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記録庫2

503考える名無しさん:2019/04/05(金) 17:59:29 ID:tE3A7IKg0
茂木氏のなんでも相談室の引用した回を目にして、どうしようもなく笑ってしまった。(この笑いは滑稽で、ではない)

なんていうのか、意識とクオリアと人の動作を語る上で、この質問者の存在、その気質、その文章が非常に効果的である、と同時に別の才能を感じる

画像引用元
lineblog.me/mogikenichiro/…

まず、質問者の観察眼と分析力が希有なものだ。
自己の状態を認識し、それとは異なる状態(歌が上手い)の人の在り方を"文学的"に表現した。
その上で、自己がどの様にそうなれるのかがわからない、という形だ。

茂木氏の回答にあるように、曲中で認識・意識する活動が活性化していると上手くいかない。

見る・わかる、意味を得る、という活動ではなく、
流れに乗る、流れを作る、という活動が発生していないとリズムに乗ったうえで表現を加える、という空中を蹴り上げて空を登っていくような風にはならない。

俺は元来、音楽はできる人で、ここ十数年は気分的に論理性と分析力を強めたポーズで生きてみているが、
この質問者に限っては、その分析力と情報の統合力に特化していっても良いんじゃないのか、とも思える。

>「リズムに乗れている人は、音に包まれている」

これ、まず、物理的には、誰もが反射した音に包まれているわけだが、
この人に限っては、音の出力位置「からしか聞こえない」と錯覚している状態であり、
むしろその錯覚(を得る意識)が「凄い」可能性がある。

この質問者の人が、"求める歌のうまさ"を手に入れるには、自分にとって当たり前な「大切な能力」を失うことと引き換えになる、とすら言える。

洒落を効かせて文学的に角度をつけて言うとすると、どんな風になるだろうか。

「音に包まれたいのなら、視力を失うことになるけど、いいのかい?」

こんな感じか。


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