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本迹のログ倉庫

94美髯公:2009/11/23(月) 13:26:00
      −けんちゃん・ぎかんちゃん(淫尊・旧名)掲示板− 
        もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

411 :もくれん:2008/12/13(土) 09:31:57
>>408    梅さん

「法」・・物理法則とか、つまり、自然界の、宇宙の・・E=MCの2乗とか・・
      万有引力の法則とか・・久遠元初の妙法・・
「律」・・人間がさだめた決め事・・国法・条例、その他・・

西洋から、lawの言葉が入った時に「法律」と訳したのが、不適切であった旨の
先生の著書は読んだことはあります。

「法」とは「久遠元初の妙法」とも言いますし、まぎれもなく、宇宙の根源の
法そのものです。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>先生の著書は読んだことはあります。

「法」と「律」の読んだ記憶の「本」を探しました。

先生は「宗教」の「翻訳」に関して、ご意見を書いてあったとの「記憶違い」です。

書籍名・・「仏教とキリスト教」
著者・・・堀 堅士
出版社・・第三文明社・レグルス文庫 1974年発行

著者紹介・・当時、関西大学法学部教授・つまり、法律の専門家・・

・・あとがきより抜粋・・・・・

法律学者である私が、宗教について「ユダヤ教」や「キリスト教」や「仏教」について
研究していることを、それがまるで専門外の横道にそれた無駄な研究で
あるかの如く非難するい人々があります。

しかし「法律」とは、いったい何でありましょうか。あなた方は「仏法」といい、
「ローマ法王」と言うのに、どうして「法」が宗教と無関係であるのでしょう。
又、あなたがたは、「モーゼの十戒律」といい「律宗」と言うのに、どうして「律」が
宗教と無関係であると言うのでありましょうか。

私は「法」と「律」の区別さえも知らない人たち、かの「木」を見て「山」を
見ない人たち、殊に「法・ダルマ・dharma・人間を超越した宇宙の真理」
「律・ヴィナヤ・vinaya・人間の考え出した規律」との区別も知らないで、
法律学者であると自称している人々に対して・・・(抜粋終わり)

ちなみに、この本は著者が聖書とか、仏典等、膨大な書物から、「仮定」を
立てた本です。
つまり、キリストなる人物が、あの時代「シルクロード」を往復25年位かけて
漢の国で、仏教とりわけ「法華経」を学んで、故郷に帰り、弘教したのではないか???
との、著者の「仮説」の本です。
第三文明社も出版をしたのは、読者の考察の一助になるとの判断でしょうし
私は、「なるほど」と、思いましたよ。でも、あくまで思索の参考程度で
その本の「正・誤」を追求する必要は無いと思っています。
「仮説」ですから。仮説ですので・・・・・

★いずれにしても、南無妙法蓮華経こそ、「宇宙の根源の法」であり、
  人間が作った「決め事」それを「律」と呼ぶとすれば
 「律」と「法・ダルマ」は、おのずと違うわけです。

95美髯公:2009/11/23(月) 13:40:39
      −けんちゃん・ぎかんちゃん(淫尊・旧名)掲示板− 
        もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

412 :もくれん:2008/12/13(土) 10:09:20
梅さん   とりあえず下記の文章をごらん下さい

 ttp://ranhou.hp.infoseek.co.jp/jyuyo.htm

この学会による御本尊授与は、

日蓮大聖人の「信心の血脈(けちみゃく)」を受け継(つ)ぐ唯一(ゆいいつ)の

和合僧団(わごうそうだん)としての使命と資格に基づくものであり、大聖人の

仏法における御本尊の本義、また大聖人の御本尊御建立(ごこんりゅう)の

元意(がんい)のうえからも、最もその意義に適(かな)った決定であります。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは以前も紹介しましたが、梅さんが、上記の文言に「納得」できていないと
これから、先生のスピーチを、私が労力を費やして書いても、「徒労」に
終わる危険性があります。

>>409
★日蓮大聖人直結の、唯一の、仏意仏勅の、広宣流布の教団である創価学会・・
★これには、梅さんは「納得」されていますか?

これと、重複しますが、梅さん自身が、大聖人の御遺命である「広宣流布」への
地涌の菩薩としての「誓願」が、真実であるかどうかに、かかっています。

「授与の資格」と「書写の権能」に、ついて、以前、梅さんと話したのは記憶
しています。

その時は、明言しませんでしたが、「書写の権能」は「授与の資格」の中に
含まれると、個人的には信じています。個人的にはですので、誤解のないように。
平成5年の時点では、日寛上人御書写を「教団決定」したことで納得しています。


413 :もくれん:2008/12/13(土) 10:45:57
梅さん

これから「邪義」に関する先生のスピーチを書いていきます。
「大謗法」「大聖人に違背」等も、同義です。


以下は全集 81  です・・これは平成4年で破門前です・・

★ 大聖人は、妙法を行ずる一人一人が仏であり、最も大切な存在であることを
  説かれています。
  そのまったく反対に、今の宗門では、いちばん偉いのが僧侶で、信徒は僧侶に
  仕える存在としている。これほどの人間尊厳の否定はないし、大聖人への
  「大違背」「大謗法」はない。すべては明瞭です。

★81P・・・・・
 「僧侶に拝んでもらわなければ成仏できない」などという教えは「御書」にも
  「六巻抄」にも一切ない。
  大聖人・日興上人等の教えに反した葬式仏教の「邪義」である。

★138P・・・
 日淳上人は、先ほどふれたように、ここ長野県の伊那のご出身であられた。
 また日達上人も、若き日、同じく伊那の信盛寺に在勤しておられた。
 お二人は、正法の「広宣流布」を願い、学会に理解を寄せてくださっていた。

  ここで、歴代の正師の遺徳をしのびつつ、日有上人の「化義抄」等と、
 それを注解された日亭上人の言葉を、少々、紹介したい。
 日有上人の教えに従うべきことは、日蓮正宗の「宗綱」に明記されている。
 ひとつでも、背くならば、もはや「正宗」ではない。

 大聖人の仰せに基づいて、日有上人は指南されている。
 「仏法は平等なり、法は何事も平等なるべし、仏の御跡を継ぎ申したる出家は
 何事にも一切の人に偏頗之有るべからず、若し偏頗有るならば必ず餓鬼道に
 堕つべきなり」

