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俺の記録庫
704
:
考える名無しさん
:2017/09/20(水) 19:51:44 ID:ZZVKU.B.0
道端に倒れている人がいても素通りしていくどこかゾンビみたいに感覚が欠如した日本人には、「明日は我が身」などの言葉で他人事を他人事として(実際はその事象が自己への難題なのに)逃避する行為を封じる一手が打たれているが、この世はこれからもっと直接的に逃避できない世の中へと進化していく。
末期癌と戦うという「人生の難題」を抱えた人は、まずこの状況を成立させるために「末期になるまで放置しておく」傲慢で乱暴な人生観のほうを先に成立させる必要が出てくる。
だから、順風満帆に社会に出て結婚して子供ができてという幸せな家庭への階段を登らされる。
考え方が悪魔だな。
悪魔っぽいが、「モルモット」がモルモットの自主性に従って、「自己の難題」にぶつかるような仕掛けを作るとしたら、そういう手順になってしまう。
実は悪魔ではないのだと思う。単に人間に直接的に作用できない力である、というだけ。
できることで伝える。つまり、「言葉の言い回し」だ。
果たして先祖供養は、この自己の難題への衝突を緩和させるのだろうか?
そんな「無意味」な仕組みを神はどんな目的で用意するのだろうか。
ひとつ考えられるのが、死んだ先祖も、死んだまま、未だに自己の難題と向き合っている最中である、という設定。
これは死んでも死にきれない地獄。
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