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フェイク『男』のチラシの裏

37フェイク『男』:2005/11/29(火) 21:06:01 ID:T3TywN96
737 :フェイク『男』:05/02/24 19:02:09 ID:c7gw1Csf
ジョジョにおけるスタンドの戦闘は、多くの場合が「接戦」である。
戦闘では勝者も敗者も、善人も悪人も死力を尽くし、余裕の決着などは滅多に見られない。
これは単純に戦いを盛り上げるためであるし、また両方のキャラクター性や信念などを描き切るためでもある。
つまりは漫画を面白くするための都合だ。漫画的な都合の為に、あまりに一方的な展開は存在しないことになっている。
この単なる都合を、例えば「スタンド使い同士が引かれ合うという引力は、まるで真空に流れ込む空気のように、
互いに自らを高める相手、良くも悪くも自らにピッタリの相手に対してこそ最も効果を発揮する」などという理屈を考え出すのは、
これは丸っきり考察というよりは妄想の類である。こんな妄想を許すならどんな無理矢理なことだってこじつけられる。
だが、時にはこうしたこじつけが時にアイデアになることもあるので油断ならない。ビバ妄想。

539 :フェイク『男』:05/02/19 19:02:31 ID:wbKEiaUb
スタンド能力にはいくつかの「形式」がある。
ヴィジョンがある、本体がいるなど、これらの「形式」は絶対の規則ではないが、多くのスタンドが共有しているものだ。
この「形式」を外れたスタンドは、それゆえの長所と短所を併せ持ち、そのトータルは大概の場合マイナスとなる。
何故なら、多くのスタンドが「形式」通りなのは、それが総合的に見て有利だからだ。

535 :フェイク『男』:05/02/19 18:57:40 ID:wbKEiaUb
芸術とは、人の心を現実より幻想へと解放する働きがある。
「ヘブンズドアー」は優れた漫画によって生物の心を本体・岸辺露伴へと解放する能力であるし、
「ボヘミアン・ラプソディ」は具現化したファンタジーキャラクターが人々の精神を夢の世界へと解き放つ能力だった。
これらのように、制御の出来ない幻想は時に現実を侵食する。


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