 仏法は平等であり、「偏頗」すなわち人を差別する僧侶は餓鬼道へ堕ちるとの
 教えである。
 今は「偏頗」ばかりである。僧侶の間の差別・僧の中での差別・

 すべて「平等の大法」である妙法と正反対であり、「邪法」の証拠である。
 いわんや、「如来の使い」である広布の戦士を見下し、差別するとは
 その一点だけでも、「仏敵」である。
 御書にも、日有上人の教えにも背き、もはや宗内は完全に
 「正宗」ではないのである。

96美髯公:2009/11/24(火) 12:41:02
      −けんちゃん・ぎかんちゃん(淫尊・旧名)掲示板− 
        もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

414 :もくれん:2008/12/13(土) 11:11:54
同じく全集81から(破門前です)

P154・・・・

★ 文永5年、蒙古からの国書到着。十一通の書状を、良観・道隆・その他の
  高僧に送る
  「今こそ、仏法の邪正を決すべき」と「公場対決」を迫る。

 大聖人は、いかなる権威にも、権力にも、一歩も退かれなかった。
戦って戦って、戦い抜かれた。戸田先生は、その大聖人の御心を拝しながら
こう言われている。
「日蓮大聖人は、権勢に恐れず、富貴にこびず、万衆(一切衆生)をあわれみ
末法一大利益の南無妙法蓮華経を授けられた大聖哲であります」
そして、結論として「創価学会の魂とは、この大聖人の魂を魂と」するところに
あると宣言されたのである。

これこそ、万年に変わらぬ大聖人直結の「学会精神」である。
死身弘法なされた戸田先生の遺言なのである。
一方、現宗門は「大聖人の魂」をまったく失ってしまった。
日興上人にも違背し、反逆してしまった。
「日蓮正宗」の名に値しない「邪教」に堕してしまった。

もはや、本当の「日蓮正宗」の心は、わが学会にしかない。
きょうは、あえて、この真実を申し上げ、後世に残しておきたい。
日蓮大聖人の魂を継ぐのは、「仏勅」どおり「広布」に進む創価学会である。
戸田先生は、その根本を明確に示し、残されたのである。
大聖人直結こそ、初代牧口先生・第二代戸田先生以来、寸分も変わらぬ、
そして永遠に変わらぬ、わが学会の誇りなのである。

416 :もくれん:2008/12/13(土) 11:36:03
>>413 訂正

>以下は全集 81  です・・これは平成4年で破門前です・・

「破門通告書」・・平成3年11月28日・・・

以下は全集 81  です・・これは平成4年で破門後です・・に訂正


417 :もくれん:2008/12/13(土) 12:00:27
平成4年10月24日  関西最高会議

「日興遺誡置文」の実践者は学会

二十六箇条の一箇条でも犯せば門下ではない。

★ 「師敵対」が「五老僧」の本質であり、日顕宗は五老僧の末流である。
 しかも、五老僧は、日興上人の正義を、かえって、法門の異類を立てるもので
 道を失っていると非難した。
 みずから、謗法に堕しながら、学会の正義を誹謗している点も、五老僧そっくり
 である。

★★★★  最重要 ・・・・303P

戦前、戦中、宗門に「神本仏迹論」という「邪義」を唱える僧侶が出た。
戦後もこの邪僧を強く責めるどころか、邪僧の罪をただした学会を
処分したのである。
今も、日顕が本で、大聖人が迹などという転倒の「顕本仏迹論」に従っている
僧俗が多数いる。

五老僧と、その末流は、「本迹の本義」を知らず、日蓮大聖人を御本仏と
仰ぐことができなかった。
日興上人の法統を継ぎながら、大聖人よりも日顕を「本」とする日顕宗は
「獅子身中の虫」の最も悪質なものであろう。 


★ 日々さん、五老僧のこと、詳しく書きましたよ・・・

97美髯公:2009/11/24(火) 12:48:52
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        もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

418 :もくれん:2008/12/13(土) 12:55:47
>>417の続き 全集 81より


謗法払いも、学会が僧侶に教えたのである。学会が存在しなければ、
大聖人、日興上人の正統は、守り伝えられなかったのである。・・・・305P

★・・ここは、梅さんが、最大に関心のあることです・・・・

316Pから317P

また戸田先生は、第二代会長に就任した直後、こう述べられた。
「立宗七百年に際し、日蓮正宗教団が、全国わずかに、一、二万軒を数えるに
すぎない現状は、われわれが宗開祖に対したてまつり、申し訳ない次第である。
もし、いま宗開両祖がご出現あらば、いかばかりか、お嘆きあり、かつおしかり
あるかを思う時、おそれ多く、もったいなく、かつは申しわけなく、
身も心もいたむものである。」

「かかる時、教団の一部に、意味なき嫉妬による折伏行進の邪魔をなすものが
いるのは、まことに残念な次第である。」
戸田先生は、広宣流布への責任を一身に感じられていた。
そして、ただ一人立ち上がって、折伏の陣頭指揮をとられた。

しかし、当時の宗門は、学会に協力するどころか、まったく無理解だった。
そのうえ、一部の僧は「意味なき嫉妬」にかられて、折伏の妨害までしたのである。
牧口初代会長も、宗門の無理解や妨害につねに苦しめられた。
最後も宗門の裏切りによって、獄死されたのである。

戸田先生は、また、「この教団の七百年の古い伝統は、一面には尊く、かつ清く
ありがたく、かつ一面には、猫もねずみも出るであろう。
かかる猫やねずみの類は、必ず一掃されるから、心配することはない」
(昭和26年6月)
悲しいことに、日顕宗は「猫やねずみばかり」になってしまった。

大聖人の仏法を食い物にし、供養を貪り、うごめいている、ノラ猫や
飢えたネズミのごとき醜侶は、広布へ進む信心の世界から、一掃せねばならない。
また現実に、清らかな「広布の世界」には、いられなくなって、みずから
去っていったのである。


419 :もくれん:2008/12/13(土) 13:12:33
同じく全集 81 

大正十一年十月、日蓮宗(身延派)、顕本法華宗など日蓮宗各派の管長らと
同座したうえ、身延の管長の導師で寿量品の読経・唱題した法主がいた。(日正法主)

