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俺の記録庫
770
:
考える名無しさん
:2017/09/25(月) 20:56:38 ID:ZZVKU.B.0
今回の「母親への対応」について、
単に「人間関係的にいい人」として振る舞うのなら、その「死との直面」について話に上げるのは全力で避けながら、相手が言いたいことだけを聞く役に徹する、という形が適切だ。
だが、俺には「相手の無意識と相手のカルマ」が見えてしまう。
上辺の平静を調整する「最善策」と、心と魂に根付くカルマ解消に繋がる「最善策」が、単純にベクトルとして相反することが多い。
これはどういうことか。
「生のフィールド」と「死のフィールド」それぞれでの重力の場所がずれている。
「生のフィールド」というのは、「生きている」ことに毎度立ち戻る空間だ。
「如何に社会生活を充実させるか」などは、この「生のフィールド」的な活性化の具体例だ。
「生のフィールド」に立ち戻る点(コンフォートゾーン)を置いたまま「死の予感」を目にすると、意識のフォーカスはその「死の予感を醸す対象」から「生きている自己」へ、くるっと回転して切り替わり、「自己が死に取り込まれないように」という行動を焦燥感を抱えながら取り始める。
「死が漂う状況」を俯瞰して描写すると、
「死を迎える対象」(犬)の主観からすると、「対象の死を恐れる者」(母親)が遠ざかっていく。まさに死ぬというときに、その者(母親)が自分(犬)の見ている世界から退散していく。
こんな思いを犬に最期に持たせてしまうわけだ。
まだ具体的にはよくわからないが、こちら側の摂理が「死のフィールド」を核とした引力により形成される空間だと思う。
「エロスとタナトス」は、この生と死のフィールドについて言っていそうな感じがするが、完全に一致するかはわからない。無理に一致させて細々とした部分を曲解するのは良くない。
カルマ解消の協力・お手伝いをする場合に限って、「鬼・悪魔」と罵られることがある。
その汚名と悪評価を買って出るというのがこちらの覚悟であり、
そして、その行為は「こちらの価値観の押しつけではない」と見做せる普遍的な問題に関してである、ということが言えるのだが、
いつしか「相手の望むぬるま湯に沿った助言以外はハラスメント・DVである」と見做されるような認識が生まれ、それを規制する法で固められた狂った世の中が来ると思う。
カルマの解消が禁止され、生のフィールドでの生産性だけが重視された社会。
人は苦しみの根をアスファルトで埋めて閉じる。
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