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本迹のログ倉庫

59名無しさん:2009/11/14(土) 13:23:15
      −けんちゃん・ぎかんちゃん(淫尊・旧名)掲示板− 
        もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

255 :もくれん:2008/12/04(木) 16:33:38
梅さん、これが沖浦さんのレスですね。
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http://jbbs.li沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/12/02(火) 21:06:36 ID:AJ3hr85o0
 あのね、もくれんさんや、他の方々、私が曼荼羅が迹、人が本と言うでしょう。
 そうすると、判で押したように、ご本尊様軽視だ。って、浮かれ騒ぐんですよ。

 馬鹿ですね〜〜、この手合い。
 じゃ、自分たちは人間軽視じゃないですか。
 この単純明快な道理を忘れ果てて浮かれてんです。

 迹が軽視ならね、アンタ方、この世で最も大切な人の命軽視してるんじゃ
 ないですか。
 
 私が19歳の時、近所で火事があったんです。
 創価学会員のお宅で、生まれて一月ほどの赤ちゃんが焼死されました。
 私と幹部が非難場所に激励にいきました。
 すると幹部が、ご本尊様はどうしました?って、聞いたんです。
 ご主人がキット顔を上げられて、子供も出せなかったんです。
 と、返事されました。
 数日後、妙本寺という寺で友人が出家してたので聞きました。

 この場合どっちが優先なんだ?
 すると、人です。って、即答されたのです。
 私は当時、人よりご本尊様が先だと教えらていたんです。
 
 以来、31歳まで、ズ〜〜〜〜〜ット考え続けていました。
 ご本尊様と人間、どっちかしか助けられない時、自分はどうするべきなんだろう?
 現場を見て、悩んだ人間の深刻な葛藤でした。
 31歳で耕治が3歳、と1歳、火事になって、子供見捨ててご本尊様助けて
 本当に正しいのか?
 子供見ながらいつも考えていたんです。
 その時、池田先生の観心の本尊抄のご指導を聞きました。

 『観心とは信心です。
 我が己心の仏界を信じる。
 これが観心です。
 私たち凡夫が信心するためには本尊が要る。
 そのための本尊だよ、本尊のための人間じゃないよ。
 その信心のための本尊を、五の五百歳に始めておいたよ。と、こう読むんです。
 本尊のための人間じゃないよ、人間のための本尊だよ。
 だから大聖人様はありがたいんです。』(趣意)

 その時、長年の疑問がパット解決しました。 

 人を先ず助けよう。

 それから、御書の読み方が変わりました。

 人が迹、曼荼羅本。
 絶対に邪儀ですよ。

 人の命より大切なもの、この世にあるはずないじゃないですか。
 それを、人が本で曼荼羅迹だとご本尊様軽視??
 アンタ方ね、命軽視の大謗法です。

 情けない!!
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>迹が軽視ならね、アンタ方、この世で最も大切な人の命軽視してるんじゃ
>ないですか

人間が迹・・とは、誰も言っていないのに「カン違い」です。

>私は当時、人よりご本尊様が先だと教えらていたんです。

これは厳密には「カン違い」か「間違い」だと思います。
御本尊を大切にとの指導は当然あるでしょうが、今でもですね
人命と比較した指導は、聞いたこともありませんし、書籍でも見たことは
ありません。

> 私たち凡夫が信心するためには本尊が要る。
> そのための本尊だよ、本尊のための人間じゃないよ。

この記述は、精緻に検証します。

>人が迹、曼荼羅本。

これは、誰も主張してません。念のために。


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