しかも、それは他宗派とともに、大聖人に「大師号」を宣下するよう政府に
請願し、「立正大師」号を受けたことに記念行事であった。
宗祖と正反対の「権力迎合」の姿である。

その後、身延に大聖人の廟所(墓所)があるとしたためた「念書」を、政府に
提出した高僧さえいた。(日開法主・日顕の父)

日興上人の「身延離山」の崇高な御精神を踏みにじり、身延と「謗法同座」したの
である。身延と「与同罪」であり、大謗法である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おなじく321P

謗法者の供養を受けることは、謗法を容認するに等しい。与同罪にあたる。
宗門は戦後、疲弊した本山の収入増加をねらい、他の謗法の諸寺と同じような
「観光地化」を計画したことがあった。
それを、やめさせたのが戸田先生であった。謗法の供養を受けるところを
学会が救ったのである。

98美髯公:2009/11/24(火) 12:50:37
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        もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

420 :もくれん:2008/12/13(土) 13:37:17
入力に手が疲れた・・ちょっと、迷・発見

 ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7888/1164545168/51

2008/10/10(金)

本迹もそうなんです。
 ****さん。

 例えば大聖人様と私共。
 身体は仮のものですから迹ですね。
 恐れ多いので私で説明いたします。
 大聖人様もおなじですよ。
 
 ○○○○と言う人間。
 これはこの世での仮の姿です。
 ですが命は妙法なんですね。

 この身体は迹。 
 次に生まれる時は違う身体です。

>>身体は仮のものですから迹ですね。
>>この身体は迹。 
>>これはこの世での仮の姿です。

・・空・仮・中 の 三諦の「仮和合」の「仮」を「迹」に使っている・・

最初から、論理的整合性のある「使い方」をしてないのだ。
「行き当たりバッタリ」の使い方である。

99美髯公:2009/11/24(火) 12:56:42
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421 :梅:2008/12/13(土) 13:51:57
もくれんさん

レスが途絶えたので、どうしたかなと案じておりました。

私の投稿の>>399をもう一度お読み下さい。
この投稿では、特に最後の部分を最重要と意識して書き込みました。
今回の貴女のレスは、プリントアウトすると10枚近くになります。
しかし、>>399には全く触れておられないようです。
どうしてですか?

貴女の>>408でのご質問は>>409で撤回されていますので、ここでは触れません。

>>408
>私の「力不足」で、「目的」を成就できなく、私を「敗残者」として
>見ていただいても結構です。

貴女の対話者がかような見方をする者と思って、この対話を始められたのですか?

>せめて、「学会公式出版物」なかんずく池田先生の「最新」の「指導」
>くらいは、真摯に向き合っていただきたかったです。

そのよう努めております。
貴女が読めといわれた講義も、何回も確認しました。
その上での投稿が>>403です。
この投稿は、『教義の解釈や見解・表現は変わる』ということに
私の論点があります。
私が「法」及び「本尊」を否定などしてないことは、お分かりでしょう?
もう一度お読みになって確認してください。

貴女の投稿>>409についてのレス

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★日蓮大聖人直結の、唯一の、仏意仏勅の、広宣流布の教団である創価学会・・
★これには、梅さんは「納得」されていますか?

上記2行に、納得しているかどうかが「分岐点」だと思います。

とりあえず、質問は★印だけにします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

全くその通りであると納得し信仰を続けてきました。
もっとも私は6歳からですから、教学的な意識に目覚めたのは
中学・高校時代からです。
そのときの最初の参考書が「折伏教典」でした。
その時の一番古い版のものが行方不明ですが
今手元にあるのでも、現在の学会教義とは全く違うところがあります。
そういう事では、古い学会員はおそらく必死で学会についてきたのだと
思いますよ。

貴女投稿>>410について

>また、かっきり書きます・・

私の投稿>>402が、現在の日蓮正宗について
正邪を論じていただこうとは思っていないことはお分かりのはずですよね。

貴女の投稿>>411について

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このようなキリストについての仮説については興味の対象外です。
★いずれにしても、南無妙法蓮華経こそ、「宇宙の根源の法」であり、
  人間が作った「決め事」それを「律」と呼ぶとすれば
 「律」と「法・ダルマ」は、おのずと違うわけです
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そりゃそうですよね。
ですが、「法」と言おうが「ダルマ」と言おうが、人間がそのように
名づけて呼んだだけですよ。

貴女の投稿>>412について

>その時は、明言しませんでしたが、「書写の権能」は「授与の資格」の中に
>含まれると、個人的には信じています。個人的にはですので、
>誤解のないように。

これは個人的見解なんですね。
「信じる」というのはけっこうだと思います。
でも、「人本仏迹」を「信じる」というと
すぐに反応して、「邪義」を「信じる」のか、となるのはどうしてでしょうね。

貴女の投稿>>413,>>414について

先生の引用のみで、貴女の思索された上でのコメントがありませんね。
現在の日蓮正宗がその通りであることは、私も認識しています。
むしろ、ここまで引用なされるなら
「戒壇御本尊本懐論」と学会の現在の教義について、差異があるのかないのか
学会員としての貴女の見解を伺いたくなりました。
2007年の金原本から以後、ネットで見ていると、意識変更された方も
多いように見えます。

100美髯公:2009/11/24(火) 13:00:40
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        もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

422 :梅:2008/12/13(土) 14:27:28
もくれんさん

>>417
>二十六箇条の一箇条でも犯せば門下ではない。

これは、直接は私宛のレスではないようですが
私の『教義の解釈や見解・表現は変わる』という論点に関係しますので。

現代において、そのまんまで、二十六箇条を適用できないことはご存知ですよね?

