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MMTメモスレ

1名無しさん:2019/10/06(日) 13:00:52
MMT関係の事柄をメモするスレです。

MMT絡みの案件で、本体のメモスレをやたら圧迫しても悪いので、別に立てました。

もっぱら自分の整理用に立てましたが、ご自由にお使いください。

2名無しさん:2019/10/07(月) 16:27:39
MMT研究者(ケルトン、ミッチェル、レイ)来日騒動まとめ

2019/07/16にステファニーケルトン教授が来日
藤井主催の講演、国会議員の西田・安藤・竹内(公明)との昼食会、三橋TVへの出演、松尾匡(バラマーク)主催の勉強会などに参加した

ttps://dsa-lsc.org/2019/09/12/statement-against-stephanie-keltons-meeting-with-the-far-right-in-japan/
ケルトン来日に関し、アメリカの社会主義団体(LSC)による、ケルトンへの弾劾声明
藤井聡・西田昌司・安藤裕などを「ファシスト」「極右」とし、それらに接触したケルトンを批判、ケルトンからの謝罪を要求、さもなくばボイコットを行うと恫喝する
日本の政治状況や、西田などの過去の言動について細かく調査し、様々な形容を用いて批判している

ttps://m.facebook.com/notes/the-modern-money-network/statement-on-kelton-visit-to-japan/2456314087823326/
ケルトンへの弾劾を受け、MMN(ミッチェル・ケルトン等が所属する、MMTを広げるためのグループ)の発した声明
公開日は、LSCによる声明公開より先だが、LSCによる声明公開を受け補足が記述されている
LSCが声明を公開する前から、弾劾の内容を受け取り、コミュニケーションを取っていた
LSCの公開声明をいくつかの点で批難しつつも、LSCの主張の一部を認め、三橋・西田・安藤・表現者クライテリオン・令和ピボット・経営科学出版と接触しないことを宣言した
明言はしていないものの、ここでは西田などを「ファシスト」として見なすという点で、LSCと共通している

ttp://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=43129
ビル・ミッチェルのブログ記事で、公開日は、MMNによる声明よりも先だが、MMNの声明を補足するような内容となっている
ただし、MMNの声明よりも、日本側に配慮を見せるかのような表現が多く、
ケルトンの訪問の中に極右的な要素があった(=おそらく三橋を指す)ことを認めつつ、
政治家・自民党については、日本政治の左右入り乱れる構造を簡単に解説し、必ずしも保守→極右でないことを示し、
LSCの公開声明を「中学生の駄文」と断じるなど、より激しい批判も見せている
また、一般読者(日本人を含む)からのコメントに丁寧に答えており、ここでは藤井に対し、「極右の代表者とは思っていない、信用に値する」などと発言している


なお、ミッチェル・レイの来日は差し支えなく行われる予定で、バラマーク・藤井の双方が主催するイベントに出席することも変わっていない
(※ただし、MMNの声明に基づいた留保が付く)

3名無しさん:2019/10/07(月) 16:31:24
85右や左の名無し様2019/09/30(月) 22:26:32.76ID:lmfHb+Vj0

一つの論点として「デフレは原因か?結果か?」という議論があるが、これは択一ではなく、「結果でもあり、原因でもある」
原因としての側面については、オールドケインズの文脈でほとんどが説明できるが、代表的なものを二つ挙げておこう

一つは、流動性の問題である
デフレによって相対的に貨幣価値が高まることは、貨幣を手元に留めるインセンティブを強める
これは個人消費や投資に尚更の減退の作用を生じさせる
現実の日本でも、(これだけ政治的に痛めつけられているのに)家計は黒字であり、企業部門は過剰すぎるほどの黒字である
もちろん、「民間が投資すればそれで良い」とは言えないが、こと遊休が存在する条件においては、民間の投資は歓迎される
(逆に、遊休が存在しない条件においては、その民間投資が社会に資するものであるか厳しい目が向けられねばならない)

もう一つは、分配の問題である
流動性の問題とも関わるが、デフレにおいては、消極的な金利生活者に対して、積極的な実業家が不利になる
現実の日本では、金利生活者は高齢者であり、実業家(ないし実業家の下位)が現役世代に当たる
ただでさえ政治的な不利な現役世代が、ますます従属的な地位に置かれる作用を加速させた

下記は、ケインズの「貨幣改革論」第一章の末尾からの引用

>だからインフレは不公正であり、デフレは不適切である。
>この二つのうち、ドイツのような過剰なインフレの場合を除けば、デフレのほうがひどいのではないか。
>というのも、貧窮した世界においては、金利生活者の不興を買うよりも、失業を引き起こすほうがひどいからだ。
>でもどっちのほうが悪いかについて腹を決める必要もない。どちらもよくないもので排除すべきだと合意するほうが易しい。

4名無しさん:2019/10/07(月) 16:33:47
87右や左の名無し様2019/09/30(月) 22:42:26.72ID:lmfHb+Vj0

MMT、特にレイは、師匠のミンスキーの影響が強く、
そのミンスキーは真の意味での「インフレ・ファイター」であった
時代がスタグフレーションの真っ只中であり、高インフレと戦い、同時に「誤った形でインフレと戦う人々」とも戦わなければならなかった
(具体的には、サッチャーや、ボルカーである)

なお、ミンスキーの提言には、法人税の廃止や、「高く均一な付加価値税」も含まれており、
現代の日本には受け入れがたいものとなるだろう(レイは、法人税の廃止については受け継ぎ、付加価値税については受け継いてない)

留意すべきは、これはあくまでスタグフレーションに直面した現実から導き出した回答であるという点で、
ミンスキーがあと20歳若かったら、もう少し違った回答を導き出したかもしれない

ちなみにポストケインジアンは、けっこう様々な流派があり、
個人的には、ミンスキー派(ファンダメンタリスト・ケインジアン)よりも、カレツキ派のほうが好みである
カレツキ派は「価格と所得分配の相互循環」を重んじるから、まさに「原因でもあり結果でもある」の立ち位置

5引用 鍋島直樹「ポストケインズ派経済学」:2019/10/07(月) 16:35:45
引用 鍋島直樹「ポストケインズ派経済学」


現代経済におけるインフレーションの基本的性格をどう見るかについても、主流派とポストケインズ派の間で見解が異なっている。
一般に主流派は、生産物市場における超過需要が原因となって生じる、ディマンドプル型のインフレーションを想定している。
対してポストケインズ派は、現代資本主義のもとで生じるインフレーションの多くが「コストプッシュ」であると見ている。
彼らは、生産費用の中でも、とりわけ賃金コストの上昇を重視している。
賃金上昇が生産物価格に転嫁されるならば、物価が上昇する結果、実質賃金は元の水準に留まるので、労働側はいっそうの賃上げを求めるだろう。
こうして賃金と物価の螺旋的な上昇過程が開始する。インフレーションとは、所得分配を巡る社会諸集団の対立の帰結なのである。
(中略)
そのため、彼らのインフレーションの理論は、しばしば「賃金コスト・マークアップ理論」の名で呼ばれている。
賃金支払額に対する総利潤マークアップが一定であるとすれば、名目賃金の上昇が労働生産性の上昇を上回るときにインフレーションが発生する。
したがってインフレーションを抑制するためには、名目賃金の上昇を生産性上昇の範囲内に留めることが必要であると分かる。

そこで多くのポストケインズ派は、インフレ抑制政策として所得政策を支持している。
たとえばデヴィッドソンは、「課税に基づく所得政策」を提案している。
その基本的な仕組みは、生産性の上昇を大きく超えた賃上げを認める企業に罰則を加えるために、法人税を用いるというものである。
この制度のもとでは、過大な賃上げ要求に応じた企業には、より高い課税という罰則が課せられるということになる、

