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フェイク『男』のチラシの裏
35
:
フェイク『男』
:2005/11/29(火) 21:05:30 ID:T3TywN96
617 :フェイク『男』:05/03/16 01:19:35 ID:Dtvo8hYr
確か五部中盤辺りでのジョジョ十周年記念の作者インタビューで読んだ話なのだが、
「波紋」能力が二部までで終わり、三部から「スタンド」能力に移ったのは、
ジョジョの「人間賛歌」のテーマを踏まえてのことだそうだ。
「波紋」の設定では人間の精神性を追求することが出来ず「肉体賛歌」になってしまっていたので、
人間の精神を視覚化した「スタンド」能力を設定したのだという。
人間の精神を尊ぶという「人間賛歌」の視点から見れば、相手の精神を操る能力というものは最も「酷い」能力だといえる。
人の身でありながら神のごとく人心を規定しようというのだから、傲岸不遜もいいところだろう。
616 :フェイク『男』:05/03/16 01:18:27 ID:Dtvo8hYr
「星の白金」と「世界」が同じタイプのスタンドであるのならば、
「星の白金」にも「天国へ行く方法」を宿すことは出来たのだろうか。
恐らくそれが出来ると考えたからこそ、承太郎は邪悪極まりない「天国へ行く方法」を封印したのだろう。
それはつまり、承太郎は自分のスタンドに存在する更なる可能性を自ら閉ざす選択をしたということになる。
だからこそ「星の白金」の成長性は「完成」したのだ。
615 :フェイク『男』:05/03/16 01:17:09 ID:Dtvo8hYr
スタンドというものは個々の能力ごとに様々な違いがあるものだが、
その最たる相違点の一つが「スタンド能力を自分自身に適用できるかどうか」だ。
自分には効かない能力、逆に自分には効果を能率よく調整できる能力、あるいは自分にも他者と全く同じ効果がある能力、
ごく珍しい所では、スタンド能力の対象が自分自身だけであるというものもある。
ここで一つ重要なのは、良かれ悪しかれ、スタンド能力とは「外側に向かう力」であるということだ。
スタンドというものは自分の精神を外側に向けて解き放つ力であり、内側に篭る精神性のままではまともに扱えない。
自分自身に発動させるようなスタンドでも、その意志は常に「外側」へと向けられている筈だ。
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