また
>謗法者の供養を受けることは、謗法を容認するに等しい。与同罪にあたる。

これなんか、江戸時代に宗門がやっていたことですね。
これを厳格に守れば、「不受不施」派のように考えねば筋が通りませんね。


423 :梅:2008/12/13(土) 15:26:08
訂正

貴女の投稿>>411について
「・・・・・・・・・・」は
★の上に入ります
興味の対象外なのは、私です。


424 :梅:2008/12/13(土) 16:35:38
もくれんさん

>>420

>・・空・仮・中 の 三諦の「仮和合」の「仮」を「迹」に使っている・・
>最初から、論理的整合性のある「使い方」をしてないのだ。
>「行き当たりバッタリ」の使い方である。

これは、ご本人に確かめられたほうがよさそうです。
貴女は、彼が三諦で使われてると断言してますが
「仮諦」ではなく、むしろ「仮の姿」=「仮体」で使われているかも知れませんよ。
それを確かめられた上で、『行き当たりバッタリ』の発言が説得力を
もつはずですね。
そうでなければ、たんなる難癖です。

101美髯公:2009/11/24(火) 13:04:37
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        もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

425 :もくれん:2008/12/13(土) 23:44:31
>>421 梅さん

深夜なので、レスしやすいことから、書きます。

>先生の引用のみで、貴女の思索された上でのコメントがありませんね。

先生のスピーチは、まずは「その通り」と受け止めます。

>現在の日蓮正宗がその通りであることは、私も認識しています。
>むしろ、ここまで引用なされるなら
>「戒壇御本尊本懐論」と学会の現在の教義について、差異があるのかないのか
>学会員としての貴女の見解を伺いたくなりました。

梅さん、これからは、単刀直入に書きます。
まず、創価学会の実践に「大いなる意義」があると大確信しております。
ですから、創価学会の方針に全く納得しています。
例の「御本尊の授与の資格」云々でもそうです。

私は、平成5年から、授与開始された日寛上人御書写の御形木御本尊様です。
日顕書写のからの「交換」ですが。

事実の上で、確実に他者を幸福にしていく実践こそ肝要と思います。
そういう意味では、「戒壇様本懐論」がどうのこうの、私は全く、関心も興味も
現時点では、ありません。

前にも書きましたが、正本堂へは何度か行きました。
御開扉を受けました。あの中央の大御本尊様が、弘安2年10月12日の御建立の
出世の御本懐の大御本尊様と、当然、信じていました。
が、今は、他教団にあります。真偽はともかくとしても。

大聖人の出世の本懐そのものは、「御書の世界」に書かれていることで
その通りだと思います。
その「出世の本懐の《実物》の大御本尊様」に対して「執着」は、持っても
現実として、致し方なくもあり、すでに、創価学会は、未来向けて
新たなスタートをしているわけです。
日蓮大聖人直結の「意味」を、よくよく思うべきと思います。
御本尊は「法華弘通の旗印」といいます。
その意味では、先生は、明確に、最近のスピーチで「旗印」を語っています。
このスレッドでも紹介しましたが。

一大秘法でもあり、本門の本尊の定義である、
日蓮大聖人が胸中に所持されている、久遠元初の妙法たる南無妙法蓮華経と
またそれを図顕された曼荼羅本尊・・

             書籍「教学の基礎」
             仏教哲学大辞典

これは、いわゆる「戒壇様」の内実そのものです。
「戒壇様」は、日蓮大聖人の胸中の南無妙法蓮華経を図顕された「曼荼羅」
そのものですね。

「教義」は、変わりようがありません。誰にも変えられません。
今後未来永劫に変わりようがありません。一大秘法・本門の本尊・変わりません
一大秘法にすべて合するのですから。
「本門の本尊」は、御本仏の「たましい」ですから、
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候・・」ですから、

くどいようですが、「法」「宇宙根源の法」ですから、人為的に変えられるもの
ではありません。
ただ、ただ、宗門が「広宣流布への正しい信仰実践が皆無」が実体です。
それから、日蓮正宗との名称は、「宗教法人」としての正式名称ですが
創価学会員の立場からすれば、破門し、正本堂を破壊し、日顕宗と呼ぶのが
創価学会員としては、ノーマルであると思います。
最終的には、本人の自由ですが、宗門の悪を認識できている学会員は
必ず、「日顕宗」と言います。

102美髯公:2009/11/24(火) 13:07:10
      −けんちゃん・ぎかんちゃん(淫尊・旧名)掲示板− 
        もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

426 :もくれん:2008/12/13(土) 23:51:48
>>424 梅さん

このレスは、むしろ「やまいぬ」さんに読んでいただくのが目的でした。
勿論、「やまいぬ」さんが、気がついて読んで下さる程度でいいのですが。


427 :もくれん:2008/12/14(日) 00:15:59
>>399 梅さん

>もくれんさん、貴女は私との対話を逃げ始められたのですか?

そうですね、そう言われても仕方ありません。
梅さんに「罵られても」逃げたいと思い始めました。

私は、創価学会の公式出版物の記述を「その通り」と受け止めています。
自分の思索とは、又、次元の違う話であると思います。

確認しますが「人本仏迹」論を、梅さんに「間違い」であると、気付き
認識していただければ、この掲示板にお誘いした目的が達せられるのです。
が、梅さんは、「絶対に間違いと認めたくない」とのスタンスですね。
前にも言いましたが、「曼荼羅本尊」と「衆生」の関係は「本迹」を
使った時点で、つまり「入り口でアウト」です。
しかし、そこは譲歩して梅さんとの対話にお付き合いしてきました。
御招待したという、こちらの立場の弱みもありました。
その分、私も新たに研鑽できたプラス面はあります。
しかし、梅さんに対して、限界を感じたのは事実です。

現時点で、梅さんは「人本仏迹」論を「間違い」であると「認識」できない
あるいは「認識したくない」あるいは「いや正しい」・・
いずれのスタンスであっても、今は、無理に「結論」を出さなくても
いいのではないかと思います。

創価学会の組織での実践を続けるプロセスで、自然に結論は導き出される
はずです。

ですから、私は「白旗」を、掲げるつもりでいます。
梅さんに、「人本仏迹論」の誤りを認識させてあげることが、できなかったと。
そして、私自身は「敗北」のつもりはありません、矛盾するようですが。

創価学会の現場組織での、「打ち出し」といわれる「たたかい」こそが
最重要であると確信しているからです。
実践の中からしか「自得」は、不可能であるとも確信しています。

梅さんから、出されている「質問」は必ず答えますよ。
答えるタイミングは大事ですからね。


428 :もくれん:2008/12/14(日) 00:29:20
>>421  梅さん

>でも、「人本仏迹」を「信じる」というと
>すぐに反応して、「邪義」を「信じる」のか、となるのはどうしてでしょうね。

随分と、はっきり書いてますね。

>>でも、「人本仏迹」を「信じる」というと

梅さんは「信じて」いるのですか?


