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俺の記録庫
84
:
考える名無しさん
:2017/08/02(水) 03:04:21 ID:UzDke0GE0
俺個人にとっては、「神仏」というのが「己に割り切った判断をさせない邪魔な要因」となっている。
神仏の存在を肯定しない現代社会は、(先述の文章を使うと)俺から見ると「無知な視点から無理をしている」様に見える。危なっかしい。
神仏を考慮に入れた最適解の模索とか、面倒くさい。
神仏っていうのには俗に言う風水的なこととかも含めて考えている。
物を沢山持っているから、売るなり減らしてからでないと、次の行動をしてはいけない、などの謎ルールの解明を行わなければいけない。
そうすることが無知ではない状態を保つ。考慮しないのならば無知のまま無理をすることになる。
なんで神仏なんていう存在しているかもわからない事柄について複雑すぎる情報が頭に溢れ、パニック状態にならなければいけないのだろうか。
「全てを見通す者」を一瞬でも望んだことがある故に、その立場が抱える重さを全部味わわされてしまうのだろうか。
予知や透視(多分、「人間&妖精間のテレパシー」というひとつの項目で含められること)に翻弄され続ける人生なのは決まっているので、こんな状態で何が出来るのか。
「どうやったら楽できるのか」を考える以外に、身を動かせる方向がない。
もっと負荷を軽減しないとキャパオーバーで破滅する。
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