6引用 鍋島直樹「ポストケインズ派経済学」:2019/10/07(月) 16:44:01
引用 鍋島直樹「ポストケインズ派経済学」 P80


一般には「ケインジアン政策」の核心とみなされている短期の裁量的財政政策に対する積極的な支持を、ケインズの著作の中に見出すことはほとんどできない。

ケインズの提案は、反循環的な財政政策の発動を決して否定するものではないにせよ、単にそれに留まるものではない。
さらに進んで、高くて安定した雇用水準を実現するべく、国家が長期計画に基づいて投資量を管理するという「投資の社会化」を提唱している点に、ケインズの政策論の要諦がある。
各種の規制や誘導を通じて民間投資の安定化を図った上で、
それでもな民間投資の大きな変動が生じたときには、それを相殺するために公共投資の規模を変化させるべきであるというのが、ケインズの提案の骨子である。

すなわち、裁量的な政策によって短期的視野から総需要を管理することよりも、長期において産出量を社会的に最適な水準に維持するための政策ルールを確立することに、重きが置かれていたのである。

(中略)

以下は、ケインズ本人の言葉

壮大な計画を適度に規制された速さで実行していくことにより、我々は、今後の長い年月にわたり、雇用を良好な状態に維持することができます。
我々は実際のところ、以前には愚かにも強制的な怠惰のもとにおいて活用させないままにしておいた労働により、我々のニューエルサレムを建設してしまっていることでしょう、

7引用 鍋島直樹「ポストケインズ派経済学」:2019/10/07(月) 16:47:36
引用 鍋島直樹「ポストケインズ派経済学」 P83-84

ポストケインズ派の観点から見るならば、インフレ目標の最大の欠点は、貧困や失業の削減など、物干の安定以外の目標にほとんど関心が払われていないことにある。
経済がインフレ貴重にある場合、インフレ目標に固執することは、長期にわたって中銀が高い実質金利を維持しなくてはならないことを意味する。
高金利は、賃金稼得者から金利生活者への所得の再分配を引き起こすので、これによって総需要が大きく減少し、産出と雇用の水準は低下することになるだろう。
この場合、中銀はインフレの抑制に成功するかもしれないが、それには失業の増加という犠牲が伴うのである。

このような観点に基づき、Rochon and Rossi [2006] は、インフレ目標が所得分配に及ぼした影響について考察し、
インフレ目標を採用した諸国の多くで、賃金分配率の低下が生じたことを明らかにしている。
更に彼らは、それらの諸国のほぼ全てにおいて、インフレ目標が導入される以前に、インフレ率が既に低下傾向にあったことを指摘している。

8引用 鍋島直樹「ポストケインズ派経済学」:2019/10/07(月) 17:02:41
引用 鍋島直樹「ポストケインズ派経済学」 P84-89

経済政策の目的として、ここでは、完全雇用・金融の安定・インフレの抑制の、3つが与えられているとしよう。
これらの目的に対し、ポストケインズは、財政政策・金融政策・所得政策という3つの政策手段を割り当てる。
(中略)

財政政策について、多くのポストケインジアンは、総需要管理の上で、金融政策より遥かに効果的と考えている。
財政政策の運営は、長期における「粗い調整(coarse-tuning)」と短期における「微調整(fine-tuning)」に区別される。
長期においては、(中略)ラーナーが提唱した「機能的財政」アプローチを採用することが望ましい。
機能的財政のもとでは、投資に対する民間貯蓄の超過を吸収するために財政赤字が用いられ、貯蓄に対する投資の超過を吸収するために財政黒字が用いられる。
(中略)このような枠組みを用いる場合は、財政赤字の持続可能性が深刻な問題になることはない。
(中略)
短期においては、民間部門の経済活動水準の変化を相殺するために用いることができる。ただし財政政策には、認知・実施・波及と、政策ラグが伴う厄介な問題がある。
しかしながら、累進課税や社会保障などの自動安定化装置は、既に微調整のための手段としての役割を果たしている。
したがって今後は、累進課税強化などの方法によって、自動安定化装置を補強するとともに、財政スタンスの頻繁な調整を可能にするような仕組みを導入することが求められる。

第二に、金融政策について見ていこう。今日の多くの国では、政策金利の頻繁な変更を通じて経済の微調整を行う政策レジームが採用されている。
しかし、このような政策が経済の安定化をもたらすかどうかは疑わしい。政策金利の水準は、為替や資産価格などの経路を通じて総需要やインフレ率に影響を及ぼすことができるだろう。
しかし、その影響は好ましいものばかりとは限らない。たとえば、もっぱら国内価格の安定に焦点を合わせた金利の決定が、為替レートの不安定性を生み出したり、
あるいは、低金利政策が資産価格のバブルを誘発したりするなど、実体経済がかえって不安定化する恐れもある。
(中略)
中央銀行の中心目標は、物価の安定ではなく、金融システムの安定におかれるべきである。一定の目標実質金利を維持する政策は、財政の持続可能性や金融安定性に好ましい効果を持つ。
そのような政策は、金利の引き下げが原因となり生じる信用膨張と、それに基づく資産バブルを未然に防ぐことができる。
金融危機の防止に努めるよりも、実際に危機が生じた後からそれを処理するという方針は、多くの歴史的経験が示すように、生産量と雇用の喪失という面でも財政面でも、そのコストは計り知れない。
(中略)

第三に、インフレ管理政策について考えよう。インフレ目標の提唱者達は、インフレの原因がもっぱら生産物市場における需要超過にあると見ている。
これに対してポストケインズは、現代のインフレが、主として所得分配を巡る、諸集団の対立によって生じるという見解をとる。
とりわけ賃金コストに対する企業のマークアップ価格形成行動に分析の焦点を合わせている。[引用者注:これを簡略化すると、生産性上昇<賃金上昇によってインフレが生じるという意味]
(中略)ポストケインズが考えているようにインフレがコストプッシュ型のものである場合には、金融政策でこれを解決することはできない。
(中略)金融引締による需要の縮小に頼ることなく、コストプッシュ・インフレを克服するためには、何らかの形の「所得政策」が必要となる。
[引用者注:所得政策の例として、Davidsonが提唱しているのは、生産性上昇よりも過大な賃上げ要求に応じた企業に懲罰的課税を与えるものがある]

9引用 鍋島直樹Q「ポストケインズ派経済学」:2019/10/07(月) 17:15:39
引用 鍋島直樹Q「ポストケインズ派経済学」P277-80


カレツキは1994年に発表した「完全雇用への3つの道」において、完全雇用を維持するための有効需要を生み出す3つの方法を挙げている。
1.公共投資(学校・高速道路・病院の建設など)と消費補助(間接税の減税・給付の支給など)のための政府支出
2.民間投資の刺激
3.高所得者から低所得者への再分配
これらのうち、2は不十分な方法であるのに対し、1と3は適切な方法であると、カレツキは主張する。
(中略)
なぜ民間投資の刺激は、完全雇用を達成するための方法として不十分なのであろうか。
カレツキは、「民間投資の刺激は、有効需要創出のためでなく、完全雇用時の産出量の長期的増加に合わせて生産能力を拡張させるために必要とされる」と言う。
すなわち民間投資の水準は、労働人口・労働生産性の上昇に比例して生産能力を拡大させるものでなくてはならない。
しかしながら、このような長期「均衡」投資率が、完全雇用をもたらす十分な有効需要を創出するに足る投資率と一致する理由は存在しない。
もし完全雇用のために求められる投資率が生産能力の適切な拡大のために必要とされる投資率を上回る場合、完全雇用の達成のための民間投資が進められるならば、
生産設備の稼働率が継続的に下落して、過剰生産能力が増加し続けるだろう。
(中略)
カレツキの見解によれば、「民間投資の役割は、消費財を生産するための手段を提供することであって、全労働者を雇用するための仕事を提供することではない。」
同じことは、政府の支出における公共投資と消費補助の選択についても言うことができ、カレツキは以下のように言う。
「公共投資と民間投資は、ともに、それらが有益であるとみなされる限りにおいてのみ行われるべきである。こうして生み出された有効需要が、完全雇用に足りないのであれば、
 その不足分は、望ましくない公共・民間投資によってではなく、消費を増加させることによって埋められるべきである。」
(中略)
第三の方法の所得の再分配は、貧困層の消費性向が富裕層のそれよりも高いので、たとえば富裕層の所得税を増税すると同時に、間接税を同じだけ軽減することによって、
追加の赤字を用いることがなくとも、総需要を増加させることができる。所得税制度を用いた方法は、完全雇用を保証することに加え、分配の平等化をもたらすという利点もある
しかしながら、所得再分配は赤字財政以上に、[政治的な]強い反対に遭いそうである。
したがって政府は、政治的に可能な限り、[累進]所得税によって調達した支出を拡大すべきであり、それだけで不十分であるのならば、借り入れを行わなければならないと、カレツキは主張する。