人本仏迹論を、梅さんが、本当に信じているのであれば、
信じているのであれば、信ずる根拠があるはずですね。
是非、根拠をお聞きしたいですが。

103美髯公:2009/11/24(火) 13:12:51
      −けんちゃん・ぎかんちゃん(淫尊・旧名)掲示板− 
        もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

439 :もくれん:2008/12/14(日) 22:55:55
梅さん

梅さんを、この掲示板にお誘いしたのは、結果的に「私の間違い」でした。
その、私の間違いについて、深くお詫び申し上げます。
結果的に、梅さんの貴重な時間を使わせてしまったことも、お詫び申し上げます。

「人本仏迹」論の対話そのものは、私の方は終了させていただきたく思います。
梅さんが、「追求」したいことは、書いていただいて結構だと思いますし、
応じる必要のあることは、私も書きますが、最初から申し上げているように
「人本仏迹」論は、100パーセント間違いです。邪義の言葉がお嫌でしたら
「間違い」の言葉を使いますが、「100パーセント間違い」です。

しかし、ひとつだけ、サービスで書かせていただきたく思うことが
あります。
サービスというのは、梅さんが、読もうが読むまいが、これだけは
梅さんのために、書いてあげたいという意味です。
ですから、梅さんが、「読もうが、読むまいが」読んだ結果、「何、意味の無い
ことを書いて」と、がっかりしようが、私としては、何も「期待しない」で
書きますということです。

結果はともあれ、先生のスピーチに、私自身が「ピーン」とくるものが
ありますので。

 ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1226090096/403

このレス内容は、梅さんにとって、最も切実なことですね。


続く


440 :もくれん:2008/12/15(月) 00:55:22
梅さん

>さぁ、もくれんさんどのように読まれましたか?
>これらは、貴女が読むようにと言われた御書講義の「三大秘法」の部分と
>合わせたら微妙なところもありますが、従来とは明確に「解釈」が
>異なってきていますよね。

>現在もなお日寛師の「戒壇本尊論」に拘ったら、大変おかしなものになることは
>貴女にもご理解いただけると思いますが、いかがですか?
>これが、今からほんの22、3年前には、創価学会教学部の解釈であり
>宗門でいえば700年来の伝統的教義だったのですよ!
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

破門後、宗門とは完全に分かれて、いわゆる「戒壇様」は、創価学会には
存在しないのであるから、「本門戒壇」の文字は無くなって当たり前。
創価学会が仏意仏勅の唯一の団体であるということを、確信できるかどうかが
分岐点。
しかし、破門後数年間は、いろいろな思いの会員の心情を配慮して、先生の
以下のスピーチがある。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ttp://jbbs.livedoor.jp/study/7888/storage/1215745197.html 116・124

大聖人の出世の本懐である一閻浮堤総与の大御本尊が信心の根本で
あることは、これからも少しも変わらない。
日達上人は述べられている。
「大聖人はもう亡くなられております。その魂、その大聖人の御魂が、
この戒壇の大御本尊様である。(中略)あなた方の各仏壇に安置する
ところの御本尊様が、大聖人の御精魂である。
大聖人様即、法身報身応身の三身相即したところの御本尊様でございます。」
(1962年 昭和37年 9月7日 小田原教会での説法 日達上人全集)

各家庭の仏壇に御安置した御本尊は、「大聖人の御魂であり、御本仏の当体である」
と拝すべきなのである。そう信じて唱題するとき、そのまま、その場所で
大御本尊を拝していることになる。

日達上人は「御本尊安置の場所がどこであれ、いちおう義の戒壇と申して
その御本尊に向かって一心に余念無く唱うるところのお題目は即座に
本門戒壇の大御本尊に納まり、南無妙法蓮華経と唱えるその場所即霊山浄土
であり、即身成仏のところであります。1977年11月23日 同前)
と述べられている。

世界のいずこの場所であれ、御本尊を信じて、純真な「信心」の一念で
唱えた題目は、即座に大御本尊に通じていく。
「登山しなければ功徳なない」などというのは、先師の指南に背いた
大邪義である。

第一回 アメリカSGI最高会議  平成5年9月16日

続く

104美髯公:2009/11/24(火) 13:18:10
      −けんちゃん・ぎかんちゃん(淫尊・旧名)掲示板− 
        もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

441 :もくれん:2008/12/15(月) 01:10:51
梅さん

>>宗門でいえば700年来の伝統的教義だったのですよ!

これは、随分と宗門も乱れた時代があったらしいですね。
17世日精の「法主絶対論」とか、
日寛上人は、それまでの邪義をすべて破折して、大石寺つまり日興門流を
「御本尊根本」の正義に整えたと

 ttp://jbbs.livedoor.jp/study/7888/storage/1215745197.html  121

日寛上人は広宣流布の実現を、強く願われていた。
「六巻抄」や「文段」の著述も、すべて広布のためであられた。
当時、世間に流布していた一切の邪儀を鋭く破折され、大聖人の
正義を宣揚されたのも、広宣流布を願われたからである

第一回 アメリカSGI最高会議  平成5年9月16日

★ 御本尊根本の正義を教えられた日寛上人

日寛上人は「中興の祖」と仰がれたように、信・行・学にわたって、
「最も優れた法主であられた。

日亨上人は
「六巻抄を中心にして大聖人の御正義を完ぺきに打ち立てられた」と
  (大白蓮華 昭和31年11月号)

日寛上人は、大聖人の「御本尊根本」の正義を強く主張なされた。
このことは、「六巻抄」や「観心本尊抄文段」等で明らかである。

「観心本尊抄文段」には、
「十方三世の恒沙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、
皆咸くこの文底下種の本尊に帰せざるなし。譬えば百千枝葉同じく
一根に趣くが如し。故にこの本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の
妙用あり。(中略)これ即ち蓮祖(日蓮大聖人)出世の本懐、
本門三大秘法の随一、末法下種の正体、行人所修の明鏡なり」
(文段集 443P)と、述べられている。
一切の諸仏の一切の功徳が、すべて、この御本尊に具わっているのである。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

