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フェイク『男』のチラシの裏

90フェイク『男』:2006/01/11(水) 22:56:50 ID:9aarlDwg
887 :フェイク『男』 :04/04/02 19:06 ID:MdET9R8q
一部には成長したり、能力が変化したりするスタンドも存在するが、ほとんどのスタンドは生まれたらそのままだ。
邪悪な性根を持つ者は邪悪なスタンドを身につけるものだが、彼らには更生の機会は無いのだろうか。
私はそうは思わない。スタンドは変化しないかもしれないが、重要なのは本体の考え方だ。
例えば、自らを苦しめた分解癖の塊であるスタンドを、仲間の身代わりにするという使い方をしてみせたアナスイのように。

886 :フェイク『男』 :04/04/02 19:05 ID:MdET9R8q
スタンドとは闘争心の現れであると言われている。
ここでいう『闘争心』とは単純な殺し合いだけのものではなく、人間の積極的な精神活動全般を指すのだろう。
自分の仕事への飽くなき挑戦だとか、哲学的な思索なども『闘争心』の一つの形だ。

720 :フェイク『男』 :04/03/27 22:20 ID:814N5O34
人は天国に行きたいと思い、動物はそうは思わないらしいが、これは何故だろうか。
端的に言えば、人間には『知性』が存在するからなのだろう。
人間には知性が存在するがゆえに、運命の存在を強く認識し、それを克服したいと願う。それが『天国に行きたい』ということだ。
動物にはそれが無い。彼らは自分が運命に支配されているなんて考えもしないだろう。動物は無知だからこそ自由だ。
これを体現するのが愚者とストーンフリーだ。この『自由さ』の象徴である二者の能力は、そのまま人間と動物の違いを示している。
ストーンフリーの『糸』は愚者の『砂』に比べて不自由であるように見えるが、
これは人間が運命、即ち世界の『連続性』を知るがゆえの不自由さだ。『糸』は連続性の象徴だといえる。
『連続性』を否定的に捉えれば『運命』になるが、肯定的に考えることも可能だ。
例えば、『思い出』や『親子の絆』は人間に生きるエネルギーを与える。知性の無い動物には本能しかない。


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