10引用 鍋島直樹「ポストケインズ派経済学」:2019/10/07(月) 17:29:14
引用 鍋島直樹「ポストケインズ派経済学」 P286-287


カレツキは、1930年代の大不況の最中に、ナチスドイツを除くあらゆる国々で、政府支出による雇用創出の試みに、大企業が執拗に反対したことを指摘する。
生産と雇用の拡大は、[企業の]利潤を増加させることによって、労働者のみならず、企業にも恩恵をもたらすはずである。
なぜ企業家たちは、政府によって作り出される「人造ブーム」を喜んで受け入れようとしないのだろうか?
(中略)
カレツキの見るところ、政府支出によって達成される完全雇用に「産業の主導者」が反対する理由は、以下の3つがある。
1.政府が雇用問題に介入することそれ自体に対する嫌悪
2.政府支出の使いみち(公共投資や給付金)に対する嫌悪
3.完全雇用の維持によって生じる、社会的・政治的変化に対する嫌悪
とりわけカレツキが重視するのが3である。
永続的な完全雇用は労働者の階級的力量を高め、資本主義の「政治的安定」を揺るがすので、資本家は完全雇用に強く反対するに違いないと、カレツキは言う。
完全雇用経済においては、解雇の脅しが「懲戒手段」として機能しなくなり、「工場内の規律が低下」するばかりでなく、
労働者階級の自信と階級意識の高まりが、政治的緊張を生み出す恐れさえあるからである。

11引用 鍋島直樹「ポストケインズ派経済学」:2019/10/07(月) 17:37:57
引用 鍋島直樹「ポストケインズ派経済学」 P297


ケインズは、資本主義社会が、「企業者[=産業資本家]階級」「労働者階級」「金利生活者[=金融界]階級」の3階級から構成されると考え、
企業者と労働者を「活動階級」、金利生活者を「非活動階級」と位置付けた。
ケインズの見るところ、企業者と労働者の違いは能力の違いにすぎず、両者の間に本来的な利害対立は存在しない。
これに対し、貨幣愛に基づく金利生活者の投機的活動は、生産活動に有害な影響を及ぼし、活動階級の利益に反するものである。
長期にわたって着実に利子率を引き下げることによって、金利生活者を安楽死に至らしめると同時に、
投資の換気を通じてイギリスに経済的反映をもたらすことができるというのが、ケインズの思い描いていた高層であった。

ケインズ的な有効需要政策は、産業資本家と労働者に所得や雇用の増加という恩恵をもたらす一方で、
ひとり金利生活者階級のみが、利子収入の減少という形で損失を被るに過ぎない。
ケインズ政策の実践を可能ならしめたもの、それは、経済成長の果実を共有するために、産業資本家と労働者の間で形成された政治的妥協であった。
第二次大戦後、長らく隆盛を誇ったケインズ主義は、拡張的な経済政策の実行を求める、「活動階級の連合」をその政治的基盤としていたのだ。

しかし、ケインズ政策によって経済成長が加速され、持続的な完全雇用状態が実現すると、労働者の賃上げ圧力が高まった。
これをうけ、所得分配をめぐる労使間の対立が激化し、「ケインズ派連合」は解体を余儀なくされる。
資本側は緊縮的なマクロ政策への転換を政府に迫り、またインフレをを嫌う金融界も、金利の引き上げによる物価の低安定化を求めるようになった。
こうして、ともに緊縮政策を求める産業界と金融界とによって、新たな権力ブロックが形成され、これを背景として新自由主義が推し進められていった。
(中略)
先進諸国において支配的な社会秩序は、産業と労働の間の「ケインズ的妥協」から、産業と金融の間の「新自由主義的妥協」へと転換した。

12引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/07(月) 20:47:48
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P14-P15


本書の最も重要な目的は、政策形成の基礎としての役割を果たせる理論を掲示することにある。
したがって、議論は一般的・全般的なものとなる。
本書の目的は、特定の政策を押し付けることではない。
''本書は、「大きな政府」支持者も、「小さな政府」支持者も利用可能である。''
私自身が進歩主義者寄りなのは、つとに有名だが、MMT自体は中立的である。

13引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/07(月) 20:52:36
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P237-238


日本の「失われた20年」低成長は、非常に大きな財政赤字を生み出した。
財政赤字と貿易黒字が国内の純貯蓄の要求を満たすので、この巨額財政赤字は経済の完全な崩壊を食い止めるのに十分なものである。
確かに、タンゴは2人いなければ踊れない。

現代の政府財政には構造的な調節機能があり、景気後退時には税収が減り支出が増える。
その景気後退は、支出意欲を妨げる総需要不足の結果だと考えられる。
さらにそれは、(とりわけ流動性の高い形での)貯蓄選好から生じている。
つまり、民間部門は政府の負債での純貯蓄を望み、それゆえ支出を嫌い、貯蓄の欲求を満たすために財政赤字が生み出される。
確かに因果関係は常に複雑だが、これが今できるおおよその説明である。

日本は20年間の低成長に加えて、セーフティネットが十分でない。
それが貯蓄を完全に合理的なものにし、ひいては低成長、そして財政赤字を生み出している、
しかしながら、貯蓄は財政赤字(と貿易黒字)がなければ生まれないので、財政赤字が、望まれる貯蓄を実現していると言って良い。

14引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/07(月) 20:56:59
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P245-246


(注:中国と米国債、経常収支について)

米国以外の国々がドル建て資産の蓄積をやめるには、米国に対する経常黒字もやめなければならない。
したがって、ドルの蓄積をやめるという決定は、一方で対米純輸出をやめることを意味する。

さらに、ドル建て資産の蓄積を回避しながら対米経常収支を黒字にしようとすれば、対米輸出によって稼いだドルを売払、他の通貨に交換しなければならない。
それにはもちろん、ドルを喜んで受け取る買い手を見つける必要がある。
これは、多くの評論家が心配するように、ドルの価値の下落をもたらし得る。
ところがそうなれば、今度は中国が、自らが保有するドルの価値が切り下がる可能性に晒される。これは中国人民銀行にとって利益になりそうにない。

また、ドル安は中国の輸出品のドル建て価格を引き上げてしまい、中国が対米輸出を続ける能力を危うくする。
従って、突然中国がドルから逃げ出すことはまったくありそうにない。
他の通貨にゆっくりと移行することはあり得るし、中国が別の輸出市場を見つけられるのであれば、その可能性は増す。

15引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/07(月) 21:02:17
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P255-256


継続的な経常赤字からは、為替レートに対する圧力が生じるかもしれない。
(中略)
完全雇用を達成するために国内政策を実行できることを望んでおり、こういった政策の実行が経常赤字をもたらすのであれば、
国家は資本移動を制御するか、為替レートの固定を諦めなければならない。
為替レートを変動させることは、国内政策により大きな余地を与える。
資本の移動制御は、国内政策の独立を追求しつつ為替レートを保つという別の方法を提供する。
(中略)
ほとんどの国は、国内の完全雇用、固定為替相場、自由な資本移動を同時に追求することはできない。[引注:国際金融のトリレンマ]
例外は、一部のアジアの国のように、持続的な経常黒字を保っている国だけである。
(中略)
実際のところ、貿易黒字国の多くは資本市場を自由化していない。
それらの国は、固定為替相場を守るために、資本市場を制御し貿易黒字にすることによって、国際準備の巨大な「クッション」を蓄積することができる。
これは「アジアの虎たち」が苦しんだ通貨危機に対する反応でもあった。
危機が起こった当時、それらの国は十分な外貨準備を保有していなかったため、為替レートの固定を維持できるという自信を失った。
そこでの教訓は、投機家たちの攻撃をかわすには、大量の外貨準備が必要であるということであった。

16引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/07(月) 21:14:07
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P275-276


