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準シュダオン氏について語るスレ
58
:
ラシン
◆xvojmuQ90o
:2012/06/01(金) 16:37:06 ID:0iokvgUQ0
>57
>で、3番目の「識(しき)」を在世への転生時の原初的な意識(心)として捉える見方です。
つまり、ぶっちゃけ、母親の胎内にて芽生えた命を識=結生識としている点です。
話しの腰を折るかたちになりますが、
それらの考え方もアビダルマ論師の瑣末で煩雑な考察です。
釈尊の説く「識」は、識別作用で用いられます。
十二因縁じたいは、苦が成り立つ十二の関係性です。
無明〜・・・生・老・病・死という相依性、縁りて次が生じる
連綿性をあらわす真理です。
そのなかに識別作用があり、それに縁って名色という物心両面の
対象としての五蘊が生じる、そしてそれに縁って、、、、、。
これを順観と逆観(消滅)することによって因果の道理を
明らかにし無明を悟るとの結論に至ります。
釈尊の立場では、「死」に対しても無記です。
出典された内容も「死」への観察は無常を気づくための瞑想です。
それが釈尊が説いた「小マールンキャ経」の毒矢の譬えです。
世界が永遠であろうとなかろうと、有限であろうとなかろうと、
生命と身体が同一であろうとなかろうと、人が死後存在しようとしまいと、
人は生まれ、老い、死に、嘆き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩むのですから、
はやく毒矢を抜くことが先決との教えであり、生あるうちに煩悩を滅する
との意味になります。
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