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本迹のログ倉庫

30美髯公:2009/11/03(火) 13:10:51
      −けんちゃん・ぎかんちゃん(淫尊・旧名)掲示板− 
        もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋

198 :もくれん:2008/11/30(日) 15:12:36
>>184  これは、「付録」のようなもので・・・

>でも、御書の御文は
>「・・万物に就いて本迹を分け、勝劣を弁ず可きなり・・」とあります。
>これは、分けて、そして、勝劣を弁ぜよ・・と読めます。
>ただ、浪とか風の、本迹は、ピーンときませんね。

★>ただ、浪とか風の、本迹は、ピーンときませんね。

これについて思索しましたが、「依正不二」に尽きるのではないかと
今は思っています。

「万民一同に南無妙法蓮華経と唱うれば、吹く風枝をならさず・・」
ちょっと正確に全部出てきませんが、

「正報」たる人間生命が「本」を顕していくとき、風や浪も「本」の
現象として、顕れる・・・今はまだ浅はかな考えかもしれませんが
梅さんの「問題提起」により、茶碗を洗いながらも、真剣に考え続けて
いましたので・・一応書いておきます。


199 :梅:2008/11/30(日) 15:19:06
もくれんさん

>>190
>私は、近年の学会出版物の記述に「納得」しています。

私が資料として書き込んだ記載は、「新版・仏教哲学大辞典」昭和61年版です。
したがって、この当時の創価学会には「本門戒壇の大御本尊」は、
何ら問題のない宗門の教義でした。
問題がないというより、「戒壇の大御本尊」は根本崇拝としての本尊であり
「一大秘法である本門の本尊」とする宗門・創価学会の根本教義でした。
ですから、信仰する学会員にとっても、極めて常識的で何ら疑う余地のないもの
だったのです。
それゆえ、正本堂建立の意義もまさにあったのですね!
「戒壇の」は、単なる修飾語句などではありませんでした。

したがって、単に表現をかえたで済むような問題ではないし
学会員として、本当は、簡単に納得するような問題でもないはずです。
にもかかわらず、現在でははずされていて、
しかも、あまり問題としていないようにもみえる。
それはどうしてでしょうね。
単に、『宗門と別れたという事情変更により、従来の解釈を改めた』では
世間一般では通用しないように思います。

それに、もっと根本的に言えば、自分自身の信仰の教義ですから
「戒壇の」が外されたことに、真摯に向き合うことが必要ではありませんか?
特に、宗門・法華講の人たちから見れば、それが学会批判にもなるし、
それで脱会した人たちもいるわけです。

沖浦批判者は、この点にはあまり触れないようにしていますね。
しかし、それでは沖浦さんが「何をいいたいのか」という理解を踏まえての
批判にはならず当然ながら、正攻法の論議として成り立ちようがありません。
ですから、関係ない悪口を声高に叫ぶような非難投稿に陥るのが多いのだと
思います。

貴女は、変更された学会の出版物の記述を、
何故・どのようにして納得したのでしょう?
もっとも、貴女が宗門と別れて後の入信者なら、
この問題はスルーされてけっこうです。
わざわざ信心のいらぬ葛藤をする前提に欠けますからね。


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