なぜ国民国家の政府は、租税を必要とするのだろうか?
彼[ビアズリー・ラムル]は、4つの理由を挙げている。
1.購買力安定を促進する財政政策の手段として
2.累進的な所得税や相続税のような、富と所得の分配に関する公共政策を示すため
3.様々な産業や経済集団を支援、あるいは罰するため
4.高速道路や社会保障のような、ある種の国益にかかるコストを分離し、直接に賦課するため

1は、既に述べたインフレの問題に関連[注:財政政策や所得政策によるインフレの抑制]している。
2は、(略)

3は、空気や水の汚染、喫煙や飲酒、輸入品の購入といった、「悪い行動」を抑止することである。
関税によって輸入品をより高額なものにするのも、これに当たる(基本的に関税は、輸入品のコストを引き上げることで、国産品の購入を促す税である)。
これらの行動に関する税は、しばしば「悪行税(sin taxes)」と呼ばれ、その目的は「悪行(sins)」のコストを引き上げることである。
政府は、タバコ税からの歳入を必要としているのではなく、むしろ喫煙という「悪行」を犯す人々のコストを引き上げたいのである。
喫煙が社会に押し付けているコスト(例えば、肺がんでの入院費用)は、喫煙者が負担するのが公平であると、多くの論者は言うであろう。
ラムルの考え方すれば、これはまったく的はずれである。
最も望ましいのは、タバコの高コスト化によって、非喫煙者が増えることであり、それにより社会的なコストが減ることである。

4は、特定の公的プログラムのコストをその受益者に割り当てることである。
例えば、高速道路の利用者が利用の対価を負担することになるように、ガソリンに課税することは珍しくない(通行料は、それを行う別の方法である)。
なお、このような租税を、「政府支出を賄う」ための手段としてみなしている人は多いが、ラムルは「歳入のための租税は時代遅れである」という論文で、その考えを強烈に否定している。
ガソリン税は、高速道路のコストを「賄う」ために必要なのではない。ガソリン税は、高速道路を利用するであろう人々が、その建設を支持するかどうか慎重に考えるように設計されている。

(中略)

ラムルは、「その税によって果たされる公共目的を、歳入を集めるという仮面をかぶった税制の中で曖昧にしてはならない」と論じた。
どんな租税が理に適うのか評価するのに、この公共目的という考え方が役に立つ。

17引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/07(月) 21:26:45
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P278-281

ラムルは、最悪の税として「法人所得税」を挙げた。彼の言ったことは正しい。[引注:レイの師にあたる]ハイマン・ミンスキーは、常に法人所得税の廃止を主張していた。
残念ながら、進歩主義者は法人所得税が大好きである。進歩主義者は、貧困層支援のための支出を「賄う」ために法人所得税を引き上げたがる。
進歩主義者は混乱を重ねている。租税の目的を誤解しているだけでなく、ラムルが最悪の税と見なしていたものを信奉しているのだ!
(中略)
富める者から取り上げ、貧しき者に分け与える。我々はそんな話が大好きだ。
しかしそれは、貧困層を支援するためには富裕層により支払われる租税が必要だ、という誤解に基づいている、
しかもそれでは、富裕層増税が、貧困層支援の''条件''ということになってしまう。それは非常に難しい政策提案である。

MMT派の中には、必要なのは「事前分配」であって「再分配」ではないと主張する人々もいる。その考え方はこうだ。
不平等はもちろん減らす必要があり、富裕層に対する課税はそれに役立つかもしれない。しかし、その発生源から不平等を減らすほうが、効果的である。
最も止める1パーセントに課税することは非常に困難である。本当の金持ちは、議会から課税免除を手に入れるので、租税を支払わない。
女性相続人のレオナ・ヘルムズリーが、悪名高く言ったように、租税は少数者のためのものである。
今日の米国では、金持ちの個人や法人が、課税を逃れるために「海外移転」を行っていることが、多くの議論を引き起こしている。

MMTでは、不平等を減らすために、高所得や多大な資産に対する課税を利用することに反対ではない。
しかし「事前分配」政策を利用することもまた有意義な方法である。
低所得の人々に対しては、雇用を創出し、賃金を引き上げる政策が必要である。
分配の最上位層では、法外な報酬を生み出す慣行をなくすような政策が実行されなければならない。

このような政策の例として考えられるのは、
国債(不労所得生活者に利子収入を与える)を廃止すること、中央政府の支援を受ける年金ファンドによる株式と先物の保有を禁止すること。
銀行業の活動を抑制し限定する規制を強化すること、である。これらすべては、問題となっている最上位所得の大部分を、その発生源において標的にするだろう。

18引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/08(火) 23:01:14
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P295-297


5.6 - 悪い税

本節では、本章で展開した考え方からすると望ましくないかもしれない3種類の税、社会保障税、消費税、法人税について検討する。

社会保障税が人間の労働者よりロボットに有利になることは、先に少し触れた。
労働者の給与が社会保障税の分だけ減ってしまうので、労働者を雇うためには、雇用主はその分給与を増やさなければならない。
また、限界的には労働者は余暇を選択するかもしれず、雇用主は労働者をロボットに置き換えるかもしれない。
その上、社会保障税は世界共通のものではないので、社会保障税を利用する国は、財・サービスの貿易において競争上不利である。
海外との競争が激しい場合、国内企業は競争力を維持しようとするので、社会保障税の雇用主負担分のほとんどを、労働者が低賃金という形で負担することになりそうだ。
海外との競争がほとんどない場合、雇用主負担分は(労働者負担分も合わせて)高価格という形で消費者に転嫁される。
(中略)
社会保障税は、配当・家賃・譲渡・利子のような非賃金所得の源泉に有利に働くと共に、フォーマルセクターでの労働よりも、課税を回避できるインフォーマルセクターでの労働に有利に働く。
このような賃金以外の所得を生み出すのに有利な労働を抑制するという公益に、おそらく適っていない。
ここ数十年間、賃金剤と比較して、これらの非賃金所得の源泉が増大したことも、不平等拡大の一因であった。

ラムルは、望ましくない消費に課されるもの(有害なものや贅沢品への悪行税や、輸入品への関税)を除いて、消費税の廃止も支持した。
彼は、国家の主要目的が国民の生活水準を引き上げることだとすれば、国民生活水準の向上を実現する購買力を、課税によって取り上げるのはおかしいと主張した。
更に、消費税は逆進的な傾向があり、低所得者により厳しい(ただし、贅沢品への課税や、食料品に対する免税は、その逆進性を緩和する)。

最後に、ラムルはとりわけ有害なものとして、法人税の廃止を主張した。法人税は実質的に、株主・従業員・消費者によって支払われる。
株主は、所有株式からの収益が、法人税がなかった場合に比べて減るという形で、税の一部を負担する。
どれだけの税が株主に転嫁されるのか、正確には分からない。しかし、株主は、株式の所有がもたらす配当収入と、キャピタルゲインに対する税も支払っている。
多くの論者がこの「二重課税」を指摘してきた。企業にもたらされる所得に課税することが望ましいとしたら、その最も良い方法は、
企業の利益をすべて株主に帰属させた上で、それを累進所得税における所得として株主に課税することだろう。

19引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/08(火) 23:11:47
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P297-298


>>18から続く

しかし、法人税のかなりの部分は、より低い賃金・手当という形で、従業員に遡って転嫁され、より高い価格という形で消費者に転嫁される。
どれぐらいの部分が従業員と消費者に転嫁されるのか、これも正確にはわからないが、おそらく市場の競争がどれぐらい激しいかに左右されるだろう。
完全競争市場においては、投資に対する税引後利益率はすべて等しくなるはずである。ラムルが言うように、
「企業経営者は、利益という動機によって動かされ、投下資本に対して利益がどれだけ残るか監視し続ける。企業は、純利益を計上する前に法人税を支払わなければならないから、
 その税を高価格や低コストによってカバーされるべき経費、他のあらゆる制御不可能な費用と同じもの、だと考える。
 同業の競争相手は、皆同じように考えているので、価格とコストは、その産業が合理的なコストで新たな資本にアクセスできるような、税引後純利益を生み出す水準で安定する傾向がある。」
そのため、我々は、法人税の大部分が低賃金によって労働者に転嫁され、高価格によって消費者に転嫁されると想定するべきである。

