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57
:
美髯公
:2009/11/14(土) 13:10:10
−けんちゃん・ぎかんちゃん(淫尊・旧名)掲示板−
もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋
249 :梅:2008/12/04(木) 15:06:22
もくれんさん
>>247
>「内実」とは、「曼荼羅御本尊」は「御本仏の御生命を図顕したもの」で
>あるから「戒壇」の言葉が付こうが、付くまいが、
>「御本仏の御生命」という内実は同じですという意味です。
論点の理解について、お互いの間にズレが見られるようです。
私は「戒壇の大御本尊」は大聖人の「出世の本懐」を顕した「特別の大御本尊」だと
いう伝統的教義の視点からています。
そのことには現在では「内実」に変化があると思います。
それに対し、貴女は「戒壇の大御本尊」とその他の「曼荼羅御本尊」とを
区別しない観点から「内実」は変わらないと言われているようですね。
ズレがあると申し上げた点はご了解いただけますか?
私の視点に立てば、これは先にも言いましたように、単に「戒壇の」を外したでは
という問題を越えているという表現もご理解いただけると思うのですが・・
しかし、今これを論じるのは置いておきます。
それに、私たちの対話では論点として取り上げる必要もありません。
私がこの問題に触れたのは、教義の「解釈・表現」は、伝統的解釈であっても
時代の変化に応じて変わりうるのだということを言いたいがため過ぎません。
『本門の戒壇』でも、かつては『国立戒壇』だったのです。
そういう事のご理解のために、私の手元にある昭和61年版「仏教哲学大辞典」の
記載を参考資料に出したのでした。
これは、もくれんさんにもご理解していただけたものと思っていました。
さて、沖浦さんを他人がどう評価しているかは、私たちの対話では本質的な
ことではありません。
ですから、私たちの対話を進めるために
私の
>>235
の本題である本迹の「まとめ」についてレスを下さい。
そこに齟齬があるようでしたら、そのことこそ真摯に対話する内容なのですから・・
251 :梅:2008/12/04(木) 15:16:25
>>249
不具合かどうか、投稿の一部が欠けました。
「伝統的教義の視点から」の後に→「内実」を見
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