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俺の記録庫

65考える名無しさん:2017/07/30(日) 02:04:26 ID:UzDke0GE0
自作カフェオレの美味しさのみに救われる。

さて、
楽器演奏の右手・左手に限らず、絵を描くのにも、何もかにも全てのことに普遍的に効果のある、しかも実行直後から目に見えて効果が出てくる「上達法」を、改めて言葉にしようと思う。

その上達法とは、「力を抜くこと」。

これが言うほど簡単じゃ無い。しかしこれに勝る手立ては無い。

「これ(を演奏するの)は無理だな」と思われるものに手を付けるとき、「一体、何を練習すれば、それが無理では無くなるのか?」
テンポを遅めて弾けば上手くなるのか?スウィングさせて指に慣すのか?
もう、そういう考え方は古い感じだ。

練習すべき事は、力を抜き続けられるようにすること。

そして、なぜこれを言葉にしなくてはならないのか?

それは、何度も気付いて、何度も忘れて、その結果、「演奏歴が長ければ上手く弾けるよ」的なバカみたいな「物事の把握の仕方」が脳内で発生するからだ。

これは、(練習に費やす)「時間」というものを仕事成果の単位と取り違えた脳の仕業だ。

であるので、そこの本当の因果関係の部分を正しく表記すると、

「力を抜くこと」が身につくまでに要した「練習時間」が、結果論的に「上達するのに必要な時間」だ。

力の抜き方を、コツを掴んですぐに身につけられれば、無意味に長い時間練習する必要がない。

要は、「ガリ勉は、何の気づきも得ないまま無意味な時間を費やし続けている」、という物の見方の方面であり、
できるだけ「練習時間を減らす」ための知恵と技術、知識の組み立て方だ。

例えば、「毎日練習する」、OK。その目標は受け入れよう。
次に、「毎日1時間練習する」。アウト。

時間で考えたら、駄目だね。「何を」練習する、が曖昧のまま。「どれだけ」練習する、だけが決定している。
その結果、「何が」上手くなるのか?運次第か?ギャンブルか?何のための1時間だ?

「練習」=「ギターの弦のチューニング」という喩えで見てみよう。
「毎日1時間練習する」=「毎日1時間、ギターのチューニングに時間を費やす」
アホだ。
チューニングが完了したら、その「アクション」は終了で良い。

「練習」というのも、そういう具体的な実現目標から設計されるべきだ。


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