ラムルは、法人税は意思決定を歪めてしまうと論じた。つまり企業は、(法人税がなければ)事業運営上もっとも合理的であったはずの行動よりも、むしろ税を最小化するための行動を取るようになる。
このような行動のうち現在特に問題になっているのは、借り入れを行うこと、および低法人税率を利用するために税法上の本拠地を海外に移転することの、2つである。
借入利息は損金処理できるので、企業が投資を行う際、利益や増資よりも借入でファイナンスする方にインセンティブが働く、これは、過度にリスクの高い債務の累積に繋がる可能性がある。
企業の海外移転は、雇用も海外に移ってしまうので国益に反する。高い法人税は海外移転を促進し、国家間の「底辺の競争」お報いることになる。企業を誘致しようとし、各国が賃金と租税を引き下げるからだ。

ミンスキーは、ラムルに同意していた。法人税は借り入れのみならず、広告宣伝、マーケティング、経営幹部の特権に対する支出を促進するが、それは、これらによって税額を減らすことができるからである。
これは企業の意思決定を歪め、企業の効率性を悪化させる、しかし、ミンスキーが懸念したのは、ラムルと同じく、租税回避目的に法人化を利用することである。
法人の所得を株主に帰属させ、それに累進所得税を課せば、法人化によって節税しようとするインセンティブを弱めるのに役立つ。
これもまた、政府の歳入の必要性とは関係がなく、むしろ税負担の公平性に関係する。

20引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/08(火) 23:16:12
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P302


(以下は、2014年4月3日の、ジョン・シェインの記事からである)

(前略)
ドルの価値を理解するには、米ドルとビットコインがどう違うのかを考えることが有益である。
我々は、刑務所行きを免れるためにビットコインを必要としないし、この先に米国の法律が、ビットコインを法定支払い手段たと認める可能性はほとんどない。
確かにビットコインは優雅であり、怪しくも美しい。しかし、美しいものなら他にもたくさんある。ビットコインは唯一の暗号通貨ですらない。
ドルを「刑務所行き免除カード」とみなす考え方が、なぜこんなにも浸透しないのか、私には分からない。
しかし、私自身はファンド・マネージャーとして、その考え方が有益と分かっていた。
そのおかげで、投資対象を探している間、しばしばポートフォリオ中に現金を保有しなければならなくなっても、びくびくせずに済む。
政府が紙幣を印刷しすぎて、その購買力が急速に低下する可能性はもちろんある。
それでも、ベンジャミン・フランクリンが言ったように、税金が死と同様に不可避なものである以上、ドルはビットコインより優れている。
政府が弱ければ心配するかもしれないが、我々の政府はとても強力だ。

21引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/08(火) 23:25:23
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P312


実は、「pawnshop(質屋)の」「pawn」は、質屋から貨幣を受け取る代わりに担保として預ける「pledge(質草)」を意味する言葉から来ている。
貨幣は後に、質草と引き換えられる。「St.Nick(聖ニコラス)」が質屋の守護聖人である一方、「Old Nick(オールド・ニック)」とは、我々が自分の魂を質入れする悪魔のことである(そして「nick」には盗むという意味がある)。
十戒の第十の戒め(隣人の保有するすべてのものを欲してはならない)は、もともと姦淫に関するものではなく、借金の担保として何かを受け取ることを戒めたものである。
一方、キリストは「the Redeemer(救い主)」として知られる。救い主とは、我々が「redeem(贖罪/弁済)」できない「debt(罪/負債)」を「pay(償う/支払う)」ために名乗り出る「Sin Eater」であり、
その背景には、神に「repay(返済する/報いる)」人身御供という、さらに古い習わしが存在する。

「借り手にも貸し手にもなるな」というシェイクスピアの警句は、誰もが知っている。
一般的に宗教は、「悪魔の」債権者と、妻子を質入れして「自分の魂を売る(そして債務の束縛に囚われる)」債務者の双方を、罪深いものとみなす。
イブの「original sin(原罪)」による、人類の「debt(罪)」から我々を解放できるのは、「redemption(贖罪/弁済)」だけである。

22引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/09(水) 19:28:43
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P356-359


政府がどのように支出するかを理解すると、実は「支出能力」は問題ではないという結論に辿り着く。
政府は、望み通りに支出するのに必要な「キーストローク」を常に行う能力がある。
しかしこれは、''そうすべきだ''という意味ではない。政府支出を制約する正当な理由を、いくつか挙げることができる。
・過大な支出は、インフレを引き起こす可能性がある
・過大な支出は、為替レートに圧力を加える可能性がある
・政府による過大な支出は、民間のためにほとんど資源を残さないかもしれない
・政府がすべてを行うべきではない、インセンティブへの影響をねじ曲がったものにしてしまう可能性がある
・予算編成が、政府のプロジェクトを管理し評価する手段を提供する

例えば、政府が冥王星探査のためにロケット科学者を1000人、新たに雇用することを決めたとしよう。
最初に考慮すべきことは、必要なスキルを有し、かつ雇うことができるロケット技術者が1000人いるかどうかである。
たとえ政府が望ましい支出計画を実行する支出能力があっても、資源が利用できなければそのミッションは完遂できない。
政府は、利用可能「現実の資源」という制約に常に直面している。
これと関連して、現在あるインフラ・技術・知識が、目標を達成するという役割を果たせるかどうか見極めなければならない。
これはもちろん重要な問題であるが、これらの条件は揃っていると仮定し、次に進む。

二番目に考慮すべきことは、資源の別の用途との競合、いわゆる「機会費用」と関係する。
1000人のロケット科学者が、政府に雇用されなければ仕事がないのであれば、冥王星のミッションのために彼らを雇う機会費用は低い、もしくはゼロである。
もっと重要なのは、ロケット科学者の多くが、民間部門であれ他の政府プロジェクトであれ、既に働いている可能性が高いということである。
主権を有する政府は支出能力の制約に直面することがないため、その気になれば民間部門に賃金で競り勝てる。
そうなると、ロケット科学者の賃金が高騰してしまうので、民間部門は彼らの雇用を諦めて、他の資質を持った労働者を雇用するか、あるいは事業そのものを畳むことになる。
(中略)
少なくとも、冥王星のミッションが「ボトルネック」で、ある重要な資源が、他の重要な資源との比較において不足することをもたらす可能性があり、何らかの価格が大幅に上昇する。
公共政策は、ロケット科学者を雇用する機会費用を、他の費用とは分けて考えるべきである。
(中略)

政府支出を制約する理由は他にもある。例えば「福祉」への支出がインセンティブに影響を与えると、保守派はしばしば主張する。
強力なセーフティネットは、政府の施しによって常に裕福に暮らせるから、本当は誰も働く必要がないというシグナルを送るかもしれない。
あるいは政府による企業への救済は、何があろうと政府が損失を補填してくれるだろうという考えから、経営者に過度なリスクを取らせてしまうかもしれない。
さらに、腐敗した政府は、お友達を助けるプログラムには支出するが、本当に支援が必要なグループへの支援は拒否するかもしれない(これはしばしば「縁故資本主義」と呼ばれる)。
したがって、政府プログラムの結果は、複雑で意図しないものになる可能性がある。

23引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/09(水) 19:41:41
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P368-


コラム:ミルトン・フリードマン版の機能的財政〜財政制作と金融政策の統合案


財政赤字の危険性に関する現在の通俗観念に照らせば、ラーナーの考え方はいささか急進的に感じられる。
ところが驚くべきことに、ラーナーの考え方は、当時はさほど急進的ではなかった。
誰もが知るとおり、フリードマンは保守派の経済学者で、「大きな政府」とケインズ経済学の猛烈な批判者であった。
財政政策と金融政策の双方に制約を与えるというテーマに関して、フリードマン以上に確固たる地位を築いた者はいない。
しかしながら、1948年、彼はラーナーの機能的財政の考え方とほとんど同じ提案を行っていた。
このことは、今日の議論が、主権を有する政府が利用可能な政策余地の明確な理解からいかにかけ離れたものになってしまっているかを示している。
また、ラーナーの考え方が、経済学者の間で、いわば「空気のように」政治的立場を超えて共有されていたに違いないことも示している。
このテーマに関する、ポール・サミュエルソンのコメントも紹介するが、それは今日の財政政策および金融政策に関する混乱について、説得力のある説明をもたらしてくれる。
そこでサミュエルソンが示唆しているように、この混乱は、問題を神秘化するために、意図的に作り出されたものである。

