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記録庫2

493考える名無しさん:2019/04/03(水) 20:03:35 ID:tE3A7IKg0
RTについて。TLでみかけたものをRT。

俺もこの状態だな。「展示」とか、嫌違うんだよな、と、必死に歩いている最中に「今飯食え」とか言われている感じで。
「飯は、飯屋に入ったら食うから。今、歩いてるから。」
そういう時期。

それを、
「プロは毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日描くし展示するし展示見に行く」
とがなり立てる暑苦しい奴がよくいる。

どんだけ優等生なんだよ。
そんな長くて変化がないだけが個性の『サザエさん』みたいな人生(という)作品、作りたくねーよ。サザエさん大嫌いだし。

暑苦しい奴は、キャリアパス目指してる優等生ではなくて、優等生ワナビーだと思うが、
その「暑苦しさ」は、そいつが抱えるそいつ自身の「劣等感と焦燥感」であり、それを「外側」へぶちまけている状態だろう。

「そうであるべきだ」という観念に囚われており、思考と視野がその枠内に縛られている。

考えるより動く。

自己の中で、エネルギーが使われる先として、思考の方向には大きな「抵抗」があって流れていかず、従って流れやすい「身体を動かす」という方向で、その「本質的な問題」を解決しようとする。

これが示唆することは、
思考結果が伴わない思考には価値をおかないというものだ。

先日書いた、4つのことを考えている、というもののうちの1つを繋ぐ。

最先端の機器を手に入れてはがっかりすることを求める。
自己のクオリアは、もっと高い解像度で世界を感じ取っている。
人類はまるで進化していない。
人類種程度の知能で、何をなすこともできはしない。

この4行は矛盾する。


まず、この4行の前半と後半で全然違うことがいわれている風に見える。
しかし、両方とも、同じ視点から見た上で放った言葉だ。
この両方が両立するのは、おかしい、と感じる。

クオリアの解像度が最先端科学技術の成果物よりも高度であるならば、人類種は優れていると言うべきではないのか?となる。

でも、おかしくない、矛盾してはいないんだよ、というお話。

わかりやすく言うと「猫に小判」。
人類の魂に人類の身体を与えたところで、その使い方を理解するはずもなく、有効利用することなどできない。

「人類の魂」というのは語弊があるが、わかりやすくメリハリをつけるとそんな感じ。

エネルギーが思考する方向に抵抗を感じ、流れていかない。

これは、
思考回路に気功の氣が通る道が開かれていない。

こんなのと同じことだと思う。

手足を動かす。
目に見えるから、わかりやすいよね。何かが「された」と認識する上で。
この「認識」を超えたところに「頭を動かす」は存在する。


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