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俺の記録庫
695
:
考える名無しさん
:2017/09/20(水) 17:19:53 ID:ZZVKU.B.0
しかし、
文学系で頭がおかしくなった人たち(被害妄想や集団ストーカーのような統合失調症的思い込み)の「なぜ脳がそういう状態になっているのか」は、あまりよくわからない。
これはむしろ「鏡に向かってお前は誰だ?」を行う経験不足が形成する「自己が棚上げされた世界」なのでは?と思う。
「小説を書く」という行為は「嘘をでっちあげる」ことであり「架空の人物を作り上げる」行為であり、「自分自身という存在を、動機・ベクトルという形以外では認識しないまま忘れてしまう」という方向性なのではないか?と考える。
鏡に向かって「お前は誰だ?」と問い続ける行為は、アリストテレスの形相・質量においての「両方」であると信じていた「己」の姿が、「質量」として認識されはじめ、「形相」が分離され、目に映っている質量たる肉体に、形相と見做せる点を確認できない、ということに確信を持つようになるのでは。
オーラが見えたりすると、この迷宮には迷い込まないのだと思う。
オーラ=形相=魂 と勘違いすることにはなるが。
さて、何に向かって話は進んでいるのか。
それを今一度客観的に分析してみると、「業・因縁・カルマ」というものに至ってしまう。
自分が気にしてしまい、自分が解決しなければいけないこと。
カルマこそが自画像である可能性がある。
自分だと絶対に躓く問題。自分以外は平気で超えてく問題。
そんな問題から目を逸らさずに耐えたとき、
自分の体の中で、
未だ幼児のような自己が「ほんと、まじで、やばい」、と「詰んだ」状態で、体を背中から張り裂くような力の飛び方で、
「苦しみを手放せずにいること」を、
自己は、まるで幽体離脱して自分の体を俯瞰したような視点からに感じ取る。
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