ミルトン・フリードマンは、1948年の論文「A Monetary and Fiscal Framework for Economics Stability(経済安定のための貨幣と財政の枠組み)」において、
政府が完全雇用の場合のみ均衡財政となり、景気後退期には赤字に、景気後退期には黒字になるような提案を行った。
戦後初期において、大半の経済学者がこのフリードマンの考え方を共有していたことは、ほぼ疑いの余地がない。
しかし、フリードマンはそこから更に進んで、ラーナーの機能的財政アプローチとほとんど同じところまでたどり着いていた。
すなわち、すべての政府支出は、政府の貨幣(現金通貨と準備預金)によって支払われ、租税が支払われるとこの貨幣は「破壊」される(あなたが、自分の借用書が手元に戻ってきたらそれを破り捨てるように)。
したがって、財政赤字は貨幣の純増、財政黒字は貨幣の純減をもたらす。

要するに、フリードマンは、金融政策と財政政策を結合させて、反景気循環的な方法で貨幣の放出をコントロールするために予算を利用することを提案した。
彼はまた、銀行に100%の準備を要求することによって、銀行による民間の貨幣創造を排除しようとした。これは、1930年代初めのアーヴィング・フィッシャーとヘンリー・サイモンズから得た考え方である。
そうなると、民間銀行による''正味''の貨幣創造は存在しない。つまり、民間銀行は、政府が発行した貨幣という準備を蓄積した場合のにも、銀行貨幣の供給を拡大することになる。
(中略)
これは、金融政策と財政政策を「二分する」、のちの一般的な考え方(教科書で言うIS-LMモデルと関連するような考え方)とは、まったく対照的なものである。
その後、フリードマンもまた、中央銀行はマネーサプライをコントロールすべきだと論じて、財政政策と金融政策の結合を切り離した。
しかし、少なくとも1948年の論文においては、ラーナーのアプローチと一致する形で、明らかにその2つを結びつけていた。

24引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/09(水) 21:00:00
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P402


国全体で見れば、実物的観点では、輸出は費用であり、輸入は便益である。
その説明は単純なものだ。(労働力を含む)資源が輸出向けの生産活動に使われる場合、国民はその生産物を消費したり、(投資財の場合)さらなる生産に利用することができない。
その国は生産費用を負担するが、便益を得ることはない。他方で、輸入国は生産物を手に入れるが、それを生産する必要はない。
したがって、実物的観点では、純輸出は純費用を意味し、純輸入は純便益を意味する。
ここでいくつか注意点がある。第一に、生産者の立場からすれば、誰が財・サービスを購入するかは問題ではない。企業は、国内で売っても海外で売っても等しく満足である。
生産物が国内で売れれば、買い手の銀行口座から引き落とされて生産企業の口座に振り込まれる。生産者も買い手も満足だ。
生産物が外国人に売られる場合には、最終的な買い手が買い手国の通貨を使っていても生産者が自国通貨を受け取れるように、その代金の受領は外貨両替を経由する必要がある。
詳細はともかくとして、たいていの場合は、国内の銀行もしくは中央銀行が最終的には外貨準備を保有することになる。
しかし、生産物が輸出される場合、実物資源に関しては、「労働の果実」が外国人によって享受されるという事実は変わらない。

第二に、純輸出は総需要に加算され、GDPと国民所得を増やす。輸出向けの財・サービスを生産するために雇用が生み出される。
したがって、純輸出でなければ完全雇用を達成できない国が、資源を輸出部門の仕事に配置することができる。
賃金と利益が生み出され、家庭がそれまで受け取っていなかった所得を受け取って消費財を購入できるようになり、さもなければ破綻してしまっていたかもしれない企業が生き残る。
これは、成長を望む国ではよくある戦略である。しかし、すべての輸出には輸入がなければならず、すべての貿易黒字には貿易赤字がなければならない。
すべての国が同時にこの方法で成長することは不可能だ。これは基本的に「近隣窮乏化政策」である。

資源が外国人向けの生産に動員される分、国民は正味の実物の便益を受け取れない。したがって、実物的には、輸出戦略は「自国窮乏化」戦略である。
確かに、遊んでいた労働力などの資源が今や稼働し、賃金などを受け取っていなかった労働者が今や所得を得て、売上がなかった企業のオーナーが今や利益を手にしている。
しかし、生産物が輸出されれば、国民が購入できる生産物が増えることはない。
そこで起きるのは、今や賃金や利益を得ているこれらの新たな権利者に対する、現状の生産物の再分配である。
よって、輸出品を生産するために遊休資源を稼働させただけだとしたら、正味の便益は発生しない。
国民は、より勤勉に働いてるにも関わらず、全体としては消費を増やしていない。
なぜならば、国民にとって利用可能な「パイ」が増えていないからである。

25引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/09(水) 21:17:28
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P409


連邦政府が資金拠出する、全国共通の就業保証プログラムの支持者は、働くことを望む者全員が確実に職を得られる方法は、他にないと主張している。
ケインズ学派的な「呼び水」需要刺激策は、一時的には完全雇用を達成するかもしれないが、それを持続させることはできない。
なぜなら、それは経済を不安定にし、インフレ圧力と持続不可能なバブルを生じてしまうからである。

26引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/10(木) 23:19:53
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P437-442


8.7 オーストリア学派にとってのMMT〜リバタリアンは就業保証を支持できるか?

(中略)

1.MMTはどんな大きさの政府にも合致する。望むならば、リバタリアンの小さな政府でも可能である。
しかし、政府は変動相場制の主権通貨を発行する。政府は、その通貨で支払える租税を課すことによって通貨を支える。

2.就業保証/最後の雇い手というアイデアもまた、いかなる大きさの政府にも合致する。
大きな民間部門と小さな政府部門を望むならば、租税と政府支出を低く保てば良い。
それが、大きな民間部門が利用すべき資源を解放する。しかし、民間部門が雇用しきれない労働資源を吸収するために、やはりJGPが必要であろう。
民間市場の有効性に関してオーストリ学派が正しいのであれば、JGPは常に小さいであろう。

3.JPGは、好きなように分散化できる。連邦政府に営利企業の賃金を支払わせるとしたら、そこには重大なインセンティブの問題がある。
したがって、プログラムの賃金は連邦政府に支払わせるが、そこでの仕事はNPO、地方政府(あるいは最後の手段としてのみ連邦政府)に作らせ管理させることが最善かもしれない。
アルゼンチンは協同組合で試行し、非常にうまくいったようだ。
オーストリ学派/リバタリアンの連中に、自分たちのJGPを組成させ、彼らにとってとても大事な非営利活動のために労働者を雇わせても良いのではなかろうか?

