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フェイク『男』のチラシの裏

60フェイク『男』:2005/12/11(日) 23:00:26 ID:f2y.L6io
836 :フェイク『男』:2005/12/07(水) 02:20:21 ID:eeN5HQpU
「神」という概念を運命を司るものであると考えるなら、
漫画や小説などの世界における「神」とは、それを創作する作者であると言えるだろう。
作者がその作品の登場人物を使いストーリーを展開させていくありさまは、まさしく神が人々の運命を定めるかのようだ。
しかし、ジョジョの作者である荒木飛呂彦は、六部最終巻の作者コメントで興味深い言葉を残している。
「登場人物が作者の意を離れて勝手に動くことがある」「絵にも、描かざるを得ない絵というものが出てくる」というこの事柄は、
(荒木に限らず、多くの漫画家や小説化がこれと同じような体験をするそうだが)
完全なる神に程遠い一人の人間が創造を行う際の、作家としての限界が生み出した単なるつまらない予定調和なのかもしれないが、
あるいはひょっとしたら、人間が神の定めた運命にただ従うばかりでなく、
真に自らの力で何かを成し遂げることが出来るのだということを示しているのかもしれない。

825 :フェイク『男』:2005/12/07(水) 02:04:03 ID:eeN5HQpU
DIOのスタンドには三つの段階がある。
一番目は「隠者の紫」によく似た茨型のスタンド。JOJO A GOGOで言うところの「ジョナサンのスタンド」だ。
二番目は「世界」。そして三番目は、崩壊する「世界」が36名以上の極罪人の魂を吸収し、
そこから新たな存在を生み出すための、あの植物のスタンドだ。
この内、一番目と三番目が同じ植物型の姿であるのは興味深いところだ。
また、この各段階は並立する時期がありつつも、変化が不可逆であるという点も共通するようだ。
もしかしたら「世界」は、あの初期の茨型スタンドが寄り集まって固まった姿なのかもしれない。
そして「世界」はその確立されたパワーゆえ茨型に戻ることは出来ず、
己の命を捨て、スタンドが崩壊するさなかにようやく後期の「植物型」状態に到達できたのだろう。


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