したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

本迹のログ倉庫

7美髯公:2009/09/24(木) 12:56:13
−けんちゃん・ぎかんちゃん(淫尊・旧名)掲示板− 
もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

148 :もくれん:2008/11/27(木) 14:52:17
>>147の続き  梅さん

原点に戻り
「衆生己心の妙法は本・曼荼羅は迹」・・これは、入り口で「アウト」です

曼荼羅御本尊と私達の関係を「本・迹」で、表現すること自体、間違いですね。

御本尊様は、私達にとって「帰命の対境」であり・・
御本尊を「明鏡」として、己心の仏界の生命を涌現する・・・

との表現はしますよね。

以下は、オアシスで書いたものを「貼り付け」ましたが
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

同じく全集から、生死一大事血脈抄から  142P〜

したがって、この「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との
三つと言う表現は、一応、・・・・途中略・・・

再応、元意の辺は、
久遠元初の自受用報身如来 即 日蓮大聖人 と
文底独一本門の大御本尊と
そして、私どもの生命がともに 南無妙法蓮華経であり、

この三つは「まったく差別はないと、解りて、と拝すべきであります。

★これを、差別があると思っていくのは、真実の仏法ではありません。
 仏は、素晴らしい特別な存在であるとし、我々衆生は、卑しく
 醜い存在であって、とうてい仏になどなれるはずがないと考えるのは
 大なる誤りであります。

★ しかしながら、「この三つ全く差別無しと解りて」といっても、
 それを、事実のうえで、「解る」・・理解するというところまで
 達していないのが、凡夫であります。

★  その場合「解りて」とはどういうことかといえば、
  「以信得入」「以信代慧」と示されるごとく「深く信心をとって」
   ということになるのであります。

★ともかく、御本仏日蓮大聖人の御生命も南無妙法蓮華経であり、
 その大聖人の御生命をそのまま、「すみにそめながして、かきて候」
 と仰せられている御本尊も、南無妙法蓮華経である。

★ そして、もったいないことでありますが、
  私ども、一人一人の生命もまた、同じ南無妙法蓮華経であると
  「こう信じて」、南無妙法蓮華経と唱える時、私どもの生命に
  生死一大事の血脈、すなわち、南無妙法蓮華経の大生命が
  脈々と湧現してくるのであります。 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しいていえば、曼荼羅本尊も「本」私達も「本」ですね・・
差別はないのですから、しかし「信」が条件ですよと・・
ですから、「本・迹」の表現は、完全に間違いなんです。
まず、これが第一段階ですが・・

続く・・


御本尊様は、私達にとって「帰命の対境」であり・・
御本尊を「明鏡」として、己心の仏界の生命を涌現する・・・

との表現はしますよね。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板