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俺の記録庫
68
:
考える名無しさん
:2017/07/30(日) 04:06:09 ID:UzDke0GE0
なぜ俺は、常々、専門特化した専門カタワを嫌うのか。
それについて考えた結果、
「その専門性だけで『生きてて良い』と決めたのは『人間』即ち社会。『この世』は、実は、人に対して、そんな在り方を許していない気配がする」
というものとなった。
あの専門特化の天才の代名詞たるアインシュタインでさえ、バイリンガルであるという事実からも、「知的生命体として在るべき知性のバランス」的な「幅」は存在するのだと、俺は思う。
米国に移民したから英語を話せた、というのは因果関係としては成立するが、話せる頭脳だから適応した、と考える。
「知性の形」を「イデア」的に見た場合(時間経過により推移する、環境に対して非主体的な存在ではないものと考えた場合)、存在を始めた瞬間から「ドイツ語も英語も話せるキャパシティがあった」と考える。
反対に環境依存を掲げる場合、本業の物理学の天才性の獲得も、環境から説明されるべきだ。
わかりやすく砕くと、
米国に移民しても、なぜかいつまで経っても英語が話せないままの人、というのは、それはそれで沢山存在する。
アインシュタインはドイツ語訛りが強く、単語のスペルが適当ではあったが、会話という動作をその言語に任せることができるだけの適応は果たしている。
世の一芸特化の専門家というのは、アインシュタインよりも抜きん出ているわけでもないのに、アインシュタインよりも「狭く」閉じて完結した知性となっている。
その在り方が、とても「おかしい」と俺はずっと思っている。
そしてその在り方を許しているのは、この世ではなく社会だ、と言っている。
つまり、「人類の社会」が「いびつな知性の保ち方」を許しているわけだが、その形で「正常」と皆が認識しているのは、単に、この社会が「資本主義」であることが理由だ、と考えている。
これからシンギュラリティを迎え、ソサエティ5.0を迎えると、その「金で一人前度を測る」基準が崩れてくる。
現在の社会では、金さえ稼げていれば、どんなにいびつな知性であっても、どんなに幼稚な自我であっても、一人前の人間として自信が持てる、となっている。
同時に、金を稼げなければ、どれだけ成熟していようと、どれだけ立派な人格者であろうと、一人前の人間として顔見せできない、となっている。
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