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俺の記録庫

904考える名無しさん:2017/10/02(月) 00:17:25 ID:ZZVKU.B.0
追い越す場合も「戦意を喪失させる」ことが目的であるのだから、競い合いの一環ではない。
本当に「平和のための一撃」という思いだな。
その場合、確実に息の根を止めないと、その相手が復讐心を募らせて反撃してくる。
「そういうの」全てが煩わしいから、その一切の発生を根絶する。

競い合いが好きな人達のことを観察していることはある。
「競う人達」は、たとえ本気で喧嘩していたとしても、互いにじゃれ合ってるように見える。
相手を痛めつけることが非人道的だから、などという理由から手加減しているのではなく、絡み合う関係性を持続するために無意識に力が加減されている。

この「手加減」というのが、筋肉の「リミッター」と同じなのではないか?と思う。

つまり、「競う人達」は、どれだけ気合いを入れても、「その相手に傷を付けられない力」以上の力を出すことができない。
精神の筋トレをして、出せる力の量を徐々に増やしていかないと増えない。

しかし、そのリミッターが外れている人のことを「サイコパス」と呼ぶのだとしたら、そのサイコパスの定義は大雑把すぎると思う。

①制御するまでもない非力さ
②リミッターは外れているが、力は制御するものであると考えている
③見境なしに力を振るう

現状では①が健常者②〜③がサイコパス。

その①〜③において、①の非力な人達が力を持ったとき、③の力の乱用者になる。
①から始まる以上、③になる。
③のあとに、②の制御を考える意識になる。

社会でギャーギャー騒がれているのは常に①と③の間のことだ。
①②③間は、単純にスペクトラムとも言えない。


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