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▼▼▼新選組! 局中用語辞典▼▼▼
20
:
名乗る程の者ではござらん
:2004/08/08(日) 00:06
第二十六回「局長 近藤勇」【だい-にじゅうろっかい きょくちょう-こんどういさみ】
一話で半年以上飛んだ回であり、そのため、流れがいまいちわからない住人も続出した。
(芹沢鴨編が予定以上に延びたため、この辺りで調整を行ったものと思われる)
文久三年(1863)
■9月23日 会津藩重役の広沢様、大野英馬の署名にて
近藤の、周斉の病気見舞いの帰省が不可能との謝文が送られる
■9月26日 御倉伊勢武、荒木田左馬之允、楠小十郎ら長州っぽ間者、前川邸屯所内で斬殺
越後三郎、松井竜三郎、松永主計ら、脱走
10月某日 新選組の新入隊士に、山崎、武田、谷三十郎ら(翌年初頭という説もある)
10月10日 近藤、会津の諸藩周旋方とシンポジウム(料亭「一力」にて)
■11月頃 土方、地元日野に勘違いモテモテ手紙を送る
元治元年(1864)
■1月 2日 将軍家茂、再上洛。新選組、警護の為に大阪へ
■1月15日 家茂を護衛しつつ入京。壬生へ戻る
■2月頃 近藤、隊務を離れ、温泉療養
■4月26日 幕臣・佐々木只三郎を筆頭とする、京都見廻組結成
4月29日 桂ら長州志士が料亭やなぎに集結するという情報から、強襲(第一回冒頭)
■5月頃 局内で男色流行。辟易した近藤、手紙に記す
斎藤、内山にひっ捕らえられ、生ぬるい拷問取り調べを受ける
■5月 3日 家茂、江戸へ引き上げ。攘夷が実行されぬことに憤懣やるかたない近藤、建白書を提出
■5月 7日 家茂、下坂。新選組、護衛の為、再び大阪へ
5月20日 土方、沖田、斎藤、左之助、島田で内山一行を奇襲、ピストルにビビりつつ、内山を惨殺
この夜、近藤、妻つねへの手紙を記す
※実際には、小島鹿之助にも手紙を送っている
5月某日 つね、近藤の手紙を受け取る
夫の無事と出世を喜びつつも、嗅ぎ慣れぬ香に嫌な予感
■は、この時期に起こった重要事の割に、スルーされたトピック
特に将軍の再上洛の描写がないと、
京都にいる近藤が、なぜ大阪にいる内山としょっちゅう衝突しているのかがわからなくなる
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