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記録庫2

295考える名無しさん:2019/03/17(日) 17:56:03 ID:5UzOXBkE0
「悲しさ」と「悔しさ」、どちらの感情の方が晴らしやすいのか?

感情については、以前建てた仮説の
「[場面]をクオリアとして感じ、[現象]として認識し、[意味]が生成され、その意味と自己の関係が生まれるところで[感情]が発生する」
というモデルとして考える。

感情は、生まれた意味の副産物。

言い換えると、
[意味]は、自己との「関係」を持つわけだが、
[意味]が自己と「関係」を持つ上で、必ず【熱】が発生する。

この熱とは、化学反応かもしれないし、摩擦などの、脳細胞や神経網への「負担」かもしれない。そこは今はわからない。けれども熱としての感情の発生が考えられる。

[意味]がないものは、自己と「関係」を発生させていない。
[意味]は必然的に、自己との間に関係性を持つ。

[意味]は、関係性という、場合によっては自己との化学反応としての自己との癒着・同一化、時にはモジュール的な連結。どちらにせよ、自己と繋がっている。自己と繋がるものが意味あるもの。



今書いているものは、獲得し損ねた1万5千円の利益からの落胆という感情を、1万5千円よりも価値の高い意味的存在として発生させている、その行為自体。


[意味]については、ここまででかなりわかりやすくなった。
そこから[認識]と[クオリア]へ踏み込んでいく。

[認識]しないことには、[意味]は生成されない。

[意味]が付けられる対象を「対象」と呼ぶことにする。

[対象]を[認識]すると[意味]が生まれる。
[認識]の手前に[クオリア]がある。

意識とクオリアと素朴実在論。

素朴実在論というものを、一般的な認識の形として語弊付きで用いる。

[ケース]
鮮やかな色の花がある。
わあ、綺麗な花だ。と発露する。

この描写されたシーケンスは素朴実在論的だ。
実際は、もっと細かく砕ける。

[対象]植物(花)がある[場面]がある。
[場面]に臨む。
[場面]にて、「鮮やかな色」を[感じ取る]。(このクオリアから[熱]が発生。伏線上に置かれる)
「鮮やかな色」は花のものであると[認識]する。
花を[対象]と[認識]する。
[対象]は綺麗だという[意味]が生成される
鮮やかさに高潮する感情発生

結構、入り組んでいる。

クオリアからの熱が、後の感情という身体感覚を促している、という伏線。
認識の路線は、感情関わらず進行していく。

1万5千円の損失を、1万5千円相当の仕事として出力して、内的にバランスを取った。


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