4.貨幣経済の問題は、そもそも課税が失業者(=租税を支払うために貨幣を探し求める人々)を生み出すことである。
これを現代のほぼ完全な貨幣経済(単に食べたり、テレビを見たり、携帯電話をいじったりするために貨幣を必要とする経済)に拡大適用すれば、誰もが貨幣を探し求めるということになる。
そうだとすれば、政府の租税によって生み出された失業問題を民間部門に解決させることは、まったく愚かな行為である。
民間部門が単独で、継続的に完全雇用を供給することは決してないし、実際に供給してこなかった。
JPGは、民間部門を支援するために論理的に不可欠なものであり、歴史的にも必要とされてきた。
それは、民間部門の雇用を補完するものであって、代替するものではない。

27引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/10(木) 23:33:22
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P444-447


9.1 インフレと消費者物価指数

最も一般的なインフレの尺度は、消費者物価指数(CPI)である。米国では、1966年以来、CPIが7倍に上昇した。
インフレへの警戒心が強いインフレ・タカ派の多くは、それは誤った財政・金融政策のせいである、具体的に言えば、金に裏付けられた「ハードカレンシー」を放棄したせいであると信じている。
本節では、インフレとその計測の問題を検討しよう。

インフレの尺度としてCPIを利用することについては粗探しが可能であり、CPIには我々が即座に指摘できる、よく知られた問題がある。
しかし、間違いなく1960年代半ば以降(さらに言えば、傾向としては第二次大戦以降)、物価は全般的に、ほぼすべての国で上昇してきた。
これはやや心配な問題である。ケインズが論じたように、賃金と物価には計量貨幣単位での「硬直性」がある程度必要であり、さもなければ貨幣は放棄されるかもしれない。
貨幣の放棄はハイパーインフレの際に起き得ることであり、貨幣の価値が急激に下落するので、人々は価値を保持できるなにか他のものを見つけようとする。

しかし、1966年以降、明らかに米国や世界のほとんどの国々のインフレは十分に低かった(少数の金本位制支持者にとっては、そうではなかったが)。
そのため、自国通貨は有効な計量貨幣であり続け、インフレにも関わらず、人々は自国通貨を自発的に持ち続けている。
実のところ、経済学者にとって、年率40%未満のインフレ率から経済への重大な悪影響を見出すことは困難である。
しかし、インフレ率が2桁になると、人々は明らかにインフレを嫌い、政策担当者はたいてい総需要を減らそうとして緊縮政策を取る。

(中略)

現代の資本主義経済において、なぜゆるやかなインフレが持続する可能性が高いのか考えてみよう、
そのためには、物価指数の構造について少し知る必要がある。もちろん、このあとの議論は極めて一般的なものである。
どんな国にも、賃金・物価の設定行動に影響を与える、その国に特有の経験・構造・制度がある。
すべての個別のケースでインフレを本当に理解するためには、それぞれの制度的状況の中で、物価と賃金を動かす個別の条件を詳細に研究する必要があるだろう。

貨幣について論じる際、CPIは常に関心事となる。よって、先へ進む前にまず、通貨の購買力の尺度としてのCPIを見ておこう。
物価変動を計測するためには、基準年の物価を、その後の(およびその前の)年の物価と比較しなければらない。こう言ってしまうと簡単そうだが、実際はかなり難しい。
それは、物価が変動するのみならず、製品とサービスも変化するからである。従って、CPIなどの物価指標は、品質が向上した分だけ調整されなければならない。
最新のノートパソコンは、1966年ならいくらしただろうか?数百万?数十億ドル?
ウォーレン・モズラーがいつも冗談で言うように、あなたのiPhoneには、NASAが月旅行のために結集したよりも優れた電子技術が使われている。
CPIは、科学というよりも芸術である。なぜならば、かつては存在していなかったものに価値をつけ、品質の変化を苦労して数値化しなければならないからである。
確かに今日の新車の価格は、1974年のそれの10倍を超えるが、それはずっと高機能で、安全で、快適である。

さらに、ボーモル病と呼ばれるものがある。モーツァルトの時代の交響楽団は、若干の奏者の増減はあるものの、今日のものと同規模だった。
指揮者次第ではあるものの、同じ楽曲の演奏時間は、ほぼ同じであった。つまり、ほとんど生産性が向上してこなった(同じ交響曲を演奏するのに、同人数の労働者が同じ時間働く)。
しかし、他の分野の労働者は、いまやモーツァルトの時代とは比較にならないほど生産性が高い。
同様な問題を抱えた分野は他にも多く、その大部分は生産性をさほど改善できないサービス業の分野である(理髪師、教師、医師を考えてみよ)。

過去200年間にわたって生産性がさほど向上していないこれらの財・サービスの価格は、例えば驚異的に生産性が向上した製造業の生産物と比較して、とてつもなく高くなっているはずである。
今でも、100人の頭髪を見栄え良く保つのに1人の理髪師が必要な一方で、かつては100人の農夫に養われていたのと同じ人数の腹を空かせた消費者を、今では1人の農夫が養っている。
もし生産性の向上だけを基準にして労働者に報酬が支払われるとすれば、音楽家は今でもモーツァルトの時代の賃金で働いているだろう。
しかし、音楽家や理髪師は、農夫や工場労働者と(多少の差はあっても)ほぼ同じ水準の生活費を稼いでいる。
我々は、農夫や工場労働者に不当に安い賃金を払うよりは、理髪師や音楽家に過大な賃金を支払うことを選択しているのだ。

28引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/10(木) 23:44:54
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P449

(事前に、>>27を参照することを推奨する)

ボーモル病を患った部門のコストが増加する(賃金は上昇するが、生産性は上昇しない状況を指す)につれて、その部門がGDPに占める割合が増え、CPIへの影響が大きくなる。
生産的な部門の実質賃金の上昇が、病んだ部門に対する支出の増加を可能にするが、実質賃金が上がらなければ、ボーモル病の部門は高価すぎて手が届かないものになり、芸術と医療の部門は苦境に陥る。

これは、1970年代前半から、米国でずっと続いてきたことである。医療費が高額化してきたにも関わらず、平均的労働者の実質賃金は上がらなかった、これが借金漬けになる過程を増やした。
リック・ウルフの研究によれば、ここ数十年にわたり、米国の労働生産性は上昇傾向が続いてきたが、それと比べると実質賃金は変わらぬままであった。
これは、賃金が低いために労働者が、自分たちが生産したものを買えないことを意味する。その場合、資本家には2つの選択肢がある。
価格を変えずにおくか、低迷している労働者の賃金を補うために''信用で''生産物を売るかである。
家計の負債が急速に増加したことから、資本家がどちらを選んだのかは明白だ。ウルフは、多くの根拠を示して、世界金融危機はこの負債の増加のせいで発生したと論じる。

29引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/10(木) 23:56:50
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P451

(事前に、>>27>>28を参照することを推奨する)

要するに、物価は様々な理由から上昇する傾向があった。
計測の問題に関係する物価上昇もあり、ボーモル病や、市場支配力、組合や寡占に関係する物価上昇もあった。
インフレは、必ずしも悪いことではない。
デフレは、インフレよりもっと悪い。

実のところ、多少のインフレは、おそらく良いものである。
ケインズ派「インフレは、名目収益を増やして債務返済を容易にすることで、投資の促進に役立つ」と主張した。
1974年に多額の学生ローンを抱えて大学を卒業した人々は、カーター政権時代のインフレ(1970年代後半)に本当に感謝した。
ローンの返済は名目学で固定されていたが、名目賃金はインフレによって多かれ少なかれ増えたからである!
ボーモル病に苦しんでいないすべての部門における物価の急速な下落も、これと同じ効果をもたらすであろうが、
デフレ自体が恐ろしい病である(この場合は、風邪を恐れて、もっと深刻な病を抱え込み、かえって命を危険に晒すようなものである)。

第二次世界大戦以降の物価上昇の直接の原因が、過剰な総需要だった可能性はほとんどない。
その一方で、戦後期に不況がなかったことが原因の一つであることは間違いない。
これは1930年代の大恐慌の再来を防ぐために政府が介入する「大きな政府」経済が、通常デフレを経験しないからである。
20世紀と19世紀を比較すると、19世紀中は好況時に物価が上昇して不況時に下落し、結果的に全般的な物価水準は、1800年も1900年もほぼ同じだったことが分かる。

しかし、[引補足:20世紀においては、]第二次世界大戦後 [引注:誤訳の可能性が濃厚。大恐慌を指すならば、第二次大戦前、または第一次大戦後と書くのが正確。] のひどいデフレを除けば、物価の進む方向は上昇だけであった。
繰り返すが、人々はインフレが好きではないものの、低いが持続的なインフレが、実際に経済に悪影響を及ぼすという証拠はあまりない。

30引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/11(金) 00:08:21
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P474-476


