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俺の記録庫
83
:
考える名無しさん
:2017/08/02(水) 02:35:59 ID:UzDke0GE0
地震に割り込まれて言葉の鋭さが削がれてしまったが、ここ数時間ずっと考えていたことがある。
「間違えることを恐れる」のは、誰かに叱られるからではなく、「間違えることによって過去に滅亡したおぼえ」が、「蛇は怖い」となぜか人類が知っている様に本能レベルにあるからではないのか?と。
この、恐怖を探求する状況は、瞑想につきものの「魔境」の状態に近い。
最も恐れており、臆病になっており、生きることを意識している。
無知と視野狭窄により無理や無茶をできていた過去が、とても危なっかしく感じられる。
そして、危なっかしく感じている今が、その過去よりも安全に思えない。
死ぬことで、生存を維持するための管理と制御から解放されるのならば、それ程安心できる心境はないのかもしれない。
「自分なんかが存在していて良いのかな」と不安になる理由が、「間違うことによる滅亡の恐怖」であるのなら、生き続けることは、間違い(異常・エラー)を肯定する恐怖を募らせる。
しかし、生きている以上、最大の恐怖は死ぬことである。
「恐怖」による束縛の地図はそんな感じになる。
精神崩壊を、どのように耐えたら良いのだろう?精神的に強くあっても、「お金がなかったら駄目」だとか、「物質的に滅んでしまったら駄目」とかいう制約のせいで、本来の強さを保てない。
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