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フェイク『男』のチラシの裏

84フェイク『男』:2006/01/06(金) 01:22:22 ID:/YlMvTlI
520 :フェイク『男』 :04/05/15 19:33 ID:fBrZX3eh
世の中には「結果」を出さなければ無意味だという考え方があって、それは確かに正しいと言える。
いくら努力したり、苦労したという過程があっても、それが結果に繋がらなければ何にもならないということだ。
しかし、何が「結果」に繋がるかははっきりと判るものではなく、ときには無駄だと思えるようなものが役に立つこともある。
努力したり、苦労したという「過程」もまた、それ自体が独立した「結果」に成りうる。出来るかどうかは当人次第だ。

519 :フェイク『男』 :04/05/15 19:32 ID:fBrZX3eh
スタンドの操作を『修行』するスタンド使いはあまり見られないが、
ならば彼らの凄まじい戦闘能力はどこから湧き出てくるのだろうか?
スタンドの原動力は本体の精神だ。そして、人間の精神を育むのは日々の生活そのものがもたらす「記憶」であり「思い出」だ。
ならば、スタンド使いにとって人生の全てがスタンドの修練になると考えられる。
スタンドは本体の人生をまるまる背負い、それをパワーに転化させるからこそ強い。
(勿論、より良い人生を過ごしているほど、そのスタンドも鍛えられるだろう)

518 :フェイク『男』 :04/05/15 19:31 ID:fBrZX3eh
スタンドというのは本体の能動的な意志によって発現するものなので、
例えば「他人に見られると能力が発動」とか「他人が何かするとそれに応じて発動」といった受動的な能力はほとんどない。
そのような数少ない「受動型」能力の代表例は、ヘブンズドアーとボヘミアンラプソディだ。
どちらも、鑑賞されることでその芸術性を通じて相手の無防備な精神を露出させ、そこを攻撃するという仕組みになっている。
受動的な能力だからこそ、本体がハッキリとした能動的な意志を持たなければならないというのは、
上記の二つのスタンドの本体を見比べてみればよく判ることだ。


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