量的緩和(QE)をこんなふうに要約しよう。
あなたは銀行に当座預金口座と貯蓄預金口座を持っている。
銀行から、貯金の一部を、貯蓄預金から当座預金に移すことを提案されるが、あなたはそれを断れない。
その代わり、あなたは銀行から大好きなトースターをもらえるとしよう。
この預金の移動は、あなたが支出を増やす動機となるだろうか?おそらくならないだろう。
あなたが将来に不安をいだき、配偶者が最近解雇され、住宅ローン残高が住宅の時価を上回っているとすればなおさらである。
当座預金だと、貯蓄預金に比べて利息が減るから、もしろわずかに支出を減らすかもしれない。

同じように、QEとは基本的に、FRBにある銀行の貯蓄預金口座(国債)から、当座預金口座(準備預金)に資金を移動することを意味する。
これによって、銀行の利益は100、あるいは200ベーシスポイント減ることになる。これが景気を刺激するだろうか?
インフレ心配性の人々は、イライラが収まるだろう。QEがインフレを引き起こす可能性はないのだから。
どれだけの準備預金が生み出されても、それは中央銀行のバランスシートに確実に閉じ込められたままである。
そこから脱出してインフレを引き起こす可能性はない。

しかし、QEには負の側面もある。
低金利の環境下で、銀行は預金に対してほとんど利息を払ってこなかったし、一方で預金者に課す手数料を引き上げた。
低い預金利率と高い手数料が、貯蓄という行為を無意味なものしている。貯蓄しても、銀行預金から0.5パーセントの利息すら得られない。
たしかに住宅ローンの金利も低下したが、差し引きすると消費者の所得は吸い取られてしまった。以下は、クレディ・スイス銀行のレポートからの引用である。

FRBによる、''ほぼゼロ金利療法''の副作用、それは、最近数年間の個人利子所得の急減である。
利子所得の減少は、債務返済コストの節約効果を、事実上ちっぽけなものにしてしまう。(中略)
FRBのデータを分析したところ、住宅ローンや消費者ローンの返済コストを含む総返済額は、ピーク時より2000億ドル減っている。
一方、利子所得はピーク時からおよそ4250億ドル減少しており、これは債務返済額減少による恩恵の2倍以上になる。 [引用内引用終わり]

これをマクロな視点から見てみよう。
オバマ大統領の財政刺激策を覚えているだろうか。それは2年間、年に4000億ドルほど(GDPのほぼ3%)だった。
それが、「効果があったか否か」については激しい論争が続いている。
本当にクレイジーな連中だけが、それはまったく効果がなかったと信じている。
FRBのゼロ金利政策は、オバマの刺激策の半分に匹敵する総需要を経済から奪い取っている。
しかも、これは2年間だけではない。FRBがゼロ金利政策を実施する限り、ずっとずっと、何年も続く。

だとすればQEは、毎年、GDPの1.5%を奪い去るのに一役買うことで、景気を刺激するものなのだろうか?

過去20年間にわたってゼロ金利政策を経験した日本のケースから学んだように、極端な低金利は、与える以上に多くの需要を経済から奪ってしまう。
つまり、FRBはブレーキとアクセルを踏み間違えてきたのだ。
QEは経済に急ブレーキをかけるが、FRBは、QEは経済へガソリンを送り込んでいると考えている。
それはQEが間違った政策であることを意味するわけではない、多くのMMT派は常にゼロ金利政策を支持している、が、
QEは景気を刺激しないことを理解しなければならない。

31引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/11(金) 00:19:21
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P480-481

「政府は、インフレを引き起こすことなく完全雇用を追求''すべきだ''」というのがMMTの政策規範であり、そうするのにJGPほど良いプログラムは見つかっていない、というのがケルトンの主張である。
従って、我々はMMTの説明からこの政策提案を切り離すことができない。それどころか、MMTは規範も説明も遥かに超えたものである。
MMTは、経済を全体として理解するための首尾一貫したアプローチを与え、貨幣の「本質」の理解から始まる「世界観」を提示する。

とはいえ、MMTの教義の大部分は誰でも取り入れることができる。
その政策規範に同意することなく、単にMMTの説明的な部分を利用したいならば、それも可能である。
MMTの説明は政策立案のための枠組みを提供するが、''政府が何をすべきか''に関しては意見を異にする余地がある。
主権通貨を発行する政府にとって支出能力は問題とならないことをひとたび理解したならば、今度は、''政府は何をすべきか''という問題が最も重要になる。
我々は、それについて意見を異にすることも可能である。

32引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」:2019/10/11(金) 00:24:18
引用 ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」 P504-506


簡単に言えば、問題は、資本の生産性が高すぎることにある。
投資が生産性を向上させる性質は、総需要に対する投資の乗数効果を上回る。
この問題は徐々に大きくなり、労働者(消費に使われる賃金を稼ぐ)を機械(賃金を稼がない)に置き換える傾向によって、更に悪化する。
これが進むと、やがて、しかし確実に、機械を作り出す機械に辿り着く。この問題は、既に19世紀後半までには顕在化していた。
それは、第二次大戦中および戦後の早い時期に、政府の成長によって解消された。
米国連邦政府は、1960年頃までGDP成長を上回るスピードで成長した(つまり、経済規模に占める割合において、連邦政府は着実に大きくなった)。
次の15年間で、今度は州と地方の政府がGDPよりも速く成長した。
1970年代半ば、州と地方政府の勢いがなくなると、大停滞が始まったのは偶然ではない(なお、レーガンのソ連崩壊を目的とした軍拡により、大停滞はごく一時的に解消された)。
政府の成長の原則が、需要ギャップを拡大させたのだ。

従来の考え方に従えば、低経済成長に対する解決策は、投資支出の刺激である。
ケインズ学派に言わせれば、それが乗数効果によって総需要を増やし、雇用と成長を高める。
新古典派の経済学者に言わせれば、投資の増加は生産能力を増強し、総供給を増やし、直接に経済成長を高める。
では、どうやって投資を刺激するのだろうか?確かに、どちらの学者も企業に対する減税が投資を刺激することに同意する。
しかし、政府が一文無しだとしたら、財政政策を用いることができない。赤字という厄介者を避けようとすれば、金融政策、つまり投資を刺激するための低金利以外に手はない。
しかし、FRBはもう5年を超えて金利をほぼゼロに保っているし、日本の場合は20年を超えている。
それでも投資はほとんど行われず、成長せず、雇用はほとんど創出されず、どちらかと言えば停滞状態にある。低金利は機能していない。

いずれにしても、低金利は必ずしも投資を促進しない。なぜか?ケインズの答えはこうだ。
企業は売れると思うものを生産する。したがって、長期にわたって将来の売上が伸びると思わなければ、生産能力増強のための投資を行わない。
減税は、それが長期にわたって将来の売上を増やすと信じさせる魔法の妖精の粉がない限り、企業の投資を増やさないだろう。
企業に対する金利と税率の引き下げだけで、企業を騙して投資させるためには、妖精の粉を大量に撒く必要がある。

ケインズの継承者たち(ケインズ学派と名乗る人々と混同しないように!)は、金利政策が投資にとって非常に重要だという考え方を常に拒んできた。
長期にわたるゼロ金利政策を約束して銀行を超過準備で満杯にすれば、銀行が貸出を、企業が投資のための借り入れを行うというバーナンキの考え方に、彼らは決して賛成しなかった。
それはうまくいかないと我々は指摘し、今や誰もが知る通り、実際にうまくいかなかった。
投資は金利に対して、下げようが、あげようが、それほど敏感ではない。
その上、ヴァッターとウォーカーが主張したように、投資を増やすことは需要不足の解決策にはなり得ない。
つまり、投資を増やすと、総需要が(乗数によって)増える以上に、総供給(能力)が増える[引補:ためである]。

33名無しさん:2019/10/11(金) 00:26:56
>>5-11にかけて、鍋島直樹「ポストケインズ派経済学」を、
>>12-32にかけて、ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」を、
それぞれ個人的に面白いと感じた記述を引用させてもらいました。
以後、倉山スレを中心にいくつかのスレにおいて、ここからコピペして引用し批評させてもらうこともあるかと思います。

鍋島直樹「ポストケインズ派経済学」は、5400円+木下税、
ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」は、3400円+木下税、と、それぞれお求めやすい価格となっております。
共に良著であると断言できますので、ぜひお買い求めください。


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