700年間一貫して必ずしも、御本尊根本の正しい教義で、きたわけでは
ないらしいですよ。
それに、戦前など「神札」の強要ですよ。


442 :もくれん:2008/12/15(月) 01:47:55
梅さん

>ですからね、沖浦批判についても、邪義だ邪義だとかみつくのではなく
>「もしかして、そのような発想がありうるだろうか」という検証姿勢が
>必要だと思うのです。
>そのための対話がなされることが必要とこそすれ、悪口雑言・非難に
>向かってしまうのは私たちがネット社会の対話に未成熟だからでは
>ありませんか?
>私が貴女と対話しようと思ったのは、貴女にはそれを乗り越える知性が
>おありに違いないと信じたからです。

梅さん、前にも言いましたが、私は沖浦氏と、とことん対話をしてきました。
梅さんこそ、今度こそ、梅さん自身が、沖浦氏と対話をされたらいいと思います。
沖浦氏に単刀直入に「人本仏迹」論の「根拠」を、お尋ねになればいいと思います。

> そのような発想がありうるだろうか」という検証姿勢が

これは、私程度の教学力でも、簡単に「間違い」であると判断できます。
氏の「何が故に人本仏迹論を主張するのかの、心情的背景は、すでに
解りきっています、それも、複数の方たちがです。
これは、日顕宗との、氏なりの「たたかい」の産物です。

 ttp://jbbs.livedoor.jp/study/3764/

前にも紹介しましたが、ここの彼らは誠実に、氏に向き合ってきたのです。
最後の最後まで。

>乗り越える知性

「知性」の次元の話ではなく「信心」それも、何度も言いますが
創価学会とは、何ぞやの次元の話です。

日蓮と同意ならば・・この誓願の姿勢がなければ、無理な話です。
知性で解決できるようなレベルではありません。


443 :もくれん:2008/12/15(月) 01:51:29
梅さん

>現在もなお日寛師の「戒壇本尊論」に拘ったら、大変おかしなものになることは
>貴女にもご理解いただけると思いますが、いかがですか?

こだわっているのは、一体誰なのか?
理解に苦しむ文章です。「戒壇本尊論」とは、何でしょうか?

105美髯公:2009/11/24(火) 13:25:42
      −けんちゃん・ぎかんちゃん(淫尊・旧名)掲示板− 
        もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

444 :もくれん:2008/12/15(月) 02:02:33
梅さん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>そして、この項の最後は、日寛師の観心本尊抄文段を引いて

>『また、「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐中の本懐なり、
> 既にこれ三大秘法の随一なり、況や一閻浮提総体の本尊なる故なり」
>(文段集四五二ページ)と示されている』

>と締めくくっています。
>さらに、【本門戒壇の大御本尊】の項目では
>『本門戒壇について』の小項目に

>『・・・事の戒壇とは、本門戒壇の大御本尊が御安置されるところである。
>・・・第六十六世日達上人は戒壇に御安置される根源の法体こそ
>真の事の戒壇であり、本門戒壇の大御本尊の当体及び所在が
>事の戒壇であると御相伝の上から示されている・・・』

>また、同項目の『本門の本尊について』の小項目では

>『本門の本尊とは、弘安二年(一二七九年)十月十二日に御図顕された
>未曾有の大御本尊のことであり、本門戒壇の大ご本尊のことである・・・
>日蓮大聖人の仏法の根本は本門戒壇の大御本尊である』

>さぁ、もくれんさんどのように読まれましたか?
>これらは、貴女が読むようにと言われた御書講義の「三大秘法」の部分と
>合わせたら微妙なところもありますが、従来とは明確に「解釈」が
>異なってきていますよね。

>現在もなお日寛師の「戒壇本尊論」に拘ったら、大変おかしなものになることは
>貴女にもご理解いただけると思いますが、いかがですか?
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こだわっているのは、誰なのかは、ともかくとして、日寛上人は正しいですね。
別に、今でも、正しいですね。
ただ、破門されて「戒壇様」は、我が教団には「存在しない」という事実ですね。

「存在」しなくても、日蓮大聖人の御精神・直結ということが最も大事ですね。

何も、矛盾はないし、「解釈」が変わったのでなく、しいていえば
「戒壇様」は、もう無いよ・・ですよね。
「無くても」何も、学会は「困らない」
日蓮大聖人の「御魂」は、創価学会にこそ「ある」・・
それが「確信」できるかどうか、一切は「信心」です。知性ではありません。

106美髯公:2009/11/25(水) 12:51:51
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        もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

445 :梅:2008/12/15(月) 13:18:23
もくれんさん

>>425
>事実の上で、確実に他者を幸福にしていく実践こそ肝要と思います。
>そういう意味では、「戒壇様本懐論」がどうのこうの、私は全く、関心も興味も
>現時点では、ありません。

この1行目は当然ですので異論ありませんが、次の2行はかなり問題だと
思います。
この「戒壇様本懐論」は沖浦さんの姿勢を理解するためには、必要不可欠の
通過点なんですよ。
関心も興味もなく、貴方は沖浦さんと対話したのですか?
そうであるならば、かみ合った対話ができるわけありませんね。

>その「出世の本懐の《実物》の大御本尊様」に対して「執着」は、持っても
>現実として、致し方なくもあり、すでに、創価学会は、未来向けて
>新たなスタートをしているわけです。

「執着」を持つ必要もなく「致し方なく」と言う必要もない教義解釈が新時代の
要求だと思いませんか?
現実に、大白10月号の報恩抄講義では三大秘法の「本門の戒壇」について
従来とは方向転換されています。
そういうことを踏まえて、私は『教義の解釈や見解・表現は変わりうる』と
申し上げているのです。
昭和61年版仏教哲学大辞典をあげたのは、そういうことを証明する文証と
してあげました。
さらに、私が中学時代に教学任用試験で出題範囲であり、
懸命に勉強した「折伏教典」は、現在には時代遅れの教義解釈があります。
これで学んだ学会員もまだたくさん生きているのです。
私の>>423で投稿した内容と意味を、ご理解いただけてましたか?

