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俺の記録庫

769考える名無しさん:2017/09/25(月) 20:16:54 ID:ZZVKU.B.0
道端が、踏み潰された銀杏(ぎんなん)のせいで臭い。

いちょうの木は、実を落とした地面がアスファルトになることなど想定外の環境で、その遺伝子をデザインされたのだろうか。

母親の飼い犬が危篤状態になり入院。
「自宅でひきとらせますか?」との獣医の問いに対し、点滴を受けながらの入院を選択した母親。

「今晩生き延びれたら明日引き取ってくるか、面会に行くべきだ」と俺が告げると「助言を求めて報告したんじゃない。なぜ苦しめるのか」と言う母親。

人の人生、そいつの勝手だが、例外的に勝手ではないものがある。
特に「死」にまつわることはその例外にあたり、その「死」に関しては、俺は「絶対的な」何かを掴んでおり、常に直視しているようである。
「最期だから見たくない」が「最期だから見届ける」に置き換わるまで、地獄の堂々巡りは続く。

うちの家族はそれぞれ一人暮らし。
親父のほうも、飼い猫から死の前兆を感じるからと、室内飼いから庭飼いにするなど、非常に軽蔑する行動が見られるのだが、

この精神性が戦後日本の世代的なものだとしたら(母親と親父で11歳離れているが戦後バブル以前世代として)、
この世代の人間達には、彼らの想像を絶する嘆きと悲しみにより、人生について学ぶ「機会」が、残っているんじゃないのか?と思う。

この「機会」は、国家的大惨事となりそうで怖い。


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