさ中にあっても、どこかの口だけの“ファッション異端者”とは違い、最後まで僕を裏切ったりはしませんでした。出版人としても、人間としても、岡社長や落合氏のほうが余程肝が据わっていますし、筋が通っていると思います。何よりお二方とも、人としての在り方が美しいです。

 これが、『少年A「手記」出版 禁断の全真相 “裏の裏”』です。

97くそ餓鬼:2015/09/24(木) 03:15:25
 ただ、経緯がどうであれ、最終的に出版を決意したのは僕自身の意志であり、その点に関して言い逃れをするつもりはありません。失ったものも大きかったですが、本を出したことを後悔もしていません。それだけははっきり明言しておきます。
 なお、今回貴社にこの文書を送付したのは完全に僕一人の判断です。太田出版は一切関係ありません〉

 見城氏が本誌に証言した『絶歌』出版の“真相”を〈虚偽〉だと断言し、一方的に自身の見解を書き連ねたAからの手紙。それは真実を明らかにしたいという思いよりも、心酔した見城氏に裏切られた恨みが過度に強調された極めて感情的な文章である。
 何より驚かされるのは、自意識、自己愛の過剰さと贖罪意識の決定的な欠如である。
 Aは二人の幼い命を奪った殺人者である。少年法が適用されたことで、早期に社会復帰を果たし、匿名のままで日常生活を送ることを許されている。
 まず彼がなすべきことは、些末な名誉回復などではなく、連絡もせず手記を出版したことを遺族に詫びることではないのか。三千万円を超える印税を手にしたはずだが、遺族への賠償金はどうなっているのか。手紙はそうしたことには一切触れていない。
 事情を知る出版関係者は、こう証言する。
「Aは『絶歌』出版の経緯そのものも“自分の物語”だと思っているようです。Aから見れば、見城氏は、そこに“嘘”を交えて世間に流布させた人物ということになるのでしょう」
 見城氏はAからの誹謗中傷に対してどう答えるのか。改めて取材を申し込むと、「今回は一切ノーコメント」と拒否された。
 だが直後に、見城氏はトークアプリ755でこうつぶやいている。
〈今日は凹んでいます。国語力は人間力だと思ってますが、僕の言葉が不完全だったせいか、手痛い裏切りに遭いました。全ては身から出た錆、不徳の致すところです〉
〈関わってはいけない人というのはいるんですね。僕は何とか手助けしようと思ったのですが、全く通じていなかったようです。僕の国語力の足りなさですね〉
 見城氏の知人が語る。
「見城氏は『Aの手紙は本物に違いないが、あまりに思い込みが激しすぎて相手にするに値しない。僕は何一つ自分に恥ずかしいことはない』と漏らしています。見城氏にしてみれば、四百万円以上の生活費を貸して執筆活動をサポートし、編集チームを作って、膨大なやり取りを経た上で、出版先も紹介した。やり取りの中で見城氏は、『生きたいと思う二人の人生を奪ったことをもっと真剣に考えなきゃダメだ。贖罪の意識がない』などとAに忠告していたが、そうしたことは一切書かれていない。あまりに一方的なAの攻撃に、恐怖さえ感じているようです」
 Aの暴挙はそれだけではない。今回の手紙の中で、最も許しがたいのが最後のくだりである。

〈情報発信をしていく所存〉

〈最後に、重要なお知らせです。
 いろいろ思うところがあり、急遽ホームページを開設しました。
 無論、ホームページに関しても僕が誰にも相談せず一人で勝手にやったことであり、太田出版は無関係であることをお断りしておきます。
 元少年A オフィシャルホームページ
http://(略)
『存在の耐えられない透明さ』
 まだ立ち上げたばかりで方向性も何も決まっていませんが、今後はこのホームページを基盤に情報発信をしていく所存です。
元 少年A〉

 実際に記載されたURLを打ち込むと、フランスの作家ミラン・クンデラのベストセラー『存在の耐えられない軽さ』をもじったと思しきタイトルのHPにアクセスできる。
 トップ画面には、Aが神戸家裁に移送された際、テレビ局に撮影されたサンダル履きの足元の写真が使われている。

 なぜAはこのタイミングで“公式”HPの作成、告知に踏み切ったのか。大手紙出版担当記者が解説する。
「Aは幻冬舎で執筆している時から、自身のHPを作りたいと希望し、太田出版に移ってからもそうした意思を伝えていたようです。ところが両社から反対を受けたため、執筆中はHPの公開に踏み切ることはありませんでした。今回の突然の公開は、『絶歌』出版後は自由に情報発信を行っていく、という意思表明なのでしょう」
 Aの異常なまでの自己顕示欲はこのHPにも横溢(おういつ)している。〈『絶歌』出版に寄せて〉という文章には、こんな宣伝広告のような記述がある。

