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俺の記録庫

983考える名無しさん:2017/10/05(木) 10:15:26 ID:ZZVKU.B.0
「魂の描き取り」には、まず「魂を感じられること」が必要だ。
『考えるな、感じろ』で良いと思う。
ただ、ここで終わりじゃない。

この「魂の感じ取り」は「クオリアへの自覚」なわけだ。
そのクオリア自体が、(例えば模写するときの)被写体の複写とはイコールではないことを自覚する。

対象を見て、クオリアを得る。
このクオリアは、目の前に見える対象自体ではない。
そして、そのクオリアは、言語により定義された記号表現よりも精密であり、より多くの情報量を含んでいる。

この未だ誰によっても定義されていないクオリアを、まず自分の脳内で記号表現に翻訳しないといけない。

記号と表現しているが、絵画描写では、描写の優先度の選定などが、その意味している「記号」に当てはまる。
「スタイル」まで定型化しない「それらしさ」。それらしさは対象の個性であるが、その個性自体は元型的な抽象性を持っている。

感じ得たクオリアを、描画する抽象性に変換する。脳内で。

「似顔絵職人」が持つ技が、それに似ているのだが、
「そういう似顔絵」という「解釈の枠」が存在している。ここがリアルじゃない。
ここ、伝えにくいな。

個性を捉えた似顔絵職人の描く似顔絵を見て「ああ、その人っぽい」と思うわけだが、ぽさを受け取ると同時に、どこか真っ黒な闇も受け取る。

「っぽさ」が表現できているのにもかかわらず、その真っ黒な「虚ろさ」の穴がどーんと広がっている。

似顔絵職人の似顔絵が夢に出てきたら、間違いなく「悪夢」の類いだろう。虚ろだから怖いわけだ。
なぜ虚ろなのか。何が欠けているのか。本人っぽさを十分に表現できているのに。


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