>「戒壇様」は、日蓮大聖人の胸中の南無妙法蓮華経を図顕された「曼荼羅」
>そのものですね。
>「教義」は、変わりようがありません。誰にも変えられません。
>今後未来永劫に変わりようがありません。一大秘法・本門の本尊・変わりません

「法」という意味で、貴方の言う「内実」という点では変わらないでしょうね。
しかし、その「法」の解釈や見解・表現という点では変わりうるのです。
学会でも破門前、「戒壇様」は人法一箇の究竟中の究竟である大御本尊とされ
三大秘法の「本門の戒壇」である「事の戒壇」に御安置されるものと
されてきたのですよ。
現在、もしこの通りの解釈を維持するなら、学会には三大秘法の一部が
かけてしまうのです。
そんなことありませんよね!
ですから、大白10月号報恩抄講義では、「本門の戒壇」を
「和合僧としての戒壇」としていると思いませんか?

>創価学会員の立場からすれば、破門し、正本堂を破壊し、日顕宗と呼ぶのが
>創価学会員としては、ノーマルであると思います。
>最終的には、本人の自由ですが、宗門の悪を認識できている学会員は
>必ず、「日顕宗」と言います。

貴方はご自分の使われている言葉の論理がおわかりですか?
貴方は、「本人の自由」だと前提を置きながら、「必ず」日顕宗と呼ぶのが
「ノーマル」な学会員だとしてます。
しかし、このように「ノーマル」である学会員なら、「必ず」日顕宗と呼ぶと
断定されたら、学会員に「本人の自由」はなくなるのですよ。
おわかりですか?
貴方のこの発言は、ひできさんの分析>>435の4,11、15(ラベリング形)に
該当しそうです。

以上、>>425についてです。

107美髯公:2009/11/25(水) 12:57:57
      −けんちゃん・ぎかんちゃん(淫尊・旧名)掲示板− 
        もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

446 :梅:2008/12/15(月) 14:02:26
もくれんさん

>>427へのレスです。

>梅さんに「罵られても」逃げたいと思い始めました。

正直さに好感を持てますが、後段にある次の

>ですから、私は「白旗」を、掲げるつもりでいます。
>梅さんに、「人本仏迹論」の誤りを認識させてあげることが、できなかったと。
>そして、私自身は「敗北」のつもりはありません、矛盾するようですが

上記はかなり良心的に受け止めないとイヤミですね。
対話を途中で放棄したら、な〜んだ、で終わりなんですよ。
貴方が言う『実践の中で自然と結論が導き出せるなら』ネットでの
対話なんぞ必要性がないのですよ。
もちろん、沖浦見解を批判する必要も、貴方にとっては「ない」のでは
ありませんか?

>私は、創価学会の公式出版物の記述を「その通り」と受け止めています。
>自分の思索とは、又、次元の違う話であると思います。

1行目、貴方の姿勢ですからご自由です。
2行目、思索をし、ただの引用ではなく自分の言葉で語ることが、
対話では血の通ったものになるのではないですか?
ただの引用ならロボットにすぎません。

>前にも言いましたが、「曼荼羅本尊」と「衆生」の関係は「本迹」を
>使った時点で、つまり「入り口でアウト」です。

ですから、本迹論から対話に入ったのでしょう?
また、最初の入り口で「アウト」だと言うのは、古典的な本迹論から
一歩も前進できなかったのですね?
そうだとすると、撤回を重ねることになりますね。

貴方には本迹論がダメなら、他にも「切り口」はあったのです。
その一つをあげれば「他力本願・自力本願」の民族的もしくは民俗的考察です。
この切り口は、「御書の世界」に糸口がありましたが、
対話を途中でもお終いにしたいようですから
これ以上は申しません。貴方の思索に任せましょう。

>現時点で、梅さんは「人本仏迹」論を「間違い」であると「認識」できない
>あるいは「認識したくない」あるいは「いや正しい」・・
>いずれのスタンスであっても、今は、無理に「結論」を出さなくても
>いいのではないかと思います。

貴方のご意見として受け止めます。

108美髯公:2009/11/25(水) 13:02:05
      −けんちゃん・ぎかんちゃん(淫尊・旧名)掲示板− 
        もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

447 :梅:2008/12/15(月) 14:05:41
>>446訂正

貴方が言う『実践の中で自然と結論が導き出せるなら』
       ↓
貴方が言う『実践の中で自然と結論が導き出せる』なら


448 :梅:2008/12/15(月) 14:31:41
もくれんさん

>>428へのレスです。

>人本仏迹論を、梅さんが、本当に信じているのであれば、
>信じているのであれば、信ずる根拠があるはずですね。
>是非、根拠をお聞きしたいですが。

貴方は>>427で結論を出さずともよいと、私にアドバイスなされていますよ。
それに、沖浦見解である「人本仏迹」は本迹論の定義がキチンと前提になければ
いかにそれを論じても、貴方の言う『入り口』で『アウト』なのです。
これまでの批判合戦はそこを明確にせずに終始していますね。

また、私の対話の目的は自説の展開ではなく、本迹を明らかにした上での
沖浦見解の検証する姿勢でした。
それに、今日(15日)の貴方の投稿をざっと読んだ限りでは
貴方は、私との対話の真摯な継続態度に欠けてしまったようです。
したがって、私も貴方の質問に誠実にお答えする対話相手としての義務も
なくなってしまいました。


449 :梅:2008/12/15(月) 14:48:29
もくれんさん

>>439へのレスです。

>梅さんを、この掲示板にお誘いしたのは、結果的に「私の間違い」でした。
>その、私の間違いについて、深くお詫び申し上げます。
>結果的に、梅さんの貴重な時間を使わせてしまったことも、お詫び申し上げます

まぁ、これ以上の謝罪には及びません。
了解いたしました。
私としても、改めて勉強しました。ムダにはなっていません。

>「人本仏迹」論は、100パーセント間違いです。邪義の言葉がお嫌でしたら
>「間違い」の言葉を使いますが、「100パーセント間違い」です。

言い切ってしまいましたねぇ(*^_^*)

この後の貴方のレスは、私への『サービス』なんですね。
『読もうが読むまいが』とおっしゃいますが、読んでしまったので(笑)
読んでて、なんだか分からないところを、私もサービスで指摘しますね。
投稿を次に送りますから、読まなくてもけっこうですよ〜

109美髯公:2009/11/25(水) 13:13:08
      −けんちゃん・ぎかんちゃん(淫尊・旧名)掲示板− 
        もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