98名無しさん:2015/09/24(木) 03:16:29
王 VS 見城

これって落ち着いて考えれば出版に対する反感や責任を濁すプロレスでしょうね。
明らかに炎上商法だし、結果、王と見城には何のデメリットも無いという…

99くそ餓鬼:2015/09/24(木) 03:20:03
〈少年A事件に関する書籍はこれまでにも数多く出版され、ほとんど出尽くしている感がありますが、少年A本人が自分の言葉で語ったものは、この『絶歌』が最初で最後です。(中略)
事件から18年。『冷酷非情なモンスター』の仮面の下に隠された“少年Aの素顔”が、この本の中で浮き彫りになっています。
「少年Aについて知りたければ、この一冊を読めば事足りる」
 そう言っても差支えないほどの、究極の「少年A本」です。
 一人でも多くの方に手に取っていただければ幸いです〉
 Aは、『絶歌』に対する批判には一切耳を閉ざし、自分だけのメディアで独りよがりの情報発信をスタートさせたのだ。
 自らの個人情報の流出を極度に恐れる一方で、プロフィール欄には、こんな悪ふざけとしか思えない記述まである。
〈身長165・5cm 体重54・3kg
視力 右0・03 左0・05
血液型 A型
大動脈心臓部に雑音あり
性格類型 INFJ型(診断サイトのURLを記載)
誇大妄想癖あり〉

ナメクジへの執着をHPで吐露

 サイトの説明によれば、INFJ型とは、「寛容な口下手」タイプだという。
 HP開設の意図について精神科医の影山任佐(じんすけ)氏はこう指摘する。
「生きにくさを抱え、今後も異端者である自己を探求しながら表現者として生きていくというAの決意の現れでしょう。
 事件当時は被害者の首を校門前に置くことがAにとっての“作品”でした。自分が異端で害虫だということをいいながら、世間に認めてもらいたいという矛盾した感情を持っています。マスコミにHPを知らせるというのは自己顕示欲を遠慮なく発現していこうということでしょう。『絶歌』騒動も最近は収まりましたから、更なる注目を浴びたいのではないか」
 表現者としてのAの歪んだ自意識が最も如実に表れているのが、セルフポートレートだ。なんとA本人とおぼしき人物のオールヌードの“自撮り写真”が掲載されているのだ。
 月と太陽のイラストを背景に上半身裸のAがたたずんでいる写真では、六つに割れた、鍛え抜かれた腹筋が強調されている。
 全裸写真は全部で三枚。一枚は局部にエイリアンのような物体が取り付いている。『絶歌』でも触れた、射精時の痛みを表現した写真と思われる。また一枚は、全裸で膝を抱え込んだAが胎児のように丸まっている写真。そして最後は、高村光太郎の詩「道程」の一節をほぼ引用した白抜きの文章の横で、全裸のAがナメクジにまたがり、ぬめった軌跡を残しながら、〈遠い道程〉を進んでいる写真だ。
 ナメクジは、Aの起こした事件を振り返る上で、極めて重要なキーワードだ。
〈不完全で、貧弱で、醜悪で、万人から忌み嫌われるナメクジは、間違いなく僕の「心象生物」だった〉(『絶歌』より)
『絶歌』の中では、ナメクジの解剖にのめり込む様子が生々しく描かれている。その性的サディズムの対象がナメクジから猫、そして人間へと移っていったのだ。
 他にも〈ギャラリー〉の中では、ナメクジをモチーフにした作品が〈お気に入り〉として紹介されている。ナメクジを用いたハート型の作品にはわざわざ〈メイキング〉と題した文章が掲載されている。
〈「ナメクジを使って寄せ絵をやったらどうなるか見てみたい」と思って実際にやってみた〉
〈近所にナメクジがよく獲れるスポットがあったのですが、雨が降るたび僕はピンセットとガラス瓶を持ってそこへ行き、壁ゆくナメクジを片っ端からスカウトしました。(中略)トータルで100匹はくだらないかと思います。もちろん、シャッターを切る際は、
「いいねぇ〜キミ、その触覚セクシーだよ」
「今日は一段とヌメってるね」
「そうそう、もっと呼吸孔を目いっぱい拡げて」
 と、彼らのモチベーションを上げるための声掛けも忘れてはいけません〉
 精神病理学者の野田正彰氏はこう分析する。
「彼は“シンプルな完全な嫌悪感の対象”である、ナメクジになりたいのでしょう。HPではナメクジに塩水をかける描写もありますが、彼のサディズムを感じます。自分の鍛え上げられた裸の写真を公開しているのは男らしさを誇示するためと見られます。『強い俺が子宮のような生命を性的に支配して殺していく』という宣言なのではないでしょうか」
〈レビュー〉で公開されている文章からも、Aの暴力性は窺い知ることができる。最も多くの紙数を割いているのは、「パリ人肉事件」の犯人である佐川一政氏の作品についてである。
〈『絶歌』を書くにあたって、僕は“或る人物”の存在を強く意識していた。同郷の“異”人、『佐川一政』である〉
 Aは〈Re:佐川一政様〉として、佐川氏への熱烈なメッセージも記している。

