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35
:
美髯公
:2009/11/04(水) 12:47:30
−けんちゃん・ぎかんちゃん(淫尊・旧名)掲示板−
もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋
206 :もくれん:2008/12/02(火) 08:56:22
>>199
梅さん
>それに、もっと根本的に言えば、自分自身の信仰の教義ですから
>「戒壇の」が外されたことに、真摯に向き合うことが必要ではありませんか?
>特に、宗門・法華講の人たちから見れば、それが学会批判にもなるし、
>それで脱会した人たちもいるわけです。
私自身は、破門後、特に考えたことがない・・というより、他の個人的な
悩み等で忙殺されて、「そのこと」が、頭に入り込む余地が無かったというのが
正直なところでした。
この夏、今回の流れで、先生のスピーチも、再確認いたしました。
私も何度か、正本堂で御会扉を受けています。
当然、弘安2年10月12日御建立の「出世の本懐」の御本尊さまと信じていました。
例の金原氏の本は「弘安2年10月12日御建立の《真偽》や如何に」という本らしい
ですね。
「ほんもの」であったとしても、今は「他宗・他教団」にあります。
先生のスピーチにより、はっきりと認識できたことですが、
例えば、身延にも大聖人の御真筆の曼荼羅御本尊はあります。
その他の日連宗(いわゆる五老僧の流れですね)にも、大聖人の御真筆が
あるそうですね。
謗法の寺にある御本尊にどんなに題目を唱えても功徳は無い・・先生の指導より
(それに、身延などは、釈迦像を本尊にしているらしいですが)
それでも、題目は唱えているらしいですね。
日顕宗の題目には、絶対に功徳は無い・・先生の指導より
大聖人の真筆であろが、法主の書写であろうが、謗法の「寺・教団」
では、功徳に絶対に無い。
現実問題として、「戒壇さま」は、私たちの手の届かないところです。
もし「戒壇様」恋しさに、大石寺に行くようであれば、行くこと自体が
謗法である・・・先生のスピーチより
それでも、割り切れない人はいると思います。
そのような「気持ちの揺れ」に、宗門からの学会員に対しての「ゆさぶり」も
繰り返し、あるのだと思います。
続く
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