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記録庫2
1
:
考える名無しさん
:2018/12/31(月) 22:11:35 ID:Hu0kh2hs0
-
2
:
考える名無しさん
:2018/12/31(月) 22:14:36 ID:Hu0kh2hs0
脈絡もなく、
理系の院生や博士の学んでいることや取り組んでいること、その環境を支えるメタ活動(人生)において何をやっているか、何を問題として持っているか
などを適当に目にして、なんかとても大きな蟠りを感じる。人間として人生がぬるい。
その「発見している違和感」をどう描写できるか、
理系と文系という分け方は意味がないと思う。
俺がその「理系」に見ているものは、別の分け方で示されるべきと思う。
「他者に与えられた世界の中で山を登っていく」系
と
「自己が世界を作るまで生きた心地がしない」系
この2つ。
前者が"現代"の理系。後者が"文系というわけではない"。
今、定義した分け方は、前者的には意味も価値もなく、後者的に自明の価値がある。
…
自分の生の感情としては、自分が後者であることが辛くて嫌で苦しくてたまらない。
なんせ中高一貫で高校3年間理数科で、己が理系に属する者であることを知っていながら、
なんせ中高一貫で高校3年間理数科で、己が理系に属する者であることを知っていながら、
実は、理系学問を学ぼうができようがその分類には関係なく、もっと自己の、社会性よりも奥底にある「自己の在り方」がその分野が強いる生き方に合わない --- 性同一性障害的な何か。
魂の志向性の問題。
3
:
考える名無しさん
:2018/12/31(月) 22:54:36 ID:Hu0kh2hs0
現代の理系は、キリスト教全盛期の聖職者、みたいなポジションにある。
そのレールに乗っておけば、この人生は安泰だろう。
そのレールの上で、そのレール自体が持つ「探求方向」の血肉となり、礎となり、
日常的な語で言うならば、人間計算機として役目を全うするだろう。
俺の書いている文章は、意味を取り違える部分があるので、
冗長になりながらも書いていこうかと思う。
>現代の理系は、
と書いた。
この「理系」は「文系に対する理系」ではない。
既に、「自己が世界を作るまで生きた心地がしない」系に対する「他者に与えられた世界の中で山を登っていく」系だ。
「自己が世界を作るまで生きた心地がしない」系の死活問題を正面から突きつけられるのが芸術系だが、
商業デビューをするための足がかりに美大に入る、みたいな人もいるので、
イコール芸術系とも定義しない。
現代社会の表層的な分類の「奥」にピントを合わせている物の見方となっている。
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