100くそ餓鬼:2015/09/24(木) 03:24:26
〈僕も最近、自分を表現すること、切り刻んでさらけ出すことの苦悶と快楽を憶え始めたところです。あなたが「芸術とは失われたものへの郷愁である」というなら、僕にとって“芸術”とは、「失われた“現在”への求愛」です。僕にそれを教えてくださったのが、あなたです〉
 前出の野田氏が語る。
「佐川氏について〈憧憬の念〉という表現を使っていますが、今後、Aも彼のようになりたいと願っているんでしょう」
 Aは自身のメールアドレスもHP上に公開している。
〈拙著『絶歌』や当ホームページに関するご意見、ご感想、ご質問等は下記アドレスまで〉
 本誌記者はこの手紙が届いた後、本人確認及び取材依頼のため三通のメールをAに対して送っている。送信エラーはなく、Aに届いているようだが締め切りまでに返信はなかった。
 既に紹介した〈ホーム〉欄には、情報発信についてこう記載されている。
〈今現在、『元少年A』の情報発信は当ホームページ『存在の耐えられない透明さ』一本に絞っています。
 僕がこのホームページ以外の場所に、一文字でも何か書き込む場合は、必ずここで告知しますので、その旨ご承知おきください〉

両親は「ご遺族に申し訳ない」

 今後は自由に情報発信していくと高らかに宣言しているのだ。こうしたAの動きについて太田出版に問い合わせたが、
「弊社はなんの関与もしていません。特にお答えすることはありません」
 と回答するのみだった。
 いずれにしても、HPに掲載された作品からは、かつての事件で指摘された暴力的な性向とサディズムがいまだに濃厚に感じ取れる。
 Aが入所した関東医療少年院では犯罪の原因となった「性的サディズム」や「反社会的価値観」などの要素を克服するため、擬似家族による更生プログラムが実施されていた。
 果たして関東医療少年院での更生プログラムは成功したといえるのだろうか。
 前出・野田氏の解説。
「医療少年院での『育て直し』は全く成功していません。彼は育て直しが成功したかのように装って、関係者を騙したのでしょう。
 彼は『お前ら、私のことを理解できないだろう』と嘲笑って事件を起こしました。そして今回、更生プログラムを担当した医療少年院の職員のことも嘲笑ったわけです。このHPは『私の本質はこういうもので、お前らが簡単に触れられるようなものではない』という宣言に他なりません。
 HPの絵から読み解けるのは、Aには倫理観がなく殺したことを悪いと思っていないということ。子供を殺したことについて反省する気持ちや可哀想に思うイメージは、絵からは一切伝わってきません」
 手紙の内容やHP開設を、Aの両親や被害者遺族はどう受けとめるのか。
 Aの両親の代理人弁護士の言葉には無念がにじむ。
「この手紙には、被害者遺族との関係を思い悩んだ形跡がない。被害者のことなど何とも思っていないんじゃないでしょうか。特に問題なのがHPです。事件から何も変わっていないと言われても仕方がない。
 これまで書いてきた手紙も結果としてはすべて遺族を欺いたものだったと言わざるを得ない。Aなりにいろんな本を読み、遺族の心情を見透かし、こう書けば遺族はこう思うだろうと想定して騙してきたんでしょう」
 Aが遺族に宛てた手紙の文面に、明らかな贖罪の意識が表れ始めたのは三年前だったという。それはAが『絶歌』出版を見据えて見城氏に接触を図った時期と一致している。
「『絶歌』発売以来、最悪の結果としてこういうこともあり得るのではないかと危惧していました。Aは自己顕示欲の強さを隠すことをもうやめたんでしょう。自分を見世物にして、遺族も含め、事件を売り物にして生きていくという選択をしたということです。
 Aの両親にも知らせましたが、『絶歌』の時から何がどうなっているのか全く分からず、非常に困惑しています。ひたすらご遺族に対して本当に申し訳ないと。
 そろそろ太田出版を通じてA本人に出版の真意を問い質すべく、会う機会を作るよう申し入れをしようと考えていたところでした。直接会ってこうした動きを止めたかった……」(同前)
 本誌は、遺族にもAからの手紙やHP開設について、関係者や手紙を通じて連絡した。返答はなかったが、遺族の知人はこう語る。
「遺族は今年の命日にAから届いた手紙を読んで『本当に反省しているのかな、信用していいのかな』と思っていた。その矢先に『絶歌』出版を知らされた。
 これまで届いた謝罪の手紙を見ながら、どこか騙されているのではないかという思いを払拭できないでいた。今年は信じようと思い始めたところだったんです。時間を掛けて遺族を信用させ、手のひら返しをしてそれをぶち壊したということです。
 Aは人の感情を意図的に操作して、二度殺人を犯したようなものです」


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