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記録庫2

526考える名無しさん:2019/04/10(水) 11:14:41 ID:yfd0kQUQ0
いつものように、考えていることのいくつかの中からひとつの話を始めるが、

「才能」の定義。
過去に、才能の対岸に「コツコツ努力」というものを設けて考えていたが、
その形全体をリニューアルする形で。

やはり、心理学は、志向的クオリアの範疇を取り扱うには狭すぎる。

才能について考えるには、まず、「自分の頭で考えること」が学習・習得可能であるのかを審議し、可否を決定する必要がある。

もし仮に否であるのなら、「自分の頭で考えることができる人」は、生まれながらにその能力を持ち、生きている中のどこかで、その能力を「取り戻す」(使えるようになる)。

世に出回る「〜〜思考法」みたいな本や教えは、
「自分で考える頭を作る」
ではなく
「特定の作業を頭でやるシーケンスを憶え身に染みつける」
というものが殆どであるので、
自分の主体的な思考力を用いる必要なく、取って付けた付け焼き刃として「装備」できる。

脳に装備する道具でしかない。

現在の論点は、
その道具を装備する「脳」自体の強さだ。

装備品で補うのは結構なことだが、それは脳自体を強くした人も行えることであり、
となると、脳自体が強い人は、それは「才能」なのか?
という部分を、
後天的に学習・習得可能であるのか

を問うことを突き動かすものは「優しさ」だと思う。

何重にも重なった文章を書いているのは、ツイッターが文字数制限を持っているためであり、
その難解な文章への苦情は、「ツイッターの設計思想」という「エゴ」に宛てて欲しいと思う。

140字で綺麗に切れる文字数パズルをやりながら書いているので、
独特な折りたたまれかたをした文章となっている。


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