450 :梅:2008/12/15(月) 15:08:55
もくれんさん

>>440
>破門後、宗門とは完全に分かれて、いわゆる「戒壇様」は、創価学会には
>存在しないのであるから、「本門戒壇」の文字は無くなって当たり前。

すごく飛躍した論理ですねぇ。
貴方の思索として受け止めます。

>大聖人の出世の本懐である一閻浮堤総与の大御本尊が信心の根本で
>あることは、これからも少しも変わらない。

そうです。これは「法華経の智慧」でも「御書の世界」でも書かれています。
そして、その出世の本懐が弘安12年10月12日の
一閻浮堤総与の大御本尊であることも両書は明確に書かれています。
(ただし、その書き方は以前と違い控えめに触れた程度ですね)
「本門戒壇」を外すとかの問題ではないですよ。

>日達上人は述べられている。

三大秘法の「本門の戒壇」を「義」と「事」に立て分けられているのですよ。
当然、日達師の時代では「事の戒壇」に御安置するのは、いわゆる「戒壇様」ですね。

しかし、報恩抄講義ではこのような立て分けは書いてありませんね。
戒壇=和合僧(仏教教団)と捉えているようです。お分かりですよね。


451 :梅:2008/12/15(月) 15:27:33
もくれんさん

>>441
>700年間一貫して必ずしも、御本尊根本の正しい教義で、きたわけでは
>ないらしいですよ。

その通りですね。
しかし、700年変わらぬ「富士の清流」と教えられたことも事実です。
私の初登山は小学生の頃ですが、そんな話を聞いていても良く分かりませんので
総本山の境内を流れる清流を見て、なるほどこのことかと理解しましたね(笑)
今は知りませんが、昔は水量が豊富でまさに清流でした。

ただ、日寛師について言えることは、彼の教学の全ては、
いわゆる「戒壇様」という「大御本尊」の「法」の証明だったわけですね。
これは、現代で考えるとのとは少し違うのです。
江戸時代の徳川封建制度の中で、富士門流が生き延びていくという時代背景が
あるようです。
現代では、私たちの大御本尊は「戒壇様」である必要はないですね。
私自身の人生からは戒壇の大御本尊様ははずせないですが、
教学的には私はそういう理解です。


452 :梅:2008/12/15(月) 16:03:21
もくれんさん

>>442
>これは、私程度の教学力でも、簡単に「間違い」であると判断できます。

確か「入り口」で「アウト」でしたね。
本迹を伝統的・古典的・定型的に言えば、そうなります。
ですが、何度も言っているように、他の見方も出来るのではないか、
これが私の考え方です。
それで>>170は「仮説」を提示し、対話の中で考察しましょうと提案しました。
その上で、人本仏迹論も検証しようとしたはずです。

>梅さんこそ、今度こそ、梅さん自身が沖浦氏と対話をされたらいいと思います。
>沖浦氏に単刀直入に「人本仏迹」論の「根拠」を、お尋ねになればいいと思います。

私は沖浦さんが言わんとしていることは、貴方より深く理解しています。
彼は、本迹を「立場」論で捉えていますね。貴方はお分かりでしたか?
誤解を恐れずにいえば、仏の出世の目的を考えれば、「人本仏迹」も
間違いとはいえなくなるのです。
これは私の見解です。
また、「人本仏迹」について他に適当な言葉があれば、沖浦さんも使わなかったかも
知れません。

「本迹」の言葉に引っかかると、直ぐに邪義といいたくなる気持ちは理解します。
しかし、対話は終わったわけですから、これ以上は申しません。

110美髯公:2009/11/25(水) 13:19:58
      −けんちゃん・ぎかんちゃん(淫尊・旧名)掲示板− 
        もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

453 :梅:2008/12/15(月) 16:21:57
もくれんさん

>>443
>>現在もなお日寛師の「戒壇本尊論」に拘ったら、大変おかしなものになることは
>>貴女にもご理解いただけると思いますが、いかがですか?

>こだわっているのは、一体誰なのか?

もちろん、拘ったのは私で、それを私なりに乗り越えた上での発言ですよ。

>理解に苦しむ文章です。「戒壇本尊論」とは、何でしょうか?

ええ! 驚いて返す言葉がありません。

『日蓮大聖人の出世の本懐とされる弘安2年10月12日建立の
日蓮正宗総本山大石寺にある本門戒壇の板曼荼羅大御本尊を
通称「戒壇様」とお呼びして一閻浮提総与の「本門の本尊」たる大御本尊とし、
これをめぐる様々な論争を指す』

そういうことですが。


454 :梅:2008/12/15(月) 16:44:12
もくれんさん

>>444
>こだわっているのは、誰なのかは、ともかくとして、日寛上人は正しいですね。
>別に、今でも、正しいですね。

そうですか。
貴方の見解ですから、ご自由です。
しかし、創価学会には日寛師を越える学匠がいづれ現れると思います。

仏法には「時」というのもあるようですから、何十年もずっと先のことでは
ないでしょうね。
それは単数の人間ではなく複数の人間でなされるのかも知れません
(教学部のようにね)
牧口先生の価値論、戸田先生の生命論があって、
日蓮仏法は現代に蘇ったといいます。
宗門と分かれた現代において、当然、これらの視点に立った教学の
見直しがあると思います。
もちろん、これは私の個人的見解です。


455 :梅:2008/12/15(月) 17:08:00
もくれんさん

貴方のレスにすべてお返事しました。
1ヶ月未満で対話が終わるとは思ってもみないことでした。
内心では3月位かなと考えていたからです。

しかし、対話は相手があって成り立ちますから
一方に無理強いをしてもせんないことですね。
特にここはネットですから、スルーされればそれきりです。

リアルでも、一時交流が途絶えていた友人でも
ふとした機会に思い出したように対話することがありますね。

そういうことでもあったら、沖浦板においで下さいませ。
ネットをやめない限り、そこに常駐しています。

ひできさんには、きちんとしたレスを頂きたいところでしたが、
この板を去ればロムもしませんので再度私が要求したご指摘はもうけっこうです。

また、沖浦板で会いましょう。
教学解釈が違うくらいで、いがみ合うのはソンですよ。
お若いのですから、沖浦さんの人生に学ぶというくらいの
大きな気持ちで眺めてみるのも大切かと思います。

粛坊さんはじめここの皆さん、スレを占領しご迷惑をおかけしました。
静かに見守ってくださり、お礼申し上げます。


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