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本迹関連の部屋
73
:
taka
:2009/11/27(金) 23:06:27
沖浦克治さん
大聖人の仏法は、人法一箇ですね。釈迦仏法は、人法勝劣ですね。
大聖人の仏法は、但信力のみですね。釈迦仏法は、歴劫修行ですね。
「衆生が本地を思い出すには、仏道修行が必要なんです」とは、
沖浦さんがの仏道修行の程度はよく分かりませんが、精進行だと私も思います。
精進行については、もう少し考えてみたいと思いますが。
「御本仏日蓮大聖人」「御本尊」「御書」「創価学会」「三代の会長」
私は入信以来疑ったことがありません。おかげで、何不自由のない生活をさせていただいております。
「無疑曰信」こそ成仏の要諦だと思うのです。
「御本仏日蓮大聖人」「御本尊」「御書」「創価学会」「三代の会長」を、私の成仏のための、功徳を得るための、手段にしてはいけないと思うのです。「根本尊敬」の存在だと思っています。
つまり、本迹を論ずるものではないと思うのです。
私たち、弟子はそれを論ずる資格はないと思います。
「御本仏日蓮大聖人」「御本尊」「御書」を、迹(手段)と言えるのは、御本仏以外にないと思います。
「創価学会」「三代の会長」を、迹と言えるのは三代の会長以外にないと思います。
私たちが言えるのは、友人と仏法対話をする時、その時は、友人は「本」で自分は「迹」と言えるのではないでしょうか。その時、友人が衆生で、自分が仏だとおもいます。
しつこいようですが、弟子の立場で、師匠が「迹」というのは、どうも不自然だし、あるべき姿ではないと思うのですが、いかがでしょうか。
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